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東京高等裁判所 昭和58年(う)462号 判決

本店所在地

東京都立川市富士見町一丁目二二番二二号

第一重機工業株式会社

右代表者代表取締役

鈴木光

本籍

東京都立川市富士見町一丁目四二番地

住居

同都同市同町一丁目二二番二二号

会社役員

鈴木光

昭和二年九月一〇日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、昭和五八年一月二八日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らから控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官鈴木薫出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人岸巌及び同笠井浩二連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官鈴木薫名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一点(訴訟手続の法令違反の主張)について

所論は、要するに、被告人鈴木光が査察官及び検察官に対し、本件法人税法違反の事実を自供するに至ったのは、同被告人と査察官との間で、清水建設株式会社の関係者を取り調べない代りに、弁護人や税理士を関与させずに同被告人のみが取り調べに応じて全面的に協力する旨の弁護人選任権侵害の約束が結ばれたほか、査察官が被告人に対し、税金四〇〇〇万円ないし五〇〇〇万円を納付すれば告発もしないし罰金も科さない旨利益供与の約束をし、あるいは法人成りした当時、実際は一億円以上もあった同被告人所有の営業用資産を三〇〇〇万円しかなかったことに減額して主張するのであれば、本件仮名預金等から三〇〇〇万円を返還する旨偽計に基づく約束をし、更に多数の査察官が同被告人を狭い一室に閉じ込めて長時間にわたって取り調べたり、同被告人を取り囲んで罵倒するなどの脅迫をしたためであり、しかも昭和五三年九月一一日付及び同月一六日付作成にかかる各四通の質問てん末書は、査察官が勝手に作文し、同被告人がその記載につき訂正の申入れをしたのに対し、これに応じないなど、同被告人の供述を録取して作成したものとはいえないから、同被告人の査察官に対する質問てん末書一四通はいずれも任意性に疑いがあって証拠能力がなく、また、被告人の検察官に対する供述調書も、右のような質問てん末書と同じ影響下に作成されたもので、これも証拠能力がないものであり、それにもかかわらず、これらをすべて証拠能力があるものとして証拠に採用した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があるというのである。

そこで、検討するに、関係各証拠によると、次の事実が認められ、これに反する原審における被告人の供述は他の関係各証拠に対比し、にわかに措信できない。すなわち、

一  収税官吏である東京国税局所属の査察官らは、昭和五三年五月一六日、本件法人税逋脱事件につき、被告人鈴木光(以下単に「被告人」という。)の自宅に臨んで捜査し、関係帳薄書類等多数を差し押えるとともに、査察官山口富男は、同日被告人を東京国税局に呼んで事情を聴取し、これを録取した同日付の質問てん末書一通を作成する一方、他の査察官が被告人第一重機工業株式会社(以下単に「被告会社」という。)の取引先である清水建設株式会社(以下単に「清水建設」という。)の関係者から事情を聴取した。

二  被告人は、特に呼び出しを受けたわけでもないのに、同月一九日、自ら東京国税局に赴き、統括査察官ら数名の収税官吏に対し、本件について強制調査を受けたことを詫びるとともに、その調査には全面的に協力する旨を申し出た。そこで、査察官関谷隆は、同日直ちに被告人が本件脱税をするに至った動機、手段方法及びその内容の概略について、被告人から事情を聴取して、同日付の質問てん末書一通を作成したほか、同年八月三日、同月八日、同年九月七日、同月一一日、同月一六日、同月一八日、同月二〇日及び同年一〇月二五日に、それぞれ被告人を東京国税局に呼び出して、本件逋脱事件について事情を聴取し、これを録取した質問てん末書一四通を作成したが、それらをいずれもその都度被告人の面前で作成したことはもとより、右各質問てん末書を読み聞かせ、あるいは被告人自身に閲読させて、その記載内容に誤りがないか否かを確認し、被告人から訂正の申立てがあった部分については、その旨を付加訂正して作成したものであって、被告人は、右質問てん末書の記載内容に誤りがないことを認めて署名し、かつ、押印ないし指印をしている。

三  被告人が査察官から事情を聴取された場所は、いずれも東京国税局査察部の調室で、その広さは約三・三平方メートルしかない狭い部屋であるけれども、被告人の取調べに当った査察官らは、被告人の疲労等に十分配慮し、主として午前一〇時三〇分ころから午後六時ころまでの間に取り調べ、遅くなったときでも午後一〇時三〇分ころには終了し、連日深夜にわたって取り調べたことはなく、しかも、被告人は、取調べに総じて協力的であったので、数名の査察官らが右調室で被告人を取り囲み、所論のような罵声を浴せたり、脅迫文言を告知する必要がなかったことは勿論、その事実もなかったうえ、利益供与の約束もしておらず、また、関谷査察官が被告人から本件脱税の事実について事情を聴取した際、清水建設の関係者を取り調べないで欲しい旨の申出があったけれども、強制調査に着手した当日すでに他の査察官が清水建設の関係者から事情を聴取していたので、更に取り調べる必要がなかったため、被告人の右申出を聞き流したほか、査察官らにおいて、所論のような弁護人選任権を侵害するような約束を結んだこともない。もっとも、被告会社が法人成りした当時、被告人の個人財産が如何程あったかについて、関谷査察官と被告人との間で若干議論したことはあるが、しかし、被告人は、査察官から示された関係資料等を検討した結果、従前の主張に誤りがあることに気付き、結局三〇〇〇万円位の個人財産があったことを認めるに至ったものであって、一億円相当の個人財産があったことを前提とし、これを三〇〇〇万円しかなかったことにすれば、本件仮名預金等から三〇〇〇万円を返還する約束の下に前記のような供述をしたものではない。のみならず、本件は、被告人の身柄を拘束しないまま任意で取り調べたものであるうえ、関谷査察官は、取調べの初期の段階において、本件調査終了後の処分につき意見を求められた際、本件を検察庁へ告発することを前提として取調べている旨被告人に告げている。

四  本件につき、被告人は、昭和五三年一一月一六日、東京地方検察庁において、検察官樋渡利秋の取調べを受けたが、その際も査察官らに供述したと同様に、本件逋脱の事実を全面的に自供した。そして、同月二四日には、本件法人税法違反の罪で、在宅のまま被告会社とともに、原裁判所へ公訴を提起され、その起訴状は同月二九日被告人に送達されたので、被告人は、同年一二月四日右事件の弁護人に弁護士岸巌を選任し、その旨を記載した弁護人選任届を原裁判所へ提出した。

五  被告会社では、以前から弁護士岸巌及び税理士永松勲との間で、それぞれ顧問契約を結び、その報酬を支払っていたところ、永松税理士は、被告会社が本件で強制調査を受けた昭和五三年五月一六日、右事件の調査を担当していた査察官らと面接しているほか、少くなくとも同年九月二〇日、同年一一月二五日及び同年一二月二一日の三回、被告人及び被告会社の経理担当者らとともに東京国税局へ出頭しており、同年九月二一日には立川税務署にも出頭した。そして、関谷査察官から被告会社の昭和五〇年九月期ないし昭和五二年九月期における各所得額を示されて、それに添った修正申告をするように勧められたので、被告人と相談のうえ、被告会社を代理して、昭和五〇年九月期分については本件で起訴される前の昭和五三年一〇月二七日に、昭和五一年及び昭和五二年の各九月期分については起訴後の昭和五三年一二月一九日にそれぞれ修正申告をした。そこで、被告会社では右修正申告に係る各法人税とその加算税を納付したがその修正申告所得額は本件逋脱額を含めた金額を若干上回っている。

以上認定した事実に微すると、原審で取り調べた被告人の収税官吏に対する質問てん末書一四通及び検察官に対する供述調書一通は、所論が指摘するような約束や経過で作成されたものとは認め難く、むしろ被告人が任意に供述したものを録取して作成されたものと認めるのが相当である。してみると、右各調書はいずれも証拠能力を有するものというべく、これを証拠に採用した原判決には、訴訟手続の法令違反はないから、論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(理由不備ないし理由そごの主張)について

所論は、要するに、原判決は、受取利息の源資である本件仮名預金等の帰属を認定するに際し、「鈴木商店当時の営業用資産は法人成りと同時にそのまま被告会社に引継がれ、建設機械、部品、資材、スクラップ等や預貯金、現金等の運転資金についても、原則として実質的に被告会社に帰属するに至ったものと認められる。」と判示しているが、右にいう「引継ぎ」とは譲渡を意味するのか、それとも単なる占有移転を意味するのか、更に「原則として実質的に」とは、例外として、あるいは形式的には被告会社に帰属しない資産もあるという意味か、いずれにしても趣旨不明であって、営業用資産が被告会社に帰属するに至った法律上の原因及びその範囲について、具体的かつ明確に判示していない点で、理由不備もしくは理由にくいちがいのある違法があるというのである。

そこで、調査するに、原判決は、所論指摘のとおり、「鈴木商店当時の営業用資産は法人成りと同時にそのまま被告会社に引継がれ、建設機械、部品、資材、スクラップ等や、預貯金、現金等の運転資金についても、原則として実質的に被告会社に帰属するに至ったものと認められる。」と判示するのみで、被告人所有の資産が被告会社に引継がれ、あるいは実質的に被告会社に帰属するに至った法律上の原因については何ら触れるところがないので、原判決の説示は必ずしも適切とは言い難い。

しかしながら、原判示の趣旨とするところは、法律上の原因についてはともかく、少なくとも本件で問題とされている仮名預金等の源資となった建設機械、部品、資材、スクラップ等のたな卸資産はもとより、預貯金現金等の運転資金についても、究極的には被告会社に帰属し、したがって、これらを運用して生じた本件仮名預金等も被告会社に帰属する旨判示しているものと解することができるから、原判決には所論のような理由不備ないし理由のそごはないものというべきである。論旨は理由がない。

控訴趣意第三点の第一ないし第三(事実誤認の主張)について

所論は、要するに、被告人は、被告会社が法人成りした当時、建設機械、部品、資材、スクラップ等の商品及び預貯金、現金等総額一億円以上の個人資産を有していたが、その当時、右資産を被告会社に譲渡したことはなく、仮に、譲渡したとしても、それは有償譲渡であるから、現物出資、財産引受、事後設立、自己取引等に関する商法所定の手続きを必要とするところ、その手続きを経ていない本件においては、右譲渡は無効に帰するものというべく、したがって、これらの資産は、当時から現在まで引続き被告人に帰属しているのでありこれらの資産から転化したと認められる本件仮名預金等も被告人に帰属するのに、右資産が被告人から被告会社に譲渡されたうえ、これらから転化した本件仮名預金等もすべて被告会社に帰属する旨認定した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというのである。

そこで、調査するに、関係各証拠によれば、原判示のように、被告人は、その所有にかかる建設機械等のたな卸資産は勿論、預貯金及び現金等をも含めた一切の営業用資産を被告会社設立と同時に被告会社に無償で譲渡したことが認められ、したがって、これらから転化したと認められる本件仮名預金等も被告会社に帰属するものというべきである。所論に鑑み、更に敷衍すると、次の事実が認められ、これに反する原審における証人鈴木きみ子及び被告人の各供述は、他の関係各証拠に照らし、にわかに措信することができない。すなわち、

一  被告人は、昭和二九年ころから鈴木商店の名称を用いて、建設機械、部品、資材等の販売、賃貸業等を営んでいたところ、昭和三五年に至り、かねてから念願を実現すべく、会社を設立して、右事業を拡張発展させようと考えた。そこで、同年一〇月一八日、鈴木商店の営業と目的を同じくする被告会社を設立し払込み名義はともかく、その資本金一〇〇万円全額を被告人において出資し、その代表取締役に就任した。そして、直ちに同会社は営業を開始し、更に昭和四五年一一月には資本金を三三〇万円に増資したが、これも被告人が全額払い込んだもので、他に出資者はいない。

二  被告人は、被告会社設立と同時に、個人所有にかかる建設機械、部品、資材、スクラップ等のたな卸資産のみならず、預貯金、現金等を含めたすべての営業用資産を被告会社に無償で譲渡し、土地、建物を除いては被告人の個人所有として留保したものはない。他方、被告会社では、無償で譲り受けたこれらの資産を営業の用に供して、その営業を開始したことはもとより、特に建設機械等のたな卸資産を被告会社の名で売却ないしは賃貸するなど、その管理運用もすべて被告会社で行い、その収益も被告会社で取得した。そのため、被告人が従前個人で営んでいた建設機械等の販売や賃貸業は、その実態を失い、以後被告人所得もなくなったので、被告人は、昭和三六年以降所得税の申告を全く行っていない。

三  被告会社では、本件三事業年度の法人税につき、昭和五三年一〇月と同年一二月にそれぞれ修正申告をし、その法人税及び加算税を納付したが、その課税所得額を算出するに際し、本件仮名預金等はすべて被告会社に帰属し、したがって、それから生じた受取利息及び債券売却益もすべて被告会社に帰属するものとして所得額を算出しており、しかも右修正申告額は、本件逋脱額を含めた金額を若干上回っている。

以上のように、被告人は、被告会社設立当時、その所有にかかる土地、建物を除き、他の資産をすべて被告会社に無償で譲渡したので、これから転化したものと認められる本件仮名預金等もすべて被告会社に帰属するものというべく、したがって、被告会社が法人成りした当時、被告人の所有していた建設機械等の営業資産の一切が被告会社に帰属し、それを源資とする本件仮名預金等も、すべて被告会社に帰属するとした原判決の結論は、結局正当として是認することができる。

なお、所論は、仮に、被告人がその所有する資産を被告会社設立と同時に被告会社に譲渡したとしても、それは有償譲渡であるから、現物出資(商法一六八条一項五号)、財産引受(同項六号)、事後設立(同法二四六条)及び自己取引(同法二六五条一項)等に関する商法所定の手続きをする必要があるところ、これを経ていない本件の場合、右譲渡は無効であると主張する。しかしながら、現物出資、財産引受、事後設立及び自己取引が行われた場合において、それらが商法所定の要件を満たしていないときは、会社の財産的基礎を危うくし、会社の債権者を害するとともに、金銭出資をした他の株主をも害するおそれがあるので、商法は、その要件、手続き等を厳格に規定しているものの、その規定自体から明らかな如く、これらはすべて有償譲渡の場合に適用される規定であって、会社の財産的基礎を危うくすることのない無償譲渡には適用の余地がないところ、本件の場合、すでに認定したとおり、被告人は、被告会社設立当時、その所有する営業用資産の一切を被告会社に無償で譲渡したものであるから、その譲渡につき、商法所定の手続きを経由していないとしても、これが無効となるものではないというべきである。

してみると、原判決には、所論のような事実の誤認はないから、論旨はいずれも理由がない。

控訴趣意第三点の第四(事実誤認の主張)について

所論は、要するに、本件仮名預金等は、被告人所有の資産を売却した代金ないしはその利息の転化したものが大部分であり、したがって、右資産から生じた受取利息や債券売却益も被告人に帰属して被告会社には帰属せず、被告人もそのように認識していたので、右受取利息及び債券売却益を申告所得額の計算から除外したことにつき、被告人には逋脱の故意がなかったものというべく、このことは被告人が利子所得に対する源泉分離所得税を継続的に納付して来たことからも明らかであるのに、受取利息及び債券売却益について、被告人に逋脱の故意があった旨認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというのである。

ところで、本件仮名預金等が被告会社に帰属することは、すでに認定したとおりであり、したがって、これを源資とする受取利息や債券売却益も被告会社に帰属するものというべきである。そして、関係各証拠によると、右仮名預金等は、被告会社の所得を秘匿した金員をもって認定されたものであって、これが被告会社に帰属することは被告人も十分承知していたこと、それにもかかわらず、被告人は、本件各法人税の確定申告をするに当り、受取利息や債券売却益をことさら除外して申告したことが認められ、これに反する原審における証人鈴木きみ子及び被告人の各供述は、他の関係各証拠に対比して措信することができない。そうすると、被告人は、本件各法人税の申告所得額から受取利息及び債券売却益を除外したことについて、逋脱の故意を有していたものと認めるのが相当であって、この点につき、原判決には事実の誤認はない。なお、被告人が所論のように、本件仮名預金等に対する源泉分離所得税を継続して納付して来たとしても、前述のとおり本件仮名預金等が被告会社に帰属している以上、所論のような事情をもってしても、前記認定を左右するに足りない。論旨は理由がない。

控訴趣意第三点の第五(事実誤認の主張)について

所論は、要するに、(一)被告会社では、被告人の家族である従業員に対し、水増支給したとされる営業手当を含む給料及び賞与を実際に支給しており、(二)簿外交際費に充てる資金捻出のため、被告人の家族以外の一部の従業員に対し、正規の給料手当等のほかに、営業手当とそれに対応する賞与を支給した分については、被告人は、これを損金に計上することにつき、顧問税理士から、当該従業員の承諾さえ得ておれば、右営業手当等を支給したこととして、これを簿外交際費に使用することは、税法上別段問題ない旨の教示、指導を受けたので右営業手当等の支給分を被告会社の損金に計上することが税法上許されるものと認識していたのであり、この点で逋脱の故意を欠いており、(三)更に、昭和五〇年一一月二一日に支給した同年九月分の賞与及び昭和五二年一〇月五日に支給した同年九月分の賞与は、いずれも当該事業年度の終了する日までに、その支給すべき債務が確定していたのであるから、右各事業年度の損金に計上することができるところ、これらの事実をすべて認めなかった原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというのである。

所論(一)、(二)について

関係各証拠によると、次の事実が認められ、これに反する原審における証人鈴木きみ子、同鈴木寛、同鈴木茂樹、同大杉高、同大杉良子及び被告人の各供述は、他の関係証拠に照らし到底措信できない。すなわち、

(1)  被告会社では、清水建設の下請のみを業としていたので、これを継続して遂行する必要があったので、同会社の現場担当者らを接待して歓心を買い、何かと便宜を図ってもらっていたが、その費用の捻出に苦慮していた。そこで、被告人は、右費用に充てる資金を捻出するとともに、その他の費用に充てる簿外資金をも併せて畜積しようと考え、昭和四九年九月ころ、従業員の中から信頼のできる高橋昌治ほか五名を選んで、同人らを立川市内の料理店「源助」に呼び出し、その席上、被告人の前記企図を説明したうえ、営業手当を支給する形にするので、協力して欲しい旨要請し、その承諾を得た。

(2)  そして、被告会社では、昭和四九年一〇月以降、高橋昌治ら六名のほか、被告人の長女大杉良子(ただし昭和五三年四月分まで支給)、長男鈴木寛及び二男鈴木茂樹(ただし同年五月から支給)の九名に対し正規の給料手当のほかに、新たに営業手当の名目で一人当り月額二〇万円(ただし昭和五二年四月以降一人当り月額三〇万円に増額された。)を支給したこととし、更に毎年七月と一二月には右営業手当に対応する賞与も支給したこととし、これらを被告会社の損金に計上した。

(3)  ところで、被告会社では、被告人の家族を含めた全従業員に対し、正規の給料諸手当を支給する場合、一人別源泉徴収薄、賃金台帳、賃金計算書を作成して、毎月支給すべき給料諸手当等を計算し、かつ、各従業員毎の支払明細書をも作成して、その明細書に記載されている金員のみを現金で支給していたが、新たに支給することにした営業手当及びこれに対応する賞与については、被告人の家族を含めた前記九名の従業員に対し、その営業手当及び賞与分を除外してこれを支給しないばかりか、経理担当者において、除外した右金員を一括して被告人の妻に届けていた。そして、右営業手当等を実際に支給した給料諸手当と区別するため、前記諸帳簿とは別個の源泉徴収簿兼賃金台帳、給料明細書にそれぞれ記載し、これに対する従業員負担の所得税や社会保険料も全額被告会社において負担していた。そのうち所得税合計一四四二万九三二一円については、本件発覚後被告会社において還付請求をし、昭和五四年七月二〇日、その還付を受けている。

(4)  被告会社において、以上のような営業手当等を計上するに至ったことはもとより、これを被告人の妻が一括管理するようになったのも、すべて被告人の指示に基づくものである。また、被告人の妻が保管していた薄外資金の一部を取り出し、これを子の鈴木寛らに交付したことがあるが、それは同人らから預っていた給料等の一部を交付したというものではなく、単に親子間の愛情から出た贈与に過ぎない。

以上認定した事実によれば、所論(一)、(二)でいう被告人の家族を含めた従業員に対する給料手当及び賞与の支給について、原判決には事実の誤認はないものというべきである。なお、所論は、営業手当等の計上につき、被告人は、顧問税理士から、税法上別段問題ない旨の教示、指導を受け、かつ、そのように認識していたので逋脱の故意はなかった旨主張するが、税理士の資格を有する者が税法上是認されない水増計上を教示、指導したとは考えられないばかりでなく、営業手当等を水増計上するに至った動機、その支払いの経過、これを管理していた状況等に徴すると、営業手当等の計上につき、被告人が逋脱の故意を有していたことは優に認定できるから、論旨はいずれも理由がない。

所論(三)について

法人の事業を遂行するために要する販売費及び一般管理費につき、当該事業年度の終了する日までに、具体的に給付すべき原因となる事実が発生して、その債務が成立し、かつ、その金額を合理的に算定することができるときは、たとえその債務が現実に履行されていない場合であっても、これを損金に計上し得ることは所論指摘のとおりである。

ところで、関係各証拠によれば、被告会社では、当該各期における所得の平準化を図るため、被告人の指示に基づき、従業員に対し、昭和五〇年一一月二一日に支給した賞与を同年九月に、昭和五二年一〇月五日に支給した賞与を同年九月にそれぞれ支給したこととして、これをことさら当該事業年度の損金に計上したこと、毎年九月ころ支給する賞与は、期末の決算期に従業員の労をねぎらうため支給する臨時的な賞与であって、その支給額、支給時期も一定しておらず、その都度被告人の裁量により適宜決定されていたこと、本件の場合も被告人の全くの自由裁量で支給額と支給時期が定められたものであること、したがって、従業員において、右賞与が確実に支払われるか否かはもとより、その支給額及び支給時期などを知り得ないばかりか、その請求権をも有しないことが認められ、これに反する原審における証人大杉良子及び被告人の各供述は、他の関係各証拠に照らして措信できない。

右認定事実によれば、昭和五〇年一一月二一日及び昭和五二年一〇月五日に支給した賞与は、昭和五〇年九月期及び昭和五二年九月期の各事業年度の終了する日までに、その支払いが確定していたものとは認められない。なお、所論は、右賞与につき、経理担当者において、昭和五〇年及び昭和五二年の各九月中に具体的な金額を算定したうえ、それに相当する現金を各人毎の賞与袋に入れて、いつでも支給できるように準備し、これを被告会社の金庫あるいは被告人の妻が自宅の金庫にそれぞれ保管していたので、右各債務は各事業年度中に確定していた旨主張し、これに副う原審における証人大杉良子及び被告人の各供述もある。しかし、仮に、右のような事実が存したとしても、そのことは、従業員等外部の者に告知されていないので、被告人の自由意思でいつでも撤回し得る状況にあったことを考えると、前記程度の準備をしたとしても、未だ当該賞与の支払いが確定したということはできない。そうだとすると、この点についても、原判決には事実の誤認がないから、論旨は理由がない。

控訴趣意第三点の第六(事実誤認の主張)について

所論は、要するに、(一)被告会社において、工事収入金及び雑収入を益金に計上せず、減価償却費の超過部分を損金に計上したのは、いずれも経理担当者や顧問税理士の単純な計算違いであって、被告人は逋脱の意思を欠いており、(二)また、租税公課、法定福利費についても、その前提となるべき受取利息及び債券売却益、従業員に対する給料及び賞与について、逋脱の事実がないのであるから、租税公課、法定福利費も逋脱していないのに、これらをすべて逋脱した旨認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというのである。

所論(一)について

まず、雑収入及び減価償却費について検討するに、関係各証拠によると、被告会社では、被告人の指示に基づき、住込み従業員が負担すべき水道光熱費ならびに従業員の負担すべき社会保険料を一括して支払い、これを被告会社の水道光熱費あるいは法定福利費として損金に計上し、後日従業員から右水道光熱費や社会保険料を徴収した時点で、その徴収額を雑収入に計上していたこと、しかるに本件各事業年度の所得額を計算するに当り、水増給料等に対応する従業員負担の社会保険料を従業員から徴収せず、簿外資金からの雑収入として計上し、徴収した水道光熱費については雑収入に計上しないで簿外とし、これを被告人の妻が保管していたこと、そのため、税務当局において、被告会社の雑収入を算定するに当り、右水道光熱費から社会保険料を控除し、それでもなお過少計上であるとして処理したので、原判決もこれを是認したこと、被告会社において、昭和五〇年九月期の減価償却費を計上する際、当該償却資産の耐用年数が三〇年と定められているのに、これを一〇年として算出したため、その償却費が法令に従って算出した額より一九六万七五九六円も多いこと、その超過部分を同期の損金に計上して所得額を算出していること、被告人は、右事業年度における法人税の確定申告をするに先立ち、顧問税理士から、その申告所得額について十分説明を受けていること、その後修正申告した際右超過部分の一部を減額していることが認められる。これらの事実によれば、被告人は、所論の雑収入の計上除外及び減価償却費の計上を申告するについて、逋脱の意思を有していたものと認められるから、この点について、原判決には事実の誤認がない。

次に、工事収入金について検討するに、関係各証拠によると、被告会社では、昭和五〇年一〇月一一日、同年八月一一日から同年九月一〇日までの間に施行した工事代金として、六三万八〇〇〇円を入金したこと、これは同年九月期の益金であるから、同期の工事収入金に計上すべきところ、被告会社では同期の工事収入金に計上しないで、昭和五一年九月期の工事収入金に計上したこと、被告人は、右各期の法人税確定申告をする際その事務処理に当った税理士から被告会社の所得金額について説明を受けていることが認められる。右事実によれば、被告人は、右工事収入金が昭和五〇年九月期の益金に当るにもかかわらず、これを同期の工事収入金に計上しないで確定申告したことを認識していたものと認めるのが相当である。してみると、この点について原判決には事実の誤認はないというべきであり、仮に、所論のとおり、事実の誤認があったとしても、その誤認した金額が六三万八〇〇〇円に過ぎない本件においては、当該事業年度の正当な所得金額に対比し、右程度の誤認は判決に影響を及ぼさないから、結局論旨は理由がない。

所論(二)について

本件受取利息及び債券売却益が被告会社に帰属し、また、被告会社において、従業員に対する給料手当や賞与を水増支給して、これを損金に計上していたことは、すでに認定したとおりであるところ、所論は、その事実が存しないことを前提とするものであって、これが理由のないことが明らかである。のみならず、原判決は、租税公課、法定福利費について、これを逋脱したものとは認定しておらず、むしろその計上が過少であった旨認定しているのであって、この点からしても論旨の理由がないことは明白である。

控訴趣意第四点(訴訟手続の法令違反の主張)について

所論は、要するに、本件仮名預金等の帰属を決するうえで、被告会社が法人成りした当時、被告人が如何程の個人資産を有していたか、その評価が重要であり、そして、原審に提出された客観的な証拠資料を精査し、審理を尽しておれば、被告人の個人資産が一億円以上あったことを明らかにすることができたにもかかわらず原判決は、「法人成り当時の被告人の個人資産の状況、特に純資産の額については、かなりの年月が経過し、これを証するに足りる客観的な資料も存在しないので、必ずしも明らかでない。」と判示し、その評価をさけており、この点で原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があるというのである。

ところで、所論は、審理不尽による訴訟手続の法令違反を主張するけれども、その実質は単なる事実誤認の主張であると解されるところ、被告会社設立当時、被告人がその所有する営業用資産の一切を被告会社に無償で譲渡したものであることは、すでに認定したとおりであって、その当時における右譲渡にかかる営業用資産の評価額が確定されなければ、本件仮名預金等の帰属が決し得ないとは到底いえないから、論旨は理由がないというべきである。

控訴趣意第五点(量刑不当の主張)について

所論は、要するに、被告会社を罰金一五〇〇万円に、被告人を懲役一年、三年間執行猶予に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるというのである。

そこで、検討すると、本件は、被告会社における三事業年度にわたる実際所得の合計額が二億七一二九万九九〇四円であったのに、その所得が一億二七二六万四八六八円しかなく、これに対する法人税額が四五六五万五八〇〇円である旨を記載した内容虚偽の各確定申告書を提出し、その結果、合計五七五二万二五〇〇円の法人税を免れた事案であって、全体としての申告率が四六・九一パーセントに過ぎないうえ、税の逋脱率が五五・七五パーセントにも達していること、被告人らが本件犯行に至った動機は、清水建設の現場担当者らを接待する費用を捻出するとともに、被告会社の増資に充てる簿外資金等を畜積する目的で脱税をしたというものであって、その動機にも特に酌むべき事情は存しないこと、しかも被告会社の従業員や取引先に働きかけるなどして、長期間にわたり、給料、賞与等を水増計上したり、架空の工事支出金を計上した計画的犯行であって、その犯情は悪質であること、被告人は、捜査段階において、本件逋脱の事実を全面的に認めていたのに、原審に至って、極く一部の逋脱を認めたのみで、そのほとんどを否認し、当審でも同様に争うなど、本件について反省しているとは認め難いこと等に徴すると、被告人の刑事責任は重いといわざるを得ない。したがって、本件法人税のすべてについて、起訴された前後に修正申告をして、その本税、加算税とも完納していること、本件後被告会社における経理事務が改善されたこと、被告人には前科前歴がないこと、本件逋脱額に対する罰金の割合が約二六・〇八パーセントであることなどを十分斟酌しても、被告人らに対する原判決の量刑が重過ぎて不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

よって刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 和田保 裁判官 新田誠志)

○ 控訴趣意書

被告人 第一重機工業株式会社

同 鈴木光

右者らに対する御庁昭和五八年(う)第四六二号法人税法違反被告事件につき、辯護人は左記のとおり控訴の趣意を開陳する。

昭和五八年六月二七日

右主任弁護人 岸巖

右弁護人 笠井浩二

東京高等裁判所

第一刑事部御中

目次

(丁数)

第一点 訴訟手続の法令違反(質問てん末書および検面調書の任意性の問題)

第一 辯護人選任権侵害の約束

第二 利益供与の約束

第三 偽計に基づく約束

第四 脅迫的取調

第五 査察官による質問てん末書の作文

第六 検面調書の任意性

第二点 理由不備ないし理由齟齬(個人資産の譲渡の問題)

第三点 事実誤認

第一 個人資産の譲渡について

第二 商法上の手続の欠缺について

第三 法人成り後の本件仮名預金等の帰属について

一、法人成り後の本件仮名預金等の帰属について

二、残土処分代について

三、人工代の水増計上について

四、当該三事業年度の本件仮名預金等の帰属について

第四 犯意の不存在について

第五 給料手当および賞与金について

一、家族従業員に対する支給について

二、賞与金の翌期支払いと債務の確定について

三、故意がなかったことについて

第六、その余の問題に対する誤認について

第四点 審理不尽による訴訟手続の法令違反(法人成り当時の個人資産の評価の問題)

一、問題点

二、裏付捜査の不備

三、個人資産評価の方法

四、鈴木商店開業までの個人資産の状況

五、鈴木商店時代の収入の概要

六、ブルドーザー等の製作・販売状況

七、フォークリフト、鈴木式シャベルローダーの製作・販売状況

八、トレーラーの払下げと販売状況

九、自動車類の販売状況

一〇、スクラップ等の販売状況

一一、 本件仮名預金等の発生状況

一二、 被告会社設立当時の個人資産の評価

第五点 量刑不当

第一点 原判決には、任意性に疑いがあり証拠能力のない質問てん末書および検面調書を採用して事実を認定した違法があり、右の訴訟手続における法令の違反は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄されるべきである。

辯護人は、原判決が証拠に採用した被告人の査察官に対する質問てん末書一四通(検乙四ないし一七)および検察官に対する供述調書一通(検乙一八)は、いずれも以下の理由により任意性に疑いがあり証拠能力がないものと確信する。しかるに、原判決がこれらの質問てん末書および検面調書をそれぞれ証拠として採用したのは、憲法第三七条第三項および刑事訴訟法第三一九条、第三二〇条、第三二二条に違反するものである。その理由は、原審における辯護人の昭和五七年一月二八日付意見書並びに同年九月二一日付弁論要旨第二(一九丁ないし六六丁)において陳述したとおりである。

しかるに、原審が事実の真相を十分に把握されずに、昭和五七年五月一七日付決定(以下「決定」という)によって、これらの供述録取書を証拠に採用したことは、被告人らおよび辯護人の最も遺憾とするところである。原審がこれらの供述録取書を証拠に採用した決定の理由については、被告人らおよび辯護人とも絶対に納得できるものではない。これらの供述録取書に録取された被告人の供述は、任意にされたものでない疑いがあることは明らかである。以下これらの供述録取書に証拠能力のない理由を論述する。

第一、査察官と被告人との間に、本件査察事件を早期に解決するために、清水建設の関係者を取調べない代りに、辯護士や税理士を関与させずに、被告人一人で取調べに応じ全面的に取調べに協力する、旨の約束がなされている。査察官は、右約束に基づき被告人らの辯護人選任権を侵害する不当な取調をしたため、被告人の自白を記載した前記質問てん末書等が作成されている。

一、この点に対する原審の前記決定では、なぜ被告人が捜査段階において、顧問辯護士や顧問税理士がいたのに拘らず、これらの辯護士や税理士を辯護人や税務代理人に選任しなかったのか、という最大の疑問に対し、何等の判断も示していない。もちろん、原判決もこの点についてはこれまた何等の判断をも示していない。原審は、公平に事案の真相を正しく判断することをせず、予断と偏見に基づき、全く形式的かつ偏頗な理由によって、これら質問てん末書を証拠に採用したものであり、また、原判決は、右質問てん末書をそのまま証拠として事実を認定したものであるから誤りである。

二、まず、前記決定は、「被告人鈴木は本件査察事件が清水建設の関係者に及べば仕事の注文がなくなり会社の存続問題にも発展しかねないことを危惧するとともに、査察により被告会社の業務に支障が生じないように本件を早期に終了させたいと考え、前認定のとおり昭和五三年五月一九日自ら国税局に出頭し、査察を受けるに至ったことの謝罪と今後の調査について全面的に協力することを約束し、本件査察の早期終了と清水建設の関係者を取調べないですむように懇請したことが認められる。」(前記証拠採用決定書六丁表四行から一一行目)と認定している。

右決定は、右認定において、被告人が査察官に対し、第一に、今後の調査について全面的に協力することを約束したことと、第二に、本件査察の早期終了と清水建設の関係者を取調べないですむように懇請したことを認めている。

次いで、右決定は、「証拠上国税局が本件で同月一六日の査察後に清水建設の関係者を取調べた形跡はなく、被告会社には本件査察当時顧問辯護士や税理士がいたが、被告人鈴木が査察の段階で辯護士や税理士の関与を受けながら取調べを受けた形跡も認められない。」(右決定書六丁表一二行から同丁裏二行目)と認定している。

したがって、ここで問題となるのは、第一に、国税局が本件査察後に清水建設の関係者の取調をしなかったのは、被告人から清水建設の関係者を取調べないですむようにしてくれと懇請されたため、右懇請に応じたためなのか、あるいは、他に右取調をしなかったことにつき、客観的かつ合理的な特別の理由ないし事情があったのかどうか、という点と、第二に、当時被告会社に顧問辯護士や顧問税理士がいたのに拘らず、なぜ被告人らがこれらの辯護士や税理士を辯護人や税務代理人に選任して国税局側と折衝させなかったのか、という疑問である。

三、これに対し、右決定は、右第二の疑問点に対し何等の合理的な判断をも示していない。ただたんに、「被告人鈴木が捜査段階において辯護士や税理士を選任しなかったことをもって所論主張の約束等があったことの証左とすることもできない。」(右決定書七丁裏六行から九行目)と認定するだけである。

ところで、辯護人等選任排除の約束がなされたか否かの点につき、右決定によると、関係人はそれぞれ次のように原審公判廷において供述している。すなわち、

1 被告人鈴木は、「査察官から、本件で清水建設の関係者を取調べず、早期解決を希望するのであれば辯護士や税理士等の代理人を関与させないで被告人鈴木一人で取調べに応ずることを約束するように言われたので、清水建設の関係者が取調べられず本件査察事件が早期に解決できるのであれば所期の目的を達すると考え、右査察官の申入れを承諾したが、本件で査察官が清水建設の関係者を取調べていないことや被告人鈴木が辯護士や税理士を選任しなかったのは右の理由によるものであると供述する。」(右決定書六丁目裏三行から一一行目)。

2 他方、査察官として本件査察事件の捜査を担当した関谷証人は、「被告人鈴木から清水建設の関係者を取調べないで欲しい旨の懇請があったことは事実であるが、右被告人の懇請を入れる代りに辯護士や税理士の関与を受けないで取調に応ずることを約束させたことはないと供述する。」(右決定書六丁裏一一行から七丁目表二行目)。

四、この二人の供述を対比すると、被告人から査察官に対し、清水建設の関係者を取調べないで欲しい、旨の懇請(申入れ)があったことは事実であることを、関谷証人自身右2の供述で認めている。そこで、問題は前記第二項記載のように、第一に、右査察官が清水建設の関係者の取調をしなかったのは、被告人からの右懇請(申入れ)を承諾して、清水建設の関係者を取調べないことを約束したためであるのかどうか、第二に、右査察官が被告人の懇請を容れて清水建設の関係者の取調をしないことを約束する代りに、本件査察事件の早期解決のために、辯護士や税理士を関与させないで被告人一人で取調べに応ずることを被告人に約束させたかどうか、の点である。右第一点につき、前記決定は、「関谷証人は、被告人鈴木から清水建設の関係者を取調べないでもらいたいと懇請されたため、本件でその取調べを止めたという面がないとはいえないと述べている」(右決定書七丁裏一行から三行目)旨認定する。関谷証人の右供述は、消極的ながら清水建設の関係者を取調べないことを被告人と約束したことを推認させるものである。この供述によっても、右約束のあったことは十分推認できるのである。のみならず、右推認を裏付ける客観的事実が存在する。それは、国税局側が本件査察後、清水建設の関係者を全く取調べていない、という客観的事実である。前記決定は、この点を全く無視しており、甚だ不当である。

五、本件査察直後の被告会社の嫌疑は、北立土木の水増外注費と従業員の水増人件費であった。したがって、これらによってほ脱した所得は、親会社である清水建設の関係者に対するリベートないし簿外交際費として使用されたと疑う余地は十分にあった訳であるから、通常の場合には、当然反面調査として、清水建設の関係者を取調べて裏付をとるわけである。検察官も、「実際の脱税事件の捜査において、裏付捜査は重要であり、主得意先に対するリベートや交際費についても可能な限り裏付をとっている」(原審における検察官の昭和五六年一二月八日付意見書一五頁参照)ことを認めている。ところが、前記決定も認定しているように、査察官は本件査察後に清水建設の関係者に対し、このような裏付捜査を全く行っていない。当時査察官は、なぜ清水建設の関係者を取調べて裏付をとらなかったのか、という疑問はだれでも抱くものではなかろうか。

六、この点につき、前記決定は、「国税局は査察の初期の段階で被告会社の従業員と清水建設の関係者とゴルフに行ったとか、会食をした事実を把握していたことが認められるから、簿外交際費の支出等に関する裏付捜査として清水建設の関係者を取調べることは一応考えうる処置であったということができる」(右決定書七丁裏二行から六行目)と認定している。右決定は、「簿外交際費の支出に関する裏付捜査として清水建設の関係者を取調べることは一応考えうる処置であったということができる」と認定しているが、前記第五項において述べたように、この点は簿外交際費の支出等に関する裏付捜査として、清水建設の関係者を取調べるべきであった、と認定すべきだったのである。この点において、右決定は、「取調べるべきであった」と認定すべきところを、「取調べることは一応考えうる処置であった」と一歩後退した認定をしているが、このような認定自体何人をも納得させるものではない。

七、この点につき、関谷証人の供述によると、押収した被告人のポケット手帳(日誌風なもの)および簿外交際費の支出に関する被告会社の禀議書には、清水建設の関係者とゴルフに行ったとか、会食をしたこと、特に右禀議書には具体的に金額も記載されていたのである(第二一回公判、右証人尋問調書七八四丁、七八五丁、第二二回公判、右証人尋問調書八五四丁)。したがって、簿外交際費の支出については、押収したこれらの証拠物に基づいて、清水建設の関係者を取調べて裏付けをとるべきであり、通常の事件において裏付捜査をやっていることは、前記第五項において述べたように、検察官も認めているところである。

ところが、関谷証人も供述し、前記決定も認めているように、このような裏付捜査は、本件査察事件においては全く行っていないのである。これは不可解という外なく、そこになんらかの特別の理由ないし事情が存在したのではないか、と考えるのは当然のことである。

また、簿外交際費の支出の明細については、被告人の昭和五三年九月一八日付申述書(検甲一の一二)が証拠として提出されているが、この申述書も他の申述書(弁証二四、二五)と同様に、査察官が算出した数字に合せて、被告人が査察官の指図通りに作文したものである。この申述書自体、他の申述書(弁証二四、二五)と同様に、真実と全く異る架空の簿外交際費の支出を記載したものである。その証拠に、査察官は、この申述書(検甲一の一二)に記載されている簿外交際費についても、裏付捜査は全く行っていないのである。

八、そこで、次の問題は、国税局において簿外交際費の支出等に関する裏付捜査として清水建設の関係者を取調べなかったことにつき、客観的かつ合理的な特別の理由ないし事情があったのかどうか、ということである。

この点につき、前記決定は、「当時の状況として被告人鈴木が積極的に調査に協力する姿勢を示していたことや、右簿外交際費の支出に関する証拠資料として交際費を支出する都度作成された禀議書が存在したこと及び被告会社の関係者が被告人鈴木の意を受けて取調に協力していたことなどにかんがみると、国税局において清水建設の関係者を取調べるまでの必要がないとしてこれを取調べなかった処置もまた十分に首肯することができる。」(右決定書七丁表七行から一三行目)と認定している。

しかしながら、このような原審の右決定は全くの独断であって、何人をも首肯させるものではない。なぜなら、右認定は、簿外交際費の支出につき、なぜ清水建設の関係者の取調をしなかったのか、なぜ裏付捜査をしなかったのか、という問題に対する回答にはなっていないからである。その理由は次のとおりである。

1 国税局が裏付捜査として清水建設の関係者を取調べるのは、被告人からえた証拠資料、たとえば、被告人らおよび従業員の供述、申述書、被告会社の帳簿類、伝票、禀議書等が客観的な事実であるかどうかを確認するためである。右認定のように、「被告人が積極的に調査に協力する姿勢を示していた」か否かによって、裏付捜査の必要性の有無が異なる性質のものではない筈である。したがって、被告人が当時査察官の調査に積極的に協力する姿勢を示していたことが、裏付捜査をする必要がなかった合理的な理由にならないことはきわめて明らかである。裏付捜査として清水建設の関係者を取調べる必要性の有無は、被告人が捜査に積極的に協力する姿勢を示すか否かとは無関係である。被告人が捜査に協力する姿勢を示してくれれば、捜査は容易であるが、被告人が非協力的であれば捜査は困難であるというだけのことであって、裏付捜査の必要性の有無とは直接の関連性はない。したがって、右認定は明らかに誤りである。

2 また、前記決定は、「右簿外交際費の支出に関する証拠資料として交際費を支出する都度作成されていた禀議書が存在していた」ことをもって、裏付捜査を必要としない理由の一つに掲げている。しかし、右認定も、裏付捜査として清水建設の関係者を取調べる必要性がないことの理由にならないことは明らかである。なぜなら、右禀議書の記載が真実であるかどうか(清水建設の関係者とゴルフに行ったか、会食をしたか等)を確認するために裏付捜査をする必要性があるからである。右禀議書の記載を鵜飲みに信用するのであれば、裏付捜査は最初から必要ではなく、清水建設の関係者を取調べる必要性も生じない筈である。しかし、それでは事案の真相を客観的かつ正確に把握することは不可能である。したがって、右認定は明らかに誤りである。

3 また、右禀議書は被告会社の従業員が簿外交際費を支出する際に作成していたものである。被告人自身が簿外交際費を支出する際には、ほとんど右禀議書は作成していなかった。したがって、右決定が、交際費を支出する都度作成されていた禀議書が存在していた、旨認定したのはこれまた誤りである。そのため、査察官は、被告人自身が支出した簿外交際費の内容を明確にさせる名目で申述書(検甲一の一二)を被告人に作成させたのである。この申述書の記載内容についても、査察官は全く裏付捜査をやっていないことは前記第七項において述べたとおりである。この申述書の記載内容は全く事実と異るものであって、たんなる数字の辻褄合せをしたものにすぎないものである。査察官は最初から裏付捜査をやる意思は全くなかったのである。前記決定の論理に従えば、この申述書に記載されている簿外交際費については、支出の都度作成した禀議書等の証拠資料は全く存在せず、本件捜査時になって被告人の記憶に基づいて作成したものであるから、客観性の有無につき裏付捜査を必要としたのである。したがって、右決定が、「右簿外交際費の支出に関する証拠資料として交際費を支出する都度作成された禀議書が存在していた」ことをもって、裏付捜査を必要としない理由の一つとしたのは明らかに誤りである。

4 更に、右決定は、「被告会社の関係者が被告人鈴木の意を受けて取調に協力していた」ことを裏付捜査を必要としない理由の一つにしている。しかし、この理由付けも誤りであることは、前記1において述べたことから明らかである。被告会社の従業員等が国税局の取調べに協力していたことは、裏付捜査の必要性の有無とは無関係である。被告会社の従業員等の関係者が取調べに協力してくれれば、捜査は比較的容易であるが、これらの関係者が取調べに非協力的であれば、捜査は比較的困難である、というだけのことである。裏付捜査とは、簿外交際費の支出先の相手方である清水建設の関係者を取調べることである。簿外交際費を支出した被告会社側をいくら取調べても、裏付捜査を必要としなくなることはない。したがって、被告会社の関係者が取調べに協力していたからといって、裏付捜査を一切せずに省略してもよいという理屈にならないことは、「裏付捜査」の性質からきわめてて明らかである。右決定はこの点で、誤りである。

5 以上1ないし4で述べたことは、北立土木の水増外注費の問題を考えればきわめて明白である。被告会社には水増した工事代金を北立土木に支払った証拠資料として領収書が存在していた(検甲一の二一)。工事代金を支出した証拠資料の領収書が存在していても、必ずしも工事代金が実際に支払われているとは限らない。そのため、国税局は、工事代金を受領した旨の領収書を発行している北立土木の代表者を、裏付捜査のために取調べることによって、工事代金の水増計上があり、右領収書通りに工事代金が支出されていないことの裏付けができたのである。

被告人は、北立土木の水増外注費については、本件査察事件の当初から認めており、被告人をはじめ被告会社の従業員等は取調に協力していたのである。したがって、前記決定の論理に従えば、この場合には裏付捜査は不必要ということになる。しかし、実際には、国税局は、正確に裏付捜査をなし、北立土木の代表者を取調べて、被告会社から実際に領収書(検甲一の二一一)通りの工事代金を受領していないこと、すなわち、水増工事代金であることを認める旨の裏付証拠を収集している(検甲一の二一)。

以上のことは、前述した簿外交際費の禀議書についても、全く同様のことがいえるのである。簿外交際費の支出先である清水建設の関係者を取調べることによって、初めて、右禀議書に記載されていた簿外交際費が記載内容通りに支出されているか否かを、裏付けることができるのである。

6 以上前記1ないし5に述べたことからも明らかなように、前記決定が、当時簿外交際費の支出等に関する裏付捜査として「国税局において清水建設の関係者を取調べることまでの必要がないとして、これを取調べなかった措置もまた十分首肯することができる。」(右決定書七丁表一一行から一三行目)と認定したのは明らかな誤りである。国税局において被告会社の簿外交際費の支出等に関する裏付捜査として、清水建設の関係者を取調べなかったことにつき、客観的かつ合理的な特別の理由ないし事情がなかったことは、前記決定が誤った認定をしたことでも明らかであるが、更に、関谷証人の証言によっても裏付けられることは後記第九項記載のとおりである。

九、次に、前記決定は、「関谷証人は、被告人鈴木から清水建設の関係者を取調べないでもらいたいと懇請されたため、本件でその取調を止めたという面がないとはいえないと述べている」が、「右供述も被告人鈴木の懇請を敢えて無視して清水建設の関係者を取調べるまでの必要がなかったというにすぎず、これと引きかえに所論の約束等があったことを何ら推認せしめるものではない。」(右決定書七丁表一三行から同丁裏六行目)と認定している。

1 しかし、右認定も前記第八項1ないし6において述べたところから明らかに誤りである。

のみならず、関谷証人は、この点につき、右認定とは異る供述をしている。それは原審第二二回公判において松沢裁判官の問に対し関谷証人が供述した部分である(八五四丁、八五五丁)。すなわち、関谷証人は、簿外交際費の支出等に関する裏付捜査として、清水建設の関係者を取調べなかった理由に関し、「押収した書類のなかに簿外交際費の禀議書があったが、そのなかには、清水建設の役職の人の名前の書いたものがあったが、裏付調査はしなかった。裏付調査を行っても否認されることはわかっていたので、大会社である清水建設には調査に行かず、禀議書に基づき、土田工事部長および被告人が認めていたので、反面調査はしなかった。」旨供述している。関谷証人の供述では、裏付捜査をしなかったのは、前記認定のように、「被告人鈴木の懇請を敢えて無視して清水建設の関係者を取調べるまでの必要がなかったというにすぎない」ものではなく、大会社(清水建設)の社員は簿外交際費を受領したことを否認することが明らかに予想できたので裏付捜査をせずに、支出した側である被告会社側の一方的な取調べだけで簿外交際費の支出を認定した、ということである。しかし、関谷証人の論法に従えば、支出先の相手方が否認することが予想される場合には、裏付捜査や反面調査はできなくなる理屈であり、不合理である。関谷証人の右供述によっても、裏付捜査をしなかった合理的理由はなんら存在しなかったことが明らかである。

2 関谷証人の右供述を疑問に思った松沢裁判官は、「どうしてそういうこと(反面調査のため清水建設の関係者に当って調査しても否認されること)がわかるんですか」、「小さい会社なら(反面調査をしなくとも)構わないんですか。反面調査ということは大事なことですが」、「相手方に対する確認をしないで簿外交際費の支出はその程度で確定したわけですか」、「査察当日にだけ清水建設を調査して、あとはしていなかったわけですね」等と質問しているのである(八五四丁)。右質問に対する関谷証人の供述では、なぜ清水建設の関係者に対する裏付捜査をやらなかったのか、という疑問に対する合理的な理由ないし解答にはなっていない。反対に関谷証人は、「右被告人から清水建設の関係者を取調べないでもらいたいと懇請されたため、本件でその取調を止めたという面がないとはいえない」と供述して、消極的ながら前記約束のあったことを推認させる供述をしている。右供述は前記約束の存在を前提にすることによって、矛盾なく理解されるのである。

一〇、以上述べてきたことによって、被告人が供述(前記第三項1参照)しているように、国税局側と被告人らとの間に、清水建設の関係者を取調べない旨の約束が成立していたことは明らかである。この約束は、被告人らにとって有利な事情である。国税局側が無条件でこのような取引をすることは常識的には考えられないことである。蓋し、検察官はもちろん、前記決定(右決定書七丁表二行から六行目)も認めているように、このような場合、反面調査として主得意先の関係者に対し裏付捜査をするのが通例だからである。国税局側がこのような反面調査をしないと約束するからにかは、国税局側に反対給付に相当する有利な特別事情が存在しなければならない筋合である。前記決定はこの点を全く看過している。被告人らが当初から調査の対象となっていた水増外注費や水増人件費について認めており、被告人らおよび従業員が取調に協力的であったという事情では、裏付捜査をしないと約束する特別事情にならないことは前述したところから明らかである。査察官としては、本件査察事件のような複雑な事件の取調べを進行するに当り、被告会社の顧問辯護士や顧問税理士に関与されると、査察官の筋書きないし期待通りに取調べを進行できなくなったり、あるいは、複雑化、困難化、長期化することを予想するのは蓋し当然のことである。税法には、全く素人で無知である被告人一人だけを相手にした方が、辯護士や税理士を関与させる場合に比較し、取調が容易であるため早期解決を期待できることは、何人も首肯できるところである。いわゆる「赤子の手をねじる」ということである。そのため、国税局側にとって、反対給付に相当する有利な特別事情とは、本件査察事件に関し、被告人らに対し被告人らの希望する早期解決を口実に、辯護士や税理士を関与させないと約束させることであったことは、容易に推認できるのである。したがって、被告人の前記供述は十分に信用できるものである。

一一、被告人が供述している(前記第三項1参照)ように、被告人の方から査察官に対し、清水建設の関係者を取調べずに、本件査察事件を早期に終結してもらいたいという懇請に対し、査察官は被告人に対し、右懇請を承諾する代りに、早期解決を希望するのであれば辯護士や税理士等の代理人を関与させないことを約束させたことは十分に推認可能なことである。査察官が被告人に対し、辯護士や税理士が関与すると、取調べが複雑化し長期化するだけでなく、清水建設の関係者の取調べも必要になってくる、清水建設の関係者の取調べをさけたいのであれば、被告人一人で取調に応じ、辯護士や税理士を関与させないでもらいたいと説得し、被告人にその旨約束させたという、被告人の前記供述は十分に信用できるものである。このように、辯護人等選任排除の特約をさせたことは明らかである。その証拠となる客観的な事実として、一方において、国税局側は、被告会社の主得意先である清水建設の関係者の裏付捜査を全くしていないとともに、他方において、被告人らは、被告会社の顧問辯護士や顧問税理士に本件査察事件に関与させなかったという事実がある。査察事件の発生した場合には、専門家である税理士や辯護士に依頼して国税局側と交渉させたり折衝させたりすることが通例であることは、関谷証人も認めている(八五二丁、八五三丁)。そのために備えて、顧問辯護士や顧問税理士がいるのに拘らず、これらの専門家に依頼せずに、素人であり税法には全く無知な被告人が終始一人で複雑な事件である本件査察事件につき、国税局側の取調べに応じてきたのは、異常でありかつ異例である。そこになんらか特別の事情が存在したことは明らかである。しかるに、前記決定がこの点を全く看過しているのは誠に遺憾である。この特別の事情とは、辯護人等選任排除の特約が存在したことである。前記決定は、なぜ被告会社の主取引先である清水建設の関係者の裏付捜査をしなかったのか、という疑問に対し合理的な理由を判示していないだけでなく、なぜ被告会社の顧問辯護士や顧問税理士を本件査察事件に関与させなかったのか、という疑問に対し全く理由を判示していないのである。

一二、人間には、自己弁護の本能がある筈である。少しでも自分に有利に弁護したいと考えるのが自然である。したがって、本件のような複雑な査察事件が発生した場合には、素人である被告人一人の力で解決することは困難であるから、顧問辯護士や顧問税理士のいる場合はもちろん、いない場合でも、これらの専門家に依頼して、少しでも自己に有利になるように交渉してもらったり、弁護してもらったりするのが通例であり、かつ、自然である。

ところが、前記決定も認定しているように、本件査察事件が発生したときには、被告会社には顧問辯護士や顧問税理士がいたにも拘らず、被告人らは、これら専門家に依頼して、被告人らが有利になるように交渉することや弁護することを依頼しなかった。それはなぜだったのだろうか、という疑問を抱かない人はいない筈である。ところが、前記決定は、人間心理に対する深い洞察を欠き、この点を全く看過しており、前記のような誤った認定をしたのは誠に遺憾である。

一三、右疑問に対する答は簡単明瞭である。被告人らが辯護人などを選任しないことが、選任するよりも被告人らにとってより有利であると判断したからである、と解するのが最も自然であり、かつ、真実に合致する。すなわち、被告人らは、顧問辯護士や顧問税理士に依頼して、国税局側と交渉したり、弁護したりしてもらうと、国税局側は必ず清水建設の関係者の取調べをすることをおそれたためである。この点については前記決定が正当に認定しているように、「被告人は本件査察事件が清水建設の関係者に及べば、仕事の注文がなくなり会社の存続問題にも発展しかけないことを危惧するとともに、査察により被告会社の業務に支障が生じないよう本件を早期に終了させたいと考え」(右決定書六丁表四行から七行目)ていたのである。このように、被告人らは、清水建設の関係者の取調べだけは、どのようなことがあってもさけなければならない立場にあったのである。

一四、それは被告会社と清水建設との間に次のような関係ないし事情があったためである。

1 被告会社は、大手の建設会社である清水建設(株)のいわゆる名義人であって、清水建設一社だけの下請工事を専門にやる建設会社である。最近の新聞紙面をにぎわしている談合問題等、建設業界はいまだに近代化されない旧い体質を多分に残しているところである。

そのため、子会社である被告会社は親会社である清水建設から、工事の注文が受けられなくなると、その結果として仕事がなくなり、倒産することは必至である。そこで、被告人らが本件査察を受けて一番心配したのは、本件査察に関連して、清水建設の関係者が査察官から取調を受けるということであった。もし、清水建設の関係者が取調を受けると、被告人らの信用は一挙に最悪の状態まで失墜し、被告会社が清水建設から仕事の受注を得られなくなるおそれがあったためである。清水建設から受注が得られるかどうかということは、物事の善悪とは全く無関係である。清水建設に迷惑がかかるかどうか、という結果だけが問題なのである。清水建設が被告会社を名義人にしておくかどうか、また、仮りに名義人であっても、工事の受注を受けられるかどうかは、一方的に清水建設の担当者の胸三寸によって決定されることである。

2 近代契約法の原理に基づき、注文主と請負人とが対等な立場で契約条件を交渉し、下請負契約を締結するというものではなく、強大な力を有する大手建設会社の清水建設と、その下請業者の一人にすぎない中小企業の被告会社とでは、その力関係の差はきわめて顕著である。そのため、被告人が第一に考慮したことは、本件査察問題に関連して、どんなことがあっても清水建設に波及することを防止しなければならない、ということであった。換言すれば、清水建設と被告会社との従来の関係を本件査察問題によって、影響を受けないようにするということであった。これは被告会社の存亡に関する重大問題である。そのため、被告人はどんなことがあっても、清水建設の関係者が査察官から取調を受けることや、清水建設が取調を受けるのだけはやめてもらいたかったのである(被告人の昭和五六・八・三付陳述書第一一項2、第一八回公判の被告人供述調書六二三丁ないし六二五丁、六三二丁ないし六三四丁)。

3 また、被告人は本件査察以前に、清水建設および清水建設以外の大手建設会社の下請業者らや法人税法違反で査察を受け、そのため親会社の関係者が取調を受けたため、迷惑をかけたことが原因で、取引停止にされ、それが原因で倒産した事例を聞知していた。そのため、被告人は清水建設に迷惑のかかることを一番おそれたのである(右陳述書第一一項2、第一八回公判の被告人供述調書六三三丁、六三四丁、第二五回公判の被告人供述調書九二〇丁、九二一丁)。

4 清水建設の関係者にとっては、被告会社が脱税をしているか否かが重要なのではなく、被告会社の査察事件に関連して取調を受けたり、調査を受けたり等して迷惑を受けるということが問題なのである。物事の善悪の問題ではなく、迷惑を被ったという結果が問題なのである。親会社に迷惑をかけるような会社は、下請業者として不適格である、という考え方であり、発想である。したがって、清水建設の関係者が取調を受けたために、被告会社が信用を失墜し、それが原因で取引を停止させられることは十分に予想できたことである。

5 被告人の責務としては、被告会社の数十人の従業員並びに協力業者(いわゆる下請業者)十数社の数百人の従業員およびその家族の生活を考慮すれば、どのような重大事件が発生した場合でも、いかにして安全に被告会社を経営してゆくか、倒産させずに業績を維持発展させてゆくか、ということである。被告会社は中小企業であるが、その経営者である被告人は船頭と同じであって、被告人の舵取りいかんによっては、被告会社は直ちに死命を制せられ倒産することになるのである。

一五、前述のように、被告会社は清水建設の専属的下請業者であって、清水建設の関係者が取調を受けることになれば、被告会社は信用を失墜し、それが原因で取引を停止され、倒産のおそれがあったのであるから、被告会社の代表者として経営責任を担う被告人がこのような危険を避けることを考えるのは当然のことである。

そのため、被告人は査察官に対し、「本件査察の早期終了と清水建設の関係者を取調べないですむように懇請した」(右決定書六丁表一〇行目、一一行目)のである。他方、被告人は清水建設の関係者の取調をさけ、本件査察事件を早期に終結させるために、国税局側の云うことを聞いて、事実関係を争わずに、かつ、顧問辯護士や顧問税理士を関与させずに、被告人一人で取調に応ずることを約束せざるを得なかったのである。

このように、当時被告人らは、辯護人等選任排除の約束をする方が辯護人等を選任して取調に対応するよりも、被告人らにとってより有利である、と判断したためである。前述のように、被告会社を倒産させては元も子もなくなるのであって、被告会社を存続させるためには、国税局側の云うなりに、辯護人等選任排除の特約をすることも、あえてやむを得ないと考えた結果である。

第二 本件査察直後の取調べの段階において、統括官やその他の査察官らは、被告人に対し、再三に亘り、本件査察事件は税金四、五千万円納付すれば全部すむ、告発もしないし、罰金もとられない、旨約束したので、被告人は税金四、五千万円を納付すれば全部片付くのであれば、仕方ないとあきらめ、不本意ながら査察官のいうとおりに事実を全部認める趣旨の本件質問てん末書の作成に応じたものである(被告人の陳述書第一一項4、5、第二〇項、第二二項)。

このような約束は、被疑者に不当な心理的影響をあたえ、虚偽自白を誘発するおそれが強く、心理的な強制にもなり得るのであって、自白獲得の手段・方法として違法かつ不当であり、このような違法に収集した供述証拠は、証拠能力を有しないものである。その詳細な理由については、辯護人の原審における前記意見書第二の第三項並びに弁論要旨第二の第三項において述べたとおりである。

一、ところが、右の点に関し、前記決定は、次のように認定して本件質問てん末書の証拠能力を認めている。

(1) 東京国税局査察部はほ脱犯に刑罰を科することを目的に調査を行なっているものであって、関谷査察官も昭和五三年五月一九日自ら国税局に出頭してきた被告人鈴木に対し、本件については検察庁へ告発することを前提に調査している旨告げたと述べている。

(2) 査察直後の初期の段階で脱税額や検察庁への告発の見込み等についてまだ十分把握していないと認めるのが自然である。

右のような査察調査の性格及び調査の段階にかんがみると、右被告人鈴木の供述は不自然であってたやすく信用できない。

また、前記約束があったとすれば、左記(3)、(4)の事実は不可解というほかなく、これらの経緯を含めて考えると、前記約束があったとするには大いに疑問が残る。

(3) 被告人鈴木がそれまでの査察官に対する態度をかえ自供をひるがえすことも十分予想される本件告発後の検察官の取調べにおいてそれ以前と同様の内容の自供をしている。

(4) 本件起訴後の昭和五三年一二月一九日にも査察の結果を認めて修正申告をなし、結局本件で総額一億三千万円もの税金を納めている。

しかしながら、前記決定の右認定は以下に述べる理由によって誤りである。

二、まず、前項(1)の認定が誤りであることは、次に述べることから明らかである。

1 第一に、右認定は、東京国税局査察部はほ脱犯に刑罰を科することを目的に調査を行っていると判示するが、刑罰を科すことだけが目的ではなく、ほ脱した税金を納付させることも重要な目的である。すなわち、調査の結果確定した税額を、証正申告または所轄税務署長からの更正決定の方法によって、納付させることを目的とする方がより重要である。国税局には告発基準があり、一定のほ脱税額以上の場合にのみ検察庁に告発し、右基準以下のほ脱額の場合には、各種の利子税ないし加算税を附加したほ脱税額を、前記方法によって納付させるだけである。

2 本件査察を受けた直後頃、被告人は税法については全く無知であり、査察官の職務権限等はもとより、右査察の目的等についてはなにも知らなかった。ただ漠然と脱税を摘発され、調査を受けることになったことと、その結果、なにがしかの税金を脱税しているので納付するように命じられるのではないかと危惧しただけである。したがって、東京国税局査察部はほ脱犯に対する刑罰を科することを目的に調査を行なっていることなど、査察調査の性格を正しく理解してはいなかった。被告人は、査察事件の調査や取調はどのような手続で進行し、最終的にどのような処分がなされるのか、については全く無知であった。そのため、本件査察当日およびその後昭和五三年九月一九日までの間に、被告人は自分から東京国税局に出頭し、査察官に対し、当時嫌疑とされていた水増外注費および水増人件費について説明するとともに、査察事件の手続や処分について説明を求めたのである。

3 これに対し、査察官はその際被告人に対し、査際事件の手続の概要を説明し、被告人らの場合には税金四、五千万円納付すれば全部すむ、告発もしないし、罰金もとられない、旨約束したのである。したがって、前記認定のように、査察官が被告人に対し査察事件の手続の概用を説明した際に、検察庁に告発することを前提に調査しているというような一般的な説明をしたとしても、被告人らの場合には、悪質でもなくほ脱税額も多くはないので、税金四、五千万円納付すれば全部すむ、告発もしないし、罰金もとられない、などと具体的な約束をしたのであるから、当時被告人は告発されることなど夢想もしていなかったのである(後記4参照)、査察官がこのような約束をしたのは、被告人に安心感をあたえ、取調べに協力させようとしたためと思料される。

また、前記第一記載のように、その頃、査察官は被告人に対し、清水建設の関係者の取調べをせずに早期に本件査察事件の調査を終了させる代りに、辯護士や税理士を関与させずに被告人一人で取調べに応じ、取調べに全面的に協力するよう約束させていたのである。当時査察官は、被告人に安心感をあたえて、取調に協力させるために、種々の働きかけをしたことは容易に推測できるのであって、この点に関する被告人の供述は十分信用できるのである(陳述書第一一項4、第一八回公判の被告人供述調書六三四丁ないし六三六丁)。したがって、前記決定の前記第一項(1)の認定は誤りである。

4 次に、被告人は、前述のように、本件査察直後頃、東京国税局査察部に出頭した際に、査察事件の手続や処分について査察官に説明を求めており、査察官から右手続の概要の説明を受けている。しかし、被告人は、告発の正しい法的意味を正しく理解していないのはもちろん、罰金がどのような法的手続によって科せられるかも知らなかった。ただ告発とは裁判のことだろうと考えていたにすぎないのである。しかし、前述のように当時被告人は、多少税金を納めなければならなくなるだろうということはわかっていても、起訴されるとは夢想だにしていなかったのである。したがって、前記認定のように、関谷証人が昭和五三年五月一九日から国税局に出頭してきた被告人に対し、本件については、検察庁に告発することを前提に調査している旨告げたとの供述は、にわかに措信できない。仮りに、関谷査察官が右のようなことを説明したとしても、被告人が供述するように、被告人らの場合には、税金四、五千万円納付すれば全部すむ、告発もしないし、罰金もとられない旨の約束をしていたことは十分推認できるのである。なぜなら、当時被告人が告発される危険性のあることを理解しておれば、直ちに顧問辯護士や顧問税理士に相談するのはもちろん、本件査察事件にこれらの専門家を関与させていた筈である。このことは何人も異論のないところである。被告人が本件査察直後から告発されて起訴される危険性があることを理解していれば、被告人一人で取調べに応ずることなど絶体にあり得ないのである。この点についても、前記決定は、なぜ被告人らが本件査察事件に顧問辯護士や顧問税理士を関与させなかったのか、という疑問につき判断すべきであったのに、これまたなんらの判断をも示していないのである。前記決定は、人間心理に対する深い洞察を欠き、この点を看過したのは誠に遺憾である。被告人が本件査察事件につき終始顧問辯護士や顧問税理士を関与させずに、被告人一人で取調べに応じてきたという客観的事実こそ、査察官が被告人に対し、前述のような種々の約束をしていたことを物語るものである。したがって、前記決定の前記第一項(1)の認定は誤りである。

三、次に、前記第一項(2)の認定が誤りであることは、次に述べることから明らかである。

本件査察直後頃、被告会社に対する嫌疑は、水増外注費と水増人件費だけであって、本件仮名預金等の利息の問題は、まだ調査対象になっていなかった(関谷証人の第二一回公判の証言、七六四丁)。したがって、査察官としては、水増外注費と水増人件費のほ脱所得の見込額を推計し、その見込税額を把握していたことは当然のことである。当時、査察官が本件の水増外注費と水増人件費のほ脱税額を四、五千万円と推計したのは妥当であって、容易に推認できるところである。この点につき、検察官も、「捜索に着手した際には、ほ脱見込額を一応推計する」(前記意見書二六頁)ことを認めているだけでなく、関谷証人も同様の供述をしている(右証人の第二二回公判の証言、八四二丁、八四三丁)。また、右のような水増外注費と水増人件費だけでは、告発の対象にはならないのではないかと推測される。もちろん、査察直後のほ脱見込額と調査終了時におけるほ脱認定額とが異る場合の生ずることがあるのは当然のことである。蓋し、そのために、長期間をかけて調査するのである。しかし、今、ここで問題にしているのは、査察官が査察直後のほ脱見込額を把握していたか否か、ということである。査察直後の初期の調査段階において、最終的なほ脱税額や告発の見込等について、いまだ十分把握していないのは当然のことである。しかし、当時査察官がほ脱税額や告発の見込みについて、ある程度の金額や見込みを把握していたことも、前述したところからこれまた事実である。したがって、査察官が被告人に対し、ほ脱見込額を開示したり、告発の有無(国税局に告発基準のあることは半ば公知の事実である)につき見解を表明することは可能である。

以上の次第であるから、査察官と被告人との間に、前記のような約束がなされたという被告人の供述は、前記決定が認定するように不自然ではなく、十分信用できるものである。

四、次に、前記第一項(3)の認定が誤りであることは、次に述べることから明らかである。

被告人が検察官の取調べに際し、それまでの査察官に対する態度をかえ、自供をひるがえすこともできたのに、それ以前と同様の自供をしているのは、後記第六の第一項ないし第三項に記載する理由が存在したためである。したがって、被告人が検察官の取調べに際し、査察官が作成した質問てん末書の内容と同様の供述が記載された検面調書(検乙一八)に署名押印したのは、前記認定のように「不可解」ではなく、十分理由が存在するのである。

五、次に、前記第一項(4)の認定が誤りであることは、次に述べるところから明らかである。

1 被告人が本件起訴後に査察の結果を認めて修正申告をしたのは、査察官に強要されたり、欺罔されたりしたためである(被告人の陳述書第二四項ないし第二六項、第三〇項ないし第三二項)。この点につき、関谷証人は、被告人に対し修正申告を要求したのではなく、慫慂した旨供述している(第二二回公判、八八五丁)が、これは事実に反する。被告人は被告会社が修正申告をすることを渋っていたが、査察官から再三に亘って修正申告をするように強要されている。また、査察官は被告人に対し、修正申告をすれば本件仮名預金等から三千万円を利息をつけて戻してやる(被告人の陳述書第二九項ないし第三二項)等と欺罔されている。そのほか、査察官は被告人に対し、家族従業員の第一工事から支給された給料手当および賞与金を認めてやるとか、家族従業員名義の実名預金を認めてやる等と申し向け、もし、修正申告に応じない場合には、本件仮名預金等から三千万円を返還しないとか、家族従業員の第一工事から支給された給料手当および賞与金を家族従業員以外の他の従業員の場合と同様に否認し、水増計上と認定するとか、家族従業員名義の実名預金等については贈与税および利子税を課税する、等と申し向けて強要している。そのため、被告人は裁判で争うよりも査察官の強要するままに修正申告に応ずることもやむを得ないと思料し、修正申告に応じたのである。

2(一) 査察官が被告人に対し、法人成り当時の営業用個人資産が実際には一億円以上あったのに、これを減額して三千万円であったことにすれば、本件仮名預金等から三千万円を返還すると偽計に基づく約束をしていたことは、後記第三において詳述するとおりである。被告人は、査察官から被告会社が修正申告をすれば本件仮名預金等から三千万円に利子をつけて戻してやるが、修正申告をしなければ右三千万円を返還しないと、圧力をかけられたためにやむなく修正申告に応じたものである。

(二) また、被告会社が家族従業員に支給した営業手当等の給料手当および賞与金、並びに、第一工事が家族従業員に支給した給料手当および賞与金については、その支給方法は全く同一であった。しかるに、国税局は、第一工事が家族従業員に対して支給した給料手当および賞与金については、その支給を肯定した処理を認めているが、本件で問題となっている被告会社が家族従業員に支給した営業手当および賞与金については、水増計上と認定し、否認する処理をしている。これは明らかに矛盾である。査察官は被告人に対し、修正申告に応じなければ、第一工事が家族従業員に支給した給料手当および賞与金を、被告会社の場合と同様に水増計上と認定して否認すると圧力をかけ、修正申告を強要している。

(三) また、査察官は、被告会社から家族従業員に支給した営業手当および賞与金が水増計上であったことを根拠付けるために、被告人の妻きみ子が現実に家族従業員に交付した現金や、家族従業員名義で実名預金したもの等は、親子の関係から贈与した旨の前記質問てん末書を作成している。そのため、国税局は、被告会社に対し水増人件費を認定する結果として、家族従業員に対しては贈与を認定しなければならない筋合いである。そのため、査察官は被告人に対し、被告会社が修正申告に応じなければ、家族従業員の実名預金に対し贈与を認定して贈与税および利子税等を課税すると圧力をかけ、これまた修正申告を強要している。国税局は、家族従業員に対する営業手当および賞与金の支給を否認するのであれば、家族従業員に対する贈与を認定し、贈与税等の課税処分をしなければ首尾一貫しないのである。査察官は、被告会社に修正申告を事実上強要する手段として、第一工事の水増人件費の問題および被告会社の家族従業員に対する贈与の問題を持出していたのである。

3 したがって、被告人の立場に立てば、当時被告会社が修正申告に応じたのは、前記認定の如く「不可解」ではなく、それなりに合理的理由が存在したのである。

第三 査察官は被告人に対し、法人成り当時の営業用の個人資産が実際は一億円以上あったのに、これを減額して三千万円であったことにすれば、本件仮名預金等から三千万円を返還するという偽計に基づく約束をしたため、被告人は国税局が本当に本件仮名預金等から三千万円を返還してくれるものと信用し、被告人の営業用の個人資産が三千万円しかなかったことを認める旨供述記載されている、前記質問てん末書(検乙九)の作成に応じたものである(被告人の陳述書第一一項)。

一、「捜査手続といえども、刑訴法一条所定の精神に則り、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ適正に行なわれるべきものであることにかんがみれば、捜査官が被疑者を取り調べるにあたり偽計を用いて被疑者を錯誤に陥れ自白を獲得するような尋問方法を厳に避けるべきことはいうまでもないところであるが、もし偽計によって被疑者が心理的強制を受け、その結果虚偽の自白が誘発されるおそれがある場合には、右の自白はその任意性に疑いがあるものとして、証拠能力を否定すべきであり、このような自白を証拠に採用することは、刑訴法三一九条一項の規定に違反し、ひいては憲法三八条二項にも違反するものといわなければならない。」(最高裁大法廷昭和四五・一一・二五判決、刑集二四・一二・一六七〇頁)。

査察官が本件査察事件の取調べの際、被告人に対し前述のような偽計を用いて、その結果被告人の自白を記載した前記質問てん末書を作成したものであるから、前記質問てん末書に証拠能力がないことの詳細な理由については、辯護人の原審における意見書第二の第四項並びに弁論要旨第二の第四項において述べたとおりである。

二、しかるに、前記決定は、次の三つの理由によって、前記偽計による約束をしなければならなかったような事情は存在しない旨認定し、前記偽計による約束の存在を否定している。すなわち

(1) 査察官が被告人鈴木の供述するように、三千万円返還できないことは明らかであって、査察官がそのような発言をしたというのはいかにも不自然である。

(2) その後右の点に関する同被告人の供述は、国が三千万円を返してやるといったとか、修正申告の所得計算上三千万円を差し引いてやるといった等変遷しており、同被告人の供述自体からしてもとうてい信用できない。

(3) また、法人成りの際の個人資産の評価について被告人鈴木と関谷査察官との間で意見が対立したが、結局同被告人は関谷査察官から関係資料を示されてこれを了承し、個人資産が三千万円であったと自供するに至っている。しかしながら、前記決定の右認定は以下に述べるような理由によって誤りである。

三、本件捜査当時、査察官は、法人成り当時の被告人の個人資産を三千万円と評価し、かつ、法人成りと同時に全部被告会社に譲渡し、その譲渡代金三千万円を被告会社に無期限利息で貸し付けている、という構成をしていたことは、前記質問てん末書の被告人の供述記載をみればきわめて明らかである。また、査察官は、本件仮名預金等は被告人個人の資産ではなく、被告会社の資産であると認定していたことも、同様に前記質問てん末書の供述記載によって明らかである。

ところで、査察官が右譲渡代金三千万円の処理をどのように認定したかが問題となるのであるが、この点に関し、査察官は、「査察官作成の修正貸借対照表の中で、社長(被告人)の過年度借入金三、〇〇〇万円が計上してあることが判明した。すなわち、査察官は、(被告)会社の創業以来、引き続き三、〇〇〇万円を被告会社に無利息無期限で貸し付けていると認定している。証人関谷隆は、この処理を失念して証言していたものと思われる。」(意見書四〇頁、四一頁)と主張している。したがって、査察官の立場では、被告人は被告会社に対し、法人成り当時から現在まで引き続き、右譲渡代金三千万円を無利息無期限で貸し付けているのであるから、被告人は被告会社に対し、いつでも右貸付金三千万円の返還を請求できることは理論上当然のことであり、被告人は被告会社から三千万円の返還を受けられるわけである。

他方、査察官は、本件仮名預金等はすべて被告会社の資産であると認定していたのであるから、本件仮名預金等から被告人に対し三千万円を返還することも可能である。このことは、検察官も、「査察官が、被告人が被告会社から三、〇〇〇万円を返してもらう権利があるように処理する(これは仮名預金三、〇〇〇万円で返してもらうことも可能である)と言った……」(意見書四一頁、四二頁)と主張し、肯認している。したがって、本件捜査当時、査察官は被告人に対し、本件仮名預金等から三千万円を返還してやるということは、検察官も認めているとおりに、可能であり、前記認定のように不自然ではない。査察官が右のような発言をしたとしても、査察官の立場としては当然のことであって、少しも不自然ではない。

右の次第であるから、前記決定が、前項(1)「右被告人の供述するように、三千万円を返還できないことは明らかであって、査察官がそのように発言したというのはいかにも不自然である」旨認定したのは誤りであることが明らかである。

四、前述のように、本件捜査当時、法律に無知な被告人が顧問辯護士や顧問税理士を関与させずに、一人で国税局の取調べに応じていたのである。そのため、法人成り当時の持込資産の処理をどのように認定されるのか、本件仮名預金等の帰属をどのように認定されるのか、等に関しては被告人はなんらの知識を持ち合せていなかった。ちなみに、査察官が被告人の持込資産の処理に関し、被告会社に代金三千万円で譲渡したと認定し、右譲渡代金三千万円を被告会社に対する貸付金として計上し処理していることを、被告人が始めて承知したのは、原審における検察官の前記意見書(昭和五六・一二・八付)によってである。このように無知な被告人に対し、査察官は特別の温情をもって被告会社から三千万円を返還させるとか、本件仮名預金等から三千万円を返還する等と申し向けて、あたかも特別の取り扱いによって、三千万円を被告人の個人資産と認めるように印象づけたのである。査察官は、それを取引きの材料として、被告人に対し、本件仮名預金等から三千万円を返還するから、その代りに、法人成り当時の個人資産が一億円以上であったという主張を撤回して、三千万円であったことを認めさせるために、偽計を行使したのである。前述のように、査察官の立場では、被告人が被告会社から三千万円の返還を受けるのは当然のことであって、これを本件仮名預金等から返還を受けさせることも可能であったことになる。これは査察官の特別の取り扱いでもなければ、温情的な取り扱いでもなく、当然のことである。ところが、査察官は被告人に対し、これをあたかも特別の取り扱いないし温情的な取り扱いと思い込ませるように説明し、法人成り当時の個人資産が三千万円であったことを認めさせるための取引き材料に利用し、被告人を欺したのである。査察官が被告人に三千万円を返還すると何回も約束したので、税法に無知な被告人は、三千万円を被告会社の所得計算の上で差し引いてくれるものと理解したのである。

以上の次第であるから、前記第二項(2)に認定するように、右の点に関する被告人の供述が変遷したものではないから、この点の前記決定は誤りである。

五、被告人が法人成り当時の個人資産の評価について、一億円以上あったという主張を撤回して三千万円であったことを認めるに至ったのは、前記決定が前記第二項(3)において認定するような、被告人が関谷査察官から「関係資料」を示されたためではない。前記第二項(3)の認定にある「関係資料」というのは、前記質問てん末書(検乙八)添付の資料を指している。ところが、この資料は、いずれも被告会社設立後のブルドーザー等機械類の売買関係の書類であって、個人資産の評価に関する資料ではない。辯護人が再三に亘って指摘しているように、査察官は、当時、法人成りの際の個人資産の評価について、具体的に資料を調査せず、捜査の手抜をやっている。この点は原判決も全く同様であって、「法人成り当時の被告人の個人資産の状況、特に純資産の額についてはかなりの年月が経過しこれを証するに足る客観的な資料も存在しないので、必ずしも明らかでない」(一二丁表二行から四行目)旨判示し、具体的な認定をさけている。査察官が押収ないし領置した証拠資料に基づき裏付捜査をやれば、法人成り当時の被告人の個人資産が三千万円ではなく、一億円以上存在したことは容易に認定できたのであって、この点は後記第四点(原判決の審理不尽による訴訟手続の法令違反)において述べるとおりである。原判決自体、右のように、法人成り当時の個人資産の評価について具体的な判断をさけているために、査察官がなぜ法人成り当時の個人資産の評価について裏付捜査の手抜をやったのか、という疑問に対しては、前記決定はなんらの判断も示していない。本件において法人成り当時の個人資産の具体的な評価は、最重要な問題であるから、さけて通ることはできない筈である。査察官は、個人資産の評価については、当然裏付捜査をすべきであったのに、なんらの裏付や根拠もなしに三千万円と認定したのは全く不当である。そのためか、さすがに原判決も個人資産の評価を三千万円と認定することができなかったのである。それなら原判決も積極的に個人資産の評価について具体的な判断を示すべきであったのに、これを回避したのは甚だしい審理不尽である。前記決定は、被告人が査察官から関係資料を示されたことが原因で、個人資産が一億円以上あったという主張を撤回し、三千万円であったことを認めるに至ったと認定しているが、抽象的に「関係資料」などと趣旨不明な認定をせずに、もっと具体的に認定すべきである。具体的に関係資料とはなにを指すのか、原判決も明確にすることはできない筈である。なぜなら、元々右三千万円を根拠付ける資料など全く存在しないからである。それが証拠に、前述のように、原判決自体、個人資産の評価を三千万円と認定していないのである。したがって、前記決定はこの点において矛盾している。原判決も、いわゆる「関係資料」によっては、被告人の個人資産の評価が三千万円であったことを認定できなかったのに、査察官が被告人に右関係資料を示して右評価が三千万円であったことを認めさせた、というのは自己矛盾である。

六、また、被告人は、前記質問てん末書(検乙八)において、個人資産が一億円以上あったという主張を撤回させられ、三千万円であったことを認めさせられている(検乙九)が、「なぜ個人資産が三千万円と評価されたのか」、これについても裏付捜査は一切行なわれていないし、関谷証人自身裏付捜査をしていないことを認めている(第二二回公判、八二四丁、八二五丁)。検察官も、個人資産が三千万円であると評価する客観的な証拠は一切提出していない。したがって、法人成り当時の被告人の個人資産が三千万円であったと評価できる客観的証拠など全く存在しないのである。それ故、法人成り当時の被告人の個人資産が三千万円である、という前記質問てん末書(検乙九)の供述記載自体、全く根拠のないものであることは明白である。この点についても、前記決定はなんらの判断を示していない。さすがに原判決はこのような形式的な供述記載を信用しなかったためか、判断をさけたことは前述したとおりである。また、前記質問てん末書(検乙九)によると、法人成りの際に、個人資産三千万円を現金、預金を含めてすべて被告会社に譲渡した、旨供述記載されているが、この供述記載自体きわめて不自然かつ不合理であることも、辯護人が再三指摘したとおりである。法人成りの際に現金、預金を含めた個人資産の全部を譲渡することなどありえない。なぜこのような不自然かつ不合理な供述記載になったのか、についても前記決定はなんらの判断も示していない。前記決定は、都合の悪い部分についてはすべて判断をさけている。これらの供述記載自体、客観的事実に反することきわめて明白である。これらの供述記載は、被告人が客観的な事実を供述したものではなく、国税局の都合によって、国税局の都合のよいように事実が歪曲されている。国税局にとっては、現金、預金を含めた個人資産全部を被告会社に譲渡されたことにしないと、都合が悪かったのである。そうでないと、本件仮名預金等が全部被告会社の所有であるという理屈に破綻をきたす結果となるからである。そのため、無理に客観的事実を歪曲した供述記載をしたのである。

以上の次第であって、被告人が法人成り当時の個人資産の評価について、一億円以上あったという主張を撤回して三千万円であったことを認めるに至ったのは、前記決定が認定するように、関谷査察官から関係資料を示された結果ではなく、国家権力を傘に、本件仮名預金等から三千万円を返還すると偽計に基づく約束をした結果である。

第四 査察官は被告人に対し、法人成りの際に個人資産が一億円以上あったのものを三千万円に減額させたり、個人資産全部を被告会社に譲渡したことを認めさせるために、前記第三記載の偽計による約束のほかに、脅迫的な取調べを行なっている。このような脅迫的取調べおよび前記第一ないし第三記載の約束等によって、所謂九月六日付申述書を撤回させ、前記質問てん末書(検乙八ないし一四)が作成されたのである。したがって、これらの前記質問てん末書には、任意性がないのはもちろん、特信性もなく、証拠能力を有しないものである。その詳細な理由については、辯護人の前記意見書第二の第五項並びに弁論要旨第二の第五項において述べたおりである。

一、しかるに、前記決定は、この点に関する被告人の供述を信用せず、取調べにあたった関谷証人の供述を信用し、かつ、藤本証人の供述およびこれを客観的に裏付ける手帳(弁証二七)をも排斥したのは明らかに誤りである。

前記決定の理由によると、「国税局の査察官は被告人鈴木を昭和五三年五月一六日から同年一〇月二五日まで十数日取調べ、延一七通の質問てん末書を作成しているが、右取調べを通じて同被告人は終始在宅のまま取調べを受け、いつまでも退席を申出ることができたこと」、他方「査察官においても取調べの日時の指定等について被告人の都合を聞き事情聴取している」(一〇丁表)などと認定している。右決定は関谷証言をそのまま鵜飲みにして形式通りに皮相的な認定をしたものにすぎないのであって、合理性のあるものでは全くない。辯護人は、関谷証言の信用できないことは再三述べてきたとおりであり、また、後記第五において詳述するとおりである。

1 前記決定は、任意の取調べであるから、いつでも退席を申出ることができる。と認定しているが、これは教科書に記載されている建前論であって、実際の任意取調べが半強制的に行なわれることは、裁判実務においても屡々問題になっているところである。前記決定が、なぜこのような関谷証言を鵜飲みにして皮相的な認定をするのか、理解に苦しむところである。関谷証言によってさえも、取調べは午前九時ないし一〇時ころから午後九時ないし一〇時ころまで、一日一二時間ないし一三時間の長時間継続して行なったと供述している(右決定書一〇丁表一一行から同丁裏一行目)。このように一日中継続して長時間の取調べを行ったという事実こそ、形式は任意取調べであっても、実質は半強制的な取調べであったことを物語る客観的証明である。たとえば、一日の中で二時間ないし三時間、長くとも四、五時間の取調べ時間であった場合には、前記決定のように認定することも首肯できるが、本件の場合のように、一日のうちで一二時間ないし一三時間という長時間の取調べを続行しているのに、終始在宅のまま取調べを受けたのでいつでも退席を申出ることができたのであれば、右のような長時間の取調べを行うことは事実上不可能である。一坪半か二坪たらずの狭い部屋のなかで、数人の査察官に取り囲まれて、一日一二時間ないし一三時間という長時間に亘り継続して取調べを受けたという客観的事実自体、査察官が事実上強制して取調べをしたことを証明するものである。

2 査察官が長時間の取調べを行なったことは、関谷証言が認めているだけでなく、客観的な証拠である藤本日誌(弁証二七)の記載および藤本証言によっても裏付けられる。すなわち

(一) 藤本日誌(弁証二七)によると、昭和五三年九月四日(月)の欄は、「早朝六:〇〇国税局―本社」という記載になっている。この記載の意味は藤本証言によると、九月四日は午前六時に立川市内の被告人宅より被告人を乗せて東京国税局まで送り、被告人の取調べの終るまで同所で待ち、同所から再び被告人を乗せて清水建設の本社まで送り、再び右本社から府中市内の被告会社まで戻ってきたことになる。午前六時に立川市内の被告人宅を出発した時間以外、国税局の取調時間は不明である。しかし、午前六時に右被告人宅を出発すれば、早朝の高速道路を通過するので、東京国税局には午前七時ころには到着している。したがって、午前七時ころには取調べを開始したものと推定でき、関谷証人が午前九時ないし一〇時ころから取調べを開始したという供述が誤りである。

(二) また、藤本日誌によると前記九月六日(水)の欄には、「国税局九:三〇―二二:〇〇伊藤外科経由」と記載されているが、この記載は藤本証言によると、被告会社から被告人を乗せて午前九時半に東京国税局に到着し、午後一〇時まで同所で待ち、午後一〇時に再び被告人を乗せて国税局を出発し、途中被告人の妻きみ子の入院先である新宿区内の伊藤外科病院に立ち寄って、被告会社まで戻ってきたことになる(藤本証人の第二三回公判の供述、八六五丁、八六六丁)。この日の被告人に対する取調時間は、午前九時半から午後一〇時まで一二時間半である。

(三) また、藤本日誌の同年一〇月二五日(水)の欄に、「七:〇〇信濃町(寛同乗)~国税局夜半まで」という記載があり、翌一〇月二六日(木)の欄には、「前夜遅くなったため臨休」という記載がある。藤本証言によると、これらの記載は、右一〇月二五日立川市内の被告人宅から午前七時に被告人と息子の寛を同乗させて、信濃町のマンションに立ち寄り、東京国税局まで被告人を送り、同所にて翌日午前〇時半ころまで待ち、右時刻ころに再び被告人を乗せて府中市内の被告会社まで戻り、それから八王子市内の藤本証人宅に帰宅したのは午前二時ころであった。そのため、帰りの車中で被告人より翌日は臨時に休むように指示を受け、翌二六日藤本証人は臨時休業したものである(右証人の第二三回公判、八六八丁、八六九丁、八八一丁ないし八八三丁)。この日の取調べによって被告人の質問てん末書(検乙一七)が作成されている。立川市内の被告人宅を午前七時に出発すれば、府中市内から高速道路を通り、途中信濃町のマンションに立ち寄ったとしても、東京国税局には一時間ないし一時間半位あれば到着することができる。したがって、東京国税局には、午前八時ないし八時半ころには到着していた筈である。被告人は、それから深夜の翌日午前〇時半頃まで東京国税局において、延々一六時間位継続して査察官の取調べを受けていたわけである。

3 このような長時間に亘る取調べによって作成された質問てん末書の供述記載が任意になされる筈もなく、かつ、特信性のないことも明らかである。肉体的および精神的疲労が大きく、被告人の自由意思に基づく供述や、正常な判断に基づく供述を期待することは無理である。検察官は、土田武夫に対する取調が深夜に及んだことが一回あることを認めている(前記意見書一三頁)。この点に関し、関谷証人は、深夜にまで及ぶ取調べを否定しているが、右証言の信用できないことは藤本日誌の右記載および藤本証言によってきわめて明らかである。このような長時間に亘る継続的取調という客観的事実の前には、被告人は終始在宅のまま取調べをうけ、いつでも退席を申出ることができたこと、査察官においても取調の日時の指定等について被告人の都合を聞き事情を斟酌していること、などと認定している前記決定が、全く説得力を欠くものであることは明らかである。

二、次に、前記決定は、「同被告人は前記のとおり同年五月一九日自ら国税局に出頭し、調査に全面的に協力することを約束し、その後の取調べにおいても関係資料や申述書を提出するなど本件調査にはかなり積極的に協力していた事実が認められる」(一〇丁表)旨認定し、右事情をもって脅迫的取調べがなかったことの理由の一つにしている。

しかしながら、右認定も明らかに誤りである。なぜなら、被告人が国税局の取調べに全面的に協力していたのは本件査察直後に前記第一、第二記載の各約束がなされていたためである。ところが、昭和五三年八月頃になって、本件仮名預金等の帰属が問題となり、その原資をめぐって法人成り当時の個人資産の評価が問題となったのである。そのため、被告人は法人成り当時の個人資産が一億円以上あったことを認めてもらうために、昭和五三年八月二日、鈴木商店時代および法人成り直後頃の被告会社の帳簿、請求書、領収書、契約書、伝票、約束手形等を任意提出し、領置してもらっている(弁証二〇)。その他にも、鈴木商店時代の商品等が写っている写真(弁証二、一八)、作業日誌(弁証三〇、三一)、金銭出納帳(弁証二九)、手帳(弁証一)等を持参したが、査察官は調査する意思がなく、右領置物以外は必要ないことを理由に被告人に返還している。査察官は、このような証拠物を時間をかけて精査したうえで、被告人の事情聴取をすれば、法人成り直前の個人資産を明確にできた筈である。ところが、査察官は、このような裏付捜査をやらず(この点は、関谷証言が認めている、第二二回公判、八二四丁、八二五丁)、裏付捜査の手抜きをやり、同年九月初旬頃から、一方的に被告人に対し、前記個人資産一億円以上あったという主帳を撤回させ、右個人資産が三千万円であったこと、右個人資産を法人成りの際全部被告会社に譲渡したことを認めさせるために、脅迫的取調べをしたのである。前記決定自体、「法人成りの際の個人資産の評価について被告人鈴木と関谷査察官との間で意見が対立した」ことを認めている。被告人が査察官から脅迫的な取調べを受けたのは、同年九月初旬頃、法人成り当時の個人資産の評価に関係して取調べを受けたときである。したがって、被告人が国税局の取調べに協力していたときとは、時期が異なるのである。それ故、前記決定が被告人が本件調査にかなり積極的に協力していたことをもって、被告人に対する脅迫的な取調べがなかったことの理由と認定したのは誤りである。

三、次に、前記決定は、「被告人の疲労の程度等を十分に配慮しながら取調べていることが認められ、深夜に及ぶ等特に無理な取調べがなされた形跡がないこと、また取調べは前記のとおり収集した資料を基に事実を追究するという態度で慎重になされており、何ら裏付けのない事実を自供させるため特に同被告人を脅迫等して取調べることの必要な情況が存したものとも認められない」旨認定している(一〇丁裏)。しかしこのような認定は、関谷証言を鵜飲みにしただけのものであって、次に述べるような客観的事実に反することは明らかであり、空虚なものであって読むに耐えないものである。

1 前記決定は、右のように、「取調べは収集された資料を基に事実を追究するという態度で慎重になされており、何ら裏付けのない事実を自供させるため特に同被告人を脅迫等して取調べることの必要な情況が存したものとは認められない」旨認定するが、これは全くの誤りである。

(一) なぜなら、法人成り当時の個人資産の評価を三千万円と認定する客観的資料の取調べをしていないことは、右取調べを担当した関谷査察官自身が認めているところである(関谷証言、第二二回公判、八二四丁、八二五丁)。関谷証人の右供述によると、被告人の個人(鈴木商店)時代にどの程度の金額の取引をやっていたか、どれ位の収入をあげ、どれ位の利益をえていたかについては、証拠資料に基づいては調査していないことを認めている。右脅迫的取調べをやった頃に作成された前記質問てん末書(検乙九)には、法人成り当時の被告人の個人資産は、預貯金が実名、仮名・無記名合せて多くとも四〇〇万円であり、これに現金六〇〇万円を合せて多くとも一、〇〇〇万円ぐらいであり、また、建設機械、部品、資材等は二、〇〇〇万円ぐらいであったと記憶している(問二の答(二)、(三))旨供述記載されている。右供述記載自体、被告人の記憶を記載した形式になっており、右認定のように、収集された資料を基に事実を追及するという態度でなされたものでないことは、関谷証人の前記証言によって明らかである。前記決定の右のような認定は、全く架空のものであって証拠に反する事実を認定する作文にすぎない。

(二) また、右捜査当時、法人成りの際の個人資産の評価については、被告人の一億円以上存在したという主帳と査察官の三千万円という主張とが対立していたこと(右決定書九丁表)は、前記決定の認定するところである。また、査察官の主張する右三千万円の評価についてもなんら根拠はなく、かつ、裏付けの証拠も存在しなかったことは、関谷証人の前記証書および右点を立証する客観的な裏付けの証拠が全く提出されていないこと並びに原判決もこれを認定していないことによっても明らかである。したがって、被告人の個人資産の評価が三千万円であるという事実については全く根拠のない、なんら裏付けのないものであるから、この事実を認めさせるために、査察官はとくに被告人を脅迫等強制的に取調べる必要性があったことは、容易に推認できるところである。

したがって、「何ら裏付けのない事実を自供させるため特に同被告人を脅迫等して取調べることの必要な情況の存したものとは認められない」旨認定した前記決定が誤りであることはきわめて明白である。

2 また、前記決定によると、査察官は、一日一二時間ないし一三時間に及ぶ長時間の取調べをしたことを自認しているが、「被告人の疲労の程度等を十分に配慮しながら取調べていることが認められ、深夜に及ぶ等特に無理な取調べがなされた形跡はない」旨認定する。

けれども、この認定も、関谷証言を鵜飲みにしたものであって、本件取調べの実態を全く無視するものである。被告人が太田査察官等五、六名によって、脅迫など強制的な取調べを受けた具体的事情につき、詳細に供述している(後記第五項参照)のに、前記決定はこれを信用できないと認定して排斥しているのは誤りである。これらの査察官らが一日一二時間ないし一三時間に及ぶ長時間の継続的な取調べをやったこと自体、査察官が被告人を事実上強制的に取調べたことを証明するものであることは前述したとおりである(前記第一項1ないし3参照)。また、前記決定は、深夜に及ぶ等特に無理な取調べがなされた形跡はない、と認定するが、前記第一項2(一)ないし(三)において述べたように、藤本日誌(弁証二七)の記載および藤本証言によっても、早朝から深夜に及ぶ取調べのあったことはきわめて明白であるのに、なぜか、前記決定はこのような客観的事実を無視し、右のような誤った認定をしている。

四、 次に、前記決定は、「その他前記のとおり被告人鈴木及び永松税理士は査察官から本件査察結果の説明を受けたが、被告人鈴木はこれを了解して修正申告をし、納税を全て完了している」旨認定し、これをもって、脅迫的な取調べがなかったことの理由の一つとしている。

しかし、右認定も誤りであることは、前記第二の第五項において述べたとおりである。

五、以上の次第であって、前記決定は脅迫的な取調べがなかった旨認定したが、その理由がすべて誤りであることが明らかとなった。本件取調べが脅迫的であったか否かは、どのような取調べ方法であったか否かによって認定すべきである。右認定にあたって問題となるのは、取調べ時間、取調べ場所、取調べ査察官の数、取調べ方法などである。更に重要なことは右取調べによって作成された質問てん末書の供述記載の内容である。客観的事実に反する記載がなぜなされたか、を検討すれば、脅迫的な取調べが行なわれたか否かは自から明らかである。

1 まず、取調べ時間が早朝から深夜にまで及んだことは前記第一項2(一)ないし(三)において述べたとおりであり、これには藤本日誌(弁証二七)の記載および藤本証言によって客観的事実が認定できる。

2 次に、国税局の取調室は一坪半か二坪程度の狭い部屋であることは前記決定も認定している(一〇丁表)とおりであるが、関谷証言によると、その狭い部屋に机が二つ置いてある(なお、第一八回公判、被告人の供述調書六三八丁、六三九丁、被告人の陳述書第一一項7参照)。また、右取調べ室は、「周囲がベニヤ板の壁であるため、隣室の声がよく通って快適な環境ではない」ことは検察官も認めるとおりである(意見書一七頁)。

3 このような狭い取調べ室において、早朝から深夜にわたって、査察官が同時に四、五人ないし五、六人入ってきて被告人を脅かしたり、どなったり、または、机をたたいてどなりつけたり等して取調べを行なっている。この点に関する被告人の供述は具体的であり、かつ、明白である(第一八回公判の被告人の供述調書六三九丁ないし六四二丁、被告人の陳述書第一一項7、8)。主として被告人をどなったり、脅かしたりしたのは、太田栄一査察官である。太田栄一査察官は頭を坊主刈りにしていたため被告人の記憶に明確に残っている。一度に二、三人宛で被告人を脅迫している。太田栄一査察官などは被告人に対し、「国賊」とか「税金泥棒」などとどなっている。また、査察官たちは被告人に身分証明書を示して、口々に「俺達は国家権力を背負っているのだ。やりたいことでできないことはない」等とすごんでみせたのである。査察官たちは取調べの際に、脅かし役となだめ役との分担を決めている。このように、脅かして取調べをすることを、査察官たちの間では「タタキ」と呼んでいる。総括主査の田中清隆と担当の関谷隆の両査察官は専らなだめ役であって、直接の担当でない査察官たちが脅かし役で被告人を脅迫したのである。

4 そのほか、査察官たちは被告人に対し、いずれも押収した証拠資料である被告会社の簿外交際費の禀議書および被告人の手帳を示して、本件仮名預金等が被告会社の所有に帰属することを認めなければ、これらの禀議書や手帳に記載されている清水建設の関係者を片っぱしから呼出して徹底的に取調べるが、それでもよいか、等と脅かしている。この禀議書や手帳には、いつ清水建設のだれとゴルフをしたとか、いつ清水建設のだれと飲食したとか、いくら支出した、ということが具体的に記載されている。この点は関谷証言も認めているところである(第二一回公判、七八四丁、七八五丁、第二二回公判、八五四丁)。前述のように、被告人は清水建設の関係者の取調べだけは絶対にさけたいと考えていたのであるから、査察官からこのように脅かされては、査察官のいうままに自供する以外に方法がなかったのである(被告人の第一八回公判の被告人供述調書六三七丁ないし六三九丁、被告人の陳述書第一一項8)。被告人が清水建設の関係者が取調べられることを極度におそれていたことは、査察官も十分承知していたため、前記第一記載のような約束をしたのである。そのため、査察官は取調の際に被告人のこのような弱点を利用し、脅迫的な取調べをして、本件仮名預金等が被告会社の所有に帰属することを認める趣旨の前記質問てん末書を作成したのである。

5 なぜ、査察官たちは被告人に対し、このような脅迫的な取調べを行なったのか、というと、本件仮名預金等が被告人の個人資産ではなく被告会社の資産であることを認めさせるためである。一般の査察事件においては、仮名・無記名預金の帰属については、当事者から事情聴取するのはもちろんであるが、それにもまして、証拠物に基づいて客観的な裏付捜査を行うのである。このような客観的な裏付捜査をすることによって、当事者の供述が事実に合致するかどうかが証明されるわけである。したがって、仮りに被告人が本件仮名預金等がすべて被告会社に帰属することを認めた場合であっても、その供述が真実であるかどうかの裏付捜査をやる必要があり、このような裏付捜査をやるのが一般である(憲法第三八条第三項)。被告人は、前記第二項で前述したように、法人成りの際に、個人資産が一億円以上存在したことを理解して貰うために、証拠資料を持参し、その一部を領置してもらったが、査察官たちは、調査する意思がなく、領置物以外は必要ないことを理由に被告人に返還している。このような証拠資料を時間をかけて精査したうえで、被告人より事情聴取をすれば、法人成り当時の被告人の個人資産の評価を明確にすることができた筈である。ところが、査察官たちはこのような裏付捜査を全くやっていない。被告人は、前記第一および第二記載のような約束が査察官とできていたために、査察官のいうままに取調べに応じ、査察官のいうことを肯定してきたため、査察官は、被告人の弱点を十分に承知していた。査察官は、前記第一において詳述したように、被告人が清水建設の関係者を取調べられることを極度におそれていたことを十分に承知していた。そのため、査察官は、被告人のこの弱点を利用して、被告人に対し心理的な圧力を加え、被告人に個人資産が三千万円であったことを認めさせたり、本件仮名預金等がすべて被告会社の所有に帰属することを認める、趣旨の質問てん末書を作成したのである。これは個人資産の評価や本件仮名預金等の帰属の認定が、証拠資料を精査して認定することがきわめて困難であったためと推測される。鈴木商店から約二〇年間に及ぶ預金の増加を逐一裏付捜査することはきわめて大きな労力を必要とするだけでなく、法人成り当時の預金額を確定できなければ不可能である。そのため、これらの裏付捜査を省略して手間を省くために、被告人の自白にたよったのである。その証拠に、これらの裏付捜査は全く行なわれていない。

6 また、この点に関する質問てん末書の供述記載内容自体からも、裏付捜査を行なっていないことは容易に判明するのである。この点の詳細については、後記第五の第五項1ないし7において述べるとおりである。

第五 次に、昭和五三年九月一一日および同月一六日付で作成された各四通の質問てん末書(内検乙九ないし一四の六通が原審において証拠採用されている)は、いずれもその日に被告人に質問し応答のあったところを録取したものではなく、関谷査察官が予め一方的に作成しておいたものを、当日被告人に読み聞かせただけで署名押印させたものであって、被告人の供述を録取したものではないから、証拠能力を有しないものである。

査察官は、被告人との間に前記第三記載の約束をしたり、あるいは、前記第四記載の脅迫的取調べをすることによって、査察官が予め一方的に作成しておいたこれらの質問てん末書に被告人に署名押印させたものである。また、これら質問てん末書の署名押印にあたり、被告人が人工代の水増等について事実と違うといって異議をとなえると、関谷査察官は、大勢に影響がないんだからこれでいいんだ、と訂正にも応じなかったものである。その詳細な理由については、辯護人の前記意見書第二の第六項並びに弁論要旨第二の第六項において述べたとおりである。

一、しかるに、前記決定は左記三つの理由で被告人のこの点に関する供述はたやすく信用できない旨認定している。

(1) 右各質問てん末書の形式、内容に徴すると、他の同被告人に対する各質問てん末書と同様に、いずれも査察官が関係資料を基に被告人鈴木に質問し、これを同被告人が応答して供述したところを録取したものであることが看取できる。

(2) 被告人鈴木が査察官との間で右に供述するような種々の約束をした事実は認められない。

(3) その他同被告人が関谷査察官の要求に応じて所論主張の各質問てん末書に署名押印せざるを得なかった事情が存したとも認められない。

しかしながら、右認定は明らかに誤りである。前記決定の右理由は、客観的な証拠資料を無視した全く形式的なものであって、事案の真相を正しく理解していないものであり、辯護人としては誠に遺憾に耐えないところである。そこで以下に右認定が誤りである理由を明らかにする。

二、成程、前記各質問てん末書の一応の形式は、前記決定の認定するように、他の質問てん末書と同様である。しかし、前記決定の認定するように、前記各質問てん末書の「形式」に徴すると、他の被告人に対する各質問てん末書と同様に、いずれも査察官が「関係資料等」を基に被告人に質問し、これに被告人が応答して供述したところを録取した、とは到底看取できない。このことは次のことからも明らかである。

1 右九月一一日付質問てん末書(検乙九)の記載内容は、法人成り直前の昭和三五年一〇月一七日現在の被告人個人資産の額および法人成り時の個人資産を被告会社に譲渡したことの二点について質問し、これに対する被告人の応答を記載した形式になっている。右質問に際し、査察官が「関係資料等」を基に質問したとか、被告人に示した旨の記載は全くない。

2 次に、同日付質問てん末書(検乙一〇)の記載内容は、昭和四九年九月末現在の本件仮名預金等の額、右預金等の資金源、残土処分代、水増人工代、右預金等の帰属および右預金等を本件仮名預金等にした理由等について質問し、これに対する被告人の応答を記載した形式になっている。右質問に際し、査察官が「関係資料等」を基に質問したとか、被告人に示した旨の記載はこれまた全くない。

3 次に、同日付質問てん末書(検乙一一)の記載内容は、自昭和四九年至同五二年の各九月末現在の簿外預金等の有無、右期間中における預金等の増加の有無、および、簿外預金等をした理由、並びに、預金メモ(検甲二の四四、九四)の確認について質問し、これに対する被告人の応答を記載した形式になっている。右質問に際し、査察官が「関係資料等」を基に質問したのは、右預金メモに関する「問五」の部分だけである。

4 次に、前記九月一六日付質問てん末書(検乙一二)の記載内容は、同年五月一九日付質問てん末書(検乙五)を読み聞かせて、水増工事代金(有限会社北立土木関係)額に誤りがあるかどうかを質問し、これに対する被告人の応答を記載した形式になっている。右質問に際し、査察官が右質問てん末書(検乙五)以外に、「関係資料等」を基に質問したとか、被告人に示した旨の記載は全くない。

5 次に、同日付質問てん末書(検乙一三)の記載内容は、水増工事代金(北立土木関係)について質問し、これに対する被告人の応答を記載した形式になっている。右質問に際し、査察官が「関係資料等」を基に質問したとか、被告人に示した旨の記載は全くない。

6 次に、同日付質問てん末書(検乙一四)の記載内容は水増給料および水増賞与並びに雑収入について質問し、これに対する被告人の応答を記載した形式になっている。右質問に際し、査察官は大杉喬作成の申述書一綴および被告人の差押えられた手帳二冊を示している旨の記載があるだけである。

7 以上の次第であって、前記質問てん末書六通(検乙九ないし一四)のうち、査察官が被告人に対し「関係資料等」を示して質問した形式になっているのは、検乙一一の預金メモに関する「問五」の部分と、検乙一四の水増給料および賞与、雑収入に関する大杉喬作成の申述書および被告人の差押えられた手帳二冊の、わずか二個所だけである。その他の大部分の質問てん末書の作成にあたり、いずれも査察官は「関係資料等」を基に被告人に質問したものでもなく、また、これに被告人が応答して供述したものを録取したものでないことは前記各質問てん末書の記載形式から明らかであるから、前記認定は誤りである。

三、次に、前記各質問てん末書が作成された昭和五三年九月一一日および同月一六日に、査察官が被告人に質問し、被告人から応答のあった供述を録取して、前記各質問てん末書四通宛を作成することは、その日の各取調べ時間からして物理的に不可能であるという客観的事実がある。その詳細な理由については辯護人の意見書第二の第六項1ないし7において述べたとおりである。

これに対し、前記決定は、「関谷証人の証言は被告人鈴木を当日初めて取調べたのではなく、その日まで取調べてきたところを当日同被告人の面前でまとめあげこれを読み聞かせたり、黙読させ間違いないと認めたので署名押印させたというのであるから、各四通の質問てん末書を作成することは十分に可能であり、また右のようにして作成された各質問てん末書が刑事訴訟法三二二条一項の供述を録取した書面としての要件に欠けるものでないこともいうまでもない。(なお、右各質問てん末書は内容ごとに書面を別にして作成されているが、同日付で四通が作成されていることに辯護人が主張するような格別の問題はない)。前記藤木(本の誤記)昇の証言及び手帳は以上の認定を左右するものではなく、所論は採用の限りでない」旨認定している(右決定書一一丁裏一一行目ないし一二丁表九行目)。

四、前記決定の右認定は、客観的事実を全く無視した暴論であって、辯護人は絶対に承服できない。前記決定は、関谷証人の証言を信用できるという誤った前提に立って、右証言を鵜飲みにした判断をしているが、関谷証人の証言は客観的事実に反し到底信用できるものではない。以下この点を明らかにする。

1 関谷証人の証言が信用できないことは、藤本日誌(弁証二七)の記載および藤本証人の証言によってきわめて明白である。

前記質問てん末書(検乙九ないし一一)を含む四通の質問てん末書が第一回目に作成された昭和五三年九月一一日の藤本日誌の欄には、「国税局一〇:〇〇~一二:〇〇(方南町経由)」と記載されている。この記載の意味は、藤本証言によると、被告人を社長専用車に乗せて午前一〇時に東京国税局に到着し、同日正午に再び被告人を乗せて右国税局を出発し、方南町を経由して被告会社の府中営業所まで帰ってきたということである(藤本証言、第二三回公判、八六七丁、八七三丁、八七四丁)。

また、第二回目の前記質問てん末書四通(検乙一二ないし一四を含む)が作成された同月一六日の藤本の日誌の欄には、「国税局一三:〇〇~一九:〇〇」と記載されている。この記載の意味は、藤本証言によると、社長専用車に被告人を乗せて午前一時に東京国税局に到着し、午後七時に被告人を乗せて再び右国税局を出発し、被告会社の府中営業所まで帰ってきたということである(藤本証言、第二三回公判、八六七丁、八七四丁、八七五丁)。

藤本日誌の記載および藤本証人の証言によると、被告人が国税局にいた時間は、右九月一一日は午前一〇時から正午までのわずか二時間足らずであり、右九月一六日は午後一時から午後七時までの六時間足らずである。このような短時間内に、前記各四通宛の質問てん末書を作成することは、時間的に不可能である。この点については辯護人の前記意見書第二の第六項3および4において述べたとおりである。仮りに、百歩を譲り前記認定のように、「その日まで取調べてきたところを当日被告人の面前でまとめあげこれを読み聞かせたり、黙読させ間違いのないことを認めたので署名押印させた」というのであっても、わずか二時間では前記四通の質問てん末書をまとめあげて記載することは物理的に不可能である。これが十分に可能であるという前記認定は、人間業ではなく神業を対象とする非常識な判断との誹りを免れない。また、六時間足れらずでは、前記四通の質問てん末書をたんに記載するだけで時間的に精一杯であって、前記認定のように、第一に、「その日まで取調べてきたところを当日被告人の面前でまとめあげ」、第二に、「これを読み聞かせたり、黙読させ間違いのないことを認めた」うえで、第三に、「署名押印させた」ことなどこれまた時間的に不可能である。

2 右の点につき、関谷証言によると、前記各質問てん末書の作成に要した時間であるが、右九月一一日付の四通は、大体午前一一時ころから夜九時ないし一〇時までの一〇時間前後であり、右九月一六日付の四通も同じ位の時間であると思うが記憶にない旨供述している(第二一回公判、七七一丁ないし七七三丁、第二二回公判、七九四丁ないし八〇〇丁)。ただし、関谷証言は、右九月一六日の取調べ時間は、午後一時ころから夜九時ころだったように記憶している旨、供述を変更している。

また、関谷証言は、右九月一一日および一六日の各前日に、四通宛の質問てん末書を作成しておいて、右一一日および一六日に被告人に署名押印だけをさせたこともなく、署名押印後に東京国税局の建物の一階にあるコーヒー店において、田中清隆および関谷隆の両査察官、被告人の三人でコーヒーを飲みながら雑談したこともない、旨否定している(第二一回公判、七七二丁、七七三丁、第二二回公判、七九七丁ないし七九九丁)。

3 しかし、関谷証人の右証言が誤りであることは、前記1記載のように、藤本日誌の記載および藤本証人の前記証言と対比すれば、きわめて明らかである。関谷証人自身、取調べ当日被告人に質問して被告人の応答を記載した質問てん末書四通を作成することが、二時間では不可能なことを認めている(第二二回公判、七九八丁、七九九丁)。

そのため、関谷証人は、右九月一一日および同月一六日に、いずれも被告人に質問し、被告人との応答をその日に録取して質問てん末書四通宛を作成するのに、「時間的に可能な範囲を想定」して、前記2記載のように、午前一一時ころから午後九時ないし一〇時ころまでという約一〇時間前後の取調べ時間を供述している。しかし、関谷証人の右証言は、一日に四通宛の質問てん末書を作成する取調べ時間としては、時間的に矛盾はないが、前記1記載の藤本日誌の記載および藤本証人の証言に照して、客観的事実に反することは明らかであって、信用できない。

4 また、関谷証人の証言が信用できないことは、次の供述によっても明白である。

(一) すなわち、まず検察官の問に対し関谷証人は、取調べ開始時間で最も早い時間は午前一一時ころからであり、最も多い開始時間は午後一時ないし二時頃からである、また、取調べ終了時間は午後六時頃だと記憶している。また、取調べ終了時間が午後一二時とか午前一時まで及んだことはない、旨供述している(第二一回公判、七五〇丁)。関谷証言によると、通常の取調べ時間は、一日五、六時間、多いときでも七時間前後ということになり、取調べが深夜にまで及ぶことはないことになる。

(二) ところが、辯護人の問に対し関谷証人は、取調べ開始時間は、朝早くとも午前一〇時ころからではなかったかと思う、もっと早くから取調べた記憶はなく、取調べの終了が深夜まで及んだことはない、旨供述している(第二二回公判、七九六丁、七九七丁)。

(三) 更に、前記質問てん末書四通を作成した日の取調べ時間につき、関谷証人は、右九月一一日および同月一六日付の各四通は、大体午前一一時ころから夜九時ないし一〇時までの一〇時間前後であると思うが記憶にない、旨供述している(第二一回公判、七七一丁ないし七七三丁、第二二回公判、七九四丁ないし八〇〇丁)。

(四) 関谷証人は、最初検察官の問に対して、通常の取調べ時間は午後一時ないし二時ころから午後六時ころまで一日五、六時間と供述していながら、右九月一一日および九月一六日の両日の取調べ時間は記憶にないと供述する一方、「大体午前一一時ころから夜九時ないし一〇時までの一〇時間前後であると思う」と供述し、通常の取調べ時間の約二倍の取調べ時間を要した旨供述している。関谷証人がこのような変遷する供述をしているのは、質問てん末書四通宛を作成するのに時間的に可能な範囲を想定したためである。すなわち、関谷証人は前記質問てん末書四通を二時間ないし六時間の取調べ時間で作成することが不可能であることを十分承知しているために、通常の取調べ時間として供述した五、六時間の約二倍にあたる一〇ないし一一時間と供述しているのである。

(五) しかし、関谷証人の右証言が信用できないことは、藤本日誌の記載および藤本証人の証言によって明らかである。被告人が早朝から深夜にまで及ぶ取調べを受けていたことは、前記第四の第一項2(一)ないし(三)において述べたとおりである。

5 以上のように、関谷証人の証言は、証言の都度取調べ時間が変遷しているだけでなく、客観的な証拠である藤本日誌の記載および藤本証人の証言と矛盾し、到底信用できないことが明らかである。しかるに、前記決定が関谷証言を採用し、「証人藤木(本の誤記)昇の証言及び辯護人請求の手帳(弁証二七)は以上の認定を左右するものではない」旨認定し(右決定書一二丁表)、藤本日誌(弁証二七)の記載および藤本証言を排斥したのは明らかに誤りである。

6 なお、前記決定は、「右各質問てん末書は内容ごとに書面を別にして作成しているが、同日付で四通が作成されていることに辯護人主張のような格別の問題はない」旨認定している。しかし、右認定も誤りである。この点につき、関谷証人は、数通の質問てん末書を一日に作成したのは項目別に分けた旨供述し、右認定に沿う供述をしている(第二一回公判、七五四丁)。しかし、右供述は不自然であって到底信用できない。なぜなら、同一日に供述調書を数通作成する、とは実務においては一般に行なわれていない。一通のなかに項目を分けて供述を記載すれば十分であって、数通に分ける特別の必要性は全くないためである。のみならず、質問および応答としての供述の対象はそれぞれ異るのであるから、同一内容の供述を重複して記載した質問てん末書を作成することはあり得ないから、関谷証人の供述するように、項目別に分けて別個の質問てん末書を作成する理由は全く存在しない。項目別に分けて数通作成するのはたんなる時間と労力の無駄である。右各四通の質問てん末書に記載されている供述の内容および範囲が広範囲に亘っており、同一日に質問し、その応答として被告人の供述したものをまとめて記載したとは到底解することは不可能であり、関谷証人の右供述は不自然である。

五、次に、前記決定は、前記各質問てん末書の形式だけでなく、「内容」も他の同被告人に対する各質問てん末書と同様に、いずれも査察官が「関係資料等」を基に被告人に質問し、これを被告人が応答して供述したところを録取したものであることが看取できる、旨認定する(前記第一項(1))。しかし、右認定はこれまた誤りである。すなわち、前記決定がなにを根拠に「前記各質問てん末書の内容に徴すると、いずれも査察官が関係資料等を基に被告人に質問した」と認定したのか、全く明白でないので、以下この点を明らかにする。

1 前記各質問てん末書(検乙九ないし一四)の記載内容を形式上からみると、右各質問てん末書の作成にあたり、査察官が「関係資料等」を基に質問したとか、あるいは、被告人に示した旨の記載はほとんど存在しないことは前述したとおりである(前記第二項1ないし7)。

2 右九月一一日付質問てん末書(検乙九)には、法人成り直前の個人資産が現金六〇〇万円、預貯金四〇〇万円の計一、〇〇〇万円、建設機械、部品、資材等二、〇〇〇万円の合計三、〇〇〇万円存在した旨の供述記載がある。関谷査察官はなにを根拠に法人成り直前の被告人の個人資産を三千万円と認定したのか?法人成り当時の被告人の個人資産の評価については、国税局はなんらの裏付捜査もやっていない。裏付捜査をやっていないことは関谷証人自身が認めているばかりでなく、検察官からもこの点に関する証拠は全く提出されていない。したがって、法人成り当時の被告人の個人資産の評価が三千万円である、旨の右質問てん末書の供述記載は客観的にも全く根拠のないものである。前記決定は、なにを根拠に、「右質問てん末書の内容に徴すると、査察官が関係資料等を基に被告人に質問した」等と認定したのか、その根拠を具体的に明示してもらいたいものである。前記決定の右認定が誤りであることは、右に述べたことによっても明らかである。

3 第二に、右質問てん末書(検乙九)には、被告人は、法人成りの際、現金、預金を含めた個人資産全部を被告会社に譲渡した旨の供述記載がある。しかし、この点についても、関係資料等は全く存在しない。その証拠に、検察官から、法人成りの際に個人資産全部を被告会社に譲渡した、ことを立証する証拠資料は全く提出されていない。右供述記載以外、個人資産の譲渡を証明する客観的な資料等は一切存在しない。したがって、「査察官が右質問てん末書の作成にあたり、被告人に関係資料等を基に質問した」旨の前記認定はこれまた誤りであることが明らかである。後述するように、被告人は法人成りの際に、個人資産を被告会社に譲渡した事実は全くないのであるから、譲渡していないことを証明する証拠資料は存在するが、譲渡したことを証明する証拠資料が存在しないのは当然のことである。右質問てん末書の「問四」に対する「答」欄に、「私(被告人)個人から第一重機へ個人財産のすべてを引継ぎ譲渡したわけですがこれらに関する契約書等は一切ありません。作成しませんでしたから。」という供述記載があり、右譲渡を証明する証拠資料等が存在しないことは、右供述記載によっても明白である。

この点につき、原判決は、「鈴木商店当時の営業用資産は法人成りと同時にそのまま被告会社に引継がれ、建設機械、部品、資材、スクラップ等や、預貯金、現金等の運転資金についても、原則として実質的に被告会社に帰属するに至ったものと認められる。」と判示し、趣旨不明の認定をしている(この点については後記第二点において詳述する)。

4 第三に、右質問てん末書(検乙九)によると、被告人は法人成りのとき、現金、預貯金を含めた個人資産全部を被告会社に譲渡した旨供述記載されている。しかし、一般には、法人成りの際に、個人所有の現金、預貯金を会社に譲渡するという会計処理は行なっていない。法人成りの際、個人が会社に現金、預貯金等を支出する方法は、一般には、金銭出資による株式の払込を除けば、貸付である(法人成りの経理と税務、牟田口実、中央経済社、一七二頁)。この点は関谷証言も認めるところである(第二二回公判、八二八丁)。

被告会社が法人成りした際には、顧問税理士がおり、顧問税理士であった飯島税理士が設立手続や設立後の被告会社の会計処理を行っている(第二二回公判の関谷証言、八三三丁)。査察官が押収した証拠資料や領置した証拠資料(弁証二〇)の中にも、被告人が被告会社設立の際に現金、預貯金を被告会社に譲渡したことを証明するものはなんら存在しない。反対に、後記第二点第一二項4記載のように、法人成り直後に被告人が被告会社に繰り返し金銭を貸付けており、その合計額は約四〇〇万円に達している。もし、右供述記載のように、法人成りの際に、被告人が現金、預貯金を含む個人資産全部を被告会社に譲渡していたのであれば、その後に繰り返し合計四〇〇万円の金銭を被告会社に貸付けることは不可能である。

このように右供述記載は客観的証拠と矛盾する。この点、関谷証言によっても、被告人が右供述記載のように供述したからというだけのことであって、なんらの裏付捜査をしていないことを認めている(第二二回公判、八二六丁、八二七丁)。関谷証言によると、被告人の供述を鵜飲みにしたということである。前記決定が認定するように、査察官が関係資料を基に被告人に質問したものでない、ことは取調べを担当した関谷証人の右証言によって明らかである。それでは、なぜ法人成りの際に現金、預貯金を含む個人資産全部を譲渡した旨の供述記載となったのであろうか。答は簡単である。これは法人成りの際に現金、預貯金を含めた個人資産全部を譲渡したことにしないと、本件仮名預金等の中に被告人個人所有のものが含まれることになり、その特定が不可能となり、国税局に都合が悪いため、査察官は、現金、預貯金を含めて全部譲渡した、というきわめて非常識かつ不合理な供述記載をしたのである。したがって、このような質問てん末書の供述記載内容自体、非常識かつ不合理であるのに、前記決定がこれを無視したのは誤りである。

5 第四に、右質問てん末書(検乙九)の供述記載内容自体が非常識かつ不合理である典型は、現金、預貯金を含めて「全部譲渡」した旨の記載である。被告人が法人成りの際に、仮りに、現金、預貯金を被告会社に譲渡したことがあったとしても、常識的に考えても、全部譲渡することなど絶対にあり得ない、ことは何人も首肯するところである。被告人としても、個人の生活があるから生活費も必要であり、かつ、病気、子供の入学、結婚等による不時の出費や将来の支出に備えるため、現金、預貯金を必要とするから、現金、預貯金を全部譲渡することなど常識的に考えても絶対にあり得ない。したがって、この供述記載内容自体、非常識かつ不合理である。このことは、右質問てん末書(検乙九)の「問六」に対する「答」として「私(被告人)個人等個人名義の土地、建物、それに家具等家庭用資産以外のものを全部引継ぎました」と供述記載されていることによっても明らかである。すなわち、被告人所有の個人資産のうち、個人生活に必要な家庭用資産を除外した旨の供述記載がある。現金、預貯金についても、家具等の家庭用資産と全く同じような除外理由がある筈である。また、右供述記載によると、被告人個人名義の土地、建物は家具等家庭用資産と同様に、引継対象資産から除外されているが、被告人の個人資産のうちでも、営業用資産である府中営業所の土地建物は被告会社に引継がれた(ただし、譲渡したのではなく賃貸である)が、被告人ら家族が居住している立川市内の自宅は被告会社に引継いでいない。したがって、被告人個人名義の土地建物を引継対象資産から除外した旨の右供述記載自体誤りであるし、また、現金、預貯金を含めて全部譲渡した旨の供述記載自体も誤りである。そのためか、原判決は、右質問てん末書のこれら供述記載が誤りであることを前提に、「営業所、什器備品等の物的設備、……預貯金、現金等の運転資金を含む鈴木商店当時の営業用資産一切を事実上そのまま引継いで、」(一二丁裏)と認定し、右質問てん末書の供述記載とは異なり、引継対象資産の中に、営業所(これは被告会社の府中営業所の土地建物を指すと思われる)を含める一方、他方において、現金、預貯金のうち運転資金だけを引継いだように認定している。また、原判決は更に、右引継がれた営業用資産のうちで被告会社に帰属するに至ったものの中に、「預貯金、現金等の運転資金」を含めているが、「営業所、什器備品等の物的設備」は除外している(一三丁表)。したがって、原判決自体、右質問てん末書の右供述記載内容自体が非常識かつ不合理であることを認めているのであって、前記決定の認定と矛盾する。

6 第五に、右質問てん末書(検乙九)によると、被告人は引継(譲渡)財産の対価を被告会社に無利息で貸付けており、現在まで被告会社から右対価を受取っていない、被告人から被告会社に個人資産のすべてを引継ぎ譲渡したが、右譲渡に関する契約書等は必要がなかったので作成しなかったため一切残っていない、旨の供述記載がある。

しかし、右供述記載内容だけでは、引継財産の対価が具体的に不明であり不自然であるだけでなく、設立以来約二〇年経過しているのに、長期間に亘り無利息で貸付けたままにしておくというのも不自然である。右供述記載によると、契約書等は作成しなかったとしても、被告会社の帳簿ないし決算書類に右貸付金の記載がないのも不自然である。右供述記載以外に譲渡代金を準消費貸借によって被告会社に貸付けた契約を締結した証拠や、右貸付金が存在することを証する証拠等は、全く存在しないのである。査察官もこの点についても全く裏付捜査を行っていない。したがって、査察官が右のような供述記載をしたのは、前記決定のように関係資料等を基に被告人に質問したためではない。

前述のように、法人成り当時、被告会社には顧問税理士がいたのであるから、右供述記載のように、もし右譲渡代金を貸付金に更めたのであれば、被告会社の当時の会計帳簿にその記載がある筈である。なぜなら、当時被告人個人から被告会社に貸付けた貸付金については被告会社の帳簿に記載されているからである(弁証三三ないし三七)。したがって、これらの帳簿に右譲渡代金を更めた貸付金として記載されていないということは、このような右譲渡代金を更めた貸付金が存在しなかったためである。

7 第六に、九月一一日付質問てん末書(検乙一〇)の供述記載内容によると、本件仮名預金等の資金源として、残土処分代が六、〇〇〇万円から七、〇〇〇万円位あったとか、水増人工代が五、〇〇〇万円から六、〇〇〇万円位あった、などという大雑把なものになっている。これらの金額にはなんら具体的根拠があるわけではない。この点についても、査察官はなんらの裏付捜査もしていないことは、関谷証人の証言によってもきわめて明らかである(第二二回公判、八三九丁、八四〇丁)。また、検察官からも右供述記載を裏付ける証拠は全く提出されておらず、右供述記載以外には裏付証拠は皆無である。このような供述記載自体、不正確であるだけでなく不自然である。前記決定は、なにを根拠に、このような供述記載をもって被告人の任意の供述と解するのか、全く理解に苦しむところである。このような全く裏付けも根拠もなく、かつ、具体性もない供述を唯一の証拠として採用し、被告人に有罪の認定をした原判決は憲法第三八条第三項に違反するものである。右供述記載以外に、なにを根拠に残土処分代が六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円位あったというのか、客観的な裏付証拠があるなら具体的に示してもらいたい。このような証拠は皆無であるから示せるわけがないのである。前記決定は、査察官が「関係資料等」を基に被告人に質問し、右のような供述を得た旨認定するが、この認定が誤りであることは明白である。右質問てん末書を作成した関谷証人自身、右供述記載につき裏付捜査をしていないことを自認している、ことは前述したとおりである。

また、人工代の水増計上が五、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万円あった旨の供述記載についても、なんら具体的証拠もないし、客観的な証拠もない。右供述記載によると、人工代の水増計上に関する明細書もないし、裏帳簿類に記載したものも一切なく、メモにしておいたものもないため、内訳は全く不明である(問四の答)。この点につき、関谷証人は、人工代の水増計上の有無につき、裏付捜査をやっていないことを明確に認めている(第二二回公判、八四〇丁)。なぜ、査察官はこれらの裏付捜査をやらなかったのか、という疑問はだれでも抱く疑問である。査察官の本件捜査がこのようにずさんなのは、査察官と被告人との間に、前記一ないし第三記載の種々の約束がなされていたため、査察官は被告人らが争うとは予想できなかったためである。そのために、査察官は、全く裏付捜査をやらずに手抜きをし、前述のような大雑把な供述記載をした質問てん末書を作成しているのである。

六、次に、前記決定は、「被告人鈴木が査察官との間で右に供述するような種々の約束をした事実は認められない。」旨認定する。

しかし、右認定も誤りである。査察官と被告人との間に種々の約束があったことは、前記第一ないし第三において詳述したとおりである。

第六 検察官作成の供述調書(検乙一八)も、前記第一ないし第三記載の約束、特に第三記載の約束の影響下に作成されたものであるから、任意性がなく、かつ、特信性もないから、証拠能力を有しないものである(被告人の陳述書第二七項、第二八項、第三〇項ないし第三二項)。

その理由は辯護人の前記意見書第二の第七項並びに弁論要旨第二の第七項において詳述したとおりである。

しかるに、前記決定は、「査察官の取調べについては何ら違法、不当な点はなく、その取調べにより作成された検乙四ないし一七に証拠能力を疑う事実はないから、検乙一八についても所論主張のような影響下に作成されたものではないというべきである」旨認定し、右検面調書(検乙一八)を証拠に採用して事実を認定している。

しかし、右認定は誤りである。査察官の取調べが違法かつ不当であって、その取調べによって作成された前記質問てん末書(検乙四ないし一七)には証拠能力を疑う事実が種々存在することについては、前記第一ないし第五において詳述したとおりである。特に前記決定が以下の点につきなんらの判断をしていないのは不当である。

一、昭和五三年一一月中旬頃になって、検察官から被告人夫婦および息子達並びに被告会社の従業員に対し、取調べのため呼出があった。当時、被告人は査察官から検察官に告発されたことを知らなかった。そのため、被告人は右呼出を受けるや直ちに国税局に相談に行き、統括官や田中清隆総括主査らに会って事情を聞いている。その際、統括官らは被告人に対し、被告人が検察官の処に出頭し、一言謝罪すればよいようになっている。そうすれば、検察官の処で厳しい取調べを受けることもないと説明し、被告人を安心させている。また、統括官らは被告人に対し、国税局の方から検察官に対し、被告人の国税局の取調べに対する協力の態度などについての成績表に、最高の点数をつけたものを送付してあるから安心して取調べを受けるようにしなさい。いずれにせよ、検察官の処で最終の結論が出るからと教示した。これは査察官が被告人に対し、安心して検察官の取調べに応ずるように説明したものである。そのため、被告人は、査察官が被告人との前記約束に基づき検察官との間に了解ができているものと理解し、安心して帰宅したのである(被告人の前記陳述書第二七項)。

二、当時、被告人は、国税局が前記第一記載の約束を守り、清水建設の関係者の取調べを全くしなかったため、国税局や査察官を信用していたのである。そのため、被告人は、国税局が約束を守るものと信用し、被告人の方でも約束を守り、辯護士や税理士を関与させずに、被告人一人で国税局の取調べに応じできたのである。また、被告人は、国税局が前記第三記載の約束を守り、本件仮名預金等から三千万円に利息をつけた金額を被告人に返還してくれる、ものと確信していたのである。

そのため、検察官から取調べのために呼出があった際にも、被告人は態々国税局に相談に行き、統括官らに相談している(前記参照)。当時、被告人は告発されたことも知らないし、起訴されることなど夢想だにしていなかったのである。なぜなら、もし当時被告人が告発とか、起訴されるおそれのあることを理解しておれば、態々国税局に相談に行くことなど絶対にあり得ない。当時被告人がこれらの客観情勢を正しく理解しておれば、国税局に相談など行かずに、顧問辯護士や顧問税理士の処に相談に行っている筈である。ところが、実際に被告人が本件法人税法違反被告事件につき辯護人を選任したのは、起訴(昭和五三年一一月二四日)後に裁判所からの辯護人選任の催告に応じた同年一二月四日である。当時、被告人は、本件査察事件の一連の手続として検察官の取調べを受けるにすぎず、最終的には修正申告によって税金を納付すれば全部解決し、その後に、前記第三記載の約束に基づき、本件仮名預金等から三千万円が返還されるものと理解していたのである。そのため、被告人は検察官の取調べの際にも、顧問辯護士を辯護人に選任しなかっただけでなく、本件査察事件につき終始相談をせず、かつ、顧問税理士にも、国税局側と交渉させたり、折衝させたりしたことは一度もなく、たんに修正申告書の提出に関与させたにすぎなかったのである。

三、 そのため、被告人は、検察官の取調べを受ける被告人の家族や被告会社の従業員に対し、「国税局との間には話合いが成立しているから、検察官の取調べの際には、逆わずに検察官のいうとおりに、事実関係を全部認めるよう」にと指示したのである。被告人自身も、右のような経過があったため、検察官の取調べの際には、査察官に対する質問てん末書の供述記載をひるがえすこともなく、質問てん末書の供述内容のとおりに供述記載した検面調書(検乙一八)に署名押印してきたのである(陳述書第二八項)。関谷証人の証言によると、被告人は検察官の取調べ(同年一一月一六日)の後に、再び国税局に出向き、査察官に対し、検察官の取調べには質問てん末書の供述内容どおりに供述してきた旨の報告をしている(第二一回公判、七六一丁、七六二丁)。被告人がこのような報告をしたのは、前記第一項、第二項記載のような経過が存在したためであり、首尾一貫している。

ところが、前記決定は、この点に関し、前記第二の約束があったとすれば、「被告人鈴木がそれまでの査察官に対する態度をかえ自供をひるがえすことも十分予想される本件告発後の検察官の取調べにおいてそれ以前と同様の内容の自供をしていること」は不可解というほかない、旨認定していることは前述したとおりである(前記第二の第四項参照)。

しかしながら、被告人が検察官の取調べに際し、それまでの査察官に対する質問てん末書の供述記載と内容の異なる供述をせず、右内容どおりの供述をしたのは、前記第一項ないし第三項記載の事情によるものであって、十分理由が存在するものであるから、これを不可解と認定した前記決定は誤りである。

四、ところで、息子の寛は、実際に被告会社から営業手当および賞与を全部支給されていたので、国税局の取調べのときから水増であることを否認していた。そのため、査察官の取調べの際にも、寛は営業手当および賞与は実際に全額支給を受けていたと供述し、水増を否認していた(第六回公判の同人の証言、一二二丁ないし一二四丁)。寛が国税局の取調べの際に、給料や賞与金の水増を否認していたことは、関谷証人も認めている(第二一回公判、七八三丁)。そのため、検察官は寛に対し、被告人や他の従業員も営業手当(給料)や賞与金の水増計上を自供しているのであるから、寛だけ一人で頑張っても駄目だといって、水増計上であることを認めるように説得していた。しかし、寛は、後述するように、営業手当および賞与金の全額の支給を受けていたのであるから、水増計上を否認したのは当然のことである。

五、寛は、昭和五三年一一月二〇日検察官の取調べを受け、検面調書(検甲一の二四)が作成されている。藤本日誌(弁証二七)によると、この日の欄に、「地検(寛同乗)」と記載されており、寛が被告人の社長専用車に被告人と同乗し、検察官の取調べを受けるために東京地検に出頭していることが判明する。

これは、被告人が息子の寛の取調べに際し、東京地検に付き添って行ったのである。寛は、検察官の取調べにも、事実ありのままに、自分は営業手当の給料および賞与金を全額支給を受けており、水増計上ではない、と否認していた。息子の寛は、被告人と異なり、国税局が被告人との前記約束を守り三千万円を返還してくれることを信用しておらず、査察官が取調べの方便のために被告人を欺しているのではないか、と疑問をもっていた。

そのため、実際に、寛は検察官の取調べを受けた際にも、被告会社から給料や賞与金を全額支給を受けていたと供述した。そこで、検察官は寛に対し、被告人や他の従業員も給料や賞与金の水増計上を自供しているのであるから、寛一人で頑張っても駄目だといって、水増計上を認めるように説得した。そこで、被告人はやむなく寛を取調べ室の外に連れ出し、寛に対し国税局と被告人との間に約束ができているから自供しても大丈夫だといって説得し、検察官のいうとおりに供述記載した検面調書に署名押印するように強く説得したのである。そのため、寛はついにあきらめて、しぶしぶ被告人の説得に応じ、検察官のいうとおりに記載された検面調書(検甲一の二四)に署名押印したのである(陳述書第二八項)。

六、 検察官から取調べを受けた被告人および寛以外の、土田武夫(検甲一の二二)、大杉喬(検甲一の二三)、鈴木きみ子(検甲一の二五)なども、すべて被告人から事前に、国税局と被告人との間に約束ができているから大丈夫であるから、検察官の取調べの際には、逆わずに検察官のいうとおりに全部認めるように指示されていたので、これらの従業員や被告人の家族が検察官に取調べられたときには、検察官のいうとおりに記載した検面調書に、そのまま署名押印したのである。

したがって、被告人の検面調書(検乙一八)をはじめ、これらの家族や従業員の検面調書は、いずれも任意性がなく、かつ、特信性もないものであるから、証拠能力を有しないものである(被告人の陳述書第二八項、鈴木きみ子証言、第一〇回公判、三七三丁ないし三七八丁、大杉喬証言、第三回公判、一九丁ないし二一丁、同第四回公判、三一丁、三二丁、三五丁、三六丁、鈴木寛証言、第五回公判、八九丁ないし九一丁)。

第二点 原判決には理由不備ないし理由齟齬の違法があるので破棄されるべきである。

一、本件において、受取利息(金銭信託および貸付信託の収益金を含む。以下同じ)の発生源である本件仮名預金等が被告会社に帰属するか、あるいは、被告人個人(およびその家族を含む。以下同じ)に帰属するか、が最大の争点である。本件仮名預金等が被告人個人に帰属すれば、それから発生した受取利息は被告人個人の所得であることになる。

ところで、本仮名預金等の帰属を認定するうえで重要な問題は、第一に、被告会社に法人成りした当時の被告人の個人資産の評価がいくらであったか、ということであり、第二に、右法人成りの際、被告人の個人資産は被告会社に譲渡されたか否か、という点である。なぜなら、本件仮名預金等の大部分は、被告人が法人成り当時所有していた建設機械、部品、資材、スクラップ、預貯金および現金等の個人資産およびその利息から転化したものである。したがって、法人成り当時の被告人の個人資産の評価を明らかにすることは、本件仮名預金等に転化した原資を明らかにすることができるとともに、法人成りの際に、個人資産が譲渡されたか否かを明らかにすることによって、本件仮名預金等の帰属を明らかにすることができるからである。法人成り当時の個人資産の評価につき、原判決は、「法人成り当時の被告人の個人資産の状況、特に純資産の額については、かなりの年月が経過しこれを証するに足る客観的な資料も存しないので、必ずしも明らかではない」旨認定し(一二丁表)、その明確な評価をさけている。このように個人資産の評価をさけた原判決には、審理不尽の違法があるので、この点は後記第四点においてその理由を明確にする。また、被告人が法人成りの際に、個人資産を被告会社に譲渡したか否かの問題についての原判決の認定は、趣旨不明であって、理由不備ないし理由齟齬の違法があるから破棄されるべきである。以下その理由を明らかにする。

二、本件受取利息の発生源である本件仮名預金等のうち、有限会社北立士木に対する工事代金の水増分を定期預金にした二、一〇〇万円および貸付信託にした一、五〇〇万円、上合計三、六〇〇万円は被告会社の所有に帰属するが、その他のものは被告人ら個人に帰属するものである。また、昭和五二年九月期に売却した仮名・無記名債券も、その購入資金は被告人ら個人の仮名預金等を払戻した金員であるから、右定期預金および貸付信託の利息分を除いた、本件受取利息および債券売却益は被告人ら個人の所得である。

なぜなら、本件仮名預金等のほとんどは、被告人が法人成り当時所有していた個人資産(建設機械、部品、資材、スクラップ、預貯金、現金等)総額一億円以上およびその利息から転化したものであって、これらの個人資産が法人成りの際に被告会社に譲渡されたことはないから、本件仮名預金等は被告人個人の所有に帰属するものであって、被告会社の所有に帰属するものではないからである。

三、ところで、被告人が鈴木商店当時所有していた営業用の個人資産を被告会社設立と同時にすべて被告会社に譲渡し、被告会社の所有となったか否かという問題に対し、原判決は、右理由中において、「鈴木商店当時の営業用資産は法人成りと同時にそのまま被告会社に引継がれ、建設機械、部品、資材、スクラップ等や、預貯金、現金等の運転資金についても、原則として実質的に被告会社に帰属するに至ったものと認められる。」(一三丁表一〇行目から同丁裏一行目まで)と判示する。

右判示を整理すると、「鈴木商店当時の営業用資産は法人成りと同時にそのまま被告会社に引継がれ、原則として実質的に被告会社に帰属するに至った」ものと認められるということである。この文章を素直に読むと、被告人が個人で経営していた鈴木商店の営業用資産が被告会社に「帰属」するに至った「原因」は、鈴木商店から被告会社への「引継」である。

1 この場合の「引継」とか「帰属」とはいかなる法律的意味を有するのか趣旨不明である。

2 更に、「原則として実質的に被告会社に帰属するに至った」とはいかなる意味であるのか、これまた趣旨不明である。

「原則として」被告会社に帰属する、というのは、被告人所有の営業用資産のうち「例外として」被告会社に帰属しないものがあったという趣旨なのか、もし、そうであれば、原則として被告会社に帰属した営業用資産を特定すべきである。また、「実質的に」被告会社に帰属する、というのはいかなる意味なのか、これ亦趣旨不明である。「実質的に」被告会社に帰属するということは、「形式的には」被告会社に帰属しない営業用資産もあったということなのか。原判示のように、「原則として」「実質的に」被告会社に帰属するとは、法律的にいかなる趣旨か、全く趣旨不明である。このような判示は、正に刑訴法第三七八条第四号の理由不備ないし理由齟齬の典型である。

四、問題は、被告人が個人で経営していた鈴木商店の営業用の個人資産は、被告人個人の所有に帰属していたものであるから、被告会社を設立し法人成りしたときに、これらの個人所有に係る営業用資産が被告会社に譲渡され、被告会社の所有に帰属したか否かということである。

1 もし、右法人成りの際に、被告人の個人所有に属する営業用資産を被告会社に譲渡したのであれば、本件受取利息及び債券売却益の発生源である本件仮名預金等は、被告会社の所有に帰属することになり、被告人の個人所有に留保されるものではなくなるわけである。

2 反対に、もし、右法人成りの際に、右営業用資産が被告人から被告会社に譲渡されたことがなければ、被告会社が右営業用資産を使用していても、被告会社の所有になることはあり得ないのである。

3 そこで、右営業用資産を「引継いだ」ということが、右営業用資産を「譲渡した」と同趣旨であるかどうかが問題となるのである。

4 しかし、「引継」と「譲渡」とは元々異なる概念である。「引き継ぐ」とは、「あとをうけつぐ」ことを意味し、前任者から仕事を引き継ぐ、伝統を引き継ぐ、などと使用する。これに対し、「譲渡」とは、財産や権利などを譲り渡すことを意味する。したがって、「引継」と「譲渡」とは同じ意味を有するものではない。

五、被告人が個人で経営していた鈴木商店を法人成りして被告会社を設立し、被告会社が鈴木商店と同一の営業を継続していくのであるから、営業用の個人資産(営業用の設備例えば府中営業所の土地建物、什器備品、その他建設機械、部品、資材、商品等)を引き継ぐ必要があり。被告会社が鈴木商店の営業を継ぐために、右のような営業用の個人資産を引き継いだものである。

この点につき原判決は、「被告会社は前記のとおり、被告人がそれまで鈴木商店の名称で営んできた建設機械、部品、資材等の販売、賃貸業をそのまま会社組織にしたものであって設立当初の会社の営業実態も右鈴木商店当時のものと全く同一であり、営業所、什器備品等の物的設備、従業員、建設機械、部品、資材等は勿論、預貯金、現金等の運転資金を含む鈴木商店当時の営業用資産一切を事実上そのまま引継いで、ただちに被告会社としての営業を開始した」(一二丁表一〇行目から同丁裏四行目まで)旨判示している。

六、右判示中の「鈴木商店当時の営業用資産一切を事実上そのまま引継いで、ただちに被告会社としての営業を開始した」という事実認定も、趣旨不明である。「事実上そのまま引継いだ」とはいかなる意味なのか不明である。「事実上」とは「法律上」と対比して使用しているのか、また、「引継いだ」とは前述のように、譲渡したという意味なのか、単に占有を移転したという意味なのか、趣旨不明である。素直に読めば、「営業用資産一切を事実上そのまま引継いだ」とは、営業用資産一切を譲渡したものではなく、そのまま引き渡した、すなわち、占有を移転したと解されるのである。ところが、原判示の「鈴木商店当時の営業用資産は法人成りと同時にそのまま被告会社に引継がれ」(一三丁表一〇から一一行目)と、「鈴木商店当時の営業用資産一切を事実上そのまま引継いで」(一二丁裏二から三行目)とは同じ用法であるが、「引継」は「譲渡」と同意味に解しているようでもあり明確ではない。

七、すなわち、原判決は右判示のあとに、「右資産が被告会社に事実上移転されたうえ被告会社が譲渡後引き続き現実に右資産を保有し運用してきた」(一三丁裏五から六行目)旨判している。被告人個人所有の営業用資産が被告会社に「事実上移転された」とはいかなる意味か不明である。一般に「法律上移転された」のであれば「譲渡」であり、所有権の移転があるが、「事実上移転された」のであれば、所有権の移転はなく単なる引渡し、すなわち、占有の移転を意味するにすぎない。原判示の右資産が被告会社に「事実上移転された」とは、被告人所有の営業用資産が被告会社に引き渡された、すなわち、占有が移転されたという趣旨と解される。そのため態々「事実上移転」などという趣旨不明の用語を使用したものと思われる。原判示の用語例では、少なくとも「引継」(一二丁裏三行目、一三丁表一一行目)と「事実上移転」(一三丁裏五行目)とは同趣旨に使用しているものと思われる。ところが、原判決は「右資産が被告会社に事実上移転されたうえ」に続けて、突如として「被告会社が譲渡後」「引き続き現実に右資産を保有し運用してきた」旨判示する。右判示によると「事実上移転」とは「譲渡」と同趣旨かとも思われる。いずれにせよ趣旨不明である。ただし、被告会社が営業用の個人資産を引き継いだということは、原判決のように、必ずしも譲渡を意味するものではない。

八、法人成りの際に、営業用の個人資産を引き継ぐには、法律的には種々の方法があり、必ずしも譲渡を意味するものではない(法人成りの経理と税務、牟田口実著、中央経済社、一六六ないし一七七頁参照)。すなわち、個人資産を引き継ぐ方法には、譲渡の外に貸借、委託販売等がある。また、譲渡の原因も有償譲渡である売買、交換、代物弁済、法人に対する出資、の外に、無償譲渡の贈与があり、貸借にも、有償の賃貸借と無償の使用貸借がある。売買、交換代物弁済、現物出資等を原因とする譲渡の場合には、目的物の所有権が移転するが、貸借や委託販売の場合には、借主や受託者には所有権は移転しない。これらの引き継ぎの原因は、会社設立の際の現物出資を除けばいずれも契約である。

本件の場合には、被告人と被告会社との間に、法人成りの際に、営業用の個人資産の引き継ぎに関し、どのような契約が締結されたと解釈されるかという問題である。したがって、問題は本件の場合、引き継ぎの法律的原因はなにか、ということである。これに対し、前述のように、原判決は鈴木商店時代の営業用資産は法人成りと同時にそのまま被告会社に引継がれたと判示するのみであって、右引き継ぎの法律的原因については全く判断を欠いている。したがって、原判決には、この点につき理由不備の違法が存在する。

九、このように、原判決は、引き継ぎの法律的原因がなにか、という点に関し、なんらの判断をも示していないのである。したがって、右引き継ぎが譲渡なのか、貸借なのか、あるいは、委託販売ないしはその他の契約なのか、仮りに、譲渡であるとすれば、有償譲渡なのか、無償譲渡なのか、有償譲渡であれば売買なのか、あるいは、交換、代物弁済など売買以外の契約であるのか、または契約以外の法律原因なのか、一切が不明である。仮りに、売買であるとすれば、売買の対価、すなわち、売買代金は売買の要素であるから、売買代金が確定していたのか、未確定なのか、これまた不明である。

本件受取利息及び債券売却益の発生源である本件仮名預金等が被告会社所有の資金によるものであるためには、法人成りの際に、被告人所有の営業用資産が被告会社に譲渡されている必要がある。右の際に、被告人と被告会社との間に譲渡がなければ、被告人から営業用資産の所有権が被告会社に移転することはあり得ない。そのためには、原判決は譲渡の具体的な法律原因につき明確な判断を示すべきであったのである。ところが、原審が証拠に採用した前記質問てん末書(検乙九)には、被告人の供述記載として「引き継ぎ」は「譲渡」と同趣旨として記載されているだけであって、右譲渡の具体的な法律的原因については全くその記載を欠いている。また、この点については関谷証言によっても全く同様にあいまいであり、不明である(第二二回公判の関谷証人尋問調書八五二丁ないし八五八丁)。したがってこの点に関する前記質問てん末書の供述記載および関谷証言は、不合理であって、極めて信用性に欠けるものである。そのために、原判決は、前述のように、明確に議渡の具体的な法律的原因を認定することができなかったものと思料される。また、そのため、原判決は、前述のように、「鈴木商店当時の営業用資産一切を事実上そのまま引継いで、」とか、「鈴木商店当時の営業用資産は法人成りと同時にそのまま被告会社に引継がれ、」などと判示し、具体的な譲渡の法律的原因の認定をさけているのである。

一〇、次に、原判決は、一方において(一)、「営業所、什器備品等の物的設備、従業員、建設機械、部品、資材等は勿論、預貯金等の運転資金を含む鈴木商店当時の営業用資産一切を事実上そのまま引継いで、ただちに被告会社としての営業を開始した」(一二丁裏一から四行目)と認定し、他方において(二)、「鈴木商店当時の営業用資産は法人成りと同時にそのまま被告会社に引継がれ、建設機械、部品、資材、スクラップ等や、預貯金、現金等の運転資金についても、原則として実質的に被告会社に帰属するに至ったものと認められる。」(一三丁表一〇行目から同丁裏一行目)と判示する。

1 右(一)と(二)との認定を比較すると、法人成りの際には、「営業所、什器備品等の物的設備」を含む鈴木商店当時の営業用資産一切を事実上そのまま引継いだ(右(一))のに対し、鈴木商店当時の営業用資産は法人成りと同時にそのまま被告会社に引継がれた(右二)とある。すなわち、右(一)の認定では、引継がれた目的物は、鈴木商店当時の営業用資産一切であって、そのなかには「営業所、什器備品等の物的設備」が含まれることを具体的に例示しているのに対し、右(二)の認定では、引継がれた目的物は鈴木商店当時の営業用資産と概括的に記載されているだけであって、「営業所、什器備品等の物的設備」などの例示がされていない。しかし、「営業所、什器備品等の物的設備」は鈴木商店の営業用資産に含まれていたものであるから、引継がれた目的物の範囲については右(一)、(二)の認定は同一と思料される。

2 ところで、右判示のうち、「引継」の意味が不明であることについては前述したとおりである。すなわち、「引継」とは「譲渡」を意味するのか、あるいは、単に「引渡」を意味するにすぎないのか、不明であるということである。しかるに、原判決は、右(二)の判示において、「建設機械、部品、資材、スクラップ等や、預貯金、現金等の運転資金についても、原則として実質的に被告会社に帰属するに至ったものと認められる」と判示している。右判示のうち、「原則として実質的に被告会社に帰属するに至った」とは趣旨不明であることは前述したとおりである。しかし、一般には、「被告会社に帰属する」とは、被告会社の所有になると解釈できるから、右に例示されている「建設機械、部品、資材、スクラップ等や、預貯金、現金等の運転資金」についても、原則として実質的に被告会社の所有になったと解されるのである。ところが右(二)の場合には、被告会社に引き継がれた営業用資産一切のうち、右(一)に例示されていた「営業所(これは府中営業所の土地建物を指すものと思料される)什器備品等の物的設備」は、被告会社に帰属するに至った目的物の例示から右(二)において除外している。すなわち、原判決は、鈴木商店から被告会社に引き継がれた営業用資産のうち、「営業所、什器備品等の物的設備」は、被告会社に譲渡されなかったことを認めており、右(一)、(二)のような判示をしているのである。

3 このように解すると、原判決の判示する「引継」は「譲渡」ではなく、単なる「引渡」ということになる。もし、「引継」すなわち「譲渡」と解すると、右(一)において引継の目的物として例示されている「営業所、什器備品等の物的設備」も被告会社に帰属することになり、右(二)の判示と矛盾することになる。そこで、右物的設備や従業員以外の営業用資産が被告会社に帰属するに至った法律的原因がなにか、ということが、またここで問題となるのである。ところが、原判決はこの点につきなんらの判断を示していないのである。これは重大な判決の理由不備ないし理由齟齬である。

一一、1 法人成りの際に、営業用資産のうち固定資産と称される、例えば、工場や営業所等の土地建物、機械器具等の設備、什器備品等を引き継がせるには、一般的に行なわれている方法としては、現物出資を除けば、(一)売買によって所有権を会社に移転し、会社は設立者個人に売買代金を支払う方式と、あるいは、(二)賃貸借によって会社は個人資産を使用し、賃料を支払うという方式、のいずれかをとるのが実際のやり方である(前記法人成りの経理と税務、一六九頁ないし一七一頁参照)。右(二)の方式では、目的物の所有権は会社に移転せず、従前の個人所有のままである。この点は関谷証言も認めている(第二二回公判の右証人尋問調書八二八丁)。また、営業用資産のうち、たな卸資産である商品の場合には、性質上貸借ではなく、売買もしくは委託販売等の方法がとられるのが一般である。

2 本件の場合、法人成りの際に、被告会社が鈴木商店の営業用資産を引き継ぐに際し、譲渡を受けなければならなかったという必然性はなかった。なぜなら、被告会社は営業用資産の譲渡を受けなくとも、引き継ぎ、すなわち、引き渡しを受ければ、営業所の土地建物、建設機械、修理機器等の設備、什器備品等の固定資産については、賃貸借ないし使用貸借によって、部品、資材、スクラップ等の商品である流動資産については、委託販売の方法によって、十分に営業を行なうことができたのである。現に、営業用資産である府中営業所の土地建物は、被告会社が営業をするのに不可欠の固定資産であるが、法人成りの際に、被告会社に引き渡されて引き継がれたに拘らず、譲渡されたことはなく、毎月賃料を支払って、賃貸されており、現在まで被告人個人の所有のままである。このことは関谷証人も認めているとおりである(第二二回公判の右証人尋問調書八二七丁)。このように、営業用資産の「引継」と「譲渡」とは異るものであることは右の例によっても理解できるのである。そのためか、原判決も、被告会社の営業所の土地建物等が、法人成りの際に鈴木商店の営業用資産であったに拘らず、被告会社に引き継がれたが、譲渡されなかったことを認めていることは前述したとおりである。

3 ところが、原判決は、法人成りの際に、なぜ営業用資産一切の引継ぎを認めておりながら、被告会社の営業に不可欠な固定資産である「営業所、什器備品等の物的設備」を譲渡の対象から除外したのか、その理由についてはなんらの説示もしていない。また、右物的設備以外の営業用資産について、なぜ、譲渡したのか、についてもなんらの説示もしていない。前記質問てん末書(検乙九)の供述記載および関谷証言によっても、なぜ、右物的設備が譲渡の対象から除外されたのか、その理由は不明である。

法人成りした被告会社が鈴木商店と同一の営業を継続していくためには、営業用資産の「引継」を受ければ十分であって、「譲渡」を受けなければならない必然性は全くなかったのである。

一二、更に、原判決は、「預貯金、現金等の運転資金を含む鈴木商店当時の営業用資産一切を事実上そのまま引継いで、ただちに被告会社としての営業を開始した」(一二丁裏二から四行目)とか、「預貯金、現金等の運転資金についても、原則として実質的に被告会社に帰属するに至った」(一三丁表一二から一三行目)と判示する。

1 しかしながら、右判示にいう「預貯金、現金等の運転資金」とはいかなるものを指すのか、その範囲が不明である。右判示によると、「預貯金、現金等の運転資金を含む鈴木商店当時の営業用資産一切を事実上そのまま引継いだ」のであるから、当時被告人およびその家族が所有していた預貯金、現金のうち、営業資産に含まれるものは引き継いだが、営業用資産に含まれない個人的なもの、特に被告人の家族が預金していたもの、生活費充当用のもの、将来の病気、子女の教育費等のために預金しているもの等は営業用資産に含まれないわけである。したがって、営業用資産に含まれる「預貯金、現金」等と営業用資産に含まれない「預貯金、現金」等を区別する必要がある。そのためには、法人成り当時に被告人が所有していた「預貯金、現金」の額を先ず確定し、更に、そのうち営業用資産に含まれる「預貯金、現金」の額を確定しなければならない。ところが、原判決はこの点につきなんらの判断を示していない。これは判決の理由不備である。

2 また、原判決は、「預貯金、現金等の運転資金を含む鈴木商店当時の営業用資産一切をそのまま引継いだ」とか、「鈴木商店当時の営業用資産は法人成りと同時にそのまま被告会社に引継がれ……預貯金、現金等の運転資金についても、原則として実質的に被告会社に帰属するに至った」と判示する。

右判示にいう「預貯金、現金等の運転資金をそのまま被告会社に引継ぐ」とは、具体的になにを意味するのか不明である。「引継」とは「譲渡」を意味するのか、単に「引渡」を意味するのか、趣旨不明である。また、右引継によって「預貯金、現金等の運転資金についても実質的に被告会社に帰属する」とはいかなる意味か、これまた趣旨不明である。また、原判決は、預貯金、現金等の運転資金が被告会社に帰属するに至った法律的原因についても、なんらの判断をも示していない。更に、「実質的に被告会社に帰属する」、とはいかなる趣旨か、不明である。このように、原判決には、預貯金、現金等についても、理由不備ないし理由齟齬の違法がある。

3 一般には、法人成りの際に、個人所有の預貯金、現金等を会社に譲渡することは行なわれていない。設立当初の会社が資本金だけで運転資金に不足する場合には、代表者や役員個人が個人所有の金員を貸付けるという会計処理をとるのが一般である(第二二回公判の関谷証言八二七丁)。また、一般に現金という場合には、通貨を指し、通貨の売買は性質上あり得ないことは、関谷証言も認めるとおりである(前記八二七丁)。預貯金についても、現金と全く同じことがいえる。次に、無償譲渡、すなわち、贈与が問題となるが、法人成りの際に、個人が会社に現金、預貯金を贈与するという会計処理も一般に行なわれていない。法人成りの際に、個人が会社に現金(預貯金は払戻して現金にできるので現金と同じ)を支出する方法は、一般には、金銭出資(株式の払込)を除けば、金銭の貸付という会計処理をすることは、関谷証言も認めるとおりである(前記八二七丁)。また、前記「法人成の経理と税務」によると、法人成りの場合、現金が出資以外の形で法人に移転するのは、結局法人からすれば借入金(個人から法人に対する貸付金)である。現金出資分だけでは法人の資金繰りが困る、という場合に、他の資産と同様に移転されるのが通例である(同書一七二頁)とあり、同旨である。

原判決は、一般の会計処理方法である金銭の貸付とは異る法律的原因によって、預貯金、現金等の運転資金が被告会社に帰属したことを認めているのであるから、その帰属の法律的原因を明確に判示すべきであったのに拘らず、この点につきなんらの判示をしていないのは理由不備の違法がある。

4 次に、査察官が被告会社から領置した証拠物(弁証二〇)の中に存する被告会社設立直後の帳簿(弁証三三ないし三七)によると、被告人は、被告会社設立直後から被告会社に対し、繰り返し次のように機械部品を売却したり、または、金銭を貸付けたりしている。この合計は約四〇〇万円である(弁証一九〇の陳述書第四項、第五項、第七項)。

(一) 昭和三五・一〇・二九、「現金、部品買入鈴木より、三〇万円」(三菱銀行当座預金勘定―弁証三三)

(二) 昭和三五・一二・三〇、「鈴木より(借入金)二四万円」(右同および借入金勘定―弁証三三および三五)

(三) 昭和三五・一〇・二九、「部品、部品鈴木より買入れ二〇万円」(現金勘定―弁証三四)

(四) 昭和三五・一一・二八、「借入鈴木光より一五万円」(右同および借入金勘定―弁証三四および三五)

(五) 昭和三五・一二・六、「借入金鈴木光より一〇万円」(右同)

(六) 昭和三五・一二・一四、「借入金鈴木光より七〇万円」(右同)

(七) 昭和三六・一・二八、「借入金鈴木光より二〇万円」(右同)

(八) 昭和三六・四・一五、「借入金鈴木より一〇万円」(右同)

(九) 昭和三六・一〇・二〇、「鈴木光より借入金七三万円」(現金出納帳―弁証三七)

(十) 昭和三六・一一・六、「鈴木光より借入金五〇万円」(右同)

( ) 昭和三六・一一・一八、「鈴木光より借入金九〇万円」(右同)

もし、原判決のように、預貯金、現金等の運転資金を含む鈴木商店当時の営業用資産一切を事実上そのまま引継がれたために、これらの預貯金、現金等の運転資金についても、被告会社に帰属するに至ったものであれば、被告人個人は、預貯金、現金等はもちろん、機械部品等を所有していない筈であるから、被告会社に貸付けたり、売却したりすることはできないわけである。

ところが、実際には、前記(一)ないし(二)記載のように、被告人は被告会社に対し、被告会社設立直後から繰り返し延四〇〇万円弱の金銭を貸付けたり、機械部品を売却したりしてきている。これは被告人が被告会社設立時に、預貯金、現金、機械部品等一切の営業用資産を譲渡した事実が存在しないことを証明する明白かつ客観的な事実である。被告人は、被告会社設立時に預貯金、現金等、あるいは、機械部品等を譲渡せず、個人的に所有していたため、現金を被告会社に貸付けたり、あるいは、機械部品を被告会社に売却できたのである。原判決がこのような明白かつ客観的な事実を無視して、前述のような誤った認定をしたのはきわめて遺憾である。

5 被告人には、鈴木商店時代から顧問税理士がおり、もちろん被告会社を設立した時にも顧問税理士がいた。顧問税理士であった飯島税理士が被告会社の設立手続や設立時はもちろん設立後の会計処理を行っている(第二二回公判の関谷証言、八三三丁)。飯島税理士は、被告会社の会計処理にあたっては、被告人個人分とは明白に区別して事務処理を行っていたのであって、このことは査察官が押収した証拠物や領置された証拠物(弁証二〇)の中にある帳簿類の記載をみればきわめて明白である。これらの帳簿類の記載には、被告人が被告会社設立の際に、預貯金、現金等はもちろん機械部品等を被告会社に譲渡した旨のものはまったく存在しない。

反対に前記4記載のように、法人成り直後に、被告人が被告会社に金銭を貸付けたり、あるいは、機械部品を売却したり、した旨の記載がある。原判決は、このような明白かつ客観的な証拠を無視して、一体なにを証拠に、預貯金、現金等の運転資金を含む営業用資産一切を事実上そのまま引継いだとか、あるいは、預貯金、現金等の運転資金についても実質的に被告会社に帰属するに至ったものと認められる、等と認定したのであろうか。原判決の右のような判断は、まったく不可解というほかなく、杜撰きわまりないものである。

6 原判決が右のような誤った認定をした唯一の証拠は、被告人の質問てん末書(検乙九)の供述記載である。すなわち、右質問てん末書によると、被告人は法人成りの時、現金、預金を含めた個人資産全部を被告会社に譲渡した旨記載されている。この点は、関谷証言によると、被告人が右のように供述したからというだけのことであって、裏付捜査をしていないことを認めている(第二二回公判の右証人の証言、八二六丁、八二七丁)。関谷証言に従えば、被告人の供述を鵜飲みにしたということである。査察官が被告人の供述を鵜飲みにすることなどあり得ない。これは法人成りの際に現金、預金等を全部譲渡したことにしないと、本件の仮名預金等のなかに被告人個人所有のものが含まれることになり、そのため、本件仮名預金等のうち、個人所有の仮名預金等と被告会社所有の仮名預金等とを区別し、特定することが不可能となり、国税局側に都合が悪いため、「現金預金を含めて全部譲渡した」旨の非常識かつ不合理な供述記載となったものである。このような質問てん末書(検乙九)の供述内容自体、非常識かつ不合理である。なぜなら、全部譲渡していないとなると、本件仮名預金等のうち、被告人所有分と、被告会社所有とを区別しなければならないが、これはきわめて困難であり、かつ、法人税の課税が不可能になるためである。そのため、領置した前記帳簿類の証拠物を無視したのである。

7 そのためか、原判決は、「預貯金、現金等の運転資金についても、原則として実質的に被告会社に帰属するに至った」というように認定し、被告会社に帰属したのは、被告人所有の預貯金、現金等全部ではなく、そのうち、非営業用資産に属するものは例外的に除外し、運転資金としての預貯金、現金等の営業用資産に属するものに限定する認定をしているのである。原判決のいう「原則として実質的に被告会社に帰属するに至った」という趣旨が不明であることは前述したとおりである。原判決の認定によっても、被告人所有の預貯金、現金等のうち、非営業用資産に属するものは被告会社に引継がれておらず、かつ、被告会社に帰属することもなかったわけである。したがって、被告会社に引継がれて被告会社に帰属するに至った預貯金、現金等を、被告人個人の所有に留保された預貯金、現金等と区別するために、特定すべきであったのである。しかるに、原判決がこのような特定をしていないのは理由不備である。したがって、本件の仮名預金等には、仮りに原判決の認定するように、営業用資産に属する預貯金、現金等の引継、帰属があったとしても、営業用資産に含まれない被告人個人所有の預貯金、現金を発生源とするものが含まれていたことは明らかである。本件仮名預金等のうち、これらの発生源のものは、あくまでも被告人個人の所有に属するものであって、被告会社に帰属するものではない。この点において原判決の理由は不備である。

一三、以上詳述したように、原判決が、「鈴木商店当時の営業用資産は法人成りと同時にそのまま被告会社に引継がれ、建設機械、部品、資材、スクラップ等や、預貯金、現金等の運転資金についても、原則として実質的に被告会社に帰属するに至ったものと認められる。」(一三丁表一〇行目から同丁裏一行目まで)旨認定したのは、理由不備ないし理由齟齬の違法がある。仮りに、原判決のように解しても、本件仮名預金等のなかには、非営業用資産として被告人個人に留保された預貯金、現金等を発生源とするものが混在しており、有限会社北立土木関係の水増工事代金を預金したもの以外は、その帰属を区分することは不可能である。したがって、これら混在した本件仮名預金等から発生した本件受取利息および債券売却益の帰属を明確にすることもこれまた不可能である。

第三点 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるので破棄されるべきである。

第一 被告人は、法人成りの際、個人資産を被告会社に譲渡したことはない。

一、1 本件受取利息および債券売却益についての問題点は、本件受取利息および債券売却益が被告人ら個人の所得であるか、あるいは、被告会社の所得であるか、ということである。この問題を解決するためには、本件受取利息等の発生源である本件仮名預金等が被告人ら個人の所有に帰属するか、あるいは、被告会社の所有に帰属するか、を確定する必要がある。

2 これに対し、辯護人は、原審において、(一)本件受取利息の発生源である本件仮名預金等のうち、(有)北立土木に対する工事代金の水増分を定期預金にした二、一〇〇万円および貸付信託にした一、五〇〇万円、以上合計三、六〇〇万円は被告会社の所有に帰属するが、その他のものは被告人ら個人の所有に帰属するものであり、また、(二)昭和五二年九月期に売却した仮名・無記名債券も、その購入資金は被告人ら個人の仮名預金等を払戻した金員であるから、右定期預金および貸付信託の利息分を除いた本件受取利息および債券売却益は本件受取利息ら個人の所得である、旨主張した。

3 ところで、本件仮名預金等が被告人ら個人の所有に帰属することを確定するには、本件仮名預金等の原資を明確にする必要がある。

そこで、辯護人は、原審において、本件仮名預金等のほとんどは、被告人が法人成り当時所有していた建設機械、部品、資料、スクラップ等の商品および預貯金、現金等総額一億円以上の個人資産およびその利息から転化したものであって、これらが法人成りの際に被告会社に譲渡されて被告会社の所有に帰属したことはないから、本件仮名預金等は、被告人ら個人の所有に帰属するものである、旨主張した。すなわち、第一に、法人成りの際の被告人所有の個人資産は少なくとも一億円以上存在したこと、第二に、被告人は法人成りの際に個人資産を被告会社に譲渡したことがないこと、第三に、本件仮名預金等のほとんどは右個人資産およびその利息から転化したものであるから被告人ら個人の所有に帰属するということである。

二、これに対し、原判決は、次の理由で辯護人の前記主張を排斥した。原判決の次のような認定は、いずれも重大な事実誤認、理由不備ないし理由齟齬、審理不尽であるから破棄されるべきである。

(一) 法人成り当時の被告人の個人資産の状況、特に純資産の額については、かなりの年月が経過しこれを証するに足る客観的資料も存在しないので、必ずしも明らかではない(一二丁表二行ないし四行目)。

(二) 被告会社設立前である鈴木商店当時の被告人の申告所得額は、昭和三一年度分二七九、〇〇〇円、同三二年度分二九五、〇〇〇円、同三三年度分三五〇、〇〇〇円、同三四年度分四一七、〇〇〇円、同三五年度分六九四、五二五円であるところ、被告人は同三五年一〇月一八日資本金一〇〇万円を全額出資して被告会社を設立したものである(同丁表五行ないし一〇行目)。

(三) 被告会社は被告人がそれまで鈴木商店の名称で営んできた建設機械、部品、資材等の販売、賃貸業をそのまま会社組織にしたものであって、設立当初の会社の営業実態も右鈴木商店当時のものと全く同一であり、営業所、什器備品等の物的設備、従業員、建設機械、部品、資材等は勿論、預貯金、現金等の運転資金を含む鈴木商店当時の営業用資産一切を事実上そのまま引継いで、ただちに被告会社としての営業を開始したものであり、したがって、被告会社の設立に伴い鈴木商店の独自の営業体としての実質を失なったものと認められる(同丁表一行ないし同丁裏六行目)。

(四) 就中、被告人が鈴木商店時代に取得したブルドーザー、クレーン車等の建設機械等は被告会社がそのまま使用し、会社名義で他に賃貸したり売却した賃料、売却代金を被告会社の収益とし、あるいは会社が新たに建設機械等を講入した際の下取りに出すなど、被告会社に帰属するものとして運用管理されていたことは明らかである(同丁裏六行ないし一一行目)。

(五) 法人成り当時の被告人の意見についても、被告人および妻の鈴木きみ子は、捜査段階および当公判廷において、被告会社の設立が鈴木商店当時からの念願であり、被告会社にすべての夢を託し、生活費をきりつめながら個人資産を会社に投じ、被告会社のために献身的に努力してきたと繰り仮し述べているのであり、右供述内容に徴すると、被告人には、鈴木商店当時の建設機械、部品、資材等を法人成り後も個人資産として留保しておき被告会社と併行して営業を継続する意思など全くなかったことが認められる(同丁裏一一行ないし一三丁表六行目)。

(六) 被告人が法人成り後に個人の営業活動によって得た収入があるとして所得の申告をした事実もなかったことは明らかである(同丁表七行ないし九行目)。

(七) 右(一)ないし(六)の事実を総合した結果、原判決は、次のように結論する。すなわち

鈴木商店当時の営業用資産は法人成りと同時にそのまま被告会社に引継がれ、建設機械、部品、資材、スクラップ等や、預貯金、現金等の運転資金についても、原則として実質的に被告会社に帰属するに至ったものと認められる(同丁表一〇行ないし同丁裏一行目)。

三、前記第二項(七)の認定に対して

原判決は、被告人が法人成りの際に所有していた個人資産を被告会社に譲渡したかどうか、という問題に対し、前記第二項(七)記載のように、被告人の営業用資産は法人成りと同時にそのまま被告会社に引継がれ、原則として実質的に被告会社に帰属するに至ったものと認定した。このような認定は趣旨不明であって、被告会社に帰属するに至った法律的原因を明確にしないのは理由不備ないし理由齟齬の違法が存することについては、前記第二点において詳述したとおりである。

原判決は、前記第二項(一)ないし(六)記載の理由をもって、被告人の営業用の個人資産が法人成りと同時に被告会社の所有に帰属するに至ったと認定しているようであるので、その際、被告人から被告会社に右個人資産が譲渡されたことを前提に右のような認定をしているものと思われる。

しかし、被告人は法人成りの際に被告会社に対し、営業用の資産を譲渡した事実はないのであるから、原判決の右認定はいずれにせよ誤りである。その理由については前記第二点並びに前記第一点第五第五項3ないし6において詳述したとおりであるが、以下において前記第二項(一)ないし(六)記載の認定が誤りであることを明らかにする。

四、前記第二項(一)の認定に対して

本件において、本件受取利息の発生源である本件仮名預金等が被告人ら個人に帰属するか、あるいは、被告会社に帰属するか、が最大の争点であることは前述したとおりである(前記第二点冒頭)。本件仮名預金等が被告人ら個人に帰属すれば、それから発生した本件受取利息等は、被告人ら個人の所得であることになる。ところで、本件仮名預金等の帰属を決定するうえで重要な問題の一つに、法人成り当時の被告人の個人資産の評価がいくらであったか、ということがある。

この点につき、原判決は、前項(一)記載のように認定し、法人成り当時の被告人の個人資産の評価をさけている。

本件仮名預金等の大部分は、被告人が法人成り当時所有していた一億円以上の個人資産およびその利息から転化したものであるから、法人成り当時の被告人の個人資産の評価を確定することは、さけて通ることのできない問題である。原審がこの点についての審理を十分につくせば、法人成り当時の被告人の個人資産が少なくとも一億円以上存在したことを明らかにすることができたのである。原判決には、この点において、審理不尽の違法がある。そこで、辯護人は、原審において提出された客観的な証拠に基づき、後記第四点において、この点を詳述する。

五、前記第二項(二)の認定に対して

被告人が個人で経営していた鈴木商店時代(昭和二九年ころから同三五年一〇月一七日までの約七年間)の実質所得がいくらであったか、ということも、本件においては重要な問題である。なぜなら、前項で述べた法人成り当時(昭和三五年一〇月一八日)の被告人の個人資産の評価を確定するには、まず、鈴木商店時代の被告人の実質所得を明らかにする必要があるからである。そこで、辯護人は、原審において提出された客観的な証拠資料に基づき、その実質所得を明らかにし、法人成り当時の被告人の個人資産の評価が少なくとも一億円以上存在したことを明らかにするとともに、検察官が前記質問てん末書(検乙九)を根拠に、右評価が三、〇〇〇万円位であると主張していることが、全く根拠のないものであることを明らかにした(弁論要旨第三、第一項ないし10「六七丁ないし一五三丁」)。

しかるに、原判決は、鈴木商店時代の被告人の収入および所得については、前記第二項(二)記載のように、単に鈴木商店時代の被告人の申告所得金額を羅列したにすぎず、なんらの判断をも示さなかったのである。この点においても、原判決には審理不尽の違法がある。鈴木商店時代の被告人の実質所得については、後記第四点において詳述するとおりであって、右申告所得金額はなんらの基準になるものではない。後記第四点において詳述するように、鈴木商店時代の被告人の実質所得金額から算出した資産蓄積可能金額は、一億円以上であったことは明らかであるから、法人成り当時の被告人の個人資産が少なくとも一億円以上存在したことは明らかである。

六、前記第二項(三)、(四)の認定に対して

1 被告会社は、それまで鈴木商店の名称で被告人が個人営業として営んできた建設機械等の販売、賃貸業等をそのまま会社組織にしたものであって、設立当初の被告会社の営業実態も鈴木商店当時のものとほぼ(原判決は全くと認定するが全くではない。法人成り後に被告人が個人で機械類、部品、スクラップ等を販売していたことは後述するとおりである)同一であり、営業所、什器備品等の物的設備、従業員、建設機械等(部品、資材は勿論、預貯金、現金等の運転資金を事実上そのまま引継いだことがないことは後述するとおりである)を含む鈴木商店当時の営業用資産(一切ではないことは後述するとおりである)を事実上引継いで(譲渡ではなく、単なる占有の移転であることも後述するとおりである)ただちに被告会社としての営業を開始したことは、原判決が前記第二項(三)記載のように認定するとおりである。

2 また、原判決は、被告会社の設立に伴い、鈴木商店の独自の営業体としての実質を失なったものと認められる(前記第二項(三))と認定するが、右認定も誤りである。すなわち、被告人は、法人成り後も引き続き、鈴木商店の営業を併行して継続していたものではないが、被告人個人名義で個人資産である機械類、部品、スクラップ等を販売したり、あるいは、鈴木商店時代に販売した機械類の割賦代金等を集金して収入および所得を得ていたのである。また、被告会社名義で売却した機械類、部品、資材等についても、被告人が被告会社から逐次これらの販売代金(原価)を受領したり、あるいは、府中営業所の土地建物等の設備を被告会社に賃貸し、その賃料収入を得ていたものである(被告人の供述、第一八回公判、六四三丁ないし六五七丁)。

原判決は、引継がれた営業用の個人資産のなかに、「営業所、什器備品等の物的設備、従業員」を含めているが、引継ぎの結果、被告会社に帰属した資産のなかには右「営業所、什器備品等の物的設備、従業員」を除外している(前記第二点第一一項参照)。従業員は、物ではなく人であるから除外したのは当然であるが、営業所(土地建物)、什器備品等の物的説備を除外したのはなぜか、原判決はこの点についてもなんらの理由も設示していない。

また、原判決の認定するような「預貯金、現金等の運転資金」についても、被告人は法人成りの際に被告会社に引継いだり、譲渡したりしたことのないことについても前述したとおりである(前記第二点第一二項並びに前記第一点第五第五項3ないし6参照)。

3 次に、原判決は、「被告人が鈴木商店時代に取得したブルドーザー、クレーン車等の建設機械等は被告会社がそのまま使用し、会社名義で他に賃貸したり、売却した賃料、売却代金を被告会社の収益とし、あるいは会社が新たに建設機械等を購入した際の下取りに出すなど、被告会社に帰属するものとして運用管理されていた」旨認定する(前記第二項(四))が、右認定も「被告会社に帰属するものとして運用管理されていた」点は誤りである。

すなわち、被告人は鈴木商店時代に組立てた個人資産であるブルドーザー、クレーン車等の建設機械を法人成り後に被告会社に無償で使用させていたのである。当時法人成り直後の被告会社の資産は、払込資本金一〇〇万円だけであったので、被告人は個人資産であるこれらの建設機械類を被告会社に無償で使用させていたのである。したがって、これは被告人と被告会社との間の使用貸借契約に基づくものである。被告会社は右使用貸借によって被告人より貸与されたこれらの機械類を自己使用して土木工事を施工したり、あるいは、運転手付で他に賃貸し賃料収入を得ていたものである。後者は被告会社が使用貸借により貸与されたものを第三者に賃貸借(転貸借)したものである。被告会社が第三者に賃貸するのは自己の所有物でなければならないわけではなく、他から借用したものを更に他の第三者に貸与(転貸)することも可能である。したがって、原判決が被告会社は会社名義でこれらの機械類を第三者に賃貸し、賃料収入を得ていたからといって、これらの機械類を被告会社に帰属するものとして運用管理されていたと認定したのは論理の飛躍がある。被告会社がこれらの機械類を大手建設会社に賃貸して得た賃料は被告会社の経費として費消したものもあるが、大手建設会社以外に賃貸した賃料は被告人個人の所得として被告会社から被告人に支払ったものもある(被告人の供述、第一八回公判、六四四丁、六四五丁)。

また、被告会社がこれらの機械類を会社名義で売却したり、あるいは、新たに建設機械等を購入した際の下取りに出したこともあるが、これらの場合には、被告人は被告会社の資金繰りをみて、右売却代金または下取り代金を原価として被告会社から受領している(同六四四丁ないし六四六丁)。

次に、被告人の個人資産であるスクラップは、法人成り後も被告会社で販売したことはなく、すべて被告人個人が現金で販売し、現金収入を得ている。被告人が昭和四〇年頃に、被告会社が現在使用中の府中営業所(鉄筋コンクリート造り二階建)の建物を建築するために、府中営業所内の敷地に山積していた大量のスクラップを販売し、一、八〇〇万円ないし二、〇〇〇万円位の収入を得たことがある。そのほか、貴金属等は昭和四四、五年頃までの間に、すべて被告人個人が売却したのであって、被告会社で売却したことは全くない(同六五六丁、六五七丁)。

以上の次第であって、被告人の個人資産であった建設機械等は勿論、それ以外の資料、部品、スクラップ、貴金属等が被告会社に帰属するものとして運用管理されていたことはなく、この点に関する原判決の認定は誤りである。

七、前記第二項(五)の認定に対して

原判決は、「被告人には、鈴木商店当時の建設機械、部品、資材等を法人成り後も個人資産として留保しておき被告会社と併行して営業を継続する意思など全くなかったことが認められる」旨認定するが、右認定は誤りである。なぜなら、被告人らは、法人成り後に、被告人が被告会社と併行して鈴木商店の営業を継続する意思があったなどと主張したことはない。被告会社が鈴木商店の営業を引継いだことは認めているが、営業の引継ぎすなわち営業用の個人財産の譲渡ではないと主張しているのである。この点につき、原判決には誤解があるように思われる。被告人が鈴木商店時代に行っていた運転手付きの建設機械の賃貸しないし建設機械を使用する土木工事の請負業等の営業を、被告会社が引継いで営業していくために、被告人の所有する営業用の個人資産である府中営業所の土地建物、什器備品等の物的設備、従業員、ブルドーザー、クレーン車、トラック、フォークリフト等の機械類を借受けたのである。そのため、鈴木商店としては、被告会社に引継いだ営業については併行してやっていくことは不可能であり、かつ、被告人らにもその意思はなかったものである。しかし、右営業の引継と被告人の個人資産の処分とは別問題である。この点原判決には、誤解がある。前記質問てん末書の記載と同様に、原判決は、営業の引継ぎすなわち財産の譲渡と誤解しているようである。被告人すなわち鈴木商店は、法人成り後に従前の営業を継続していかなくとも、営業用の個人資産を引き続き所有し、順次これを売却し、金銭ないし預金に転化させていくことは可能である。

八、前記第二項(六)の認定に対して

また、原判決は、前記第二項(六)記載のように、「被告人が法人成り後に個人の営業活動によって得た収入があるとして所得の申告をした事実もなかった」ことをもって、被告人が法人成りの当時の個人資産を被告会社に譲渡したことの理由の一つとしているが、この認定も誤りである。被告人は法人成り当時所有していた一億円以上の個人資産を被告会社に譲渡した事実はなく、法人成り後も引き続き個人資産として所有し、これを順次売却処分して本件仮名預金等に転化させたものであるから、法人成り後にも個人資産であった建設機械、資材、部品、スクラップ等を売却したことによる譲渡所得、預貯金等の利子所得等の所得があったことは明らかである。被告人が法人成り後にも、これらの所得を得ていたことは前記第六項2において述べたとおりである。法人成り後に被告人が鈴木商店として被告会社と並行して営業していたわけではないから、営業所得の申告をしなかったのは当然のことである。被告人は鈴木商店時代に取得した個人資産である機械類、資材、部品、スクラップ等の在庫を順次売却して現金に転化させたにすぎず、その対価を取得しただけである。したがって、被告人が法人成り後に、これらの売却によって得た所得につき、所得税等の申告を怠ったという誹りは免れないとしても、これらの申告をしなかった故をもって、当時被告人に所得がなかったことにはならないのである。法人成り後に被告人に実質所得があったかどうかという問題は、申告所得とは別個に証拠に基づいて認定されるべきことである。

九、結局、原判決は、法人成りの際に、被告人が営業用の個人資産を被告会社に譲渡したかどうか、という問題につき明確な判断を示すことができなかったのである。そのため、前記第二項(一)ないし(六)記載のような認定事実を総合することによって、「原則として実質的に被告会社に帰属するに至ったものと認められる」というような、趣旨不明の認定をしているのである。本件に堤出された全証拠によっても、被告人が法人成りの際に営業用の個人資産を被告会社に譲渡したことを認定することは不可能である。右譲渡を認定できないのは当然のことである。なぜなら、法人成りの際に被告人は、営業用の個人資産を被告会社に譲渡したことは全くなかったからである。原判決の認定した前記第二項(一)ないし(六)の事実をいくら総合してみても、譲渡の事実を認定することは不可能である。そのため、原判決は、右個人資産が被告会社の所有に帰属した法律的原因を具体的に明らかにすることができなかったため、前記第二項(七)記載のような趣旨不明の認定をしているのである。このような原判決の認定はきわめて無責任である。このような杜撰な認定によって被告人らを有罪とするのは誠に遺憾である。原判決は無理に故事付けて事実を歪曲して認定している。

一〇、なお、被告人が法人成りの際に営業用の個人資産を被告会社に譲渡した事実がないことについては、前記第一点、第五、第五項3ないし6並びに第二点において詳述したとおりである。

第二 個人資産の譲渡は商法上の手続欠缺により無効である。

一、仮りに、被告人が法人成り当時の個人資産を被告会社に有償譲渡したとしても、右譲渡は商法所定の手続を経ていないから無効であり、右個人資産は現在も依然として被告人個人の所有に帰属するものである。

ところが、原判決は、この点につき、「辯護人は被告人の個人資産が事実上被告会社に引継がれたとしてもそのための法的な手続が採られていないので無効であり右被告人の個人資産は現在も依然として被告人に帰属する旨主張するが、資産の譲渡手続に関する私法上の手続の欠缺は右資産が被告会社に事実上移転されたうえ被告会社に譲渡後引き続き現実に右資産を保有し運用してきたという前認定の事実関係のもとにおいては、資産の帰属を決定するうえで何ら支障とならないというべきであるから、所論は理由がない。」旨判示する(一三丁裏一行目から八行目まで)。

しかしながら、原判決の右認定は、商法の解釈適用を誤ったものである。すなわち、被告人が法人成りと同時に営業用の個人資産を被告会社に有償譲渡して引継いだとしても、右譲渡は商法所定の手続を経ていない以上無効であることは、商法の明定ないし確立した判例理論であることは、以下に述べるとおりである。

二、前述のように、鈴木商店の営業用の個人資産が法人成りと同時に被告会社に譲渡されたか否かの問題につき、原判決の認定はきわめてあいまいであり、杜撰である。すなわち、原判決は、(一)「鈴木商店当時の営業用資産一切を事実上そのまま引継いで、ただちに被告会社の営業を開始した」(一二丁裏二行から三行目)、(二)「被告会社が鈴木商店時代に取得したブルドーザー、クレーン車等の建設機械等は被告会社がそのまま使用し、……下取りに出すなど、被告会社に帰属するものとして運用管理されていた」(一二丁裏六行から一一行目)、(三)「鈴木商店当時の営業用資産は法人成りと同時にそのまま被告会社に引継がれ、建設機械、部品、資材、スクラップ等や、預貯金、現金等の運転資金についても、原則として実質的に被告会社に帰属するに至った」(一三丁表九行から一二行目)、(四)「右資産が被告会社に事実上移転されたうえ被告会社が譲渡後引き続き現実に右資産を保有し運用してきた」(一三丁裏五行から六行目)等と認定しているが、右認定が趣旨不明であることは前記第二点において詳述したところである。原判決は、被告会社が被告人の営業用個人資産を譲り受けた法律的取得原因については、なんらの判断も示していない。どのような法律的取得原因によって、営業用資産を取得したのか、原判決の認定だけでは不明である。原判決によると、右(一)につき引継すなわち譲渡なのか、(二)につき被告会社が個人資産をそのまま使用していれば被告会社の所有に帰属するのか、右(三)につき実質的に被告会社に帰属するとは形式的には帰属しないという趣旨か、また、実質的に帰属するに至った帰属原因はなにか、右(四)につき営業用の個人資産が被告会社に事実上移転されたとはいかなる意味か、被告会社が譲渡後引き続き現実に右資産を保有したとあるが、右譲渡の法律的原因はなにか、等意味不明のため疑問続出である。これはいずれも原判決が右営業用資産の譲渡の法律的原因を明示しなかったため生じたものである。

三、ところで、被告会社が法人成りした際に、原判決の判示する如く、被告人の営業用資産の譲渡を受けたのであれば、その譲渡は有償譲渡であるか、あるいは、無償譲渡であるか、が問題となることは前述したとおりである。無償譲渡としては被告人から被告会社に対する贈与が考えられるが、一般的に、法人成りの際に個人の営業用資産が引継がれる場合に無償譲渡である贈与が行なわれることはなく、また、本件の場合、無償譲渡すなわち贈与がなされたという証拠は全く存在しない。そうすると有償譲渡ということになるが、交換、代物弁済、でないことは理論上および証拠上明白であるから、売買が問題となるだけである。ところが、原判決は、譲渡の法律的原因を明白に判示することをさけているため、売買であるかどうかも明らかではない。この点につき、原判示に理由不備の違法があることは前記第二点において前述したとおりである。

四、弁護人は、被告人が法人成り当時個人資産を被告会社に有償譲渡して引継いだとしても、右譲渡は商法所定の手続を経ていないから無効であり、被告人の個人資産は現在に至るまで被告人個人の所有に帰属する旨主張したのに対し、原判決は、「資産の譲渡手続に関する私法上の手続の欠缺は、……前認定の事実関係のもとにおいては、資産の帰属を決定するうえで何ら支障とならないというべきである」旨判示しているから、有償譲渡を前提にして右のような認定をしたものと思料される。なぜなら、商法所定の手続の欠缺により譲渡が無効になるのは、いずれも有償譲渡についてであって、無償譲渡の場合には、商法所定の手続を必要としないのであるから、その旨判示すれば足り、商法所定の手続の欠缺につき判示する必要はないからである。

五、ところで、株式会社である被告会社が設立と同時に第三者である被告人から財産を有償で譲受けるためには、商法に規定する(一)現物出資(商法第一六八条)、(二)財産引受(同条)、(三)事後設立(商法第二四六条)、(四)自己取引(商法第二六五条)のいずれかの手続を経る必要があり、これらの手続を経由しない譲渡行為は無効であることは商法の明定するところである。

しかるに、前述のように、原判決は、「資産の譲渡手続に関する私法上の手続の欠缺は右資産が被告会社に事実上移転されたうえ被告会社が譲渡後引き続き現実に右資産を保有し運用してきたという前認定の事実関係のもとにおいては、資産の帰属を決定するうえで何ら支障とならないというべきである」旨判示する。

右判示によると、被告人の個人資産が被告会社に事実上移転されたうえ被告会社が譲渡後引き続き現実に右資産を保有し運用してきた場合には、商法所定の手続を経ない譲渡行為も有効であり、無効になることはないということになる。

六、ところで、前述のように、右判示のいう「右資産が被告会社に事実上移転された」とはいかなる意味か、不明であるのみならず、「事実上移転」されたうえ被告会社が「譲渡」後云々とある、「事実上移転」とは「譲渡」と同趣旨なのか、不明である。一般に事実上の移転とは法律上の移転に対比する用語であって、事実上の移転とは占有の移転すなわち引渡を意味し、法律上の移転とは権利の移転すなわち譲渡を意味する。ところが、右判示によると、「事実上移転された」とは「譲渡された」趣旨とも解されるのであるが、明白ではない。原判決によると、被告会社が法人成りの際に被告人の営業用の個人資産を引継ぎ、占有の移転すなわち引渡を受けて、右資産を現実に占有使用しておれば、被告会社に譲渡されたものとみなされ、被告会社の所有に帰属していると解しているように理解される。しかし、被告会社が被告人からたんに右資産の引渡を受け、現実に占有を継続していても、右資産の所有権を取得することはあり得ない。時効により所有権を取得するためには、所有の意味をもって取得時効期間継続して平穏かつ公然に他人の物を占有する必要があり、裁判上これを援用する必要がある。いずれにせよ、右判示のような事実関係が仮りにあったとしても、被告会社が被告人の個人資産の譲渡を受けたことにならないことは明らかである。結局、右判示がなにをいわんとしているのか趣旨不明である。

七、しかしながら、前記第四項において前述したように、原判決は有償譲渡を前提にして右のような認定をしているものと思料されるので、本件のような税法上の解釈の場合に、商法所定の手続を欠く資産の有償譲渡行為が無効にならない、と解する余地があるか否かを検討する。法人税法等に特別の規定のある場合は格別、このような特別の規定のない場合には、私法上譲渡行為が無効である場合に、税法上は右譲渡行為が無効ではなく、有効と解されることはあり得ない。私法上無効なものは税法上も無効である。ところが、右判示によると、資産の譲渡手続に関する私法上の手続の欠缺は、資産の帰属を決定するうえで何ら支障とならない、というものであるから、私法上無効であっても、税法上は無効ではない、という趣旨になる。しかし、このような認定は誤りである。なぜなら、資産の帰属を決定するうえで、資産の譲渡手続に関する商法所定の手続を必要としない旨の税法上の特別規定が存在しないからである。したがって、商法所定の手続を経由しない資産の有償譲渡行為は無効であるが、右無効は本件の場合のような税法上の解釈においても同様である。しかるに、これと異なる解釈の下に、商法の適用を排除した原判決の前記認定は、法令の解釈を誤って法令を適用したものであり、右誤りが判決に影響を及ぼすものであることは、以下のことから明らかである。

八、まず第一に、現物出資の場合には、現物出資をする者の氏名、出資の目的たる財産、その価格、並びに、これに対してあたえる株式の額面無額面の別、種類および数、を原始定款に記載しなければ、無効であることは商法第一六八条の明定するところである。

被告会社の設立に際し、現物出資がなされたことはなく、資本金一〇〇万円が金銭出資されたことは証拠(検甲一の二八)上明らかであるから、現物出資によって、被告人の営業用の個人資産が被告会社に譲渡されたことはない(第一八回公判の被告人供述調書六四三丁)。

九、1 第二に、財産引受の場合には、会社の成立後に譲り受けることを約した財産、その価格および譲渡人の氏名、をこれまた原始定款に記載しなければ、財産引受契約は無効であることは、これまた商法第一六八条の明定するところである。財産引受は、現物出資と同様に、目的物としての財産が過大に評価されると会社の財産的基礎を危くするおそれがあり、また、法が厳格に規制をしなければ、事後設立(商法第二四六条)とともに、「現物出資に関する規定の潜脱行為として利用される弊害があるので、商法は、現物出資と同様、これを原始定款に記載し、かつ、厳重な法定の手続を経ることを要するものとし、かかる法定の要件を充した場合のみその効力を生ずる」(最高裁昭和四二・九・二六判決、民集二一・七・一八七〇)ものとしたのである。

2 したがって、商法が認めた財産引受の要件をみたしたものは、成立後の会社に当然に帰属するし、反対に、それをみたさないものは成立後の会社に帰属しない(最高裁昭和三六・九・一五判決、民集一五・八・二一五四)。また、財産引受の要件をみたさない行為は、会社設立後に追認することは許されないのである。したがって、商法第二四六条の事後設立の手続により、新たに財産取得の契約をするほかないのである(最高裁昭和二八・一二・三判決、民集七・一二・一二九九)。この判例は、財産引受が原始定款に記載されなかった場合につき、会社設立後に特別決議で承認されても有効とならず、また、無効の当然の結果として、当該財産引受契約のいずれの当事者も無効を主張できるものであるから、当事者は会社側だけでなく、売主側からも共に無効の主張ができることを認めている。

3 ところで、被告会社設立の際に、被告人の営業用の個人資産を被告会社に譲渡するにつき、被告会社の原始定款に所定の財産引受の記載のなされた形跡のなかったことは、証拠上きわめて明らかである。この点につき、関谷証言によると、被告人から被告会社への個人資産の譲渡については、契約書も作成されておらず、特別の手続もとっていなかったことは明白であり(第二二回公判の右証人尋問調書八三三丁、八三四丁)、また、被告人の供述によっても同様である(第一八回公判の被告人の供述調書六四三丁、六四四丁)。したがって、財産引受によって、被告人の営業用の個人資産が被告会社に譲渡されたことがない、ことは明白である。

一〇、1 第三に、事後設立とは、株式会社がその設立後二年以内に、その設立前より存在する財産であって、会社営業のため継続して使用するものを、資本金の二〇分の一以上の対価をもって取得する契約を締結することをいい、この場合には、商法第二四五条第一項の株主総会の特別決議を経る必要がある(商法第二四六条)。事後設立の場合、株主総会の特別決議を欠く財産取得契約は、契約の相手方の善意悪意を問わず、無効である(注釈会社法(4)有斐閣一七六頁)。事後設立は、会社の設立後に、代表取締役が会社のためにする財産取得契約である。しかしながら、同じ財産を取得する契約を、会社の成立前に締結せず、会社の設立直後に財産を譲り受けることを自由に放任したのでは、財産引受に関する前述の規制の脱法手段となり資本の充実を図ろうとする法の趣旨の貫徹を期待できなくなるためである。そこで会社設立後の二年以内に限り、会社のためにする財産取得契約につき、株主総会の特別決議を要することにして、規制を及ぼそうとするのが、事後設立制度の趣旨である。前述の財産引受は、発起人が設立経過において、会社の設立を条件としてする財産取得契約であるのに対し、会社設立後、代表取締役がする財産取得契約が事後設立である。事後設立としての財産取得契約は、一般には売買であり、交換によって行なわれることもある(注釈会社法(4)一七一頁ないし一七八頁)。

2 ところで、事後設立として株主総会の特別決議を要するのは、次の三つの要件が存する場合でる。

(一) 第一の要件は、財産取得契約が会社の設立登記後二年以内に締結されることである。原判決によると、「鈴木商店当時の営業用資産は法人成りと同時にそのまま被告会社に引継がれ、……原則として実質的に被告会社に帰属するに至った」ものと認定したのであるから、右第一の要件をみたすことになる。

(二) 第二の要件は、取得の対価が会社資本の二〇分の一以上にあたることを要する。これはあまり重要でない財産の取得にいちいち株主総会の特別決議を要求することは必要でもなく、煩雑すぎるため、この要件を限定したものである。被告会社の設立当時の資本金は一〇〇万円であるから、その二〇分の一以上にあたる五万円以上の財産取得契約をする場合には、この要件をみたすことになる。

ところで、原判決は、「法人成りの当時の被告人の個人資産の状況、特に純資産の額については、かなりの年月が経過しこれを証するに足る客観的な資料も存在しないので、必ずしも明らかではない」(一二丁表二行から四行目)旨認定し、財産取得の対価がいくらであるかの認定をさけている。法人成り当時の被告人の営業用の個人資産(不動産を除外)が一億円以上あったことを証明する客観的証拠が存在するのに、右のような認定をしたのは、原判決の重大な事実誤認であるので、この点は後に詳述する。反対に、検察官は、右当時の被告人の営業用個人資産の価格が三、〇〇〇万円であった旨主張するが、検察官の立証によっても、この点は明確でないことも後に詳述する。このように、法人成り当時の被告人の営業用個人資産の価格は、一億円以上か、または、三、〇〇〇万円であったかは問題であるが、仮りに三、〇〇〇万円であったとすれば、三、〇〇〇万円の時価で譲渡したものと解すべきである。いずれにせよ、個人資産取得の対価が一億円以上、または、三、〇〇〇万円であれば、被告会社の資本金一〇〇万円の二〇分の一以上であることは明らかであるから、右第二の要件をみたすことになる。

(三) 第三の要件は、取得の目的財産が、会社の設立前から存在し、かつ、会社の営業のために継続して使用すべきものであることを要する。

原判決によると、「鈴木商店当時の営業用資産一切を事実上そのまま引継いで、ただちに被告会社としての営業を開始した」旨判示しているのであるから、右第三の要件をみたすことになる。

3 右(一)ないし(三)記載の要件をみたす事後設立の場合には、株主総会の特別決議を経る必要があり、この決議を欠く財産取得契約は無効であることは前述したとおりである。原判決は、被告人から法人成りと同時に被告会社に引継がれた営業用個人資産の譲渡行為については、明確な認定をしておらず、かつ、事後設立にあたる財産取得契約である旨の認定もしていない。また、検察官提出の全証拠によっても、右の事実についてはなんらの立証もなされていない。反対に、関谷証言によると、右財産の譲渡については契約書が作成されなかったばかりでなく、被告会社の株主総会や取締役会も開催されていなかった旨の供述があり(第二二回公判の右証人尋問調書八三三丁、八三四丁)、また、被告人の供述によっても、関谷証人の右供述と同様である(第一八回公判の被告人供述調書六四三丁、六四四丁)。

4 原判決は、検察官主張のような、被告人から法人成りと同時に、被告会社に営業用個人資産を譲渡する契約がなされたことを認定しなかったが、これは右当時このような財産取得契約がなされた事実が認められなかったためである。他方、原判決は、このような財産取得契約の存在を認めると、商法所定の事後設立に該当し、株主総会の特別決議を経ていない本件においては、右譲渡行為を無効と判断しなければならず、このような判断をさけるために、前述のような趣旨不明の判断をしたものと思料される。いずれにせよ、このような原判決の判示が誤りであることは明らかである。

5 したがって、仮りに、法人成りと同時に被告人から被告会社に営業用個人資産を譲渡する契約がなされたとしても、右譲渡は商法第二四六条所定の事後設立に該当し、被告会社の株主総会の特別決議を経る必要があるに拘らず、右特別決議を経ていないことは前述したところから明らかであるから、右譲渡契約は無効である。しかるに、原判決は、資産の譲渡手続に関する私法上の手続の欠缺は……資産の帰属を決定するうえで何ら支障とならない、と判示したが、このような判示は誤りであって、なんら合理的根拠を有するものではない。故に、被告人の営業用個人資産は、被告会社の設立後も、依然として、被告人個人の所有に帰属するものである。

一一1 次に、第四に、株式会社の取締役が自己または第三者のために会社と取引をするためには、取締役会の承認を受ける必要がある、ことは商法第二六五条の明定するところである。これは取締役がこのような自己取引をする場合には、会社の利益を犠牲にして、取締役または第三者の利益を図るおそれがあるので、その取引の公正を図り、会社の利益が侵害される危険を防止するために、取締役会の承認を必要とする旨の規制を設けたものである。

2 本件の場合、被告人は被告会社設立当初から被告会社の代表取締役である(検甲一の二八、第一八回公判の被告人供述調書六四四丁)。而して、前述のように、原判決は、「鈴木商店当時の営業用資産は法人成りと同時にそのまま被告会社に引継がれ、建設機械、部品、資材、スクラップ等や、預貯金、現金等の運転資金についても、原則として実質的に被告会社に帰属するに至った」、「右資産が被告会社に事実上移転されたうえ被告会社が譲渡後引き続き現実に右資産を保有し運用してきた」(一三丁裏五行から六行目)等と判示し、被告人から被告会社に営業用の個人資産が譲渡されたのか否か、必ずしも明確ではないが、「実質的に被告会社に帰属する」、「被告会社が譲渡後引き続き右資産を保有し」等と判示しているところからみて、右判示は、被告人から法人成りと同時に被告会社に営業用資産を譲渡(これは前述のように有償譲渡と思料される)したものと解釈できないこともない。もし、そうだとすれば、前記自己取引に該当し、被告会社の取締役会の承認が必要であったことはきわめて明白である。

3 ところが、本件自己取引につき、被告会社の取締役会の承認を受けたことについては、原審においてなんらの証拠も提出されていない。のみならず、被告人の供述によっても、本件自己取引につき被告会社の取締役会の承認を得ていないことは明らかであり(第一八回公判、被告人供述調書六四四丁)、このことは関谷証言によっても裏付けられている(第二二回公判、右証人尋問調書八三四丁)。

ところで、取締役会の承認のない自己取引は無効である(最高裁昭和三八・三・一四判決、民集一七・二・三三五)から、本件自己取引もこれまた無効である。したがって、前記営業用個人資産の所有権は、被告人から被告会社に移転せず、被告会社設立後も依然として被告人の所有に帰属したままである。

一二、而して、これらの営業用の個人資産、すなわち、建設機械、部品、資材、スクラップ等は被告人個人所有のままであるから、建設機械、部品、資材、スクラップ等の商品を売却した代金も、これまた被告人個人の所有に属するものである。また、鈴木商店時代の仮名預金等はもちろん、右時代の実名預金を法人成り後に本件の仮名預金等に変更したものも、これまた被告人個人の所有に帰属することは理論上当然のことである。また、鈴木商店時代の現金(約二、〇〇〇万円―検察官の主張によっても六〇〇万円)を被告会社設立後に、本件仮名預金等にしたものはもちろん、前記個人資産である建設機械、部品、資材、スクラップ等の商品を被告会社設立後に売却した売却代金によって本件仮名預金等にしたものも、被告人個人の所有に帰属するものであって、被告会社の所有に帰属するものではない。したがって、これらの本件仮名預金等から発生した本件受取利息等もこれまた被告人個人の所有に帰属するものである。

第三 法人成り後の本件仮名預金等の帰属について

一、この点につき、原判決は、本件仮名預金等はいずれも被告会社の簿外資金が預金等されたものであって、被告会社に帰属するものと認められる(一三丁末行なし一四丁表二行目)、と認定しているが、右認定は全く誤りである。

本件仮名預金等は、被告人が法人成り後も個人資産として所有していた建設機械、部品、資材等の売却代金、預貯金、現金等少なくとも一億円以上およびその利息から転化したものや、被告人ら家族の実名預金から転化したものであるから被告人ら個人の所有に帰属するものである。

しかるに、原判決は、「本件仮名預金等はその源泉に遡って具体的に原資を特定することはできないにしても、いずれも被告会社の簿外資金を蓄積した結果であると認めるに足りる」旨認定している(一五丁裏一一行ないし一三行目)。そこで、以下において原判決の右認定が誤りであることを明らかにする。

1 まず、原判決は、その理由の第一として、「鈴木きみ子が本件仮名預金等を控えていた預金等明細メモ(符44、92)によれば、前記北立土木に対する水増し工事代金に関する簿外預金の本件仮名・無記名預金と区別なく記載され、しかも右預金等明細メモ中には一部に帰属ないし性質が異なることを窺わせるような表示もないことに徴すれば、少なくとも右預金等明細メモを作成した鈴木きみ子において、本件仮名預金等を被告人ら個人の個人預金として取り扱っておらず、いずれも被告会社の簿外預金として取り扱っていたことが認められる。」(一四丁表)旨認定する。

しかし、原判決の右認定は的はずれである。なぜなら、鈴木きみ子が、本件仮名預金等のなかに北立土木の水増し工事代金から転化したものが含まれていることを知ったのは、本件査察以後である(鈴木きみ子証言、第一六回公判、五四三丁)。被告人が本件仮名預金等の発生源となる資金を妻きみ子に手交する際には、被告人個人の臨時収入と説明しているだけであって、それ以上の具体的説明ないし資金の出所等預金原資の発生原因については一切明らかにすることをせずに、妻きみ子に保管しておくように指示していただけであって(この点は原判決も認めている―一七丁)、妻きみ子は、被告人の指示するままに、区別することなく被告人個人の臨時収入であると認識して、これを本件仮名預金等にして保管していたものである。そのため、妻きみ子は本件仮名預金等の一部を払戻し個人消費にあてたものもあったのである。したがって、妻きみ子は本件仮名預金等を被告人ら個人の資産であるとの認識の下に保管していたものである(後記第二項5参照)。原判決の右理由は、妻きみ子が北立土木の水増し工事代金を預金する際に、その資金が被告会社の水増し工事代金であることを承知していた場合でなければ成り立たない論理である。しかるに、妻きみ子は右預金をする際に、その資金が被告会社の水増し工事代金であることを知らず、被告人ら個人の臨時収入と認識していたものであるから、右理由は筋違いである。

2 右の点に関し、更に、原判決は

(一) 「鈴木きみ子は、本件仮名預金等がいずれも被告人ら個人の預金であり、銀行員から勧められ主に相続税対策で仮名・無記名とした旨述べているが、本件証拠にあらわれた預金残高の推移をみると、被告人ら個人の実名を使用した預金及び信託の残高が多額になり過ぎたため、仮名・無記名預金にしたという経過は全く窺われないのであるから、相続税対策のために仮名・無記名にしたという供述はいかにも不自然かつ不合理であり、

(二) 他方、もし同女の供述のとおりであるとすると、被告人ら個人の給料及び賞与等を預金した場合も右と同様の考慮が払われて然るべきであるのに、鈴木きみ子はこの場合についてはすべて実名を使用したと述べるのみで、なぜこの場合には相続税対策を考慮しなかったのかの説明がなく、結局同女の前記供述はにわかに借信できない。」(一四丁裏)旨認定する。

しかしながら、右認定も全く独断であって誤りである。すなわち、被告人の妻きみ子は、被告人ら個人の実名預金の残高が多額になり過ぎたために、これを仮名・無記名預金に転化して相続税対策をとった、旨供述しているものではない。原判決の右認定は、鈴木きみ子の供述を曲解しているものである。鈴木きみ子は、被告人ら個人の給料および賞与等公表の収入から預金した場合には、被告人ら個人の実名預金としてきたのであって、預金の資金源を追及されると困るような収入、そのほとんどは鈴木商店時代の個人資産の売却代金収入、を預金した場合は、仮名・無記名預金にしてきたのである。いわゆる被告人らの臨時収入を預金する場合には、仮名・無記名預金にしてきたのである(鈴木きみ子証言、第一一回公判、四〇八丁、四〇九丁)。被告人の妻きみ子が、仮名・無記名預金をするようになったいきさつは、主として鈴木商店時代の個人資産を売却して得た資金からの預金が、被告会社から支給される給料および賞与などで説明がつかない金額となったとき、銀行員から、当時の税務対策の(所得税の申告を回避する)ためと、万一の場合の相続税対策のためにも、仮名・無記名預金の方が有利である旨慫慂されて始めたものである。本件証拠にあらわれた預金残高の推移をみれば、仮名・無記名預金の残高が実名預金の残高に比較してはるかに多額であったのであるから、実名預金が多額になり過ぎることなどはなく、また、そのために、実名預金を仮名・無記名預金に転化させる必要性もなかったのである。被告人は、法人成り後は所得税の申告をしていなかったことは原判決も認定するとおりである。そのため、鈴木きみ子は、銀行員に勧められて主として相続税対策で仮名・無記名預金にした旨供述しているのであって、正確には税務対策のためであって、たんに相続税対策だけでなく、所得税対策でもあったのである。このように解すれば、鈴木きみ子の右供述は、少しも不自然でもなくかつ不合理でもない、ことが理解できるのである。このように解することによって、前記(一)、(二)記載の原判決の認定が全く的はずれであって、筋違いであることが明白になるのである。

3 次に、原判決は、その理由の第二として、「(2)鈴木きみ子自身本件仮名預金等のいずれが同女の述べる前記個人の資産から転化したものか何ら具体的に述べているわけではなく、これを裏付けるに足る資料も存在しないところ、かえって、被告人ら個人の個人別実名預金残高の推移とその原資を検討すると、右家族の実名預金においてすら、従業員に対する給料、賞与の水増計上等によって捻出した被告会社の簿外資金がかなり投入されているものと認められる。」旨認定する(一四丁裏、一五丁表)。

(一) しかし、原判決の右認定は誤りである。原判決の論理は逆である。原判決は、最初から本件仮名預金等は被告会社の簿外資金を蓄積した結果であるとの誤った予断の下にすべての判断をしている。そもそも本件仮名預金等が被告会社の簿外資金を蓄積した結果であることを具体的に立証するのは検察官の責務である。右事実が証明できなければ、本件利息等は被告会社の所得ではないから、犯罪の証明がないことになり、被告人らは無罪である。原判決も認定しているように、本件仮名預金等はその源泉に遡って具体的に原資を特定することはできないのである。のみならず、本件仮名預金等が被告会社の簿外資金を蓄積した結果である、ことを具体的に裏付ける証拠も皆無である。原判決のどこを読んでも、前記質問てん末書(検乙一〇)の供述記載以外に証拠は存在しないのである。しかし、右供述記載自体具体性はなく、一般論として概括的に記載されているだけである。右供述記載を具体的に裏付ける客観的証拠は皆無である。前記質問てん末書の供述記載が信用できないことについても、再三述べたとおりである。

(二) 原判決は、鈴木きみ子自身本件仮名預金等のいずれが同女の述べる前記個人の資産から転化したものか何ら具体的に述べているわけではなく、これを裏付けるに足る資料もない、旨認定する。しかし、被告人の法人成り当時の個人資産が少なくとも一億円以上存在したことについては、客観的な証拠によって十分に裏付けられることは、後記第四点において詳述するとおりである。また、被告人は、法人成りの際に個人資産を被告会社に譲渡したことはなく、法人成り後も右個人資産を引き続き所有していたことについては、前記第二点並びに第三点第一において詳述したとおりである。

更に、仮りに、被告人が法人成りの際に個人資産を被告会社に譲渡したとしても、右譲渡は商法上の手続の欠缺により無効であり、その結果、被告人は、引き続き右個人資産を所有していたことについては、前記第三点第二においてこれまた詳述したとおりである。以上によって、被告人は法人成り後も少くとも一億円以上の個人資産を所有していたことを明らかにすることができるのである。これらの個人資産のうち、現金、預貯金から本件仮名預金等に転化したもの、ないし、建設機械、部品、資材、スクラップ等を売却した売却代金から本件仮名預金に転化したもの、および、その利息等から本件仮名預金等に転化したもの、が含まれることは明らかである。検察官の主張および立証によってもこれらの個人資産であったものから転化したものが本件仮名預金に含まれていることは明らかである。検察官と辯護人の主張が違う点は、法人成り当時の被告人の営業用の個人資産(正確には不動産を除外)が三千万円位であったか、それとも、一億円以上あったか、という点と、法人成りの際被告人から被告会社に個人資産の譲渡があったかどうか、という点だけである。本件仮名預金等の大部分は、法人成り当時存在した少なくとも一億円以上の個人資産から転化したものであるから、これらを資金源とする本件仮名預金の大部分は被告人個人の所有に帰属することは明らかである。

(三) また、原判決は、家族の実名預金においてすら、被告会社の簿外資産がかなり投入されていると認定しているが、右認定が誤りであることについては、後記第三点第五第一項において述べるとおりである。

4 次に、原判決は、その理由の第三として、「昭和四九年九月末日現在の本件仮名預金等の残高は二億円余であるが、被告人はその原資につき、査察官に対し、……本件仮名預金等の額にほぼ相当する簿外資産が存在したことを具体的に供述しているところ、右供述にあらわれた簿外資金の内容及び金額については関係証拠とくに辯護人提出の法人成り当時の資産状況に関する証拠に照らしても合理性が認められこそすれ、右供述を疑わしめるものではなく、また、その後の増加分についても、右原資を転化した仮名預金等の利子及び北立土木に対する水増工事代金の分を勘案すると、その増加分は自然であり、そこに個人預金等が混入したことを疑うべきものはない。」旨認定する(一五丁)。

(一) しかし、原判決の右認定も誤りである。被告人が昭和四九年九月末日現在の本件仮名預金等の残高二億余円の原資につき、被告人が査察官に対し、本件仮名預金等の額にほぼ相当する簿外資金が存在していたことを具体的に供述している旨認定した証拠は、前記質問てん末書(検乙一〇)の供述記載である。しかし、前記質問てん末書の供述記載が信用できないものであることは再三述べたとおりである(なお前記第一点第五参照)。右供述記載は、関谷査察官が昭和四九年九月末現在の本件仮名預金等の残高二億余円の原資につき、被告会社の簿外資金によるものであることの辻褄を合わせるために作文したものであって、一応簿外資金の内容や金額において辻褄が合っているのは当然である。右供述記載は、被告人が事実を供述したものをそのまま記載したものではなく、関谷査察官が最初から意図的に本件仮名預金等の残高に合致させるために、その原資となった簿外資金の存在したことを記載したものであるから、本件仮名預金等の額にほぼ相当する簿外資金が存在したような内容の供述記載にしてあるのは当然のことである。しかし、このようにして作成された前記質問てん末書は、証拠としては無価値である。

(二) 問題は、このような供述記載が、客観的な証拠によって裏付けられているかどうか、ということである。客観的な証拠によって裏付けられて、はじめてこのような供述記載が証拠価値を有することになるのである。右供述記載によると、原判決も認定しているように、簿外資金の内容および金額は、(A)残土処分代六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円、(B)人工代の水増分五、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万円、(C)法人成りの際被告人から引継いだ建設機械、資材等の代金約二、〇〇〇万円、(D)仮名・無記名預金の利息、となっている。右のような簿外資金が当時被告会社に存在したかどうか、については、査察官はなんらの裏付捜査をしていない。このことは関谷証人自身認めているとおりである。したがって、査察官も、右簿外資金の存在を証明する客観的な証拠はなに一つ提出していない。このような(A)、(B)簿外資金が存在した旨の供述記載が全く信用できない、ことについては、後記第二項および第三項において詳述するとおりである。また、前記(C)法人成りの際における被告人の個人資産が約二、〇〇〇万円ではなく、少くとも一億円以上であったことは客観的証拠によって十分証明できる、ことについては後記第四点において詳述するとおりである。更に、前記(C)法人成りの際に被告人は個人資産を被告会社に譲渡したことがない、ことについては前記第二点並びに第三点第一において前述したとおりである。

(三) また、原判決は、「右供述にあらわれた簿外資金の内容及び金額については関係証拠とくに辯護人提出の法人成り当時の資産状況等に関する証拠に照らしても合理性が認められこそすれ、右供述を疑わしめるものではない」旨認定するが、右認定は誤りであるだけでなく、趣旨不明である。なぜなら、「右供述にあらわれた簿外資金の内容及び金額」は前記(二)の(A)ないし(D)記載のとおりであるが、(D)仮名・無記名預金の利息は論外としても、(A)残土処分代六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円、(B)人工代の水増分五、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万円についてはこれを裏付ける証拠がないことは前述したとおりで(前記(二)、なお後記第二項および第三項において詳述する)あるから、右認定のように、関係証拠に照らしても合理性が認められることなどあり得ない。右認定が誤りであることは明らかである。また、「右供述にあらわれた簿外資金の内容及び金額」のうち、前記(二)(C)記載の法人成りの際における被告人の個人資産である建設機械、資材等をその後売却した売却代金が約二、〇〇〇万円でないことは、辯護人提出の法人成り当時の資産状況等に関する客観的証拠によって証明できる、ことは後記第四点において詳述するとおりである。したがって、右認定は誤りである。

5 次に、問題となるのは、本件仮名預金等のなかに、被告人ら個人の実名預金から転化したものがあるかどうか、ということである。この点につき、原判決は、本件仮名預金等のなかに被告人ら個人の実名預金があったとしても、「本件仮名預金等は実質的に被告会社の資産となり、被告会社に帰属するものと認めるのが相当である。」旨認定する(一六丁)。

(一) 右認定はきわめて乱暴な認定であって到底承服することができない。被告人ら個人の実名預金の払戻しを受けた資金で本件仮名預金等の一部にした場合には、右仮名預金等はあくまでも被告人ら個人の所有のままであって、被告会社の所有に帰属することはあり得ない。被告会社所有の仮名預金等に転化するためには、法律的な帰属原因がなければならない。しかるに、原判決は、その法律的な帰属原因についてはなんらの認定をしていない。この点については前記第二点において詳述したとおりである。

(二) また、原判決は、「本件仮名預金等の一部に被告人ら個人の預金等から転化しているものが若干あったとしても、右認定事実からすれば、その金額は僅かである」旨認定する。したがって、被告人ら個人の実名預金等から転化した本件仮名預金等の一部はあくまでも被告人ら個人の所有に帰属するものであって、被告会社の所有に帰属するものではない。関谷証言によると、本件査察事件の捜査時に調査し、その具体的な金額も判明していたことを認めている(第二二回公判、八三四丁)。しかし、右の点に関する証拠は一切提出していない。国税局側は自分に都合の悪いことは故意に証拠を隠蔽している。本件仮名預金等のなかに被告人ら個人の実名預金から転化したものが、調査の結果、具体的に判明しているのであれば、少なくともその金額を本件仮名預金等の中から控除するのが、国税局としては公平な取り扱いである。公平な筈の裁判所(原審)までが、故事付けの理屈によって、事実を曲げた判断をしているのはきわめて遺憾である。

(三) また、原判決は、「本件仮名預金等が実質的に被告会社の資産となり、被告会社に帰属するものと認める」根拠の一つに、「被告人及び鈴木きみ子が査察段階及び当公判廷において、本件仮名預金等は個人のために蓄積したものではなく、被告会社の将来に備えたものであると繰り返し述べており」と認定している(一六丁表)。

しかし、右認定も誤りである。なぜなら、被告人および鈴木きみ子は原審公判廷において、本件仮名預金等も個人のために蓄積したものではないなどと繰り返し供述したことはない。この点は原判決の創作である。却って、鈴木きみ子証言によると、被告人個人経営の鈴木商店時代に、当初被告人ら個人の実名の定期預金にしていたものを被告会社設立後に、銀行員の慫慂によって、相続税対策等のために、右実名預金を仮名・無記名預金に切り換えて行った旨供述している(第一一回公判、四〇五丁、四〇六丁、第一二回公判、四八七丁、四八八丁、第一三回公判、五三一丁ないし五三三丁)。鈴木きみ子は、本件仮名預金等はすべて被告人個人のものと思っており、会社(被告会社)のものとは思っていませんでした、と明確に供述している(第一二回公判、四八七丁、第一三回公判、五三一丁、五二三丁)。被告人の原審公判廷における供述も、鈴木きみ子の右供述と全く同様である。原判決はこれらの供述を曲解しているのである。被告人らは、被告人が仮名預金等にしておけば、将来被告会社において資金を必要とする場合にも、実名預金を払戻して使用するよりも便利だと考えていたため仮名預金等にしておいたと供述しているのを、原判決は前認定のとおりに曲解しているのである。

(四) また、前記質問てん末書(検乙九)の供述記載によっても、法人成り当時の被告人の預貯金は四〇〇万円位あったのであり、実際には、当時被告人の預貯金は一、七〇〇万円ないし一、八〇〇万円以上あったことは後記第四点第一一項において詳述するとおりである。したがって、被告人の右実名預金のうち、法人成り後に仮名預金等に転化したものがいくらあったかを具体的に特定すべきである。これは立証責任を負う検察官の責務である。本件仮名預金等の中から被告人の実名預金から転化したものを具体的に特定し、区別することができなければ、本件仮名預金等の中に少なくとも被告人所有のものが混在することになり、本件利息等のなかにも被告人の所有が混在することになる。本件仮名預金のうち、被告人所有分と被告会社所有分とを区別できなければ、本件利息等についても区別がつかないことになり、被告会社の所得となる利息等を特定することができなくなる。

(五) 次に、原判決は、「被告人が査察官に対し、家族名義の預貯金で本件仮名預金等になっているものが皆無だとはいわないが、とるに足らない金額であり、仮にそういうものがあっても、被告会社に無利息で貸付けたものと解釈してよいと述べている」ことを理由の一つとして、前記5冒頭記載のように認定をしている。これは前記質問てん末書(検乙一〇)の問六の答の部分の供述記載を指すものと思われる。

しかし、このような供述記載自体全く証拠価値のないことについては再三前述したとおりである。このような供述記載をどうして原判決が証拠として事実認定の資料にするのか、辯護人としては不思議としか表現の仕様がない。なぜ、個人の実名預金を仮名預金等に変更すると、個人から法人に貸付けたことにしなければならないのか、趣旨不明である。個人の実名預金から仮名預金等への変更は、当該預金の所有権の帰属とは無関係である。もし、被告人ら個人の実名預金の払戻しを受けて、被告人が現金を被告会社に貸付け、被告会社がこの借受金を仮名預金等にしたのであれば、被告人と被告会社との間に金銭の貸付け、すなわち、金銭の消費貸借契約を締結する必要がある。当事者の一方である被告人の意思だけによって、金銭の貸付けをすることは不可能である。被告人が被告会社に金銭を貸付けることは、取締役と会社との自己取に該当し、被告会社の取締役会の承認を受けなければ右貸付けは無効であることも前述したとおりである(第三点第二第一一項参照)。前記供述記載は貸付けの擬制であって、貸付けを意味するものではない。なぜ、このような貸付けの擬制をする必要があったのか、問題であるが、答はきわめて簡単である。そのような供述記載にしないと国税局側が困るからである。なぜなら、被告人ら個人の実名預金から仮名預金等に転化しただけでは、該預金の所有権の帰属に影響がなく、被告人ら個人所有のままであるため、これを被告会社の所有にする必要があったからである。そのため、子供騙しのように、「それは個人から被告会社に無利息で貸し付けたものと解釈して結構である」旨の供述記載にしたのである。これは、法人成りの際に、被告人が個人資産の譲渡代金を被告会社に貸し付けた、という供述記載(検乙九の問三の答)と全く同じ論法である。

以上の次第であって、貸付けの擬制など認められないから、本件仮名預金等の中に、被告人ら個人の実名預金等から転化したものが混在し、右転化した預金は少なくとも被告人ら個人の所有に帰属するものである。したがって、原判決の認定するように、実質的に被告会社の資産となったこともなく、被告会社に帰属するものでもない。

(六) 次に、原判決は、「被告人が、査察段階において、一貫して本件仮名預金等が被告会社の簿外預金であることを認め、査察官から調査し判明した結果を顧問税理士とともに説明を受け、本件仮名預金等が被告会社に帰属することについても了解したうえ修正申告をなし、すでに納税を完了している」ことを理由の一つとして、前記5冒頭記載のような認定をしている。

原判決の右認定は全くの独断であって、事実の真相を把握せず、たんに表面的に独善的な認定をし誤認をしているものである。被告人は査察段階において一貫して本件仮名預金等が被告会社の簿外預金であることを認めていたことはない。査察官が被告人との間に前記第一点に詳述したような取引を行ったため、被告人は、結果的に、被告会社の簿外預金である旨供述記載された前記質問てん末書に署名しただけである。また、被告人が修正申告に応じたのは、査察官から強制された結果であることは前述したとおりである(前記第一点第二第五項参照)。被告人は、修正申告をする段階では、捜査の結果につき十分な説明を受けていたものではない。被告人が修正申告の前に査察官から説明を受けたのは、修正申告書に記載する数字だけあって、いわゆるB/S科目についての説明は全く受けなかったのである。また、顧問税理士には修正申告書の作成だけを依頼したのであって、国税局側との交渉等には一切関与させなかったことも前述したとおりである(前記第一点第一参照)。被告人は、査察官に脅迫されたために、修正申告に応じたが、修正申告の結果が今後の被告会社の会計処理にあたってどのような重大な影響をあたえるかということについては、素人で全く無知であったため、たんに査察官から教示された税額を納付すればすべて片付くものと安易に考えていたのである。したがって、被告人が修正申告をした一事をもって、本件仮名預金等が被告会社の簿外預金であったことを認めていたことにはならないのである。

二、残土処分代について

1 前記質問てん末書(検乙一〇)によると、本件仮名預金等の資金源となった残土処分代金が六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円位あった旨の供述記載がある。右供述記載は、全く事実に反する架空のものである。これは査察官が本件仮名預金等の資金源の辻褄を合わせるために、被告人が供述しないのに、残土処分代六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円位あったとか、人工代の水増し計上五、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万円位あったとか、記載しているのである。右供述記載自体によっても明らかなように、残土処分代金六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円位という大雑把な供述記載であって、なんら具体的な根拠のあるものでもないし、客観的な証拠によって裏付けられたものでもない。この供述記載は少しも具体性がないし、かつ、詳細でもない。残土の出た工事現場、日時、残土処分場所、残土処分代金を支払った相手方の住所氏名等につき、全く供述記載がない。関谷証言によっても、残土処分代が被告会社の簿外資金として右供述記載のように六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇〇万円位という大金であったのかどうかにつき、裏付捜査を全くやっていないことを認めている(第二二回公判、八三九丁)。裏付捜査をやっていないだけでなく、これを裏付ける客観的な証拠も全く提出されていない。したがって、このような供述記載は具体性がなく到底信用できないものである。

2 ところが、この点につき、原判決は、「被告人及び証人鈴木きみ子は、当公判廷において残土処分代の収入があったこと自体はこれを認めているのであり、ただこれを被告人個人の所得であったと主張しているに過ぎないものであり、……辯護人の非難はあたらないというべきである。」(一六丁裏八行ないし一七丁表一行目)旨認定する。

しかし、右認定も全く不可能というほかない。なぜなら、そもそも本件仮名預金等が被告人個人の所有に属するものではなく、被告会社の所有するものであることの立証責任を負うのは検察官であって、被告人側ではない。本件仮名預金等が被告会社の所有であるためには、その発生源がこれまた被告会社が取得した金員であることを立証する必要がある。本件仮名預金等の資金源は被告会社の簿外資金である残土処分代六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円位あったと主張しているのであるから、検察官はこれを立証する責任がある。たとえ被告人が自白して右残土処分代収入のあったことを認めたからといって、前述のような大雑把なものでは、具体的な残土処分代金額を認定することは不可能である。残土処分代六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円位あったという供述ないし供述記載だけで、右供述どおりの事実認定ができるのであれば、被告人に自白をさせればすむことであって、客観的な証拠によって裏付ける必要は全くない筈である。この点、原判決は立証責任を事実上転換した考え方に立っている。このような原判決の考え方はきわめて不当である。

3 次に、原判決は、「残土処分代は被告会社が基礎工事を行なった際発生した残土を売却した代金であるところ、残土自体被告会社の工事により生じたものであり、被告人らの残土の斡旋も、残土を埋立工事現場に運搬する等の従来の作業も一切被告会社の業務の一環として行なわれたものであることはいうまでもないから、被告会社の業務により生じたものとして会社に帰属する収益であり、所論のように被告人が会社とは別に行なった残土仲介手数料として被告人個人の所得となる筋合のものではない。」ことを理由に、「右残土処分代も前記工事代金や人工代の水増し分と同様に被告会社の簿外収入として被告会社に帰属したものと認められる。」旨認定する(一七丁表)。

原判決は、「関係証拠によれば」と右事実認定の証拠を抽象的にあげているが、右関係証拠とは前記質問てん末書(検乙一〇)の供述記載である。なぜなら、右質問てん末書以外に右認定事実に沿う証拠は全く存在しないからである。しかし、右質問てん末書は関谷査察官が本件仮名預金等の資金源の辻褄を合わせるために勝手に作成したものであって、なんら合理性のあるものではなく、全く信用性に欠けるものである。

また、昭和四九年ころまでは、建設業者は工事現場から堀り出した残土は、無償で所定の捨場(東京湾の埋立地、埋立予定地の湖沼、谷、低地、湿地等)に捨てていたのであって、法律的には残土の所有権を放棄していたものである。したがって、被告会社の工事としては、建設現場で基礎工事のため土を堀り出し(根切り工事)、堀り出した残土を運搬して所定の捨場に捨てる(運搬工事)ことだけである。元々被告会社の工事ないし業務のなかには、右残土を売却することが含まれていたものではない(被告人の供述、第一八回公判、六六一丁ないし六六三丁)。したがって、仮りに、残土を造成工事業者等に売却したとしても、当然に被告会社が売主となり、売却代金を受領するものではない。元々残土の売却は被告会社の元来の業務でもなく、かつ、被告会社が残土を所有しているわけでもなく、残土の所有者(通常の場合は施主)は残土の所有権を放棄しているものである(被告人の供述、第二〇回公判、七三一丁)から、被告会社が残土の売却代金を取得できる筋合のものではない。したがって、残土処分代も被告会社の簿外収入として被告会社に帰属したものと認定した原判決の根拠が被告会社の業務の一環として行なったというのは明らかに誤りである。

仮りに、百歩を譲り、残土処分代金があったとしても、これが六、〇〇〇万円ないし七、〇〇〇万円あったという客観的な裏付証拠は全く存在せず、かつ、残土処分代が本件仮名預金等に転化したという客観的な証拠も皆無であるから、いずれにせよ、この点に対する原判決の認定は誤りである。

4 反対に、被告人の供述によると、これは残土処分代(残土の売却代金)ではなく、盛土の仲介手数料である。すなわち、建設業者に対しては残土の捨場を紹介し、造成業者に対しては盛土にする残土を紹介することによって、造成業者から受領する仲介手数料である。被告人がこれらの残土を造成業者に紹介するのは、被告会社の工事現場から搬出される残土に限定されるものではなく、清水建設の工事現場以外から搬出される場合も含まれており、被告会社の業務とは直接の関連がない。したがって、この仲介業務は被告人個人の業務であって、この仲介手数料は被告人個人の収入になるものであって、被告人はこれらの収入を妻きみ子に手交して本件の仮名預金等にしていたものである(被告人の供述、第一八回公判、六六一丁ないし六六六丁、第二〇回公判、七二七丁ないし七三二丁)。

なお、被告人が残土を仲介して仲介手数料を受領した造成業者のうち、証拠上明白な者は、三興土建(株)(弁証二一〇の一三七、一三八)、(有)入角建設(同号証の一三九)、金本商店(同号証の一四〇)、杉本界雨(同号証の一四一)、(有)夏山商店(同号証の一四二)などである(弁証二一一第八項48)。

右の次第であるから、残土処分代が被告会社の業務により生じたものとして会社に帰属する収益であると認定した原判決は誤りである。

5 次に、原判決は、「残土の処分が会社の業務である以上その残土の売却代金が会社の収入になることは明らかであるうえ、被告人が残土処分代を妻きみ子に手渡す際、工事代金の水増分の場合と同様に、出所を明らかにせずきみ子に保管しておくように申し付け、きみ子においても工事代金の水増し分と同趣旨の金員として被告人の給料や賞与とは明確に区別したうえ保管していたことが認められる」ことを理由に、「鈴木きみ子は、右残土仲介手数料について、被告人の臨時収入である」と供述しているのは措信できない旨認定している(一七丁)。

しかし、右認定もこれまた誤りである。原判決は、残土の売却代金が被告会社の収入となる旨断定しているが、この認定が誤りであることは前述したとおりである。また、被告人は、残土の仲介手数料収入を妻きみ子に手交する際し、被告人個人の臨時収入と説明しているだけであって、それ以上の具体的な説明ないし出所を明らかにすることをせず、妻きみ子に保管しておくように申し向けていた(この点原判決も同様に認定している)のであって、妻きみ子は、被告人のいうままに被告人個人の臨時収入であるとの認識の下にこれを保管し、本件仮名預金等にしていたものである。また、妻きみ子は、被告人から北立土木の水増し工事代金の保管を指示されたときも、前同様に具体的な説明ないし出所を明示されたこともなく、被告人個人の臨時収入と認識し、これまた本件仮名預金等にして保管していたものである。妻きみ子が本件仮名預金等に北立土木の水増し工事代金から転化したものが含まれていることを知ったのは本件査察以後のことである(鈴木きみ子の証言、第一六回公判、五四三丁)。したがって、妻きみ子は、当時これら本件仮名預金等を被告人ら個人の資産であるとの認識の下に保管していたものである(前記第一項1参照)。

三、人工代の水増計上について

1 前記質問てん末書(検乙一〇)によると、本件仮名預金等の資金源となった人工代の水増し分が五、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万円あった旨の供述記載があるが、右供述記載は、これまた全く事実に反する架空のものである。右供述記載自体によっても明らかなように、人工代の水増し計上分五、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万円位あったという大雑把な供述記載であって、なんら具体的根拠もないし客観的な裏付けの証拠があるものでもない。この供述記載は少しも具体性がなく、かつ、詳細でもない。右供述記載によると、人工代の水増し計上に関する明細書もないし、裏帳簿類に記載したものも一切なく、メモにしておいたものもないため、内訳全く不明であることになっている(問四の答)。この点につき、関谷証言は、人工代の水増し計上の有無につき、裏付捜査をやっていないことを明確に認めている(第二二回公判、前記八四〇丁)。査察官が裏付捜査をやらなかっただけでなく、これを裏付ける客観的な証拠は検察官から全く提出されていない。なぜ裏付捜査をやらなかったのか、という疑問が生ずるのは当然である。これは査察官と被告人との間に前記第一点において詳述したような種々の約束ないし取引がなされていたことを推認させるものであるが、そのため、査察官は被告人らが争うとは予想できなかったため、裏付捜査を省略したものと思料される(前記第一点第五項7参照)。したがって、仮りに前記質問てん末書に証拠能力があるとしても、右供述記載は到底信用できないものである。

2 ところが、この点につき、原判決は、「人工代の水増し分については、被告人の前記質問てん末書によれば、裏帳簿の類のものは一切記帳したことがなく、関係者においても帳簿処理をしていないというのであるから、辯護人の非難はあたらないというべきである。」(一六丁裏一一行ないし一七丁表一行目)と認定している。このような被告人の大雑把な供述記載だけで事実を認定するのは、憲法第三八条第三項および刑事訴訟法第三一九条第二項の趣旨に反するものである。そもそも本件仮名預金等が被告会社の所有に帰属するということの立証責任を負うのは検察官である。本件仮名預金等が被告会社の所有に帰属するためには、その資金源がこれまた被告会社の所有するものであることを立証する必要がある。本件仮名預金等の資金源は、被告会社の簿外資金である人工代の水増し計上分五、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万円位である旨主張しているのは検察官であり、辯護人はこれを否定しているものであるから、検察官はこれを立証する責任がある。この点につき被告人や辯護人側には立証責任はない。ところが、原判決の右認定によると、右立証責任が逆になっている。原判決の右認定によると、人工代の水増し計上については、裏帳簿の類のものは一切記帳したことがなく、関係者においても帳簿処理をしていないというのであるから、客観的証拠によって、前記質問てん末書の供述(自白)記載を裏付け(補強す)ることができないということである。客観的証拠によって自白を裏付けることができなければ、右自白による事実を認定できないわけである。本件の場合、本件仮名預金等の資金源が被告会社の簿外資金である人工代の水増し計上分五、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万円位あった、という事実は認定できないということである。ところが、原判決の論理によると、これは逆である。すなわち、客観的証拠によって自白を裏付けることは不可能であるから、被告人の自白だけで犯罪事実を認定するということである。「自白は王である」という言葉は現在でも立派に生きていることの見本である。本件仮名預金等の資金源となった人工代の水増し計上分が五、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万円位あった、という大雑把な被告人の供述記載(自白)だけで、右供述記載とおりの事実を認定できるのであれば、日本の刑事裁判も徳川時代から百年経過しているが、あまり進歩していない、というのが辯護人の感想である。

3 原判決の人工代の水増し計上に対する認定が誤りであることは、次のことからも明白である。すなわち、人工代の水増しとは、架空人件費のことである。在籍した従業員に対する給料等の水増しとは意味が異る。後述する本件でいう給料(営業手当)賞与の水増しは、被告会社に在籍している特定の従業員に給料・賞与を支給したことにしたという意味であるが、この行為は顧問税理士の指導の下に昭和四九年一〇月から源泉所得税等を支払って行ったものである。それ以前には行っていないことは源泉徴収簿等の関係書類によって十分に証明できるのである。これに対し人工代の水増し、すなわち、架空人件費を計上することは、被告会社の場合には不可能であったことは、辯護人が既に述べたところである(昭和五七・一・二七意見書第二、第三項12参照)。すなわち、被告会社の工事代金(その主たるものは人工代である)は毎月清水建設から被告会社の取引銀行の所定の預金口座に送金される。したがって、被告会社に毎月送金されて入金する人工代を操作して減額することは不可能である。また、清水建設から毎月支払われる人工代は出来高払いであって、清水建設の現場監督者が記帳している出面帳に基づいて計算されるので、被告会社が一方的に操作することは不可能である。他方、被告会社は、人夫を直接雇用したり、人夫に直接賃金(人工代)を支払った事実はない。被告会社の支払う人工代は、すべて被告会社の協力業者(光和会に所属するいわゆる下請業者)を通じて一括して支払っているものである。労務者(人夫)を雇用しているのは、これらの下請業者であって、被告会社ではなく、被告会社はこれらの下請業者に毎月まとめて人工代を支払っている。このことは押収した被告会社や下請業者の関係帳簿を調査すれば簡単に判明する筈である。したがって、どの下請業者に毎月いくらの人工代を支払ったかは、帳簿上明白であって、人工代を水増し計上することは不可能である。したがって、前記質問てん末書に供述記載されているように、もし、人工代の水増計上をやる場合に、帳簿類に記載せずにやることや帳簿処理をしないでやることは、絶対に不可能である。もし、人工代の水増し計上をやるのであれば、入金と出金との辻褄を合わせる必要があるから、必ず帳簿類に記載する必要があり、帳簿処理をやらずに水増し計上をすることは不可能である。したがって、原判決が認定する前記質問てん末書の供述記載の事実は全くでたらめである。

4 また、視点を変えて考えるに、人工代の水増し計上分五、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万円位あったという供述記載であるが、当時の被告会社の営業規模からみても、一口に、五、〇〇〇万円ないし六、〇〇〇万円位というが、被告会社にとっては相当の大金である。このような大金を原判決が認定したような供述記載の方法でいとも簡単に人工代の水増計上ができるか、という常識的な疑問である。もし、このような大金の人工代を水増計上するには、まず帳簿の辻褄を合わせる帳簿処理が不可欠な筈である。このことは原審も十分承知な筈である。しかるに、原判決は、「関係者においても帳簿処理していない」という供述記載を鵜飲みにして、辯護人の主張を排斥しているのは不当である。

四、自昭和五〇・九月期至同五二・九月期に増加した本件仮名預金等の帰属について

次に、右三事業年度の三年間に増加した本件仮名預金等が被告会社の簿外資金によるものか、あるいは、被告人ら個人の資金により蓄積されたものか、が問題となる(弁論要旨第三、第四項、4参照)。

1 まず、原判決は、本件仮名預金等のうち右期間内に増加した「普通預金及び定期積立金の増加分だけ被告人ら個人が預金したものとはとうてい認められない」旨認定し、被告会社の簿外預金であると認定する。しかし、この認定は明らかに誤りである。なぜなら、当時被告人ら個人が本件仮名預金等の利息収入のほかに、被告会社および第一工事からの各給料および賞与等相当の収入を有していたのであるから、一年間にわずか五万円ないし一〇万円の普通預金をしたり、あるいは、毎月わずか三万円程度の定期積立金をするのはきわめて容易なことである。他方、被告会社がこのような少金額をを毎月仮名・無記名預金で積立てていたとは到底考えられないので、この定期積立金は被告人ら個人で行なっていたと解するのが合理的である。また、右普通預金についても同様のことがいえるのであって、一年間にわずか五万円ないし一〇万円しか増加しない預金を被告会社が簿外資金で行なっていたとは到底理解することができない。したがって、この普通預金も、右定期積金と同様に、被告人ら個人所有に帰属するものと解するのが合理的である。原判決の右点に対する認定が誤りであることは明らかである。

2 また、本件仮名預金等のうち、右三年間に増加した金銭信託は貸付信託の収益を積立てていたものであるから、その帰属は貸付信託と同一である。この点について原判決はなんらの認定もしていない。

3 結局、問題は、右三年間に増加した本件仮名預金等のうち定期預金および貸付信託の合計金四八、五三三、四三四円の資金源である。右増加分のなかには、北立土木の水増工事代金三、六〇〇万円が含まれており、これを特定することができる(弁論要旨第三、第四項4(三)参照)から、これを除外した不明分一二五三万余円の資金源が問題である。この点につき、前記質問てん末書(検乙一一)によると、被告会社の従業員の水増し給料・賞与の一部と本件仮名預金等の利息等が資金源である旨の供述記載がある(問三の答(二)、(三))。しかし、前記質問てん末書の供述記載が証拠価値のないことについては再三述べたとおりである。ところで、本件仮名預金等の処理や管理はすべて被告人の妻きみ子が行なっており、被告人自身が直接タッチしたことは一度もなかったことは明らかである(検乙一〇の問二の答、関谷証言、第二二回公判、八〇一丁、八〇二丁、鈴木きみ子証言、第一一回公判、四〇六丁、四〇七丁)。したがって、被告人は本件査察捜査当時、前記不明分の定期預金や貸付信託の資金源についても承知していなかったものである。そのため、前記質問てん末書(検乙一一)でも、「水増し給料及び賞与も妻きみ子が管理していますが、その水増し給料及び賞与からも一部第一重機の簿外預金になっているかも知れません。」(問三の答(二))と供述記載され、単なる被告人の推測を記載しているだけであって、被告会社の従業員に対する水増人件費の一部が本件仮名預金の増加分になったことを断定的に認めているものではない。したがって、前記質問てん末書の供述記載を信用することはできない。関谷証言もこの点につき、「それは利息もあるだろうし、水増人件費もあるだろうし、はっきり調査はできませんでした。」と供述し(第二二回公判、八四一丁)。前記質問てん末書の被告人の供述記載と一致し、水増し人件の一部が本件仮名預金の一部になったかどうかは、調査不能であったことを認めている。

このように、被告人の前記質問てん末書の供述記載および関谷証言では、右水増人件費の一部が本件仮名預金等の一部になったかどうかは不明であって、他にこれを認める証拠は皆無である。のみならず、鈴木きみ子証言によると、右水増人件費は同女が管理していたが、他の現金と区別して保管し、すべて被告会社の簿外交際費に支出し、その中から本件仮名預金等に積立てたものがないことが明らかである(第一三回公判、五三二丁、五三三丁)。以上によって明らかなように、水増し人件費の一部が本件仮名預金等の一部になったものでないことは明白である。原判決は、この点につきなんらの判示をしていないが、後記4記載のように認定しているところからみると、水増し人件費の一部が本件仮名預金の一部になったものでない、ことを是認しているものと考えられる。

4 そこで、本件仮名預金等の前記増加額のうち不明分の資金源が問題となるのであるが、これは、結局、昭和四九年九月末現在で存在した総計二〇一、五一八、〇二五円の本件仮名預金の元本に対する一年分の利息等が大部分であると解するのが、一番実体に合致する合理的な解釈である。この点につき、原判決は次のように認定しこの結論を是認している。すなわち、「右昭和四九年九月末日現在の本件仮名預金等の残高が被告会社の簿外預金であることはすでに述べたとおりであるから、その利息及び収益金が書き替えられた右定期預金及び貸付信託も被告会社に帰属することは明らかである」(一八丁)と認定している。しかし、右認定のうち、昭和四九年末現在の本件仮名預金等の残高が被告会社の簿外預金である点は全くの誤りである。その理由については、前記第三点、第三の第一項ないし第三項において既述したとおりである。昭和四九年九月末現在の本件仮名預金等の残高が被告人ら個人の所有に帰属するものであって、被告会社の簿外預金でないことは既述したとおりである。したがって、本件仮名預金等の右残高の利息等から転化して増加した本件仮名預金等の増加分も、被告人ら個人の所有に帰属するものである。

5 次に、本件仮名・無記名債券は、昭和五一年九月期までは存在せず、いずれも同五二年九月期の事業年度中に発生し、右期末現在の残高は金一一六、四八五、二〇〇円であり、その売却益は五四二、八六九円である(甲一の四)。ところで、右債券の資金源が問題であるが、これはいずれも本件仮名預金等を払戻した金員で購入したものである。右の事実は、昭和五一年九月末現在の本件仮名預金等が合計金二四四、〇三一、九三五円であったのが、同五二年九月末には右合計額が一三一、五四一、〇六二円となり、略々右債券購入金額分だけ減少している、ことによって客観的に裏付けられるだけでなく、鈴木きみ子証言によっても裏付けられる(第一一回公判、四〇四丁)。

右点に関し、原判決は、「辯護人が本件仮名預金等の払戻金で購入したと主張する本件仮名・無記名債券及びその売却益も被告会社に帰属することはいうまでもない。」旨認定する。原判決は、前述のように、本件仮名預金等がすべて被告会社の簿外預金であるとの誤った認定をしているために、右のような誤った認定をする結果となったと思われる。しかし、前述したように、本件仮名預金等は被告会社の簿外預金ではなく、被告人ら個人の所有に帰属するものであるから、本件仮名預金等の払戻金で購入した本件仮名・無記名債券およびその売却益は、いずれも被告人ら個人の所有に帰属するものであって、被告会社に帰属するものでないことは明らかである。したがって、原判決の右認定は誤りである。

第四 犯意の不存在について

一、右の点につき、原判決は、「本件仮名預金等及び仮名・無記名債券は、いずれも被告人が被告会社の簿外資金を鈴木きみ子に保管させるなどしたうえ脱税のためこれを隠匿する目的で仮名・無記名を使用し預金等をしたものであって、被告人において右仮名預金等の受取利息及び債券の売却益が被告会社に帰属することを認識していたことは明らかであり、被告人にほ脱の故意があったことも十分認められる。本件仮名預金等の利息につき源泉分離課税の方式により所得税が納付されていたことは、右認定を何ら左右するものではなく、他にこれを覆すに足りる証拠もない。」旨認定する(一八丁裏、一九丁表)。

二、しかし、原判決の右認定はこれまた誤りである。すなわち、本件仮名預金等は、前記第二点、第四点および第三点第一ないし第三において詳述するように、被告人が個人経営していた鈴木商店時代から存在し、その後昭和三五年一〇月の被告会社の設立後も引き続き漸増し、本件査察事件発生まで二十数年という長期間を経過してきたものである。原判決はこの点を看過ないし無視しているのは誠に遺憾である。租税債権の時効期間さえ五年であることを考えると、原判決のような乱暴な認定は著しく法的安定性を阻害するものといわなければならない。また、刑事裁判においては疑わしきは被告人の利益にという大原則を遵守すべきことは多言を要しないところである。しかるに、原判決はこれを逆用し、すべてについて疑わしきは被告人に不利益な認定をしている、ことは辯護人が再三指摘したとおりである。原判決の認定はすべての点において論旨が明快でなく、趣旨不明である。これは事実上立証責任を被告人側に転換し、故事付けの理屈によって無理な事実認定をしているためである。故事付けの理屈でもって二〇数年間という時間の経過とともに継続してきた事実関係を覆すことは不可能である。

三、被告人が本件仮名預金等をするようになったのは、前述のように、妻きみ子が銀行員の慫慂によって、相続税ないし所得税等の対策のためである。とくに被告会社設立後数年間の間に増加した本件仮名預金等は、被告人の鈴木商店時代蓄積した個人資産を売却した売却代金であったことは、被告人および妻きみ子も十分承知していたところである。法人成り当時の被告人の個人資産が少なくとも一億円以上存在したこと、および、被告人は法人成りの際にこれら個人資産を被告会社に譲渡したことがない、点については前述したとおりである。本件仮名預金等はこれらの個人資産を売却した売却代金およびその利息から転化したものが大部分である。原判決は、客観的証拠を無視してまで、法人成りの際の個人資産の譲渡を是認するような趣旨不明の認定(前記第二点)をしているのである。個人資産の譲渡を証明する十分な証拠がなければ、刑事裁判の原則に従って、右譲渡の事実を否定すべきである。被告人らは、本件仮名等の預金等をはじめて以来、長期間、終始被告人らの個人資産であるとの認識の下に、本件仮名預金等を管理してきたものである。被告人らが本件仮名預金等を被告会社の所有に帰属すると認識して管理してきたことはないし、本件仮名預金等から発生する利息等の所得を隠蔽するための手段として本件仮名預金等を設定したものでもない。なぜなら、被告人は本件仮名預金等の受取利息には、個人資産の利息にだけ適用される源泉分離課税で、利息収入の二五%という高率の所得税を継続的に納付してきたからである。源泉分離課税とは、租税特別措置法による所得税の特例であって、法人が受取る利息収入に対する所得税納付義務は、所得税法第五条に規定されるだけであって、源泉分離課税の特例を認めた租税特別措置法第三条は、被告会社のような法人には適用されないのである。しかるに、被告人は、本件仮名預金については源泉分離課税制度が導入されて以来、継続してこの制度の適用申請をし、かつ、この制度に基づいて源泉分離課税によって利子所得の所得税を納付してきていたのであって、被告人はもとより、現実にこれら本件仮名預金等を管理および利子所得税の納付手続を行なっていた妻きみ子も、本件仮名預金等が被告人ら個人の所有に帰属すると認識していたものである(被告人の供述、第一八回公判、六二八丁、被告人の陳述書第九項、鈴木きみ子証言、第一一回公判、四〇〇丁ないし四〇八丁)。

被告人が本件仮名預金等の設定をした行為自体をもって、直ちに法人税ほ脱犯の構成要件である「偽りその他の不正行為」ということはできない。本件仮名預金等の認定が、「偽りその他の不正行為」となるのは、所得を隠蔽するために設定する場合のように、ほ脱所得秘匿の手段として利用されるときである。被告人は、本件仮名預金等の受取利息につき、利子所得を隠蔽するために右所得秘匿の手段として右預金等を設定したものではない。なぜなら、被告人は右預金の受取利息には、個人資産の利息にだけ適用される源泉分離課税で二五%という高率の所得税を継続的に納付している。右の事実によって、被告人には利子所得を隠蔽する目的がなかったこと、右利子所得が被告人ら個人に帰属すると認識していたことは明らかであるから、右利子所得が被告会社に帰属するという認識がなかったこと、被告会社の利子所得に対する法人税を免れるというほ脱の故意のなかったことは明らかである。したがって、原判決が被告人の故意を認定したのは誤りである。

第五 給料手当および賞与金について

一、家族従業員に対する支給について

原判決は、「家族従業員に対する給料及び賞与についても、家族以外の従業員の場合と同様、水増計上されたものであることは明らかである。」旨認定する(二〇丁)。

しかし、右認定が誤りであることは以下に述べるところから明らかである。被告会社は、家族従業員に対する給料および賞与については、実際に給料および賞与として支給したものであって、原判決が認定するように、水増計上したものではない。

1 原判決は、水増計上である理由として

(1) 被告会社には賃金、賞与、各種手当等について定める就業規則及び給与規定の原案(符24)が作成されており、概ねこれにより従業員の給料及び賞与を支給し、昇給の際には給与辞令を従業員に交付していたが、右の取扱は従業員が家族であるかないかで何ら区別されずに行なわれており、このような運用は被告会社設立以来ほぼ一貫して行なわれてきたものである。ところで、本件各事業年度において家族従業員に交付された給与手当辞令や支給の際に渡された支払明細書も、家族以外の従業員に交付されたものと全く同一の内容のものであり、検察官が主張する水増計上分に相当する営業手当及び賞与の記載はない(二〇丁)。

(2) 被告人は、本件各事業年度における給料及び賞与の支給に際し、経理担当者に指示し、水増計上した額(公表計上額)と実際支給額とを明確にしておくため、水増計上した額については源泉徴収簿兼賃金台帳(符9)、給料明細表綴(符11)に、実際支給額は一人別源泉徴収簿等綴(符12)、賃金台帳(符10)、賃金計算書(符14)等にそれぞれ区別して記載させているが、右水増計上額及び実際支給額の取扱について家族従業員と家族以外の従業員で何ら区別されていない(二〇丁、二一丁)。

(3) 家族以外の従業員に対する実際支給額は、当該従業員に直接支給され、他方、水増計上相当分については経理担当者から鈴木きみ子に一括交付され保管処理されていたが、家族従業員に対する分についても右と同様に処理されていたものと認められる(二一丁)。

(4) 被告人のほか、経理を担当した大杉良子、同喬らはいずれも査察段階において一貫して被告人の指示により家族従業員についても給料及び賞与を水増計上したことを認めている(二一丁)。

旨認定している。

しかし、原判決の右認定がいずれも誤りであることは次のことから明らかである。

(一) 原判決は、右(1)において、被告会社には賃金、賞与、各種手当等について定める就業規則および給与規定の原案(符24)が作成されており、概ねこれにより従業員の給料および賞与等を支給していた旨認定するが、右認定は誤りである。すなわち、被告会社には、当時就業規則や給与規定等は正式に所定の手続を経て作成されたものが存在しなかった(後記第二項3参照)。そのため、原判決も「就業規則および給与規定」と認定せず、態々「就業規則および給与規定の原案」と認定したものと思われる。原判決がこの原案と認定する甲二の二四は、被告会社の就業規則でもなければ、給与規定でもなく、被告会社をなんら拘束するものでもない。当時被告会社がこの原案によって従業員に給料および賞与等を支給していたことはなく、この点に関する原判決の認定は誤りである。なぜなら、右給与規定の原案には、「賞与は当該年度の会社の業績を考慮した上、従業員の過去六ケ月の勤務成績等に応じて基本給を基準として毎年夏季及び年末に支給する。」(給与規定二九条一項)と記載されていたが、実際には、毎年六月と一二月の外に九月の年三回支給されていたことは、原判決も認定するとおりである(二三丁)。また、本件で問題となっている営業手当についても、右給与規定の原案には規定されていなかったが、実際に支給されていたことは後述するとおりである(なお、後記第二項3参照)。原判決が就業規則および給与規定の原案と認定するものは、当時鈴木寛が新たに就業規定を制定すべく、その原案を作成作業中のものであった(鈴木寛証言、第四回公判、四三丁、四四丁、四六丁、四七丁、第五回公判、八四丁、九二丁ないし九四丁)。被告会社が右給与規定の原案に基づいて、給料および賞与を支給したことは全くないのであって、右給与規定の原案に基づいて給料および賞与等を支給していたという原判決の認定は明らかに誤りである。

(二) 被告会社には、給与規定や給料、手当、賞与等を定める基準がなかったため、その都度、被告人、寛、良子、大杉喬等が協議して定めていた。手当についても、その種類や支給基準を定めたものがなく、どのような種類の手当を設けるか、あるいは、どのような基準に基づいていくらの額を支給するか等は、すべて前記担当者等が協議し、被告人の決裁を得るか、あるいは、被告人の指示に基づいて、前記担当者等が具体案を作成していたのである(鈴木寛の証言、第五回公判、八五丁、九六丁ないし一〇〇丁、第六回公判、一一七丁、一一八丁)。営業手当についても全く同様のことがいえるのである。営業手当を支給するかどうか、どの従業員にいくらの額を支給するかは、被告人らが決めることができたのである。また、前述のように、賞与の支給についても、被告会社には、なんらの基準となる規定もなく、慣行的に年三回(六月、九月、一二月)支給していただけである。賞与の支給額を決定するについては、事前に被告会社の部課長が従業員の勤務評定をし、それを参考にして、その都度支給額を定めていた(鈴木寛証言、第六回公判、一一三丁、一一四丁)。

したがって、前記給与規定等の原案に基づいて給料および賞与等を支給していた、という原判決の認定は誤りである。

(三) また、原判決は、前記(1)ないし(3)において、被告会社が家族従業員と家族以外の従業員と給料等の支給に関し取り扱いを同じにしていることをもって、家族従業員に対する給料および賞与の水増計上と認定する理由にしているが、右認定も誤りである。なぜなら、被告会社が家族従業員と家族以外の従業員と給料等の支給に関し取り扱いを同じにしていたのは、他の従業員に対する手前があったためであって、差別的取り扱いをすると、他の従業員の士気に影響することを危惧していたためである(被告人の陳述書第一七項、鈴木きみ子証言、第八回公判、二五六丁、二五七丁、第九回公判、三〇三丁、三〇五丁、第一〇回公判、三五七丁、第一一回公判、四二二丁、大杉良子証言、第八回公判、二五六丁、二五七丁、鈴木寛証言、第五回公判、七〇丁、七一丁)。

(四) 被告会社は、家族従業員には、母きみ子を通じて現実に給料および賞与を支給しており、原判決が認定するような水増計上ではない。そのため、家族従業員の給料および賞与として支給したものから簿外交際費に支出したものがないのは勿論、本件仮名預金等にしたものも全く存在しない。被告会社は、家族従業員に対し現実に給料および賞与を増額する合理的理由が存在したのである(後記2(二)ないし(五)参照)。(なお、鈴木きみ子証言、第九回公判、二八四丁、二八五丁、三〇二丁、三〇三丁、三〇五丁ないし三〇七丁、三一〇丁ないし三一三丁、三一九丁、三二〇丁、第一〇回公判、三四六丁ないし三五四丁、三五九丁、三六〇丁、三七三丁ないし三七七丁、四二一丁ないし四二六丁、四三四丁ないし四四八丁、鈴木寛証言、第四回公判、五〇丁、五一丁、第五回公判、五六丁ないし六九丁、大杉良子証言、第八回公判、二二九丁、二三〇丁、二三五丁、二三八丁ないし二四三丁、二五四丁ないし二六二丁、大杉喬証言、第三回公判、一五丁、二一丁、第四回公判、二七丁、三三丁、三四丁、三八丁、鈴木茂樹証言、第六回公判、一六四丁、一六五丁)。

被告人は妻きみ子と相談して、寛と良子の二人には、最初から営業手当および賞与金を現実に支給することにしたのである。そのため、寛と良子の二人には、後述の「源助」の会合にも出席させなかったのである。それ以前から寛と良子から被告人に対し、給料値上げの要求がでており、(鈴木きみ子証言、第九回公判、三〇七丁、三〇八丁)、かつ、後記2(二)ないし(五)記載のように、営業手当および賞与金を支給する合理的理由が存在したためである。昭和五一年三月良子が大杉喬と結婚し、同年四月退職してからは、被告会社は良子に代って大杉喬に営業手当および賞与金を現実に支給してきている。茂樹は、昭和五一年四月被告会社に入社し、一年間は給料だけで働いていたが、仕事も覚え、真面目に被告会社のために昼夜の別なく働いたため、被告会社もその貢献度を認め、同五二年四月から茂樹にも現実に営業手当および賞与金を支給してきている。また、営業手当および賞与金を支給するについて、これら家族従業員と他の従業員と取り扱いを同じにしたり、あるいは、被告会社から直接家族従業員に支給することをせずに、妻きみ子の手を通じて支給していたのは、(1)他の従業員の手前があったためであって、差別的取り扱いをすると、他の従業員の士気に影響することを危惧したことと、(2)妻きみ子が寛、良子、茂樹名義で子供達のために、従来から毎月定期的に定額の積立預貯金および簡易保険の保険料等の支払をしており、その資金に充当する必要があったこと、(3)これらの給料手当および賞与金を全部家族である従業員に直接支給すると、全部費消してしまうという心配があったためである(被告人の陳述書第一七項、第一九項、鈴木きみ子証言、第八回公判、二五六丁、二五七丁、第九回公判、三〇三丁、三〇五丁、第一〇回公判、三五七丁、第一一回公判、四二二丁、大杉良子証言、第八回公判、二五六丁、二五七丁、鈴木寛証言、第五回公判、七〇丁、七一丁、なお、後記第五第一項3(四)参照)。

(五) 被告会社の経理担当者(大杉夫婦が結婚するまでは良子、結婚後は大杉)が毎月給料(営業手当を含む)を計算し、その明細表を作成し、所得税、社会保険などを控除した営業手当の残額を右明細表と共に、被告人の妻きみ子の許に届けている。被告会社が年三回支給する賞与金については勿論、第一工事の給料についても、被告会社の給料と全く同一の方法によって、被告人の妻きみ子の許に届けられていた。したがって、賞与はその性質上金額が一定していなかったが、給料の一部である営業手当は一定額(昭和四九年一〇月から毎月二〇万円、同五二年四月から毎月三〇万円)である。また、被告会社の給料の支給日は毎月五日、第一工事の給料の支給日は毎月一〇日であるから、定時の支払いである。賞与についても、被告会社では年三回(六月、九月、一二月)に支給することは慣例となっており、定時払いということができる。而して、これらの給料手当および賞与金は前記給料支払明細表や賞与支払明細表によって、右従業員毎に金額が特定されていた。したがって、これらの給料および賞与は、各従業員毎に特定されていただけでなく、定時かつ定額払いであった。

また、鈴木きみ子は、前記支払明細表とともに受領したこれらの給料および賞与である現金を、家族以外の従業員の分は簿外交際費に使用する目的で一括して保管し、家族従業員の分は、各人毎に袋に入れたり、あるいは、輪ゴムで括って特定した上で保管していたのである。鈴木きみ子は、家族である従業員は勿論、それ以外の従業員についても、すべて事前の承諾を得た上で、これらの給料および賞与を受け取り、かつ保管していたものである。したがって、鈴木きみ子は、従業員に代って被告会社からこれらの給料および賞与を受領し、委託を受けてこれらの金員を保管していたものである。

他方、家族従業員は、被告会社から現実に営業手当および賞与の支給を受けていたことを十分に認識し、母きみ子にその保管を委託していたものである。母きみ子は、これら家族従業員に対し、時々営業手当および賞与から預貯金したものの預金高等を知らせていたため、家族従業員も営業手当および賞与として支給されたものが預貯金されており、その額が増加していることを承知していたのである。したがって、原判決の前記(3)の認定は誤りである。

(六) 次に、原判決は、水増計上である理由として前記(4)において、「被告人のほか経理を担当していた大杉良子、同喬らはいずれも査察の段階において一貫して被告人の指示により家族従業員についても給料および賞与を水増計上をしたことを認めている」旨認定する。

しかし、右認定が誤りであることは前記第一点第六において詳述したとおりである。被告人は、本件査察段階において国税局側と前記第一点第一ないし第三記載のような種々の取引をしていたため、査察官や検察官の取調べを受ける家族従業員に対し、「国税局との間に話合いが成立しているから、取調官の取調べの際には、逆わずに取調官のいうとおりに事実関係を全部認めるよう」に指示していたのである。しかし、妻きみ子、息子の寛らは査察官の取調べの際には、給料および賞与を現実に支給し受領していたため、水増計上を自供せず、現実に支給し受領していたと供述していたのである。寛が検察官の取調べの際にも自供しなかったので、被告人が強力に説得した結果寛も自供するに至ったものである。したがって、被告人および大杉夫婦が自供していたことは本件においてはなんらの証拠価値を有するものではない。原判決の右認定が誤りであることはきわめて明白である。以上の点については後記第五、第一項3(七)において再述する。

2 次に、原判決は、被告人及び鈴木きみ子は、当公判廷において、家族従業員は家族以外の従業員と異なり、得意先を接待したり、冠婚葬祭に出席したり、また、休日や深夜遅くまで稼動することがしばしばあり、そのため他の従業員より多額の給料及び賞与を支給している旨供述するが、次の(1)ないし(3)の諸事実に徴すると、右被告人らの公判供述はとうてい採用できない、旨認定する(二一丁裏、二二丁表)。

(1) 通常右の程度のことで他の従業員より特別に優遇し本件のように多額の給料及び賞与を支給することは不自然かつ不合理である。

(2) もし真実の給料及び賞与の昇給であれば、昇給に際しては従前の給料及び賞与額のほか、経験年数、能力等従業員ごとに差がもうけられて然るべきところ、本件では家族従業員についてもほぼ一律に増額されているうえ、その額も家族以外の従業員のそれと同額であって、従来の給料及び賞与額を大きく上まわる。

(3) 家族従業員に対する右増額の時期が家族以外の従業員に対し水増計上を始めた時期と一致する。

(一) しかし、右認定も一方的な独断であって誤りである。すなわち、原判決の右(1)ないし(3)の認定によると、要するに、被告人および鈴木きみ子が当公判廷において供述するような理由では、家族以外の従業員に比較して家族従業員だけに、高額の給料および賞与を支給する合理的理由があるとは認められない、ということである。しかし、本件で問題となっているのは、被告会社が家族従業員に支給した給料および賞与が過大であるかどうかとか、増額が合理的になされたかどうかではなく、現実に家族従業員に対し給料および賞与を支給していたかどうか、すなわち、水増し計上であったかなかったか、ということである。したがって、被告会社が現実に家族従業員に対し給料および賞与を支給しておれば、仮りに、右支給につき合理性が少なくとも問題はないわけである。この点、原判決の右(1)ないし(3)の認定には混同がある。この点につき、原判決は、右(1)記載のように、「通常右の程度のことで他の従業員より特別に優遇し本件のように多額の給料及び賞与を支給することは不自然かつ不合理である」と認定するが、右認定が誤りであることは前述したところから明らかである。のみならず、本件の場合、被告会社が他の従業員よりも優遇して家族従業員に対し多額の給料および賞与を支給する合理性が存在したことは次の(二)ないし(四)において述べることから明らかである。

したがって、右給料および賞与の支給は原判決の認定するように、不自然でもなければ、不合理でもない。仮りに百歩を譲り右給料および賞与の支給が不自然かつ不合理であったとしても、被告会社は家族従業員に対し現実に給料および賞与を支給していたのであるから、水増し計上ではない。また、原判決は、前記(3)において、家族従業員に対する右増額の時期が家族以外の従業員に対し水増計上を始めた時期と一致することをもって、被告人らの供述を信用できない理由としているが、以下に述べるように、家族従業員にはそれぞれ給料および賞与を増額すべき理由があったのであり、かつ、現実に増額して支給したのであって、たまたま右増額支給の時期が一致しただけであるから、原判決の右認定は誤りである。

(二) 右増額をした理由の第一は、営業手当支給直前における家族従業員寛および良子の給料額が極めて低額であって、労務提供の対価として極めて不均衡なものであったということである。そのため、寛および良子から被告人に対し、給料値上げの要求がなされていたことは前述したとおりである。すなわち、営業手当支給開始時である昭和四九年一〇月当時の寛の営業手当を除外した給料は、僅かに一ケ月当り一二〇、三二〇円であり、同じく良子の同給料は九五、七三〇円であった。

これに比較し、家族以外の従業員である高橋昌治は二〇一、二〇〇円、土田武夫は二〇〇、六七〇円、斎藤茂は二〇〇、〇〇〇円、菅原七郎は一三二、〇四〇円であって、寛および良子の給料に比較し、いずれも高額であった。当時の大杉喬でさえ一五〇、三八〇円であって、寛および良子よりも高額の給料の支給を受けていた(甲一の六)。したがって、被告会社の社長である被告人の長男および長女であることから他の従業員に比較し高額であるのが通例であるということを除外しても、寛および良子については、給料を実質的に値上げする合理的理由が存在していたのである。

また、茂樹に営業手当が支給される直前である昭和五二年三月当時の給料は一ケ月僅か九万円であった(甲一の六)。そのため、茂樹は、入社後一年後に給料の値上げを要求したところ、母きみ子から被告会社が昭和五二年五月から営業手当および賞与並びに第一工事の方からも給料を支給する旨説明されて納得している(鈴木茂樹証言、第六回公判、一六四丁、一六五丁)。

(三) また、右増額理由の第二は、この四人の家族である従業員の労務提供の内容が他の一般従業員に比較し、質量的に極めて大であったということである。被告人は、常日頃これら家族従業員に対しては、将来被告会社を背負って立つという意識をもち、経営者的感覚で仕事に当り、他の一般従業員に率先して仕事をするように厳しく指導しており、そのため、これら家族の従業員は、一般従業員が働かない早朝深夜から日曜祭日などの休日にも、冠婚葬祭に出席するとか、取引先の接待、自動車を運転して社長である被告人の送迎など、一般勤務以外の仕事にも懸命になって従事してきたのである。したがって、この点でも、営業手当を支給する合理的理由が存在したのである。そのほか、寛は社長代理として前記冠婚葬祭への出席、取引先の接待に従事し、あるいは、同業者の会合に出席する等、いずれも社長代理としての仕事であって、他の従業員が代行するに適しないものである。また、寛は経営者的な仕事としては、毎月貸借対照表、損益計算書、試算表等を作成し、被告会社の経営の分析を行なってきた。これらはいずれも、他の一般従業員が行なう仕事とは異なる経営者的な仕事である(鈴木寛証言、第五回公判、七五丁ないし七九丁、一〇一丁ないし一〇六丁、被告人の陳述書第一七項、大杉喬証言、第四回公判、二六丁、三三丁、鈴木きみ子証言、第九回公判、三〇五丁ないし三〇九丁、三二一丁、第一〇回公判、三五四丁ないし三五六丁、第一一回公判、四二一丁ないし四二四丁)。この点を無視した原判決の認定は誤りである。

(四) また、良子は寛、茂樹と共に大学卒(他の従業員で大学卒はいない)であるだけでなく、被告会社の経理を担当し、被告会社の金庫番の役に任じ、他の従業員には任せられない仕事をやっていた。とくに良子の場合は、日曜出勤が非常に多く、日曜日にも客の接待をしたり、自動車を運転して客や被告人を送迎していた(被告人の陳述書第一七項、大杉良子証言、第八回公判、二一七丁ないし二一九丁、鈴木きみ子証言、第九回公判、三〇五丁ないし三〇九丁、三二一丁、第一〇回公判、三五四丁、三五五丁、第一一回公判、四二一丁ないし四二四丁)。また、大杉喬は、昭和五一年三月良子と結婚したが、右結婚するまでの仕事の内容は、被告会社の各種行事の企画実行等総務関係全般を担当していたが、結婚後はこれらの仕事に加えて、従来良子が担当していた経理関係の仕事を引継いだため、勤務時間も延長せざるを得なくなった。更に、被告会社の銀行からの借入関係の事務も担当するようになり、結婚前に比較し、仕事の内容が質量共に倍増した。とくに、現金を扱う仕事が増加し、精神的な負担が増大した。また、被告人から、寛、大杉らは単なる従業員としてではなく、経営者的な感覚で仕事するように注意されていたため、この面での精神的負担が増大した(大杉喬証言、第四回公判、二四丁ないし二八丁、三一丁、三三丁、三六丁、三七丁、被告人の陳述書第一九項、鈴木きみ子証言、第九回公判、三〇二丁、三二一丁、第一一回公判、四二四丁、四二五丁)。

(五) また、茂樹は、大学卒であり、かつ、社長の息子ということで、他の従業員に比較して、良く働いても当然のことと理解され、もし、少しでも働き方が悪い場合には批判されるため、他の一般従業員の模範となるような働き方ないし努力をしてきたのである。その結果、入社以来一年経過し、仕事にもなれてきた。たとえば、他の一般の従業員は夜勤をすれば、当然翌日は休養のため休むわけであるが、茂樹は夜勤をしたときでも、翌日引き続き勤務を継続することがある。家族従業員は他の従業員とは一事が万事異なることは、被告会社のような中小企業にあっては、世間においても通例のことであり、被告会社に限ったことではない。年令は若くとも、これら家族従業員が率先垂範しなければ、被告会社の隆盛は期待できないのである。茂樹も寛、大杉らと同様、原判決が認定するように、単に勤務時間が一般の従業員に比較して長いとか、休日に勤務するとか、という労務の量だけの問題ではなく、質的にも、内容の充実した仕事を行なってきたのである。但し、他の家族従業員の営業手当が昭和五二年五月分から一ケ月金三〇万円に値上げされたが、茂樹の分については、労働の質量的な内容を考慮して二〇万円に据置かれている(鈴木茂樹証言、第六回公判、一六九丁、一七〇丁、第七回公判、一七七丁、一七八丁、一八五丁ないし一八七丁、二〇四丁、二〇五丁、被告人の陳述書第一九項、鈴木きみ子証言、第九回公判、三〇五丁、三二一丁、第一〇回公判、三五四丁ないし三五六丁、第一一回公判、四二六丁)。このように、家族従業員の労働は他の従業員に比較し、質量的にきわめて大であって、給料および賞与を増額する合理的理由があったものである。

3 次に、原判決は、鈴木きみ子、鈴木寛、大杉良子らが、「被告会社の経理担当者から受け取った本件営業手当及び賞与のうち、家族従業員の分については、他の従業員の分と区別して保管し、これを家族従業員名で預金等をしたり、家族従業員のローンの返済や簡易保険の保険料の支払に充てるなどして現実に定期・定額のものを支給していたものであり、簿外交際費等に支給したこともない旨供述する」が、左記(1)ないし(3)のことも併せ考えると、鈴木きみ子らの右供述は措信できない旨認定する(二二丁)。

(1) すでに結婚し被告人ら両親から独立した鈴木寛、大杉良子らが右のような形で営業手当及び賞与の支給を受けていたというのはいかにも不自然である。

(2) ことに鈴木きみ子らは、大杉喬が良子と結婚してからは家族従業員として扱い、同人に対する従前の水増給料及び賞与とは異なり現実に支給するようになったというが、経理を担当することになった大杉喬から同人分についても従前と同様にきみ子が一旦受け取って保管したうえ、これを大杉喬の妻である良子に渡していたというのは不可解というほかない。

(3) 良子については退職後もかなりの期間従来同様に給料が支給されていた。

(一) しかし、右認定も一方的な独断であって、家族従業員が現実に被告会社から給料および賞与の支給を受け、これを実名預金にして蓄積してきたという客観的事実を無視するものである。すなわち

独身時代の寛に支給された給料および賞与については、被告人夫婦と同居中であったため、営業手当や賞与だけでなく、営業手当以外に給料袋に入っていたその他の給料手当についても、一定の小遣い銭以外は、すべて母きみ子に預託して管理してもらっていた。母きみ子はこれらの保管金のなかから、毎月定期的に定額の寛名義の積立預貯金をやったり、あるいは、寛名義で加入している簡易保険の保険料を支払い(但し、保険料は六ケ月毎にまとめて支払っていた)、ある程度現金が貯ったときには臨時的に預貯金をしていた。

また、昭和五〇年一〇月寛が結婚する際、住宅を購入したので、以後毎月ローンの支払いが二五、六万円必要であったため、母きみ子は保管していた寛の給料等の中から現実に毎月約三〇万円を寛ないし寛の妻陽子に交付してきていた。それ以外には、独身時代から続けている積立の預貯金、簡易保険の保険料の支払いにあて、あまった分は臨時に預金にしていた。これらの預貯金は、いずれも寛名義の実名預貯金になっている。その具体的な金額については、辯護人の昭和五六年三月六日付冒頭陳述書(捕充)第二項および添付の別紙第二表(個人収支一覧表)のNo.2記載のとおりである。このような客観的事実によって、寛については、給料手当および賞与について水増計上されたものでなく、実際に支給されたものであることが裏付けられる。原判決がこのような客観的な裏付けとなる事実を無視しているのはきわめて遺憾である(鈴木寛証言、第五回公判、六〇丁ないし六九丁、一〇六丁ないし一一〇丁、第六回公判、一二〇丁ないし一二二丁、一三九丁、一四三丁、大杉良子証言、第八回公判、二五五丁、二五六丁、鈴木きみ子証言、第一一回公判、四三四丁ないし四四二丁、第一二回公判、四九七丁、四九九丁)。

(二) ところで、右個人収支一覧表(第二表)のNo.2によると、被告会社から寛に支給された営業手当を含めた給料および賞与、第一工事から寛に支給された給料手当および賞与、その他受取利息等の収入は、昭和五〇年九月期が七、四四九、七九三円、これに対する公租公課が八一四、三九六円、差引可処分所得が六、六三五、三九七円である。これに対する寛夫婦の前期である同四九年九月期の預貯金等の個人財産が四、九四六、四〇一円であり、同じく同五〇年九月期の個人財産が六、〇〇五、八二八円であるから、右一年間の増加額は、一、〇五九、四二七円となる。これを右差引可処分所得六、六三五、三九七円から控除すると、残額は五、五七五、九七〇円となる。この残額が寛の一年間の生活費と推定され、生活費として費消した残余は、次期に所持金等で繰り越されたものと考えられる。

同様に、昭和五一年九月期の寛の給料手当および賞与金等の収入は、九、八四六、四九六円であり、右金額から公租公課一、五九一、七四三円を控除すると、差引可処分所得は八、二五四、七五三円となる。他方、右期の預貯金等の個人財産の増加額は五、三〇〇、〇〇九円であるから、これを右可処分所得八、二五四、七五三円から控除すると、残額が二、九五四、七四四円となる。この残額と前期の繰り越し金が右一年間の寛の生活費と推定される。

また、昭和五二年九月期の寛の給料手当および賞与金等の収入は、一四、一七六、四九九円であり、右金額から公租公課二、八三二、四二九円を控除すると、差引可処分所得は、一一、三四四、〇七〇円となる。他方、右期の預貯金等の個人財産の増加額は、八、三〇三、五四五円であるから、これを右可処分所得から控除すると、残額は三、〇四〇、五二五円となる。この残額が右一年間の寛の生活費と推定される。

ところで、右三期の残額(生活費と推定されるもの)の一ケ年平均は、約三八五万円(一ケ月平均約三二万円)であるが、当時の寛の生活費が右金額より低額であったことは家計簿(検乙二の九九)によって明らかである。

以上によっても明らかなように、原判決が水増計上と認定する営業手当および賞与金を加算した収入金額、公租公課、可処分所得金額、預貯金等の個人財産の増加額、生活費充当可能金額等が、いずれも均衡を保っている。この事実によっても、被告会社から寛に対し、現実に営業手当および賞与金を支給していたことが裏付けられるのである。したがって、原判決の前記認定が誤りであることは明らかである。

(三) また、良子に支給された給料手当および賞与金についても、全く寛の場合と同様である。すなわち、良子が結婚する昭和五一年三月までの独身時代は、被告人夫婦と同居していたため、営業手当や賞与金だけでなく、給料袋に入っていたその他の給料手当についても、一定の小遣銭以外には、すべて母きみ子に預託して管理してもらっていた。母きみ子は、これらの保管金を良子の結婚の仕度金に充てるため、積立預金または臨時の預貯金にしていたが、これらの預貯金はすべて良子名義の実名で行っていた。また、母きみ子は保管金の一部を良子に交付し、良子が自分で預金したものもあり、あるいは、小遣等に費消したものもある(鈴木きみ子証言、第一一回公判、四四二丁ないし四四五丁、第一二回公判、四九八丁、四九九丁、大杉良子証言、第八回公判、二二九丁、二三五丁、二四二丁、二四三丁、二五四丁、二五五丁、二五八丁、二五九丁)。

良子が大杉喬と結婚してからは、大杉に営業手当および賞与金が支給されているが、これらについても母きみ子が同じように、毎月受領して一旦保管し、大杉の妻である良子に交付していた。良子はこれを自己または大杉の実名で預貯金をしている。また、母きみ子に、良子の実名の定期預金等を解約してもらい、債券を購入したものもある(大杉喬証言、第三回公判、一一丁、一四丁、一五丁、二一丁、第四回公判、三三丁、三四丁、三七丁、三八丁、大杉良子証言、第八回公判、二三八丁ないし二四二丁、二五八丁ないし二六四丁)。その具体的な金額については、前記個人収支一覧表のNo.3記載のとおりである。大杉夫婦については、給料手当および賞与金について、水増計上されたものではなく、実際に支給されたものである。

(四) 原判決は、この点につき、すでに結婚し被告人ら両親から独立した大杉良子が右のような形で営業手当および賞与の支給を受けていたというのはいかにも不自然であり、ことに経理担当者の大杉喬の給料および賞与についても従前と同様にきみ子が一旦受取って保管したうえ、これを大杉喬の妻である良子に渡していたというのは不可解というほかない、旨認定する。しかし、右認定は誤りである。右のような形で給料および賞与を受領したり、鈴木きみ子が一旦保管したうえこれを良子に渡していたことは、原判決が認定するような不自然でもなく、また不可解でもない。なぜなら、前述のように、被告会社が家族従業員とそれ以外の従業員と給料等の支給に関し取り扱いを同じにしていたのは、他の従業員に対する手前があったためであって、差別的取り扱いをすると、他の従業員の士気に影響することを危惧していたためである(前記第五、第一項1(三)参照)。また、母きみ子は、家族従業員である子供達のために、従来から毎月定期的に、家族従業員名義で積立預金および簡易保険等の支払をしており、子供達が結婚後も引き続きその資金に充当する必要があった。そのため、母きみ子が一旦受取って保管し、右預金等や保険料の支払をしたうえで、残額を娘の良子に渡していたのであって、不可解でもなければ不自然でもない。このような取り扱いをしたのは子供に対する自然な親心の発露によるものである。原判決は母親の子を思う親心に対する理解を欠き、前述のような誤った認定をしているのである(被告人の陳述書第一七項、第一九項、鈴木きみ子証言、第八回公判、三〇三丁、三〇五丁、第一〇回公判、三五七丁、第一一回公判、四二二丁、大杉良子証言、第八回公判、二五六丁、二五七丁、鈴木寛証言、第五回公判、七〇丁、七一丁、なお、前記第五、第一項(四)参照)。

(五) また、前記個人収支一覧表(第二表)のNo.3によると、大杉喬(結婚前の良子の分を加算して計算)の営業手当および賞与金を含めた収入は、昭和五〇年九月期が一三、三七八、五三〇円であり、右金額から公租公課一、五三三、三四二円を控除すると、差引可処分所得は一一、八四五、一八八円となる。他方、右期の預貯金等の個人財産の増加額は三、八四四、三〇九円であり、右金額を右可処分所得額から控除すると、残額は八、〇〇〇、八七九円となる。この残額が右一年間の良子および大杉の生活費充当可能額ということができる。当時、良子および大杉は独身であり、かつ、良子は被告人夫婦と同居しており、小遣い銭以外には生活費を必要としなかったから、右生活費充当可能額のうち相当額が現金の儘で、翌期に繰り越されたものと考えられる。なぜなら、翌五一年九月期の良子および大杉の収入および可処分所得は、五〇年九月期と略々同額であるのに、預貯金等の個人財産の増加額が、二倍以上の金額になっていることによっても明らかである。

すなわち、昭和五一年九月期の良子および大杉の収入は、一二、九九九、一九一円であり、右金額から公租公課一、八九四、三三八円を控除すると、差引可処分所得は、一一、一〇二、八五三円となる。他方、右期の預貯金等の個人財産の増加額は、一〇、〇二五、六四一円であるから、これを可処分所得金額から控除すると、残額は一、〇七七、二〇七円となる。大杉と良子は、右期の中間である同五一年三月に結婚しているが、右残額だけでは生活費としては少なすぎるので、前述の前期の繰り越し金を右期の預貯金の増加分にあてたり、または結婚費用にあてたものと推認される。

また、同五二年九月期の大杉の収入は、一二、四四六、六七〇円であり、公租公課二、一八九、五九八円を控除すると、差引可処分所得金額は一〇、二五七、〇七二円となる。他方、右期の預貯金等の個人財産は、前期に比較し、逆に一、六七二、八五五円減少しており、生活費充当可能額は一一、九二九、九五七円となる。この金額は大杉夫婦の生活費としては多過ぎるが、これは昭和五一年暮に購入した住居のマンションの頭金や割賦金の支払にあてたものである(大杉良子証言、第八回公判、二五〇丁、二五一丁)。

ところで、右三期の生活費充当可能金額の一ケ年平均は約七〇〇万円(一ケ月平均約五八万円)であるが、当時の大杉の生活費が右金額よりはるかに低額であったことは、前述した寛の生活費と比較すれば、容易に首肯できるところである。右生活費充当可能金額のうち、生活費に費消したもの以外は、前述のように、結婚費用およびマンションの購入代金の支払に充当されたものと思われる。

以上によっても明らかなように、営業手当および賞与金を加算した収入金額、公租公課、差引可処分所得金額、預貯金等の個人財産の増加額、生活費充当可能金額等が、いずれも均衡を保っている。この事実によっても、被告会社が結婚するまでの良子、結婚後の大杉に対し、いずれも現実に営業手当および賞与金を支給していたことが証明されるのである。

(六) また、茂樹に支給された給料手当および賞与金についても、これまた、寛、良子および大杉の場合と同様である。茂樹は当時被告人夫婦と同居しており、独身であったため、小遣い以外には支払うものがなかったが、昭和五二年一〇月に結婚したため、結婚資金を蓄えておく必要があった。そのため、母きみ子は茂樹の給料手当および賞与金のうちから小遣いを除いたものを預かり、これらを茂樹の実名の預貯金ないし簡易保険の保険料に支払っていた。また、昭和五二年四月分から営業手当として一ケ月金二〇万円宛支給されることは、前もって、母きみ子から茂樹に予告されており、茂樹も自分の労働が評価されたものと考え、実質的に給料が増額されたことを認識していたものである。営業手当についても、茂樹は従前どおり母きみ子に管理を依頼し、預金にしてもらうように依頼し、その結果、他の給料手当および賞与金と同様に、母きみ子が茂樹の実名で預貯金にしていたのである。その具体的な金額については、前記個人収支一覧表のNo.4記載のとおりである。茂樹についても、給料手当および賞与金について、水増計上されたものでなく、実際に支給されたものである(鈴木きみ子証言、第一一回公判、四四五丁ないし四四七丁、第一二回公判、四九八丁、四九九丁、鈴木茂樹証言、第六回公判、一五四丁ないし一七〇丁)。

ところで、前記個人収支一覧表のNo.4によると、茂樹の昭和五二年九月期の営業手当および賞与金を含む収入は、六、七一六、九五六円であり、公租公課六三九、六九二円を控除すると、差引可処分所得は六、〇七七、二六四円となる。他方、右期の預貯金等の個人財産の増加額は五、七〇九、三六五円であり、これを右可処分所得金額から控除すると、生活費充当可能金額は三六七、八九九円となる。当時、茂樹は被告人夫婦と同居しており、現実には生活費は小遣い銭以外には必要がなかった。前述の家計簿(検甲二の九九)によると、寛の一ケ月の小遣い銭は三万円であるから、茂樹の小遣い銭としても、一年間に三六万円あれば一ケ月三万円であり、寛の小遣い銭と同額であるから、必要にして十分ということができる。もし、小遣い銭に不足すれば、茂樹は何時でも母きみ子から借り受けるか、あるいは、もらう(贈与)ことができたのである。したがって、茂樹の場合も、営業手当および賞与金を含めた収入から公租公課を控除した差引可処分所得金額の範囲内で、預貯金を増加させているのであるから、寛、良子および大杉喬の場合と同様に、実際に茂樹も営業手当および賞与金の支給を受けていることが証明されるのである。しかるに、原判決はこのような客観的事実を無視して、前記(1)、(2)記載のような認定をしているのは誤りである。

(七) ところで、原判決の認定するように、家族従業員に対する営業手当および賞与についても水増計上であって、現実に支給しないものでないとすると、前記(一)ないし(六)で述べたような家族従業員の実名預金が増加した資金源がなにかということが問題となる。この点、前記質問てん末書(検乙七、乙一四)によると、妻きみ子から家族従業員に交付した現金あるいはこれら家族従業員名義で預貯金等にされた金員は、被告会社から家族従業員に給料手当または賞与金として支給したものではなく、親子の情から贈与したものである旨記載されており、被告人の検面調書(検乙一八)および鈴木きみ子、鈴木寛、大杉喬の各検面調書(検甲一の一二九ないし一三一)にも夫々前記質問てん末書と同旨の供述記載があり、関谷証人も同旨の供述をしている(第二一回公判、七五九丁、七八二丁)。この点につき原判決はなんらの認定もせず、無視している。

しかし、被告人の前記質問てん末書および検面調書に任意性がなく、証拠能力のないことについては、前記第一点において詳述したとおりである。また、鈴木きみ子、鈴木寛、大杉喬の各検面調書にも証拠能力がないことについては、これまた前記第一点第六において詳述したとおりである。仮りに、百歩を譲り、これらの検面調書および質問てん末書に証拠能力ありとするも、親子の情から贈与したという供述記載が信用できないことは、次の事実からも明らかである。

(1) 鈴木きみ子及び鈴木寛は、国税局の取り調べの際には、終始家族従業員に給料手当および賞与金として支給きたものであると供述していた(鈴木きみ子証言、第一〇回公判、三七三丁ないし三七八丁、鈴木寛証言、第六回公判、一二二丁ないし一二四丁)。この点は関谷証言も認めているところである(第二一回公判、七五八丁、七五九丁、七八三丁)。関谷証言によると、関谷査察官の取り調べに対し、鈴木きみ子および鈴木寛は、営業手当および賞与金の支給を受けていた旨供述し、その旨の質問てん末書が作成されている(第二一回公判、七五九丁)。鈴木寛が検察官の取り調べの際に、供述を変更するに至った経過については、前述したとおりである(前記第一点第六第四項、第五項参照)。また、鈴木きみ子が検察官の取り調べに対し、寛と同様に供述を変更したのは、被告人の慫慂に従ったためであり、これらの検面調書(検甲一二九、一三〇)に信用性がないことは明らかである(第一〇回公判、三七三丁ないし三七七丁)。

(2) ところで、被告会社が家族従業員に支給した営業手当および賞与金、並びに、第一工事が家族従業員に支給した給料手当および賞与金については、その支給方法が全く同一であったことは、前述したとおりである。しかるに、国税局は、第一工事が家族従業員に対して支給した給料手当および賞与金については、その支給を肯定した処理を認めているが、本件で問題となっている被告会社が家族従業員に支給した営業手当および賞与金については、いずれも否認する処理をしている。これは明らかに矛盾である。国税局がいかなる理由によって、このような矛盾した処理を認めたのか不明であるが、いずれにせよ、首尾一貫しないことは明らかである。

(3) また、大杉喬の証言によると、大杉は、本件査察の当日である昭和五三年五月一六日、査察官に対し、営業手当は実際の給料であって実際に営業手当の支給を受けている旨主張していたのである(第四回公判、三五丁、第三回公判、二一丁)。大杉が営業手当および賞与金の支給を受けているという供述を撤回し、国税局や検察官の趣旨に沿って供述を変更したのは、鈴木きみ子や寛の場合と全く同一である。すなわち、被告人から、本件査察以後帳簿類を押収されたり、従業員が断続的に取調べを受け、被告会社の業務に支障をきたしていおり、また、得意先に迷惑をかけることを避けるために、国税局や検察庁の取調べに協力して早期解決をするように指示され、その結果、大杉は査察官や検察官の趣旨に沿うように供述したのである(第三回公判、二〇丁、二一丁、第四回公判、三一丁、三二丁、三五丁、三六丁)。したがって、大杉喬の検面調書(検甲一の一三一)の供述記載も全く信用できないものである。

(4) 被告人は、国税局の取り調べの際に、最初の段階では、家族従業員には営業手当および賞与金を支給していた旨供述していたが、査察官はこれを認めなかったのである。国税局と被告人との間に種々の取り引きがあった(前記第一点第一ないし第三)ため、査察官は被告人に対し、大勢に影響がないとか、結果は同じだ、などと説得して、被告人の妻きみ子が現実に家族従業員に交付した現金や、家族従業員のための実名で預貯金などをしていたのは、被告会社が営業手当ないし賞与金として支給したものではなく、親子の関係から贈与した旨の前記質問てん末書を作成したのである。しかし、被告人夫婦と家族従業員とが親子関係にあるとはいえ、毎月被告会社の資金を定額、かつ、定期的に贈与するということは、あまりにも実態を無視するものであって、到底信用することはできないことが明らかである(被告人の陳述書第二〇項、第二三項)。したがって、被告人の前記質問てん末書および検面調書の供述記載が信用できないものである。

(八) 以上の次第であって、家族従業員の実名預金の資金は、前記供述記載のように、親子の情による贈与によるものではなく、家族従業員が被告会社から支給を受けた営業手当および賞与であると解するのが合理的である。このことは以下に述べるところからも明らかである。したがって、原判決が鈴木きみ子の前記供述を信用できないと認定して排斥したのは誤りである。

給料の定時、定額の支払いというのは、あくまでも、被告会社から従業員に対する関係について問題になるのであって、従業員が給料として一旦受領していたものを、預託先から返還を受けたり、預託者に依頼して預金等をしてもらう関係、すなわち、第三者と従業員との間で問題になることはあり得ない。前述のように、被告会社は毎月経理担当者が従業員各人の給料を計算し、金額を特定の上で、家族従業員のために受領者である母きみ子の許に届けて支払っていた。給料は従業員本人が現実に受領するだけでなく、第三者が使者として受領することも可能である。また、最近では、第三者である銀行の預金口座に振込送金をすることによっても、給料の支払いは完了する。従業員が現実に銀行から右預金の払戻しを受けたり、右預金の払戻しを受けた現金でもって定期預金をすることは、給料の支払いとは無関係である。したがって、給料の定時、定額払いが問題になるのは、被告会社と従業員のために受領する母きみ子との間であって、その後の関係である母きみ子とその家族である寛、良子、茂樹との関係が問題になることはあり得ない。

また、鈴木きみ子が家族である従業員の依頼を受けて、預り金を預貯金すること自体、給料の支払いとは無関係であるから、その預貯金証書を保管していたことも無関係である。寛、良子、茂樹らは、いずれも結婚前は被告人ら夫婦と同居しており、また、茂樹は結婚後も同居していたものである。母親であるきみ子が子供達のために、預金証書を保管することは、それこそ親子の情からやったものであって、特別に問題とするに足りないものである。

(九) また、本件査察着手当時、袋が押収されていないことをもって、鈴木きみ子が家族の給料を各別の袋に入れて保管していなかったことにはならない。なぜなら、本件査察着手当時に、査察官がすべての証拠物を押収したものでないことは明らかである。本件査察の着手は昭和五三年五月一六日であり、当日押収(甲一の三七ないし五〇)しなかったものは、同年六月二二日に押収(甲一の五一、五二)したり、同年五月一九日および同年八月二日に領置したりしている(弁証一九、二〇)。本件査察事件の捜査がずさん極まりないものであることは、辯護人が再三指摘したとおりである。押収したり、領置したりしない重要な証拠物が多数存在することは、弁証として提出した証拠物によっても明らかである。

この点、鈴木きみ子の証言によると、被告会社の経理担当者から給料手当および賞与金として受領した現金のうち、家族である従業員の分は、各人毎に使い古しの袋に入れたり、あるいは、輪ゴムで括って特定した上で、自宅の居間にある自宅内の金庫あるいは机の引き出しに入れて保管していたのである。また、この袋には各人の頭文字や名前を書いて区別していた。したがって、全部または常時袋に入れて保管していたものではなく、袋に入れていたときもあるが、袋には入れないで単に輪ゴムで括って保管していたときもあったのである(鈴木きみ子証言、第九回公判、三〇〇丁ないし三〇三丁、三三〇丁、三三一丁、第一一回公判、四三一丁ないし四三四丁、四四九丁、四五〇丁、第一二回公判、四九一丁、四九二丁)。

以上の次第であって、鈴木きみ子は、被告会社から家族従業員の給料および賞与の支給を受けるという認識の下にこれを受領し、家族従業員の各人毎に特定して保管していたものである。

二、賞与金の翌期支払いと債務の確定について

1 次に、原判決認定のほ脱所得のうち、昭和五〇年九月分の賞与金を実際には、翌期である同年一一月二一日に支払ったことと、同五二年九月分の賞与金をこれまた実際には、翌期の同年一〇月五日に支払った、ことは原判決の認定するとおりである(二三丁表)。また、従業員に対する本件賞与金が一般管理費に該当し、事業年度の終了の日までに賞与金の支払債務が具体的に確定すれば、当該事業年度の損金として計上できる(法人税法第二二条第三項第二号、基本通達二―二―一二)、ことは原判決認定のとおりである(二二丁裏)。そこで、問題は、本件の各賞与金の支払債務がいずれも当該事業年度の終了の日までに具体的に確定していたかどうか、ということである。この点につき、原判決はこれを否定しているが、右認定は誤りである。

2 まず、この点につき、原判決は、「被告会社においては被告人の定めた実際に支給される日に各従業員に通知され賞与の支払債務が確定していたものというべきである。」(二三丁裏)旨認定する。しかし、右認定は全く根拠がなく誤りである。原判決は、「被告会社の就業規則及び給与規定の原案」に賞与の支給日については、「賞与の支給期日はその都度定めるものとする。」(同二九条二項)と規定されていることを根拠に、「実際にも被告人が支給日に従業員を営業所に集め、社長室において各従業員に直接手交していた関係等から一定せず、結局被告人の意思によってその都度定められていたこと、被告会社においては、本件昭和五〇年及び同五二年の各九月分の賞与を除き、いずれも賞与の支給日と定められた日に実際に支払われていたことが認められ、」る旨認定する(二三丁)。

3 しかし、当時被告会社には就業規則および給与規定として所定の手続を経て制定されたものは存在せず、鈴木寛がこれらの規則類の作成手続を行なっていた途中である(証人鈴木寛証言、第四回公判、四三丁、四四丁、四六丁、四七丁、第五回公判、八四丁、八五丁、九一丁ないし九六丁)。そのため、原判決も「被告会社の就業規則及び給与規定」とは認定せず、「被告会社の就業規則及び給与規定の原案」と認定している。したがって、このような原案は、被告会社の就業規則でもなければ給与規定でもなく、なんら被告会社を拘束するものでもないし、実際上も被告会社はこの就業規則や給与規定の原案に基づいて運用されていたものでもない。このことは鈴木寛の前記証言によっても明らかである。このために、原判決も、右『原案によれば、「賞与は当該年度の会社の業績を考慮した上、従業員の過去六か月間の勤務成績等に応じて基本給を基準として毎年夏季及び年末に支給する。」(給与規定二九条一項)と定められ、これを受けて前記のとおり毎年六月と一二月に支給されているほか、九月にも支給されていたが(九月分については右の給与規定に定めがないが、被告人は期末の決算月でもあり、従業員の労をねぎらう意味で賞与を支給していたと述べており、臨時賞与と考えられる。)』旨認定している。もし、被告会社に給与規定が存在しているのであれば、給与規定に定められている以外の賞与を支給することはできない筈である。被告会社には実際にも給与規定が存在しなかったし、原判決が「給与規定の原案」と認定するものも給与規定ではなかったために、被告会社は慣行的に各事業年度末である九月末にも賞与を支給していたのである。したがって、原判決が認定する給与規定の原案二九条二項に「賞与の支給期日はその都度定めるものとする。」とあることを根拠に、実際の支給日についても、被告人の意思によってその都度定められていたと認定したのは誤りである。いわゆる「給与規定の原案」なるものは、被告会社をなんら拘束するものではなく、なんらの基準ないし根拠となるものではない(なお、前記第三点第五第一項1(一)参照)。

4 また、原判決は、「右各賞与の支給につき九月中に従業員に対する通知がなされた形跡もなく、かえって、昭和五〇年分については一一月二一日の支給に至るまで従業員から支払の要求があった形跡すらない」旨認定し、右認定を理由に「被告会社においては被告人の定めた実際に支給される日に各従業員に通知され賞与の支払債務が確定していたものというべきである。」と判示する。しかしながら、右認定は全くの独断であって到底承服することができない。右認定によると、賞与の支払債務が具体的に確定するには、被告会社から従業員に対する支給の通知ないし従業員から被告会社に対し支払の要求があることが必要であるかの如くであるが、少くとも被告会社から支給日に各従業員に賞与の支給を通知したときに支払債務が確定するという趣旨である。しかし、右認定は全くの独断であって不合理である。

被告会社が例年九月中に支給していた賞与は、九月が期末の決算月であるため、従業員の労務に対する対価として慣行的に毎年支給してきたいわゆる決算賞与である。この決算賞与は、被告会社において支給されることが既往の実績等からみて常態となっていたものである。したがって、この決算賞与は原判決の認定するような臨時賞与ではない(基本通達一一―四―一〇および一一―四―一二)。その事業年度に被告会社の従業員であって、期末に被告会社に在籍した従業員は、この決算賞与の支給を受ける資格を有するのである。而して、この決算賞与を支給するについては、その支払い準備段階から実際に従業員に支払を実行するまでには、かなりの日数と作業を必要とするのである。そのうち、どの段階に達したときに賞与としての支払債務が確定した、といえるかの問題である。

5 被告会社の当該事業年度の業績が具体的に確定するのは、九月末決算であるから早くとも一〇月末以降である。しかし、経営者である被告人は当該事業年度の業績については慨略の判断はつくものであるから、九月中には経理担当者に対し、当期の決算賞与の支給額等につき指示し、具体的な支給事務を進めるように命ずるのである。経理担当者であった鈴木(大杉喬と結婚前)良子または大杉喬(右結婚後)は、右指示に基づき、九月末日までに各従業員の勤務成績の査定の結果を斟酌のうえ、各従業員毎に決算賞与の支給金額、源泉徴収税額の控除額、差引支給金額等を算出し、賞与金支給の一覧表を作成して、これを被告人に提出し最終的に被告人の決裁をえることによって、決算賞与の支給金額を確定する。この段階で従業員の決算賞与が具体的に特定され、かつ、確定する。すなわち、このときに金額が各従業員毎に分別され特定するだけでなく、右金額の支払が撤回されたり変更されたりする可能性がなくなるわけであるから、決算賞与として確定する(この段階で基本通達二―二―一二の三要件を充足することは明らかである)。

6 更に、本件の場合には、経理担当者の鈴木良子または大杉喬が被告会社の取引銀行から決算賞与として支給するため預金の払戻しを受けて現金を準備し、これを各従業員毎に賞与袋に入れて配分し、現金を入れた賞与袋を被告営業所内の金庫ないし被告会社の本店(被告人の自宅)に保管し、九月末にはいつでも従業員に現実に手交して支給できるように準備していたのである(大杉良子証言、第八回公判、二三二丁)。したがって、仮りに百歩を譲っても、被告会社が各従業員の賞与袋を前記金庫に保管し、いつでも現実に支給できる準備ができたときに、決算賞与の支払債務が具体的に確定していたということができる。被告会社は九月中に右準備を完了していたのであるから、決算賞与の支払債務は確定していたものである。この点につき、原判決は、「被告会社においては被告人の定めた実際に支給される日に各従業員に通知され賞与の支払債務が確定していたものというべきである」と認定するが、この認定は明らかな誤りである。被告会社においては、従来から事前に各従業員に賞与の支給を通知する慣行がないのは勿論、各従業員から賞与の支給を要求されたことは一回もない。原判決の右のような認定は、明らかに法人税法第二二条第三項第二号の解釈を誤ったものである。原判決のような認定によると、被告会社は九月末までに現実に賞与を支給しなければ損金の額に算入できないことになって不合理である。右法条の趣旨は、当期末までに現実に賞与として支給していなくとも、当期末までに支払債務として確定しておれば、当期の損金に算入できるということである。原判決の右認定は、独断であって明らかに誤りである。

7 右の点に関し、原判決は、被告人および大杉良子の供述が信用できない理由として、次のように認定している。

(1) 右両名の各供述を裏付けるに足りる資料は全く存在しない。

(2) 九月頃の退職の問題のために翌々月である一一月二一日まで支給が延期されたり、従業員に対する賞与の支払債務が九月中に確定していながら、一一月二一日までの間に従業員から支払の要求がなされた形跡がないというのはいかにも不自然である。

(3) 被告人が査察段階で述べているように、昭和五〇年及び五二年の各九月期の賞与として計上せんがために帳簿上同月中に実際支給されたかのような工作がなされていた。

(4) 右各賞与の支給につき九月中に従業員に対し通知がなされた形跡がない。

しかし、右認定はいずれも誤りである。

(一) なぜなら、前述のように、被告会社においては、昭和五〇年および五二年の各九月中には、例年どおり従業員の勤務成績を査定して、各従業員毎に支給する賞与金額が決定し、賞与金支給の一覧表も作成され最終的に被告人の決裁を得て確定していたものである。のみならず、経理担当者の大杉良子または大杉喬が被告会社の取引銀行から、各九月中に賞与として支給するため預金の払戻しを受け、この現金を各従業員毎に賞与袋に入れて配分し、各九月中にはいつでも支給できるように右賞与袋に入れた現金を被告会社の営業所内の金庫ないし被告会社本店(被告人の自宅)内に保管していたものである(大杉良子証言、第八回公判、二三二丁、鈴木寛の証言、、第五回公判、八〇丁、被告人の昭和五六・八・三陳述書第二一項1)。右事実を裏付けるに足る証拠が存在するので、辯護人は、控訴審において新たに右証拠を提出する心算である。したがって、原判決の前記(1)の認定は誤りである。被告会社において、昭和五〇年および同五二年の各九月中に、従業員に支給する決算賞与の支払債務が確定していたことは明らかである。

(二) 被告会社においては、丁度昭和五〇年九月頃に、被告会社の従業員のうち何人かが退職するという問題が生じたため、右九月中に支給する予定にして右(一)記載のように賞与袋に入れて保管していた賞与の支給を延期し、同年一一月二一日に支給したのである。そのため、被告人は、従業員が期末の決算賞与の支給を受けた直後に退職するのでは、被告会社として業務上支障を生ずるため、決算賞与の支給を一時延期したのである。その結果、実際には、被告会社は翌期である同年一一月二一日に従業員に決算賞与を支給している。現実に九月中に支給せずに一一月二一日まで支給がおくれたのは、単なる被告会社内部の問題があったためである。しかし、実際には、同年九月中には、従業員に支給する決算賞与の支払債務が確定していたことは前述したとおりである(被告人の右陳述書第二一項1)。したがって、被告会社が決算賞与の支給をおくらせたことについては合理的な理由があるのであって、原判決の前記(二)の認定は誤りである。

また、被告会社が昭和五二年九月に支給すべき決算賞与を、翌期である同年一〇月五日に現実に従業員に支給したのは、永松顧問税理士の指導でやったことである。永松税理士は、被告会社の未払金が多額になるからという理由で、同年一〇月五日の給料日に給料と一緒に支給した決算賞与を、同年九月末に支給したように被告会社の帳簿処理を行なったものである。このときも、昭和五〇年九月期の決算賞与と同様の手順によって、右九月中には決算賞与として従業員に対する支払い債務が確定していたものである(被告人の右陳述書第二一項2、鈴木寛の証言、第五回公判、五七丁ないし六〇丁、七九丁ないし八一丁、第六回公判、一一八丁ないし一二〇丁)。したがって、この場合も、被告会社が決算賞与の支給を期末に行った旨の帳簿処理をしたことについては合理的な理由があるのであって、原判決の前記(二)の認定は誤りである。

(三) 前述のように、被告会社が昭和五〇年および同五二年の各九月中に支給する決算賞与を現実に翌期に支給していても、各九月中に従業員に対する決算賞与の支払債務が確定していたのであるから、現実に九月中に支給しなくとも、未払金として右各事業年度の損金に算入できたのである。したがって、右各事業年度の決算においては、未払金として処理しておけば全く問題はなかったのである。これを永松税理士の指導で未払金が多額になる等の理由で、未払金として処理せず、右各事業年度内である九月中に現実に支給した旨の帳簿処理をしたものである。したがって、これは単に帳簿処理が事実と異なるというだけのことであって、決算賞与として支払債務が確定していたのであるから未払金として処理しても、被告会社の当該事業年度の損金に算入できるという結論は異ならないのである。本件の場合は、単なる未払い賞与とは性質が異なるものである。本件査察捜査の際に、永松税理士を関与させておれば、簡単に右の説明ができ、国税局側に納得してもらうことができたのである。ところが、前記第一点第一において詳述した取引によって、被告人らは税理士を全く本件査察事件に関与させなかった。原判決はこの点を全く無視している。査察官や検察官は、各九月中に現実に賞与を支給していないのに、帳簿上九月中に支給したように処理していることだけをとらえ、あたかも賞与支給で決算の利益を調整する工作をしたのではないか、と疑ったのである。しかし、もし、賞与支給ということで利益調整をしたいのであれば、税法上認められている賞与引当金の制度を利用すればよいのであって、あえて前記のような帳簿処理をする必要は全くないのである。したがって、原判決の前記(3)の認定は誤りである。

(四) また、原判決は、「従業員に対する賞与の支払債務が九月中に確定していながら、一一月二一日までの間に従業員から支払の要求のなされた形跡がないというのはいかにも不自然である」とか、「右各賞与の支給につき九月中に従業員に対し通知がなされた形跡がない」などと認定し、右支払要求や支払通知が賞与の支払債務として確定するための要件であるかの如く認定する。しかし、右認定が誤りであることは前述したとおりである(前記4ないし6参照)。従来、被告会社は、従業員に対し、事前に賞与の支払を通知したことはなく、このような慣行もない。また、従来、従業員から被告会社に対し、賞与の支払を要求したことも全くない。原判決は、一体なにを根拠に、事前に従業員に対する賞与支給の通知をもって支払債務が確定したと解するのか、辯護人の理解に苦しむところである。賞与の支払債務が確定していたかどうかは、前記のような支払通知や支払要求によって認定すべきものではない。したがって、原判決の前記(2)および(4)の認定は誤りである。

三、被告人に故意がなかったことについて

1 右点につき、原判決は、次の(1)、(2)の理由をもって、「被告人が被告会社の簿外交際費の裏資金を捻出する意図のもとに前記従業員らに対する給料及び賞与の水増計上を敢行したことは明らかであって、被告人の故意に欠けるところはない。」旨認定する(二五丁)。

(1) 被告人が検面調書および質問てん末書において供述している内容が具体的であって、関係証拠とも符合し十分に信用できる(二四丁、二五丁)。

(2) 被告人の指示により被告会社の経理担当者が右従業員らに対する給料および賞与の水増分について裏帳簿を作成するなど明らかに隠匿工作をしていること、右給料及び賞与の水増分は、被告会社の経理担当者において管理されず、すべて現金で鈴木きみ子に渡され、簿外交際費に使用されるなどしているが、所論のとおり被告人らが右従業員の給料および賞与の水増分について合法的なものであって、許されるものと認識していたのであれば右のような管理方法等をとっていたことは不可解というほかなく、被告人らの右公判供述はとうてい信用できない(二五丁)。

2 しかしながら、原判決の右認定はこれまた誤りである。前記(1)記載の検面調書および質問てん末書とは、検乙一八および検乙一四であると思われる。しかし、これらの供述録取書はいずれも任意性のないものである、ことは前記第一点において詳述したとおりである。仮りに任意性があっても、全く信用性に欠けるものである。

3 ところで、被告会社は昭和四七、八年頃から簿外交際費の支出が増大し、その財源の捻出に苦慮していたところ、限度額オーバーの交際費を、そのまま交際費として支出すると、租税特別措置法の法人税に関する特例(交際費の損金不算入)を適用されるため、被告人個人の所持金や被告人の預金の払い戻し金等によって、これら簿外交際費の支出にあてていた。しかしながら、いつまでもこのような方法をとることには限界があり、があり、被告人らも適当でないと考え、なにか合法的な支出方法はないものかと、その解決方法を、専門家である永松顧問税理士に相談したのである。これに対し、永松税理士は、従業員に給料として支給したものの一部を、従業員の承諾を得て交際費に使用するのであれば、税法上問題はなく、その給料として支給したものの一部をなにに使用しても自由であるが、勿論給料として一旦支給するのであるから、源泉所得税等は納付しなければならない、と教示、指導したのである。そのため、被告会社は、永松税理士の右指導に従って、従業員の一部に従来の給料手当等の外に、新たに営業手当等を支給し、従業員の承諾を得て、被告会社の簿外交際費にその支給金を支出することを計画したのである(被告人の陳述書第一四項、鈴木きみ子証言、第九回公判、二八四丁、第一一回公判、四一七丁ないし四一九丁、鈴木寛証言、第五回公判、五五丁)。

4 そこで、被告人は従業員の承諾を得るために、原判決認定のように、昭和四九年九月頃、立川市内の「源助」という店に、従業員のなかの主だった土田武夫、松浦進、菅原七郎、高橋昌治、斎藤茂、大杉喬を集めて、その趣旨を説明したところ、即時に出席従業員の承諾を得ている。この六名は被告人と共に、被告会社において交際費を使用する必要のある従業員である。

この会合には、息子の鈴木寛と娘の鈴木(現在大杉)良子の二名は出席していない。寛と良子の二名に支給する営業手当および賞与は、被告人が簿外交際費として費消する心算はなく、被告会社は営業手当および賞与として現実に支給すると約束していたため、出席させなかった。被告人の昭和五三年八月三日付質問てん末書(検乙六)の問六に対する答の欄および大杉喬の第三回公判における証言(八丁)に、右会合の出席者のなかに、息子の寛が出席したように記載されているのは誤りである。前述のように、右会合には寛は出席していない(被告人の陳述書第一五項、鈴木きみ子証言、第九回公判、二八六丁、二八七丁、二九一丁ないし二九三丁、三一〇丁、三一一丁、第一一回公判、四一九丁ないし四二二丁、鈴木寛証言、第四回公判、五〇丁ないし五二丁)。

5 被告人は、当日「源助」に集まった従業員に趣旨を説明しているが、その趣旨とは、被告会社を発展させてゆくためには、交際費が必要であるが、これに使用する資金を捻出するために、新たに営業手当を従来の給料に上乗せして支給することにし、これを交際費として使用することにしたい、営業手当として支給するのであるから、源泉所得税等を支払い、従業員に迷惑をかけないようにするので賛成してもらえるか、というものであった。右提案に対して、出席従業員が全員即座に賛成し、承諾してくれた。そこで、被告人は、従業員一人当り毎月営業手当として二〇万円づつ支給することにしたいが、この金額で交際費をまかなうことができるかどうか、を相談したところ、出席従業員全員がこれを肯定したので、被告人はその旨処理することを表明した。

また、被告人は、交際費の不足分を給料のほかに賞与金についても、同じ方法によって捻出したいので被告人に任せて欲しい旨を提案し、出席者全員の承諾を得ている(被告人の陳述書第一六項、鈴木きみ子証言、第九回公判、二八五丁、二八六丁)。この点に関する前記検面調書および質問てん末書の供述記載は信用できないものである。

6 ところで、永松税理士は被告人ら夫婦に、具体的な処理方法とか、帳簿処理の方法については、指導してくれなかったし、また、営業手当または賞与は従業員に一旦現実に交付しなければならない、ということまで注意してくれなかった。永松税理士の前記教示、指導は、被告会社が従業員に対し、一旦現実に給料手当および賞与金を直接交付して支給し、その支給したものの一部を従業員が被告会社のために、交際費として使用すればよい、という趣旨のものであったかも知れない。税法の専門家である永松税理士としては、給料手当として支給するという趣旨は、現実に給料手当等を現金で直接従業員に交付することを当然のことと考えており、かつ、被告会社においても、従来から現実に現金で直接従業員に交付していたため、あえて営業手当の支給方法まで指導したり、念押し的な注意をしなかったものと思料される。

ところが、被告人ら夫婦は、被告会社がこれらの従業員に対し、一旦現実に給料手当および賞与を直接交付して支給し、その後に、再び妻きみ子がこれらの従業員から預託を受けるという方法をとらずに、妻きみ子がこれらの従業員に代って、被告会社から営業手当および賞与を受領することも、これらの従業員の承諾があるため許されると考えたのである。当時被告人ら夫婦は法律に無知であるから、給料手当および賞与を従業員に代って受領することが許されないものであることの認識はなく、給料手当および賞与について源泉所得税等を納付すれば、税法上問題はない、という永松税理士の教示、指導を全面的に信用していたのであるから、違法の認識は全くなかったのである。また、被告人としては、被告会社が従業員の承諾を得ていたので、被告会社から妻きみ子に対し、営業手当および賞与を現実に交付して支給すれば、これらの従業員に支給したことになると認識していたのである。そのため、被告会社は、これら従業員の営業手当および賞与については、被告会社の経理担当者が毎月(営業手当)ないし支給月(賞与金については六月、九月、一二月)に各従業員毎に個別的に計算して金額を特定し、各従業員毎の支給明細表を作成の上、右明細表と共に現金を被告人宅まで持参し、被告人の妻きみ子に交付していたものである。

7 この点につき、原判決は、「被告人の指示により被告会社の経理担当者が右従業員らに対する給料及び賞与の水増分については裏帳簿にするなど明らかに隠匿工作をしている」旨認定する。しかし、原判決の右認定は誤りである。なぜなら、被告人は、前記「源助」における会合の際、営業手当として支給したものを被告会社のために交際費として使用することを承諾した従業員に対し、当然のことながら源泉所得税等の税金を納付し、従業員には迷惑ををかけない旨約束している。そのため、営業手当分の源泉所得税等を算出する必要があったが、永松税理士からは帳簿処理の具体的方法については指導を受けなかったため、給料および賞与の支給に際し、被告会社は営業手当を含めた給料等全部について源泉徴収簿兼賃金台帳(符9)、給料明細表綴(符11)を作成したほかに、営業手当を除外した給料等についても一人別源泉徴収簿等綴(符12)、賃金台帳(符10)、賃金計算書(符14)等を作成したのである。これはあくまでも前記趣旨によって作成したものであって、原判決が認定するように、水増計上額と実際支給額とを区別するために裏帳簿を作成し水増計上の隠匿工作を行なっていたものではない。また、この点につき、原判決は、「右給料及び賞与の水増分は、被告会社の経理担当者において管理されず、すべて現金で鈴木きみ子に渡され、簿外交際費等に使用されるなどしている」旨認定するが、これは当時被告人らが水増計上をしている事実についての認識がなかったことを物語るものである。なぜなら、被告会社が水増計上をしているとの認識をもっていたのであれば、給料手当および賞与の水増分は、被告会社の経理担当者において管理されている筈である。被告会社の経理担当者が管理せず、妻きみ子が自宅において管理していたという事実は、被告会社の簿外資金を管理しているという認識をしていたのではなく、従業員に支給された営業手当および賞与を従業員のために管理していると認識していたことを物語るものである。被告人らは営業手当および賞与が合法的なものであり、許されるものと認識していたため、被告会社の経理担当者ではなく、妻きみ子が自宅において管理していたのであって、従業員から委託を受け従業員のために管理していたと認識していたことは明らかである。これを不可解と認定した原判決は誤りである。

8 前述のように、被告人は、被告会社が従業員に対し、営業手当および賞与を支給し、従業員の委託を受けた妻きみ子が受領し、従業員のために管理しているものと認識していたのである。すなわち、当時、被告人ら夫婦には、営業手当および賞与につき水増計上をしている事実についての認識はなかった。あくまでも、従業員の営業手当および賞与を管理しているという事実を認識していたのである(鈴木きみ子証言、第九回公判、二八四丁、二八五丁、第一〇回公判、三七三丁ないし三七七丁、被告人の陳述書第一四項ないし第一九項)。したがって、妻きみ子は、被告会社の資金を管理しているという認識は全くなかったのである。客観的には、被告会社は従業員の承諾を得ていたとはいえ、従業員に直接これらの営業手当および賞与を支給していなかったのであるから、妻きみ子の管理していたこれらの資金は、従業員に支給した営業手当および賞与ということができないものであり、被告会社の所有に帰属する資金であったということができる。しかし、被告人ら夫婦は、あくまでも、これらの資金は従業員からの委託によって、従業員所有の資金を管理しているものと認識していたのであるから、そこに事実と認識との間に錯誤がある。すなわち、従業員の委託を受けて営業手当および賞与として支給された個人所有の資金を管理している、それが客観的事実であると信じていた被告人ら夫婦の認識と、実際にその資金が原判決が認定するように水増計上であるとすれば、被告会社の資金を管理していたということになり、このような客観的事実と被告人ら夫婦の主観的認識との間に喰い違いがある。したがって、事実と認識との錯誤がある。この錯誤は、事実の錯誤であるから犯意を阻却する。

以上の次第であるから、原判決が被告人の故意に欠けるところはない旨認定したのは、誤りであることが明らかである。

第六 その余の問題に対する誤認について

一、本件工事収入金および減価償却費につき、原判決は、「杜撰な処理がなされているのであり、これらは税理士の専門的知識をもってすれば容易に適正な申告をなしうる事項であるのに、敢えて右のような処理が税理士によって行われていることを考えると本件工事収入金の除外及び減価償却の過大計上について被告人のほ脱の故意に欠けるところはない」と認定する(二六丁)。しかし、右認定は誤りである。なぜなら、本件工事収入金計算漏れは、工事収入金調査書(甲一の一)によっても明らかなように、被告会社の経理担当者の売掛金計算の誤謬による単純な収入金の計算漏れであり、単純な期間損益の問題である。被告人自身は全く関与しない事項である。また、減価償却超過額は、減価償却超過調査書(甲一の一六)によっても明らかなように、三鷹宿舎の耐用年数適用について、被告会社の経理担当者および顧問税理士が三〇年を一〇年と誤認して適用したため法定償却費を超える金額を償却していたものであって、これまた単純な計算上の誤りであって、被告人が関与した事項ではない。したがって、被告人にはいずれも偽りその他不正行為により法人税を免れるというほ脱の故意を欠くものである。

二、租税公課、法定福利費、雑収入につき、原判決は、「本件受取利息及び債券売却益や給料手当及び賞与金について、すでに述べたとおり、いずれも理由がないので、辯護人の主張はいずれも採用できない」と認定する(二六丁)。

しかし、右認定も誤りである。なぜなら、前記第三で詳述したように、北立土木の水増工事代金三、六〇〇万円を定期預金および貸付信託にしたものを除く受取利息および債券売却益につき、ほ脱の事実がないことが明らであるので、租税公課、並びに、給料手当および賞与金についても、ほ脱の事実がないので法定福利費につき、原判決の右認定が誤りであることは明らかである。また、雑収入の計算漏れについては、雑収入調査書(甲一の五)に記載の減算すべき雇用保険の金額は、給料手当および賞与金につき事実の錯誤(前記第四参照)により故意を阻却するので、公表金額どおりとなり、零となる。したがって、住み込み従業員から入金した電気料等についてのみ計上漏れとなる。

第四点 原判決には、審理不尽の違法があり、右は訴訟手続の法令違反にあたり、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄されるべきである。

一、 本件において、受取利息の発生源である本件仮名預金等が被告人ら個人に帰属するか、あるいは、被告会社に帰属するか、が最大の争点であることは前述したとおりである。而して、本件仮名預金等の帰属を決定するうえで重要な問題の一つに、法人成り当時の被告人の個人資産の評価がいくらであったか、ということがあることも、前記第二点第一項において述べたとおりである。

ところが、原判決は、この点につき、「法人成り当時の被告人の個人資産の状況、特に純資産の額については、かなりの年月が経過しこれを証するに足る客観的な資料も存在しないので、必ずしも明らかでない」(一二丁表)旨判示し、法人成り当時の被告人の個人資産の評価をさけている。この点につき、原判決には、審理不尽の違法がある。原審がこの点についての審理を十分に尽くせば、法人成り当時の被告人の個人資産は一億円以上存在したことを明らかにできたのである。原判決は、「かなりの年月が経過しこれを証するに足りる客観的な資料も存在しない」ことを理由に、法人成り当時の被告人の個人資産の評価をさけている。しかしながら、辯護人が弁論要旨第三の第一項1なし10(六七丁なし一五三丁)において詳述したように、原審に提出された客観的な証拠資料を精査し、審理を尽しておれば、法人成り当時の被告人の個人資産が一億円以上存在したことを明らかにすることができたのである。

本件仮名預金等の大部分は、被告人が法人成り当時所有していた一億円以上の個人資産およびその利息から転化したものであるから、法人成り当時の被告人の個人資産の評価を確定することは、さけて通ることのできない問題である。

二、 ところで、被告人は、本件査察事件の捜査当時から、法人成り当時の個人資産は一億円以上存在したと主張し、それを裏付けるための証拠資料を国税局に任意提出し、その一部を領置してもらっている(弁証二〇)。しかるに、査察官は、これらの客観的証拠を精査し、被告人より事情聴取をすることによって、これらの個人資産の評価をすることをさけ、なんらの裏付捜査もやらず、かつ、なんらの根拠もないのに、被告人に対し種々の約束による働きかけや脅迫的取調べをすることによって、個人資産一億円以上あったという主張を撤回させ、個人資産が三千万円であった旨の質問てん末書(検乙八)を作成させたのである(前記第一点、第三、第五項、第六項参照)。ところが、個人資産が三千万円であったという供述記載自体、きわめて客観性にかけるものであって信用できないものである。法人成り当時の被告人の個人資産が右質問てん末書記載どおりであることを客観的に証明する証拠は全く存在しないだけでなく、査察官は、この点につき、全く裏付捜査を行なっていないことを自認している(関谷証言、第二二回公判、八二四丁、八二五丁)。そのために、原判決さえ、法人成り当時の被告人の個人資産が三千万円であったことを認定できなかったのである。

三、 法人成り当時の被告人の個人資産は、不動産(府中営業所の土地・建物および立川市内所在の自宅の建物等)を除外しても、少くとも一億円以上存在したことは、客観的な証拠資料を精査すれば容易に認定することが可能である。

すなわち

1 第一に、被告人は、昭和二四、五年ころから昭和二九年ころに鈴木商店として独立するまでの四、五年の間に、通訳としての収入の外に、当時の金額で少なくとも数百万円の収入を得ていたことは明らかである(後記第四項参照)。

2 第二に、被告人が昭和二九年ころに鈴木商店として独立し、以来昭和三五年一〇月被告会社を設立するまでの約七年間に及ぶ、鈴木商店の営業内容、収入、および所得の概要を検討することによって、法人成り当時の個人資産が一億円以上存在したことは明らかである(後記第五項)。

3 第三、に被告人が鈴木商店時代に製作して販売したブルドーザー、フォークリフトおよび鈴木式シャベルローダー、同じく販売したトレーラー、自動車類およびその他の商品の販売数量、代金額、利益額等を明らかにすることによって、法人成り当時の被告人の個人資産が一億円以上あったことを裏付けることが可能である(後記第六項ないし第一〇項)。

4 第四に、被告会社設立時の被告人らの預貯金が、前記質問てん末書(検乙九)記載のように、多くとも四〇〇万円位ではなく、少くとも一、八〇〇万円以上あったことを、仮名・無記名預金の発生状況からも裏付けられることを明らかにし、前記第三(右3)の商品の販売状況と併せて、法人成り当時の被告人の個人資産が一億円以上あったことを裏付けることができる(後記第一一項)。

5 第五に、法人成り当時の被告人の個人資産が被告人の主張する一億円以上存在したことを、具体的な証拠に基づいて計算することができるので、この点を明らかにする(後記第一二項)。

四、 被告人は、昭和二四、五年ころから昭和二九年ころに鈴木商店として独立するまでの四、五年間に、米軍立川基地の通訳をしていたが、右通訳時代にも、副業的に米軍に対する業者の許可申請手続の代行や交渉等をやったり、あるいは、トラックを使用して埋設物や野菜等の運送をやったりして、通訳の収入以外にも、相当多額の報酬や収入等を得、右収入等は少なくとも数百万円以上あったことは明らかであり、鈴木商店として独立した当時には、数百万円の資金を所有するに至っていたものである(第一七回公判の被告人の供述、五五五丁ないし五五七丁)。右の事実は、左記証拠によっても裏付けられる。

1 被告人は、昭和二六年一二月二六日、石井一からトラックを賃借し、その借用賃五万円を支払っている(弁証一四)。被告人は、通訳時代の昭和二六年ころに、副業的にトラックを使用して旧陸軍の埋設物を運搬したり、あるいは、野菜などを野菜市場まで運搬する運送業を営み、相当の収入を得ていたものである(第一八回公判の被告人の供述、五九一丁、五九二丁)。

2 また、被告人は、新潟市在住の永原修等から旧軍隊の埋設物の発掘許可申請手続の代行をすることを依頼され、その報酬の支払のために、昭和二八年一二月二五日、約束手形四通(弁証五)額面合計五〇万円の振出交付を受けている。その際、右手形の支払を担保するために、担保権を設定する目的で、被告人は永原修等から船舶登記簿謄本(弁証一五)を受領している。被告人は、永原修等から報酬としてこの手形金に相当する金五〇万円を受領している(第一八回公判の被告人の供述、五九三丁、五九四丁)。

3 また、被告人は、サイトウジュンジュから旧陸軍所有の埋蔵物の発掘許可申請手続の代行を依頼され、昭和二七年二月頃、右発掘許可申請の書類(弁証三)を作成したり、右許可申請手続を代行し、その謝礼として当時金五〇万円を受領している(前記五五八丁)。

4 また、被告人は、昭和二八年一一、一二月頃、高橋株式会社三鷹支店長アダチタケオからグリーンパーク基地内の廃品処理業務の許可申請手続の代行を依頼され、右基地建設指揮官宛の廃品処理サービス願関係の書類(弁証四)を作成したり、右許可申請手続を代行し、その際にも相当多額の謝礼を受領している(前記五五七丁、五五八丁)。

5 また、被告人は、昭和二九年四月頃、田口一郎から石けんの原料(ラード)の払下げを米軍から受ける申請手続の代行を依頼され、その代行業務を行なったが、その謝礼として同人から同年五月一日振出の額面五〇万円の小切手(弁証六)を受領している(前記五五九丁、五六〇丁)。

6 また、被告人は、右通訳時代に、木村建設株式会社のために、米軍から廃品払下げ業者の許可申請手続を代行し、右許可を得させている。「軍基地不用品回収事業損益目論見書(弁証一七)は、昭和二九年初め頃に、右会社がその資金の一部二一九万円を埼玉銀行より融資を受けるために作成した「事業概要書」、「資金繰表」、「一ケ月当り営業収支目論見表」である。右書面によると、昭和二九年四月から同三〇年三月までの一年間の契約期間で、契約価額二、一一〇万円、作業開始時までに保証金として二〇%相当の四二二万円を支払い、以後毎月利益金に相当する一七五万八千円を納入するという契約内容である。すなわち、一ケ月の収益が一七五万七千円であるから、一年間で当時の価額で二、一〇八万四〇〇円という莫大な利益を算出をすることになる計算である。「一ケ月当り営業収支目論見表」の収入の部欄に「鋼材五〇〇貫四五、〇〇〇」円と記載されているので、鉄のスクラップは一トン当り二二、〇〇〇円となり、鈴木きみ子証言(第二六回公判、九五五丁ないし九五八丁、九六四丁ないし九六七丁)が正しいことが裏付けられるのである。被告人は、昭和二九年に鈴木商店として独立するに際し、木村建設株式会社に慰労金および給料未払分として、一、一一五、〇〇〇円の支払いを請求し(弁証八)該金員の支払いを受けている(前記五六〇丁ないし五六二丁)。

7 以上の次第であって、昭和二四、五年から同二九年頃まで四、五年の間、被告人が立川基地で通訳をやっていたときに、被告人は通訳の収入の外に、当時の金額で既に少なくとも数百万円以上の収入を得ていたことは明らかである。

五、 次に、被告人は、昭和二九年に通訳をやめて鈴木商店を開業して独立し、爾来昭和三五年一〇月被告会社を設立して法人成りするまでの約七年間、鈴木商店を経営してきたものである。鈴木商店の営業内容は、右独立以来昭和三二年ころまでの前半と、同三三年ころから法人成りするまでの後半とで段階的に変化している。すなわち、右前半では、主としてトレーラー、トラック、バス、乗用車、オートバイ等の車輌類および航空機のエンジン等の払下げを受け、これを解体して、部品毎に分類して販売し、部品として販売できないものは、スクラップとして分類して販売していたものである。ところが、右後半では、右のような車輌類および航空機のエンジン等の払下げ、解体、販売の外に、フォークリフト、ブルドーザー、トラック、クレーン等の払下げを受けて、これらの組立およびフォークリフトの部品による鈴木式シャベルローダーの組立並びにこれら組立てた機械類の販売、賃貸しなどをやるようになり、更には、組立てたブルドーザーを使用して建設工事の請負業を兼営するようになり、段階的に変化してきている。

この点につき、原判決は、「被告人は米軍立川基地において通訳の仕事をしていた関係から、昭和二四年ころから頭書住居地において進駐軍からブルドーザーのスクラップ等の払下げをうけ、これを組立てて販売するようになり、昭二九年ころには府中市内に営業所を設置し鈴木商店の名称で家族らとともに建設機械、部品、資材等の販売、賃貸業を始めた」旨認定するが、右認定は時期の点で誤りである。原審は証拠資料を精査していないため、右のような杜撰な誤った認定をしている。前記第四項記載のように、被告人は昭和二四年ころから同二八年ころまでは「進駐軍からブルドーザーのスクラップ等の払下げを受けたり、これを組立て販売したりした」ことはないし、「昭和二九年ころに府中市内に営業所を設置した」こともない。原判決は、なにを証拠にこのような誤った認定をするのであろうか。結局、十分に記録を精査していないためと思料される。第一に、被告人が鈴木商店を開業し、進駐軍から車輌類や航空機のエンジン等の払下げを受け、これを解体して部品およびスクラップとして販売するようになったのは、前述のように昭和二九年ころからであって、原判決認定のように昭和二四年ころからではない。第二に、被告人がブルドーザー等の払下げを受け、これを組立てて販売するようになったのは、前述のように昭和三三年ころから法人成りする昭和三五年一〇月ころまでの鈴木商店の後半時代であって、原判決認定のように昭和二四年ころからではない。第三に、被告人が鈴木商店の営業所を府中市内に設けたのは昭和三三年ころからであって(鈴木きみ子証言、第九回公判、二七五丁、第一一回公判、三九一丁)、原判決認定のように昭和二九年ころではない。第四に、鈴木商店の営業は原判決認定のように被告人の家族らだけで行なっていたものではなく、家族らのほかに従業員五、六名ないし七、八名で行なっていたものである(弁証六二、六三)。

前述のように、鈴木商店の営業内容は、段階的に変化してきている。したがって、鈴木商店時代の被告人の収入および所得は、昭和二九年ころから同三二年ころまでの前半よりも、昭和三三年以降法人成りの昭和三五年一〇月ころまでの後半の方が増大している。この間に、被告人が蓄積した現金、預貯金、建設機械、資材、部品等の商品を含む個人資産は、三千万円程度のものではなく、被告人が供述しているように、少なくとも一億円以上存在していたものである。以下この点を概括的に明らかにする。

1 先ず、昭和三二年一月から同年一〇月までの間の鈴木商店の営業の概要は、当時被告人の妻鈴木きみ子が記載していた金銭出納帳(弁証二九)、作業日誌(弁証三〇)、昭和三二年(一九五七)日記兼用模範家計簿(弁証二〇六)、被告人作成の陳述書(弁証二一一)、同女作成の第一陳述書(弁証三八)および第二六回公判における同女の証言等によって明らかである。

右期間に、被告人が米軍から払下げを受けた物品およびこれらを解体して販売した物品は、各種の自動車類、トレーラー、B二九のエンジン、鉄および鋳物(故銑)等のスクラップ、鉛、真鋳、銅、砲金等の非鉄金属(所謂光り物)、発電機、電機部品、バッテリー、タイヤ、エンジン、ラジエター、ヒーター、その他の自動車部品、プラスチック、ジュラルミン、ステンレス、銅線、ラジオ、薪等である。

前記証拠によって明らかなように、被告人は、鈴木商店として独立した昭和二九年ころから同三二年ころまでは、主として、トレーラー、トラック、バス、乗用車、オートバイ等の車輌類、航空機のエンジン等の払下げを受け、これを解体して、部品毎に分類して販売し、部品として販売できないものは、スクラップとして分類して販売していたものである。したがって、当時の被告人の収入は、これら部品およびスクラップ類の販売代金である。その収入の明細は、弁論要旨添付の別紙資料一記載のとおりである。すなわち、右別紙資料一―一によると被告人の昭和三二年度一年間の売上金四一、五八九、二七二円、仕入代金二四、九六五、三八四円、売買利益金一六、六二三、八八八円、販売費および一般管理費一、七六一、三九〇円、差引純利益(所得)金一四、八六二、四九八円となる。右の計算は、先ず、金銭出納帳(弁証二九)によって、自昭和三二・一・一至同三二・一〇・三一までの一〇ケ月の実額による売上金(右資料一―二)仕入金(右資料一―三)、販売費および一般管理費(右資料一―四)を算出した(別紙資料一―一の〈1〉欄参照)が、右金銭出納帳(弁証二九)には、被告人が同年八月三〇日北田商店に売却した鉄のスクラップ一〇〇トン(代金は一トン当り二万円位であったので約二〇〇万円)の代金の収入があった(作業日誌、弁証三〇)のが記載もれになっているので、右代金二〇〇万円を売上金に加算して修正し、これに伴って、仕入金、売買利益、販売費および一般管理費、および差引純利益を夫々修正したものが、右資料一―一の〈2〉欄記載のものである。これを更に年換算(一二ケ月分)すると、売上金二一、五八九、二七二円、仕入金一四、九六五、三八四円、売買利益六、六二三、八八八円、販売費および一般管理費一、七六一、三九〇円、差引純利益四、八六二、四九八円となる(右資料一―一の〈3〉欄参照)。これが当時の一年間の所得金額である。ところが、このほかに、被告人は、昭和三二年九月一三日北田商店に鉄のスクラップ一千トンを売却している(弁証三〇、弁証二〇六)ことが明らかである。この代金は当時の相場一トン当り二万円で計算すると約二千万円となる(後記第一〇項4参照)。これは前記八月三〇日売却の鉄のスクラップ一〇〇トンと同様に、前記金銭出納帳(弁証二九)には記載もれとなっている。そこで、別紙資料一―一〈4〉欄で、右代金二、〇〇〇万円を売上金に加算して修正し、これに伴って仕入金、売買利益、販売費および一般管理費並びに差引純利益(所得)を前記のとおり修正したものである(右別紙資料一―一の〈4〉欄参照)。以上の次第であるので、昭和二九年ころの鈴木商店開業以来昭和三二年ころまでの約四年間は、少なくとも毎年右別紙資料一―一記載の程度の収入および所得を得ていたであろうことは、容易に推認できるところである。そのほかに、払下げを受けた物資のうちで、他に販売されずに在庫として蓄積されたものが増大していったことも、これまた写真(弁証二、弁証一八)等によって容易に推認できるところである。

2 次に、昭和三三年度の鈴木商店の営業内容は、同じく当時被告人の妻鈴木きみ子が記載していた作業日誌(弁証三一)、家計簿(弁証三二)、および同女作成の第二陳述書(弁証三九)によって明らかである。

これらの証拠によると、右年度に被告人が米軍から払下げを受けた物品は前年度と大体同じものであるが、従来の販売商品の外に、フォークリフト、ブルドーザー等の機械類の組立およびこれら機械類の製品の販売を始めていることが判明する。

すなわち、右作業日誌(弁証三一)の一月二日の欄に、「H外まわりブルドーザー売込」の記載があり、鈴木商店が払下げを受けたブルドーザーの部品を組立てて製造したブルドーザーの第一号と思料される(弁証三九の第五項)。また、右作業日誌の二月一〇日の欄に、「萩原氏ブルドーザー売買成立、百万円受領(夜十時)」の記載があり、鈴木商店が組立て製造したブルドーザーを、萩原の紹介で村山商店に売却し、手附金百万円を受領している(弁証三九の第一七項、第二四項、第三一項)。

また、右家計簿の三月九日の欄に、「フォークリフト組立」の記載があり、鈴木商店が払下げを受けたフォークリフトの部品を使用してフォークリフトを組立てたものであって、フォークリフトの組立はこの頃から始めたことが判明する(弁証三九の第二二項)。また、右家計簿の四月一一日の欄に、「フォークリフト初貸する」の記載があり、鈴木商店が自分で組立てたフォークリフトを、初めて他社に賃貸したことが判明する。その後、被告人は、フォークリフトにバケット等を取り付けて、所謂「鈴木式シャベルローダー」を組立て販売するようになったのである(弁証三九第二六項)。

このように、昭和三三年度は、前年に比較し、払下げ物資の販売の外に、大量のトレーラーを販売(後記第八項参照)したり、あるいは、フォークリフトやブルドーザー等の機械の組立てによる販売を行なっており、被告人の収入および所得は、前年度に比較して飛躍的に増大したことが理解できるのである。

3 次に、昭和三四年度については、前記1、2記載のような作業日誌や金銭出納帳が発見されていないため、右年度の鈴木商店の営業内容の詳細を明らかにすることができないが、前年度と略々同様の営業をやっていたことは間違いないものと思料される(被告人の供述、第一七回公判、五六六丁ないし五八八丁、第一八回公判、五九六丁ないし六一八丁、鈴木きみ子証言、第一一回公判、三八一丁ないし三九二丁、弁証三八、弁証三九)。右年度についても、鈴木きみ子は、作業日誌や金銭出納帳等を記載していたが、長年月の間に破棄したためか、現在発見されていない。ただし、同女が当時記載していた手帳(弁証一)および日記兼用家計簿(一九五九)(弁証二〇七)が発見されて証拠として提出されているが、右手帳には、鈴木商店が販売したブルドーザー、鈴木式シャベルローダー、フォークリフト等機械類の割賦販売代金(主として約束手形)の入金予定が記載されており、同年度中に販売した機械類の台数や代金額を推認することが可能である(弁証三九第五七項、鈴木きみ子証言、第一三回公判、五一三丁ないし五二一丁)。また、右日記兼用家計簿(弁証二〇七)および陳述書(弁証二一一)によると、鈴木商店が販売した鈴木式シャベルローダー、フォークリフト、CT9、TD9、ターグ、トレーラー等機械類の販売先、納入年月日が記載されており、前記手帳(弁証一)の記載と一致するだけでなく、鈴木商店が右機械類以外にドラム罐、鋳物、光物等のスクラップ、トラック、乗用車、ベアリング等を販売していたこと、更には、ブルドーザーD8、D4等を仕入れていたことが明らかである。

昭和三四年度中に鈴木商店が販売した前記機械類の台数および代金額の明細は、弁論要旨添付の別紙資料二の「ブル等割賦入金予定額表」記載のとおりである。右手帳(弁証一)の入金記載によると、鈴木商店が昭和三四年度において、機械類の割賦販売によって得た割賦販売代金は、右手帳に記載された実額、およびこれに記載もれや明らかな誤記等を訂正した金額によると右別紙資料二記載のとおりである。すなわち、実額合計金一〇、〇一一、四五〇円、推計代金額金七、八〇六、三二〇円であって、両者を合算した推計割賦販売代金は、金一七、八一七、七七〇円となる(右資料二の合計が一七、七五九、〇七〇とあるのは誤記であって、正しくは前記合算額である)。更に、この年度には、従来の年度と同じように、機械、自動車等の部品、スクラップ等の販売代金があったわけでああるら、昭和三四年度の鈴木商店の収入および所得は、商品の在庫を除外しても、少なくとも、前記別紙資料一―一の〈3〉欄記載の売上代金二一、五八九、二七二円、差引純利益(所得)四、八六二、四九八円に、右別紙資料二の推計割賦販売代金一七、八一七、七七〇円を加算した金額以上であったことは確実である。

4 次に、昭和三五年度については、被告会社設立前の同年一〇月一七日までの鈴木商店の営業内容を明らかにする作業日誌や金銭出納帳が発見されていないため、その詳細を明らかにすることはできない。しかし、前年の昭和三四年度と略々同様の営業をやっていたことは間違いないところである。ただし、同女が被告会社設立以後の収支を記載した金銭出納帳(甲二の一〇二)および一九六〇日記家計簿(弁証二〇八)が存在し、そのなかに、鈴木商店時代に売却したブルドーザー、鈴木式シャベルローダー、フォークリフト等機械類の販売先、納入日、割賦代金収入の記載があるので、右記載によって、鈴木商店が、昭和三五年度に販売した機械類の種類や台数等を推認することができる。而して、昭和三五年度に鈴木商店が販売した機械類の台数および代金額の明細は、弁論要旨添附の別紙資料三の「ブル等入金額一覧表」記載のとおりである。右年度中には、それ以外に販売したものがあると推測されるが、残念ながら証拠がないので、証拠のあるものだけに限定せざるを得ないことになる。そうすると、昭和三五年度(ただし法人成り前日の一〇月一七日まで)の鈴木商店の収入および所得は、前記別紙資料一―一の〈2〉欄記載の売上金一七、九九一、〇六〇円、差引純利益(所得)金四、〇五二、六八六円に、右別紙資料三の収入金額およびこれから推計される純利益金を加算したものとなる。

5 被告人は、鈴木商店時代に合計約三〇台のフォークリフトの払下げをうけ、内一四、五台を組み立てたり、改造したりして、フォークリフトまたは鈴木式シャベルローダーとして販売している。販売したシャベルローダーのうち、証拠上明確なもの(前記別紙資料二ないし四参照)は一三台であり、被告人の供述とも略々一致する(第一七回公判の被告人の供述、記録五七二丁ないし五七四丁)。これらはいずれも鈴木商店時代に販売したものであって、被告会社設立後に販売したものではないから、その販売代金は被告人個人に帰属するものである。被告人がフォークリフトを払下げたときの払下げ原価は一台当り五、六万円位であり、これを組立てたり、改造したりして販売するときの販売価額は、フォークリフト一台当り四〇万円ないし五〇万円、鈴木式シャベルローダー一台当り一三〇万円ないし一五〇万円位であり、右機械については一台当り少なくとも一〇〇万円以上の利益が出たのである(第一七回公判の被告人の供述、前記五七一丁ないし五七三丁)。したがって、被告人が販売した一三台の右シャベルローダーの代金は約一、七〇〇万円ないし二、〇〇〇万円位であるから約二、〇〇〇万円弱であったと推認され、そのうち純利益(所得)は約一、五〇〇万円位と推認される。これらの機械類の具体的な内容については、後記第六項以下において詳述する。

結局、被告人が昭和二九年ころから昭和三五年一〇月一八日の法人成りまでの約七年間に売却した機械類の推計販売代金は、弁論要旨添附の別紙資料七記載のとおりである。右推計販売代金に、前記別紙資料一の販売売代金の七年間分を加算したものが、右七年間の総販売代金額になる。これから販売原価や一般管理等の経費を控除したものが被告人の所得となるわけであるが、それは同別紙資料八記載のとおりである。これによっても、昭和三五年一〇月の法人成り当時における被告人の個人資産が一億円以上存在したことを推認できるのである。

六、 被告人の個人資産が法人成り当時、三千万円でなく、少なくとも一億円以上あったことを立証するために、まず、第一に、被告人が払下げを受けたブルドーザー等の機械類につき、被告人が組み立て製作し、他に販売したり、自己使用したり、あるいは、他に賃貸した概要を明らかにすることとする。既に長年月を経過し、証拠資料も散逸し、被告人らの記憶も不正確となっているが、辯護人が法廷に提出した証拠資料および被告人ら関係者の供述によって、その概要を明らかにすることができたと確信する。まず、本項においてブルドーザー関係を明らかにし、以下フォークリフトおよびシャベルローダー(後記第七項)、トレーラー(後記第八項)、自動車類(後記第九項)、その他の商品(後記第一〇項)につき、順次具体的に検討することにする。これらの検討によって明らかになったことは、被告人の昭和五三年九月七日付および九月一一日付の各質問てん末書(検乙八、乙九)の供述記載が全く事実に反し、信用できないということである。以下まず、ブルドーザー関係を検討する。

1 作業日誌(弁証三一)の昭和三三年一月一二日の欄に、「H外まわりブルドーザー売込」の記載があり、これは被告人が払下げを受けたブルドーザーの部品を組み立てて(弁証二〇ないし〇)、ブルドーザーを完成させ(弁証二〇)、これを販売しようとしたものである(弁証二〇ないし〇)。多分これは鈴木商店が販売したブルドーザーの第一号であると思料される。ブルドーザーの記載が作業日誌に出てくるのは、これが最初だからである(弁証三九第五項)。また、同二月一〇日の欄に、「萩原氏ブルドーザー売買成立、百万円受領(夜十時)」の記載があり、これは鈴木商店が組み立てたブルドーザーを萩原の紹介で村山商店に売却し、手附金百万円を受領した趣旨である(弁証三九の第一七項)。鈴木商店が萩原の紹介で村山商店にブルドーザーを売却したことは、主婦日記(弁証三二)の三月二四日の欄に、「村山氏来る、萩原ブルドーザーの件」という記載と、同四月一六日の欄に、「村山商店部品売り」、および同月二二日の欄に、「ブルドーザーの件完了、萩原氏に支払」の記載によって明らかである(弁証三九第二四項、第三一項)。被告人は同日までにブルドーザーの代金として数百万円の収入を得ている(第一八回公判の被告人の供述、六一五丁)。

2 次に手帳(弁証一)によると、昭和三四年一月から一二月まで毎月二八日に二五万円宛割賦金が入金した旨の記載がある。この手帳にある「藤原」とは藤原建材店の略符号であって、この割賦金はブルドーザーの売却代金を割賦にするため、約束手形を受領したものである。一〇月分だけ記載がないが、これは鈴木きみ子が失念したための記載漏れである(第一三回公判の鈴木きみ子証言、五一八丁、五一九丁)。また、一一月分は同月二〇日、一〇万円と同月二八日に二〇万円の入金があったので、一二月分は一二月二八日に二〇万円入金となっており、同年度の入金額は三〇〇万円である。その余の割賦金は、昭和三三年度か同三五年度に発生していたものと思われる。昭和三三年度および同三五年度の金銭出納帳が発見されていないので、この点は不明である。

また、鈴木商店がブルドーザーを割賦で販売する際には、ある程度の金額を頭金として受領しているが、藤原建材店から頭金を受領したかは不明である。このとき鈴木商店が藤原建材店(第一八回公判の被告人に対する弁護人の質問に、「藤沢建材店とあるのは、「藤原建材店」の誤記である。同六五四丁)に売却したブルドーザーは大型のD8であって、販売価額は五、六百万円であった(第一八回公判の被告人の供述、六五四丁)。

3 次に、金銭出納帳(甲二の一〇二)によると、杉本商店として、昭和三五年一〇月二〇日に二〇七、〇〇〇円、同年一一月二〇日に二〇三、〇〇〇円、同年一二月二〇日に一〇一、六八〇円、同月二〇日に四〇、〇〇〇円が夫々入金された旨の記載がある。被告人はこの点につき、「川崎の生田の現場をもっている方にD8を五、六百万円で買ってもらった」旨の供述をしている(第一八回公判の供述、六五五丁、第一三回公判の鈴木きみ子証言、五二二丁、五二三丁)。杉本商店は当時川崎市生田の工事現場を施工していたものである。杉本商店は、手帳(弁証一)には記載がないので、鈴木商店が売却した時期は、昭和三四年度ではなく、昭和三五年度中と思われる。鈴木商店が杉本商店に売却したブルドーザーは、大型のD8であり、代金も五百万円以上であるから、売却の際にある程度の金額を頭金とし、残額を割賦金として、受領しているものと思われる。

4 次に、右金銭出納帳によると、村上建設として、昭和三五年一一月一六日に二一七、〇〇〇円、同三六年四月一五日に一一〇、四〇〇円が夫々入金された旨の記載がある。これは被告人が鈴木商店時代に、自分で組み立てたブルドーザーD8一台を、代金五、六百万円で売却した残代金の割賦金である(鈴木きみ子の第一三回公判の証言、五二五丁、五二六丁、被告人の第一八回公判の供述、六五四丁)。割賦金の記載が毎月ないのは、鈴木きみ子が失念したために、書き落したものと思われる。ブルドーザー売却の際には、ある程度の頭金は支払を受けていると思われる。一九六〇日記家計簿(弁証二〇八)の昭和三五年一二月一日の欄に、「村上建設より集金」とあるのは、この日にも鈴木商店が村上建設に売却したブルドーザーD8の割賦代金を集金したことを意味するが、この日いくらの代金額を集金したか不明である。現金でなく手形であったため、前記金銭出納帳(甲二-一〇二)に記載しなかったものと思われる(弁証二一一第六項21)。村上建設株式会社(弁証二一〇の三一)は、山梨県に出張所があった会社であるため、被告人夫婦はよく記憶しているのである。

5 次に、右金銭出納帳の昭和三六年二月一二日の欄に、「森田建材ブルドーザー」として二一〇、〇〇〇円入金の記載がある。これは被告人が森田建材店にブルドーザー一台を売却した代金の一部の支払を受けたという趣旨である。ただし、ブルドーザーの機種や代金額等は不明である(第一三回公判、鈴木きみ子の証言、五二七丁)。また、暮しの家計簿(一九六一)(弁証二〇九)の一月一五日の欄に、「夜十二時森田ブル納車」とあり、被告会社設立後に森田建材店に売却したブルドーザーは鈴木商店時代に組立てたものであって、納車日が右日時であることを証明するものである(弁証二一一第七項2)。

6 次に、写真(弁証二)の63ないし74は、鈴木商店が製作したブルドーザーの出荷風景を撮影したものである。右70の写真に写っているブルドーザーの車体に、「豊科建材興業株式会社」と買主の商号が記載されている。このブルドーザーは小型のD4であって、売却代金は三〇〇万円ないし二五〇万円であった(被告人の第一八回公判の供述、六〇七丁)。このブルドーザーの売却年度が不明であるが、鈴木商店時代の昭和三四年ないし同三五年であったことは、写真(弁証二)の65、66に写っている被告人の長男寛の年令から推定できるのである。

7 英文の領収書(RECEIPT)(甲二の一〇一)によると、被告人は一九六〇(昭和三五)年五月二日、エム・アンド・エム・トレーディング・カンパニー(弁証二一〇の二五、二六)にD7のブルドーザー一台を代金二八五万円で売却し、右代金を五月二日に内金一〇〇万円、五月一〇日に内金五〇万円、同月二三日に残金一三五万円を受領する旨の記載になっている。右領収書によって、鈴木商店が右会社にブルドーザーD7一台を代金二八五万円で売却したことが明白である。また、一九六〇日記家計簿(弁証二〇八)の同三五年五月三日の欄に、「M&Mにブル引渡し」とあるのは、鈴木商店が右日時に右会社に右ブルドーザーD7一台を引渡したという趣旨である(弁証二一一第六項◎)。右ブルドーザーは、被告人が製作した製品として売却したものではなく、廃品として払下げを受けたものを、そのまま転売したものである(第一八回公判、被告人の供述、六五〇丁、六五一丁)。そのため、売却代金が二八五万円となったものである。被告人が米軍から廃品としてブルドーザーの払下げを受けるときの代金は、一台当り四、五〇万円である(第一八回公判、被告人の供述、六一四丁)。したがって、被告人はこのD7一台の転売だけで、二四五万円ないし二三五万円位の利益を得たことが判明する。

8 次に、鈴木商店は、山梨県の村上土木こと村上嘉彦に、ブルドーザーD7一台を代金五〇〇万円以上で売却している。このブルドーザーを売却して引渡したのは、昭和三五年四月一六日である。一九六〇日記家計簿(弁証二〇八)の四月一六日の欄に、「Hブルと共に山梨行」とあるのは、鈴木商店が村上土木にブルドーザーD7一台を販売し、それを運搬して納入したという趣旨である。ところが、村上土木は残代金の支払をしなかった(弁証二一一第六項11)。このことは、「未払金残高及工事出来高証明書」(弁証四六)および「委任状」(弁証四七)によって明らかである。被告人が、右代金の一部の支払を受けるために、村上嘉彦から村上建設株式会社に対して有する工事代金三〇三、五四九円の取立委任を受けたのであるが、そのときのものが右書類である。被告人は、右取立委任を受けたので、村上建設株式会社から三〇三、五四九円の内金二九三、〇〇〇円を一〇月二九日に取立て、右ブルドーザーの売却代金の一部に充当している。この取立金は元々鈴木商店が売却したブルドーザーの売却代金の一部に充当されたものであるから、被告人個人のものであったが、被告会社が設立直後で資金不足であったため、被告会社に貸付け、被告会社の当座預金口座に入金し、被告会社の「仮受金」として処理したものである(弁証一九〇第一四項、第三項2、弁証三三)。金銭出納帳(甲二の一〇二)の同日の欄に、村上建設より入金の記載がないのは、被告人の妻鈴木きみ子が失念して記載漏れしたものと思われる(弁証一九〇第三項2)。村上土木は、被告人が別にブルドーザーを売却した株式会社宮本組山梨支店(後記17)などと一緒に工事をやっていた土本業者である。宮本組は、村上土本から被告人がブルドーザーを販売していることを聞いて、買いにきたものと思われる(弁証一九〇第一四項)。右委任状(弁証四七)記載の村上土本の住所が山梨県韮崎市であるが、鈴木きみ子証言(第一二回公判、四六九丁、四七〇丁)に、山梨県韮崎方面の方に、大型ブルドーザー二、三台を売却しているとあるのは、村上土木および後記17記載の株式会社宮本組に売却したものを指しているのである。

9 被告人の供述によると、鈴木商店が米軍から直接払下げたもの、および、沖縄の米軍から払下げを受けた業者から転買したものを入れて、ブルドーザーを約二五台購入している。被告人が払下げ等により仕入れる購入価額は、品物によって異なるが、大体四〇万円ないし五〇万円である。この機種はD8、D7(弁証一八の〈3〉)が大型で、D4(弁証二の〇、〇、〇ないし〇、弁証一八の〈6〉)は小型である。他方、被告人が製品化したものを売却する販売価額は、D8、D7が六、七百万円ないし四、五百万円であり、D4は二五〇万円ないし三〇〇万円位である。また、支払方法はブルドーザーの場合は、フォークリフト等の場合と異なり、現金販売が主であって、割賦販売はあまりなかった。

日記兼用家計簿(一九五九)(弁証二〇七)によると、昭和三四年七月一四日の欄に、「七時半出発にてトラック(内山)、QM、今成より引取」とあるのは、佐野鋼材(株)から仕入れたブルドーザー一台を同社の社員今成三雄(弁証二一〇の四二)から引取ってきたということである(弁証二一一第五項20)。同月二四日の欄に、「ブルD8求む」とあるのは、横浜の米軍基地か、あるいは、佐野鋼材(株)からブルドーザーD8一台を購入してきたということである(弁証二一一第五項2 1)。同月二九日の欄に、「五時半頃よりブーと共に横浜行、ブルD4を買う」とあり、同月三〇日の欄に、「一行ブルドーザー引取(D4)」とあるのは、被告人が土田武夫と二人で横浜に行きブルドーザーD4一台を購入し、引取ってきたということである(弁証二一一第五項2 2)。

八月八日の欄に、「相模行D8ブル代小切手にて支払う」とあるのは、鈴木商店が相模の米軍基地から払下げを受けたブルドーザーD8の代金を英文小切手で支払ったという趣旨であるが、払下げ代金額は不明である(弁証二一一第五項25)。同月一七日の欄に、「相模解体ブルドーザー」とあるのは、同月八日に払下げ代金を支払ったブルドーザーD8の解体作業を、相模の米軍基地内でやったという趣旨である(弁証二一一第五項26)。次に、九月二日の欄に、「ブルD4三号契約引取」とあるのは、鈴木商店がブルドーザーの内、D4の三台目を払下げを受けて買取る契約をし、引取ったという趣旨である。この時期までに、鈴木商店は三台目のD4ブルドーザーを買取っていることが判明する(弁証二一一第五項31)。次に、九月二八日の欄に、「フインカム解体」、翌二九日の欄に、「フインカム解体」とあり、翌々三〇日の欄に、「D8引取完了」とあるのは、鈴木商店がフインカム基地から払下げを受けたブルドーザーD8の解体作業を右基地内でやり、それを引取ったという趣旨である(弁証二一一第五項36)。以上のように、前記家計簿(弁証二〇七)によると、昭和三四年度中に、鈴木商店が払下げまたは仕入れたブルドーザーは、D4三台、D8三台、型式不明一台の計七台である。また、一九六〇日記家計簿(弁証二〇八)によると、昭和三五年二月四日の欄に、「H横浜D8引取」とあるのは、被告人が横浜に行き、米軍から払下げを受けたか、あるいは、佐野鋼材(株)(弁証二一〇の四二、四三)から購入したブルドーザーD8を引取ってきたという趣旨である。同じく、三月一一日の欄に、「横浜D8引取」とあるのも同趣旨である。結局、両家計簿(弁証二〇七、二〇八)によると、昭和三四年度および同三五年度に鈴木商店が仕入れたブルドーザーのうち、明白なものは、D4三台、D8五台、型式不明一台の合計九台である。

10 鈴木商店は、これらの払下げや他から購入したブルドーザーの部品を使用して新しいブルドーザーを約一五台組み立てたが、そのうち一〇台を鈴木商店時代に販売し、残り五台は被告会社設立後に、被告会社が無償で自己使用したり、あるいは、運転手付きで他に賃貸し、賃料収入を得ていた。被告会社で使用していたブルドーザーを、あとで下取りに出したものもある(被告人の第一七回公判の供述、五七五丁ないし五七七丁、同第一八回公判の供述、六一二丁ないし六一五丁)。

鈴木商店が運転手付きでブルドーザーを他に賃貸し、賃料収入を得ていたことは、次の事実からも明白である。すなわち、前記家計簿(弁証二〇八)の昭和三五年一月五日の欄に、「大和木下組ブル開始」とあるのは、鈴木商店がブルドーザーを木下組に運転手付きで賃貸し、神奈川県大和の工事現場で仕事を開始したということである(弁証二一一第六項1)。同二月一三日の欄に、「大成ブルドーザー代支払日」とあるのは、鈴木商店が大成建設株式会社に賃貸しているブルドーザーの賃貸料が支払われる日という趣旨である。同四月二四日の欄に、「大成ヘブル貸出」とあるのは、鈴木商店が大成建設株式会社にブルドーザーを賃貸したということである。同五月三日の欄に、「大成のブル交換」とあるのは、鈴木商店が右会社に賃貸中のブルドーザーを別のブルドーザーと取り替えたということである。同九月七日の欄に、「D4ブルドーザー大成へ内山行く」とあるのは、鈴木商店が右会社にブルドーザーD4を賃貸し、内山従業員が運転していったという趣旨である(弁証二一一第六項18)。同九月九日の欄に、「十時より本所運送にてブル引揚げのため山梨に向う(武夫)」とあり、翌九月一〇日の欄に、「十時半ブル到着」とあるのは、鈴木商店が山梨県の工事現場に賃貸していたブルドーザーを返還してもらうために、本所運送株式会社に依頼して、土田武夫が受け取りに出かけ、翌日ブルドーザーが到着したということである(弁証二一一第六項19)。同九月一一日の欄に、「昌政品川現場へ」とあるのは、鈴木商店が東京電力品川火力発電所の建設現場にブルドーザーを賃貸しており、鈴木商店の従業員二名が運転のため出かけたということである(弁証二一一第六項20)。

11 昭和三五年一〇月一八日、被告会社設立の際に、被告人がブルドーザーを含むこれらの機械類、部品、資材、現金および預貯金等の個人資産を全部被告会社に譲渡した事実のないことは、前記第二点並びに第三点第一において詳述したとおりである。被告人は、これらブルドーザー等の建設機械を被告会社に無償で使用させていたにすぎない。被告会社は、、鈴木商店の営業を引継いだのであるが、設立直後であり、資本金一〇〇万円以外にはなんらの資産もなかったため、ブルドーザー等の建設機械等を無償で使用し、建設工事に自己使用したり、あるいは、運転手付きで他の建設業者に賃貸して賃料収入を得ていたのである(第一回公判、被告人の供述、六四三丁ないし六四六丁)。

被告人が鈴木商店時代に製作したブルドーザー(D8、D7、D5、D4)、トラックソン(キャタピラ式クレーン車)、ミシガン(トラック・クレーン車)等を被告会社設立後に、被告会社が使用していた事実およびその証拠については、弁論要旨第三、第一項、4、(一一)(1)ないし(6)記載のとおりである。被告会社は、被告人が鈴木商店時代に組立てた機械類を無償使用していたことは右の証拠によって明らかであるが、その明細は弁論要旨添附の別紙資料六記載のとおりである。これらの機械類は、少なくとも、被告会社設立前には、被告人所有の個人資産であったものである。これらの機械類並びに以下に述べる被告会社設立後に売却した機械類(右別紙資料六記載)は、いずれも法人成り当時、被告人個人の所有に属していたものである。

12 被告人が法人成り後に、被告会社に個人資産であるブルドーザー等の機械類を無償使用させていたことは前述したとおりである。その後に、被告会社名義でこれらの機械類を他に売却したり、あるいは、被告会社が新しく建設機械を買入れる際に、下取りに出したりしたことがある。これらの建設機械が法人成りの際に被告会社に譲渡されたかどうかは問題である(前記第二点並びに第三点第一で詳述した)が、右設立前には、被告人所有の個人資産であったことは異論のないところである。そこで、法人成り当時の被告人の個人資産が前記質問てん末書記載のように三千万円(うち建設機械、資材等は二千万円)ではないことを明らかにするため、被告会社設立後に売却したブルドーザー等の機械類を明らかにする。被告会社名義で売却ないし下取りに出したブルドーザーの売却代金ないし下取り代金は、その後被告人が被告会社から受領している。元々これらの機械類は、被告人個人の所有物であるから、被告人個人がその売却代金を取得するのは当然のことである。法律的には、被告会社は、被告人の個人資産であるこれらの機械類を委託販売していたものである。その販売代金は、すべて被告人が被告会社から受領している。その代り、被告人は、これらの建設機械等を被告会社に無償で使用させていたのである。被告会社はこれを自己使用して建設工事を施行したり、あるいは、第三者に賃貸して、いずれも収益を得ていたのである(第一八回公判の被告人の供述、六四四丁ないし六四六丁)。

13 被告会社は、昭和三六年三月一二日、ブルドーザー(D7)一台を代金三〇〇万円で杉田寿治に売却している。このことは車輛割賦売買契約書(甲二の一〇一)、約束手形一三通(弁証四二)、公正証書(弁証四三)、陳述書(弁証一九〇)第一〇項、第一一項、鈴木きみ子証言(第一二回公判、四六七丁、四六八、第一三回公判、五〇九丁ないし五一一丁)、および、被告人の供述(第一八回公判、六四八丁ないし六五〇丁)によって明らかである。

(一) このブルドーザーは、D7の大型で、被告人が鈴木商店時代に組み立て使用していたものであるが、法人成り後に被告会社に無償で使用させていたものである。被告会社は、これを杉田寿治に賃貸していたところ、同人がこのブルドーザーを持ち逃げしたため、被害弁償の意味で、同人の親兄弟が買い取りの交渉をし、その結果杉田寿治に売却したものである。金銭出納帳(甲二の一〇二)の昭和三六年二月六日の欄に、「杉田用一月分消却ヒ」一五四、六三二円入金の記載があるが、これは同年一月分の賃料が消却費として入金になったことを示すものである。このブルドーザー(D7)は、被告人が組み立てた後に、七、八百万円で買手がついたものである。したがって、被告会社設立当時の価額は、少なくとも五百万円以上であったことは明らかである。これを被告人が鈴木商店時代から一年以上もの期間、杉田寿治に賃貸していたものである。

(二) 一ケ月の消却費(実質賃料)が一五四、六三二円とすると、一年間で一、八五五、五八四円となり、三年間では五、五六六、七五二円となる。また、当時の運転手付きの賃借料は、小型のD4で一時間当り、二、四〇〇円(弁証六一、六二、弁証一九〇第二五項)、湿地帯用の小型のもので一時間当り二、二〇〇円(弁証五二、弁証一九〇第一八項)、大型のD7、D8は一時間当り三、〇〇〇円位であった(弁証一九〇第一八項)。したがって杉田寿治に売却したD7の一日当りの運転手付きの賃貸料は約二万四千円であり、一ケ月当りの賃貸料は約六〇万円である。一年間では五、六百万円の賃貸料収入を稼ぐことができたのである。したがって、ブルドーザーD7、D8など大型のものの売却代金が四百万円ないし七百万円である、という被告人の供述(第一八回公判、六一五丁)は十分信用できるのである。被告会社が杉田寿治にD7を三〇〇万円で売却したのは、組み立ててから一年以上も使用した中古品であったことと、親兄弟が被害弁償をするために買入れるので安価にしたためである。

14 また、被告会社は、昭和三六年一〇月二日、勝見重機株式会社(弁証二一〇の四〇、四一)から神戸製鋼製のP&H、バックフォー付のパワーショベル一台を代金五五九万円で買入れているが、その際、従来被告会社で使用していたブルドーザーD8一台を二〇〇万円で下取りに出している(甲二の一〇一の注文書、月賦販売契約書、被告人の第一八回公判の供述、六四七丁、鈴木きみ子の第一三回公判の証言、五〇五丁、五〇六丁)。このブルドーザーも、被告人が鈴木商店時代に組み立てて、使用していたものであるが、法人成り後に被告会社に無償で使用させていたものであり、被告会社設立後一年を経過していたものである。このD8は組み立てて直ぐ売却すれば、七、八百万円で売却できたものである。したがって、被告会社設立時には、少なくとも五五〇万円以上の価額のものであったことは明らかである。しかし、相当長期間使用し、中古品となっていたため、二百万円で下取りに出したのである(鈴木きみ子の第一二回公判の証言、四六六丁、四六七丁、第一三回公判の証言、五〇五丁、五〇六丁、被告人の第一七回公判の供述、五七五丁、第一八回公判の供述、六一五丁、六四七丁)。

15 前記月割販売契約書(甲二の一〇一)によると、被告会社は、売買代金五五九万円のうち、D8の下取分二〇〇万円を差し引き、契約日(昭和三六年一〇月二日)に頭金一〇〇万円を支払い、残金二五九万円を三七万円宛七回に分割して割賦弁済する約になっている。ところが、金銭出納帳(甲二の一〇二)の記載をみると、右割賦金三七万円を支払った旨の記載は、同年一二月一八日の欄に、「pandh手形三七万円」とあるだけであって、あと六回の割賦金は記載漏れである。しかし、右金銭出納帳の昭和三六年一〇月二一日の欄に、「pandh内金二、七四八、二二三円」、同月三〇日の欄に、「残金二五一、七七七円」の計三〇〇万円を支払った旨の記載があり、更に同日の欄に、「ブルD8中古売却代二〇〇万」円入金の記載がある。このように、右金銭出納帳の記載は、金銭の出入を正確に記載していたものではなく、大分記載漏れのあることがわかる。「正確に記載していたものではない」という意味は、記載内容が事実と異なるということではなく、金銭の出入のあった事実が記載漏れになっている部分があるという趣旨である(鈴木きみ子の第一三回公判の証言、五〇六丁ないし五〇八丁)このことは、鈴木きみ子が当時記載していた手帳(弁証一)、作業日誌(弁証三〇、三一)、金銭出納帳(弁証二九)、主婦日記(弁証三二)、昭和三二年(一九五七)日記兼用模範家計簿(弁証二〇六)、日記兼用家計簿(一九五九)(弁証二〇七)、一九六〇日記家計簿(弁証二〇八)などについてもいえるのである(鈴木きみ子の第一三回公判の証言、五一五丁ないし五二一丁、弁証三八第二項、弁証三九第五六項)。

16 次に、被告会社は、昭和三七年五月二九日、三菱ふそう自動車株式会社よりBS8型トラクターショベル一台を代金四七〇万円、割賦手数料三七五、一八六円の計金五、〇七五、一八六円で買受け(甲二の一〇一の請求書)頭金五〇万円を翌二九日に(甲二の一〇一の領収書)、また、ブルドーザーD4一台を三五万円で下取りに出し(同三〇日付領収書)て、支払っている。名刺(弁証二一〇の三七)の裏面に記載されている仮領収書は、そのとき支払った手金か内金についてのものと思料される(弁証二一一第八項〇)。下取りに出したD4のブルドーザーは、被告人が鈴木商店時代に組み立てたものであって(弁証二の〇、弁証一八の〈6〉)、法人成り後は被告会社において引き続き使用し、スクラップ直前のものであった(被告人の第一八回公判の供述、六五一丁、六五二丁)。当時は、法人成り後、既に二年半以上を経過していた。D4の下取り価額三五万円は、ブルドーザーとしての価額ではなく、スクラップとしての価額である。被告人は米軍から廃品としてブルドーザーを払下げる(弁証二の〇ないし〇)ときには、一台当り四〇万円ないし五〇万円で払下げを受けていた(被告人の第一八回公判の供述、六一四丁)のであるから、小型のD4の下取り価額三五万円は、相当であることがわかる。D4でも、組み立てた直後には、一台二五〇万円ないし三〇〇万円で売却できたことは、前述したとおりである(第一八回公判の被告人の供述、六一五丁)。したがって、右D4も、被告会社設立時には、少なくとも二五〇万円以上の価値があったものである。

17 次に、被告会社は、昭和三七年一〇月頃、株式会社宮本組山梨支店(弁証二一〇の二七ないし三〇)に、ブルドーザーD8一台を売却している。このことは、被告人の昭和五三年九月七日付質問てん末書(検乙八)添附の委任状および受領書および被告人の第一八回公判の供述(六五二丁ないし六五四丁)によって明らかである。また、第一二回公判の鈴木きみ子証言(四六九丁、四七〇丁)によっても、山梨県韮崎市方面の方に、ブルドーザーの大型機種のもの二、三台を販売したことを供述しているが、これは前記8記載の村上土木に売却した一台と、株式会社宮本組に売却した二台を指すのである。被告人は、被告会社が株式会社宮本組には、右D8のブルドーザー以外に、更にD8のブルドーザーを一台販売していると供述し、その代金は、いずれも一台当り五、六百万円であったと供述している(第一八回公判、六五三丁)。そうすると、被告会社は、株式会社宮本組にD8二台を代金計一、〇〇〇万円ないし一、二〇〇万円で売却したことになる。これらのブルドーザーは、いずれも被告人が鈴木商店時代に組み立てて完成させたものであって、被告人の個人資産に属するものである。したがって、その売却代金も、被告会社から被告人が受領し、被告人の所得とし、その後、仮名・無記名預金の資金源となったものである。

18 次に、被告会社は、昭和三七年一二月頃、冨士建設機械(株)にブルドーザーD8一台を代金二、三百万円で売却している。このことは、右会社から被告会社宛の同月二七日付受領書(弁証五四)および被告人の供述(弁証一九〇第一九項)によって明らかである。被告会社は、右会社にブルドーザーD8一台を賃貸していたのであるが、その賃貸していたD8を現状の儘で売却し、引き渡したのである。そのため、右受領書の但書に、「排土板、ウォーターポンプ、バターフライ無し、(現状現場渡し)」と記載したのである。右受領書は、前記17記載の宮本組に売却した際の受領書とその記載型式が同一である。賃借の際の受け取りは、預り証であって、記載型式が右受領書と異なることは、賃借預り証(弁証五五)と比較すると明瞭である。このブルドーザーも、他のブルドーザーと同様に、被告人が鈴木商店時代に組み立て、被告会社に無償で貸与していたものである。そのため、右売却代金も、被告人が被告会社から受領し、被告人個人の所得としている(弁証一九〇第一九項)。したがって、右D8も、被告会社設立時には、少なくとも五五〇万円以上の価値を有していたことは明らかである。

19 以上の外に、被告人が鈴木商店時代に組み立て販売したブルドーザーは次の三台である。

(一) 被告人は、仙台の人にD7一台を代金五、六百万円で売却し、残金百万円を仙台の買主のところまでもらいに行った記憶がある旨供述している(第一八回公判、六五五丁)が、その買主は企業組合仙都駐友弘済会である(弁証二一〇の三二ないし三六)。このことは次の記載によっても明らかである。一九六〇日記家計簿(弁証二〇八)の昭和三五年二月一七日の欄に、「仙台の佐藤さん来る笹かまぼこ頂く」とあるのは、仙台の宮城県駐友会会長佐藤新助(弁証二一〇の三二)がブルドーザーを購入するため被告人宅に来宅した際に、土産に仙台名産の笹かまぼこを持参したということである。右家計簿の記載によると、佐藤新助は三月一日にも被告人宅を訪問している。これはブルドーザー購入のために来たものである。同じく五月四日の欄に、「十時の飛行機にて仙台行き」とあり、翌五月五日の欄に、「朝六時上野着」とあるのは、被告人が企業組合仙都駐友弘済会(弁証二一〇の三三ないし三六)に売却したブルドーザーの残代金百万円を受取るため飛行機で羽田から仙台に行き、右代金を受取って翌朝上野着の夜行列車で帰ってきたという趣旨であり、被告人の前記供述を裏付けている(弁証二一一第六項6、第八項17)。

(二) また、被告人は、読売ランドの工事現場を施工していた人にD7一台を代金五、六百万円で売却した、旨供述している(第一八回公判、六五五丁)が、これは記憶違いであって、正しくは、読売ランドの工事現場を施工していた川崎重機(株)(弁証二一〇の三九)にD4一台を代金二五〇万円ないし三〇〇万円で売却した、ということである。

このことは、川崎重機の名刺の裏面に、「D―4、OIL、P、PCU」と記載されていることによって裏付けられる。したがって、被告人が川崎重機に販売したブルドーザーの型式は、D7ではなくD4が正しいことが判明する(弁証二一一第八項20)。

(三) 更に、被告人は、横浜の人にD7かD8一台を売却している、旨供述しているが(第一八回公判、六五五丁、六五六丁)、代金額等は不明である。これらの販売は、いずれも現金で即金払いのため、記録がなく、買主を具体的に特定することが困難である。

(四) そのほか、被告人は、成島建設(株)にD7一台を売却している。このことは一九六〇日記家計簿(弁証二〇八)の昭和三五年三月九日の欄に、「成島建設D7契約」と記載のあることによって明白である。代金額は不明であるが、型式がD7であるから五、六百万円であったと思料される。また、右家計簿(弁証二〇八)の五月一五日の欄に、「武夫と成島自宅行」とあるのは、売却したブルドーザーの代金支払のため受領した手形が不渡になったため、被告人と土田武夫の二人が代金を支払ってもらうために成島建設の社長宅に交渉に行ったという趣旨である(弁証二一一第六項8、15)。

(五) また、被告人は、幾久建設(株)(弁証二一〇の二四)にブルドーザーD8一台を売却している。このことは名刺(弁証二一〇の二四)の裏面に、「ブルドーザーD8」と記載されていることによって明らかである(弁証二一一第八項13)。ただし、代金額はD8なので五百万円以上と思われるが、不明である。

また、被告人は、東京電力(株)の専属下請会社の東起業(株)(弁証二一〇の三八)にブルドーザーD8一台を売却している。このことは名刺表面上部に、「D―8」と記載されていることによって明らかである(弁証二一一第八項19)。代金額は幾久建設の場合と同じく不明であるが、D8なので五、六百万円であったと思われる。

(六) 次に、法人成り後に、被告会社は、鈴木商店時代に組み立てたブルドーザーD4一台を丸伊興業(株)に売却している。右会社から被告会社宛の請求書(弁証六〇)および領収書(弁証六一)は、被告会社で請負った工事を右会社に下請させて施行したときのものである。偶々右工事のときに、被告会社で使用していたブルドーザーが全部他の工事現場で使用中であったため、被告会社が右会社に売却したD4を、右会社から臨時的に賃借したものである。賃借料は、D4で一時間当り二、四〇〇円(一日当り二万円)であったことは前述したとおりである(弁証一九〇第二五項)。

(七) このように、被告人および被告会社は、ブルドーザーD8二台、D7二台、D4二台を販売している。

20 次に、被告人は、鈴木商店時代に払下げたトラック・クレーン車(ミシガン)、キャタピラ式クレーン車(トラックソン)(弁証一八の〈4〉、〈5〉)、キャタピラ式削堀機(バックホーン)等を組み立て使用していたことは前述したとおりであるが、これらの機械の一部を他に販売している。

(一) まず、被告人は、鈴木商店時代である昭和三五年に、照和商事(株)(弁証二一〇の四九、五〇)にトラック・クレーン車(ミシガン)一台を割賦販売している。このことは、金銭出納帳(甲二の一〇二)に、昭和三五年一〇月から翌三六年三月まで毎月三〇日に一〇万円宛、同四月一五日に六〇、五〇〇円の割賦金の入金記載があることで明らかである(鈴木きみ子証言、第一三回公判、五二四丁)。また、丸石塗装工業所(石田林次)から被告会社宛の請求書(弁証五七)によると、昭和三六年五月六日に、「クレーン車文字書一台、照和商事、五〇〇円」と記載されている。これは鈴木商店時代に売却したトラック・クレーン車の車体に、買主の照和商事(株)という商号をペンキで記載してもらったときの代金の請求書である。被告人が売却した機械に買主名をペンキで記載していたことは、弁証二の写真(61、62、70、71)に写っているとおりである(弁証一九〇第二二項)。

(二) そのほか、被告人は、鈴木商店が払下げを受けて組み立てたトラック・クレーン車(ミシガン)一台を大伸工業(株)(弁証二一〇の四八)に販売している。名刺(弁証二一〇の四八)の左上部に万年筆で「misnigan」と記載したのは、右販売のときに被告人が記載したものである(弁証二一一第八項27)。

(三) 被告人が鈴木商店時代に組み立てたトラック・クレーン車(ミシガン)は三台であるが(被告人の第一八回公判の供述、六〇八丁、六〇九丁)、そのうち一台は前述のように、照和商事(株)(弁証二一〇の四九、五〇)、一台は大伸工業(株)(弁証二一〇の四八)に夫々売却し、その他の一台は深川製作所に売却している。このことは、金銭出納帳(甲二の一〇二)の昭和三五年一一月四日に五〇万円、同月から翌三六年四月まで毎月中旬ころに一五、六万円宛の割賦金が入金になった記載があることによって明らかである。毎月の割賦金が減少しているのは、利息相当分が少なくなるからである。昭和三五年一一月四日の五〇万円は、割賦販売の頭金と思われる(鈴木きみ子証言、第一三回公判、五二五丁)。

(四) また、前記家計簿(弁証二〇七)の昭和三四年九月二三日の欄に、「CTナイン引取車三台」とあるのは、鈴木商店がDT9すなわちトラックソン三台の払下げを受け、これを引取ったということである。鈴木商店は後述のようにトラックソンを四台組み立て販売しているが、右三台以外の一台については何時払下げを受けたか不明である。

鈴木商店は、払下げを受けたDT9四台を組み立て、昭和メタリコン工業(株)(弁証二一〇の一ないし二)、土工機車輌(株)(同号証の四五)、ショベル工業(株)(同号証の四六)、昭和工業(株)(同号証の四七)に夫々一台宛販売している(弁証二一一第八項24ないし26)。このことは、当時被告人がこれら買主からもらった名刺に、「CT―9グレン電話」(弁証二一〇の三)、「TD―9rinkset」(同号証の四五)、「CT―9tracson」(同号証の四六)、「CT―9」(同号証の四七)と記載していることによって明らかである。また、前記家計簿(弁証二〇七)の一一月一一日の欄に、「TD―9納車六時半」とあるのは、鈴木商店がこの日販売したトラックソンを買主のところに納入したということであるが、買主が前記四社のうちのいずれであるかは不明である(弁証二一一第五項43)。

(五) そのほか、前記家計簿(弁証二〇七)の昭和三四年九月二三日の欄に、「ターグ五台売却」とあるのは、鈴木商店がターグ五台を販売したということであるが、買主名、代金額等は不明である。ターグとは、トレーラーや飛行機等をけん引する車である(弁証二一一第五項35)。

また、鈴木商店は朝日商工(株)(弁証二一〇の七〇、七一)にスクレーパー(6m3)を販売している。スクレーパーとは土を削り取って運搬する機械である。名刺(同号証の七一)の裏面に、「6m3スクレーパー泊来」とあるのは、外国製の六立方メートルのスクレーパーであるという趣旨である。ただし、代金額は不明である(弁証二一一第八項35)。

更に、被告人は、鈴木商店時代に、米軍から払下げを受けたアスファルト・フィニッシャー二台(弁証一八の〈2〉)をアメリカ人のバイヤーに転売している(被告人の供述、第一八回公判、六〇八丁)。ただし、代金額は不明である。

また、被告会社は、被告人が鈴木商店時代に組み立てた機械を高垣利一(弁証二一〇の六九)に売却し、その代金の一部として約束手形二通(額面六万円)を受領している(弁証四〇、四一)。これは割賦手形の一部であると思料されるが、売却した機械の機種、代金額等は現在不明である。高垣利一は当時機械のブローカーをやっており、鈴木商店時代から被告人のところに出入りし、被告人から機械類を買入れて、他に転売していたものである(弁証一九〇第九項)。

高垣利一以外にも、被告人ないし被告会社で売却した機械類はほかにも存在すると思料されるが、現在裏付けの証拠資料が存在しないため、以上においては証拠資料によって裏付けられるものに限定して説明したものである。

21 以上詳述したように、被告人が直接販売したブルドーザー、ミシガン、トラックソン等の機械類、並びに、被告人が鈴木商店時代に組み立てたものを被告会社が販売したブルドーザー等の機械類の明細は、弁論要旨添附の別紙資料二ないし六記載のとおりである。

七、次に、被告人の供述(第一七回公判、五七二丁、五七三丁)によると、鈴木商店が米軍から払下げを受けたフォークリフトの台数は約三〇台であり、そのうち、フォークリフトおよび鈴木式シャベルローダーに組み立てたのは一四、五台であって、内一二、三台が右シャベルローダーである。そこで鈴木商店が行なったフォークリフトおよび鈴木式シャベルローダーの製造販売の概要を検討する。ところで、被告人の右供述は、以下に述べるように、客観的な証拠によって十分に裏付けられるのである。

1 すなわち、主婦日記(弁証三二)の四月二四日の欄に、「早朝相模にフォーク見に行く、十時帰宅」、また、同月二六日の欄に、「フォークリフト随期分6台契約払込をなす」とあり、鈴木商店が随意契約でフォークリフト六台の払下げを受けている。また、同じく六月二日の欄に、「相模原よりフォークリフト五台分引取(保税)、フチノベ日通より二台、青木商店一台、車かりる」とあり、また、翌三日の欄に、「横浜新町よりフォーク一台引取」とあり、鈴木商店が相模原の米軍基地でフォークリフト五台を落札して右基地から保税倉庫に運搬し、また、横浜新町の米軍基地でフォークリフト一台の払下げを受けて直接引き取ったことがわかる(弁証三九第三四項、第三九項)。以上で鈴木商店が払下げを受けたフォークリフトは一二台である。後記3記載の二月二八日に通関手続をやった分が何台であるかは不明であるが、二台以上であったことは明らかである。なぜなら、払下げたフォークリフト一台だけでは部品が不足し、完成品一台を組み立てることは不可能と考えられるので、最低二台以上の払下げ品がないと完成品一台を組み立てることはできないためである。

また、前記家計簿(弁証二〇七)の七月七日の欄に、「H、相模引取二回」とあるのは、被告人が相模の米軍基地から払下げを受けたフォークリフト、あるいは、ブルドーザーを二回に分けて引取ったという趣旨であるが、その内容は現在不明である(弁証二一一第五項19)。九月九日の欄に、「午前中フィンカムにてフォーク解体」とあるのは、鈴木商店がフィンカム基地から払下げを受けたフォークリフトの解体作業をやったということである。これによっても昭和三四年度中にも鈴木商店がフォークリフトの払下げを受けていたことが明らかである。一一月七日の欄に、「相模よりバケット購入」とあるのは、鈴木商店がシャベルローダーを組み立てるとき、フォークリフトに取り付けるバケットを相模の米軍基地から払下げを受けたということである。結局、鈴木商店が払下げを受けたフォークリフトの約三〇台の内一五台は、以上の証拠によって明らかである。

2 被告人の供述によると、鈴木商店がフォークリフトおよび鈴木式シャベルローダーの販売をやったのは、鈴木商店時代だけであって、被告会社設立後にはやっていないということである(第一七回公判、五七三丁)。

ところで、作業日誌(弁証三一)および右主婦日記の記載によると、前述のように昭和三三年二月末から同年六月三日までの約三ケ月余の間に、鈴木商店は少なくとも一四台のフォークリフトの払下げを受けている。昭和三四年一月から同三五年一〇月まで、鈴木商店が何台のフォークリフトを払下げたかは、証拠がなく不明であるが、右一四台を払下げた期間と比較すると、残り一六台の払下げを受ける時間的余裕は十分にあったことがわかる。のみならず、以下に述べるように、鈴木商店はフォークリフト一二台および鈴木式シャベルローダー一三台の計二五台を製造した事実から推定しても、三〇台以上のフォークリフトを払下げていたことは確実である。なぜなら、解体して払下げるフォークリフト一台から、フォークリフト一台ないし鈴木式シャベルローダー一台を組み立てたり製造することは、部品不足のため不可能だからである。

3 次に、主婦日記(弁証三二)の昭和三三年三月九日の欄に、「フォークリフト組立」とあるが、これは払下げを受けたフォークリフトの部品を使用して、鈴木商店がフォークリフトを組み立てたという趣旨である。フォークリフトの組み立ては、この頃から始めたことは、作業日誌(弁証三一)の二月二八日の欄に、フォークリフトの通関手続の記載がある、ことによって明らかである(弁証三九第二一項、第二二項)。また、右主婦日記の四月三日の欄に、「片付け方フォークリフト組立」、同月六日の欄に、「フォークリフト組立完了」とあり、三月九日から始めたフォークリフトの組み立てが完了したことがわかる。これは鈴木商店が初めて組み立てたフォークリフトであると思われる。なぜなら、四月一一日の欄に、「フォークリフト初貸する」という記載があるからである。

このように、鈴木商店は、自分で組み立て完成したフォークリフトを、自己使用したり(弁証二の〈7〉ないし12)他に販売したり(弁証一八の〈7〉ないし〈9〉)、あるいは、賃貸したりしていたのであるが、その後、これにバケット等を取り付けた「鈴木式シャベルローダー」を考案し(弁証二の53ないし58)、これを組み立て販売するようになったのである(弁証三九第二六項)。

4 次に、鈴木商店が組み立てたフォークリフトおよび鈴木式シャベルローダーの台数が問題になる。

(一) 当時被告人らが撮影していた写真(弁証二、弁証一八)によると、鈴木商店において自己使用していたフォークリフトが少なくとも三台以上あったことが(弁証二の〈7〉ないし12、41、42)明らかである(被告人の第一八回公判の供述、五九八丁、五九九丁、六〇三丁、六〇四丁)。

(二) また、鈴木商店が組み立てたフォークリフトのうち一台を明治文具(株)(弁証二一〇の一二)に売却したことは、弁証一八の〈7〉、〈8〉、〈9〉の写真によって明らかである(被告人の第一八回公判の供述、六〇九丁)。この売却の時期が不明であるが、金銭出納帳(甲二の一〇二)の昭和三五年一一月一五日の欄に、「明治文具修理代一五、七五〇」円入金の記載があり、鈴木商店時代に売却したことは確実である。

(三) また、鈴木商店がフォークリフト一台を(株)日本製鋼所武蔵製作所(弁証二一〇の一三ないし一六)に売却したことは、右金銭出納帳(甲二の一〇二)の同月一八日の欄に、「日本製鋼フォーク修理代四二、九〇〇」円入金の記載があることによって明らかである。これは鈴木商店が売却したフォークリフトなので修理してやったものである(後記5(八)参照)。

(四) また、鈴木商店は、法人成り前に、フォークリフト一台を昭和メタリコン工業(株)(弁証二一〇の一、二)に売却し、売却代金を割賦手形で受領していたことは、金銭出納帳(甲二の一〇二)の記載によって明白である(その明細は前記別紙資料三参照)。

(五) そのほか、鈴木商店は、興建産業(株)(弁証二一〇の四ないし六、弁証二一一第八項3)、羽田コンクリート工業(株)(弁証二一〇の一〇、一一)に夫々フォークリフト一台宛を売却している。金銭出納帳(甲二の一〇二)にある右各会社からの入金の記載は、割賦代金の一部が入金になったものである。右金銭出納帳に記載もれのあることは前述したとおりである(前記別紙資料三参照)。

(六) そのほか、鈴木商店は、羽田ヒューム管(株)(弁証二一〇の七ないし九)、金沢通商産業(株)(弁証二〇七、二一〇の六三)、明光物産(弁証二〇七、二一一第五項37)にも夫々フォークリフト各一台宛を売却している(弁証二一一第五項15、37、第八項4)。前記別紙資料三に記載されているフォークリフト等の機械類は、甲二―一〇一および甲二―一〇二の金銭出納帳に記載されているものを集計したものであり、右(六)において述べた三台は記載されていない。

(七) また、主婦日記(弁証三二)の一一月一〇日の欄に、「辻堂行、フォーク代入る」とあるのは、鈴木商店がフォークリフト一台を(株)関東特殊製鋼所辻堂工場に賃貸しており、その賃料が入金になったという趣旨である。したがって、当時鈴木商店が右会社にフォークリフト一台を賃貸していたことが明らかである。

(八) 結局、鈴木商店が組み立てたフォークリフトのうち、自家用に使用していたのが三台以上あり、他に賃貸していたもの一台、また、他に売却したことの確実なものは八台であるから、計一二台となる。フォークリフト一台当りの時価は四〇万円ないし五〇万円である(第一七回公判、被告人の供述、五七三丁)から、一二台の価額は約五百万円ないし六百万円である。

5 次に、鈴木商店が払下げたフォークリフトを利用して、鈴木式シャベルローダーを組み立て販売したのは、一三台以上であったことは証拠上明らかである。すなわち、鈴木商店が払下げを受けたフォークリフトを利用し、鈴木式シャベルローダーを製作していたことは、写真(弁証二の51ないし58、60ないし62)によって明らかである(第一七回公判、被告人の供述、五六九丁ないし五七四丁、第一八回公判、被告人の供述、六〇五丁、六〇六丁)。

鈴木商店がそのうちの一台を東邦有機肥料(株)(弁証二一〇の一七、一八)に売却したことは、写真(弁証二の60ないし62)で明白である(第一八回公判、被告人の供述、六〇七丁、弁証二一一第五項34、第八項7)。日記兼用家計簿(弁証二〇七)の九月二二日の欄に、「東邦有機納車」とあるのは、鈴木商店が東邦有機肥料(株)(弁証二一〇の一七)に販売した鈴木式シャベルローダーを納入したということである。この納入風景を写したのが弁証二の60ないし62の写真である(弁証二一一第五項34)。

そのほか、被告人は、昭和三四年ころに、和田砂利店(弁証二一〇の二二)、守谷商店(二台)、(株)石森砂利店(同号証の一九)、斎藤砂利店(同号証の二〇)、多摩橋砂利店(同号証の二一)、粕谷商店(同号証の二三)、高崎砂利店に夫々鈴木式シャベルローダーを販売していることは、手帳(弁証一)の記載によって明らかである(第一三回公判、鈴木きみ子証言、五一三丁ないし五二一丁、弁証二一一第八項8ないし12)。以上のことは、次の証拠によって明らかである(なお前記別紙資料二参照)。

(一) 手帳(弁証一)の記載のうち、「×和」とあるのは、買主の和田砂利店の略符号であり、売却した機械は鈴木式シャベルローダーである。毎月の割賦代金が一〇四、九〇〇円であり、一月から一二月まで毎月記載があるが、四月分だけ記載がない。これは鈴木きみ子が失念したための記載漏れである(第一三回公判の鈴木きみ子の証言、五一四丁、五一五丁)。

前記家計簿(弁証二〇七)の昭和三四年二月九日の欄に、「和田氏と契約の運び」とあるのは、鈴木商店が和田砂利店(弁証二一〇の二二、弁証一)に鈴木式シャベルローダーを販売し、正式に契約が成立したという趣旨である。また、右家計簿(弁証二〇七)の四月五日の欄に、「和田弥助氏に納車」とあるのは、鈴木商店が和田砂利店に販売した鈴木式シャベルローダーを右日時に納入したということである(弁証二一一第五項4、10)。同八月三一日の欄に、「和田砂利修繕」とあるのは、鈴木商店が和田砂利店に販売した前記シャベルローダーが故障したために修理をしたということである(弁証二一一第五項4、10、30)。

(二) また、「×守」とあるのは、買主の守谷商店の略符号であって、売却した機械は鈴木式シャベルローダーである。毎月の割賦代金が一二二、六五〇円であり、一月から一二月まで毎月記載があるが、九月分および一〇月分だけ記載が抜けている。これは同女が記載を失念したものであって、記載漏れである(第一三回公判、鈴木きみ子証言、五一五丁、五一六丁)。また、右一二二、六六〇円宛の割賦金の支払日は、毎月七日になっているが、一〇月一六日の欄に、「守ヤ二〇〇、〇〇〇」および一一月一九日と二〇日の間に、「×守ヤ二〇、〇〇〇」と記載があるのは、守谷商店に二台目の鈴木式シャベルローダーを売却した割賦代金である。「×守ヤ二〇、〇〇〇」とあるのは、「×守谷二〇〇、〇〇〇」の誤記である。なぜなら、割賦代金は約束手形払いであって、二万円という少額の約束手形はなかったからである。したがって、二台目の機械の割賦代金は、一〇月から七ケ月間位毎月継続するわけであるから、一二月分も記載漏れということになる(前記五一六丁、五一七丁)。

前記家計簿(弁証二〇七)の一〇月四日の欄に、「守ヤ砂利店納車」とあるのは、鈴木商店が販売した前記シャベルローダーを守谷砂利店に納車したということである。このシャベルローダーは、鈴木商店が守谷砂利店に販売した二台目のものであることは、手帳(弁証一)の記載と対比すると明白である(弁証二一一第五項40)。

(三) 次に、「×石」とあるのは、買主の石森砂利店の略符号であって、売却した機械は鈴木式シャベルローダーである。毎月の割賦代金が一〇七、四〇〇円であり、一月から一二月まで毎月記載があるが、五月と六月だけ記載がない。これは同女が記載を失念したものであって、記載漏れである(前同五一七丁)。

前記家計簿(弁証二〇七)の六月一三日の欄に、「石森店へ納車」とあるのは、鈴木商店が(株)石森砂利店(弁証二一〇の一九)に販売した前記シャベルローダー二台のうち一台を納入したということである(弁証一、甲二の一〇二)。これは多分二台目のものと思料される(弁証二一一第五項14)。

(四) 次に、「×斎」とあるのは、買主の斎藤砂利店の略符号であって、売却した機械は同じくシャベルローダーである。毎月の割賦代金が一一七、二〇〇円であり、一月から一二月まで毎月記載があるが、七月と八月だけ記載がない。これも同女が失念したため記載漏れとなったものである(前同五一七丁、五一八丁)。

前記家計簿(弁証二〇七)の六月二四日の欄に、「斎藤建材フォーク売却決定」とあり、七月二九日の欄に、「斎藤建材納車」とあるのは、鈴木商店が鈴木式シャベルローダーを斎藤砂利店に販売し、これを納入したということである(弁証一)。右の欄に「フォーク」と記載しているが、これは前記シャベルローダーを指すものである。砂利をトラックに積み込むにはフォークリフトでは役に立たず、シャベルローダーでなければだめである。また、右の記載では「斎藤建材」とあるが、八月三一日の欄には、「斎藤砂利修繕」とあり、両方は同一であるが、「斎藤砂利店」が正しい名称である(弁証二一一第五項17)。

(五) 次に、「藤原」とあるのは、買主の藤原建材店の略符号であって、売却した機械はブルドーザーである。毎月の割賦代金が二五〇、〇〇〇円であって、前記シャベルローダーの割賦代金の二倍以上の金額になっている。これも一月から一二月まで毎月記載があるが、一〇月分だけ記載漏れがある。また、一一月分は五日に二〇万円、三〇日に一〇万円の計三〇万円であり、一二月分は右割賦代金が二〇万円になっている(前同五一八丁、五一九丁)。

(六) 次に、「×多」とあるのは、買主の多摩橋砂利店の略符号であって、売却した機械は、鈴木式シャベルローダーである。毎月の割賦代金が一〇七、四〇〇円であり、一月から一二月まで毎月記載があるが、二月と三月だけ記載が欠けている。これは同女が失念したための記載漏れである。また、毎月の右割賦代金以外に、五月八日に一〇万円、九月一〇日に一〇万円および一一月三〇日に五五、七〇〇円の収入があった旨の記載があるが、この入金の趣旨は部品代か修理代と思われるが、正確には不明である(前同五一九丁)。

前記家計簿(弁証二〇七)の三月一五日の欄に、「多摩橋へフォーク納品」とあるのは、鈴木商店が多摩橋砂利店(弁証二一〇の二一)に販売した鈴木式シャベルローダーを納入したということである。鈴木商店は多摩橋砂利店にはシャベルローダー二台を販売している(弁証一、甲二の一〇二)が、内一台が右の記載のものである。また、右の記載は「フォーク」となっているが、砂利をトラックに積み込むためのものであるから、フォークリフトにバケットを取り付けて改良したシャベルローダーを販売したものである(弁証二一一第五項9)。

(七) 次に、「粕」と記載があるのは、買主の粕谷商店(弁証二一〇の二三)(第一三回公判の鈴木きみ子の証言、五二〇丁には「粕谷工具店」とあるが、これは粕谷商店(弁証二一〇の二三)の誤記である)の略符号であって、売却した機械は同じくシャベルローダーである。毎月の割賦代金が九〇、〇〇〇円であり、四月から一二月まで毎月記載されているので、翌三五年度に亘って継続しているものと思われる(前同五二〇丁)。

前記家計簿(弁証二〇七)の二月二日の欄に、「粕宅氏内金入る」とあるのは、鈴木商店が粕谷商店(弁証二一〇の二三)に販売した鈴木式シャベルローダー(弁証一)の頭金が入金になったという趣旨であるが、頭金の金額は不明である。また、同二月一七日の欄に、「夜粕谷さん来る」とあり、二月二〇日の欄に、「粕谷氏手形来る」とあるのは、鈴木商店が粕谷商店に販売したシャベルローダーの残代金を割賦手形で支払う相談をし、二月二〇日に粕谷四郎が被告人宅に割賦手形を持参したということである(弁証二一一第五項3、6)。

(八) 以上の記載の外に、右手帳(弁証一)には、六月三〇日に「武サシセイサク二七〇〇〇」の記載がある。これは(株)日本製鋼所武蔵製作所(弁証二一〇の一三ないし一六)にフォークリフトを販売したときの代金の一部である(前記4(三)参照)。頭金ないし残代金と思料される。また、右の「二七〇〇〇」は二七〇、〇〇〇円の誤記と思料される。右会社は大会社であるから、代金を割賦手形で支払うということはあり得ないから、前記金額は代金の頭金ないし残代金の支払を記載したものと思料される(前記五二〇丁、五二一丁)(弁証二一一第八項6)。

(九) その他に、右手帳には、七月三一日に「昭ヒ一五三、七〇〇」円入金の記載があるが、「昭ヒ」というのは、昭和飛行機(株)(弁証二一〇の五一ないし五七、弁証二一一第八項29)の略符号であるが、この入金がどの機械の売却代金の一部なのか不明である。ただ、入金の事実が明らかなだけである。

一〇 そのほか、前記家計簿(弁証二〇七)の二月一五日の欄に、「フォーク納入日」とあるのは、鈴木商店が組み立て販売したフォークリフト、あるいは、鈴木式シャベルローダーを買主に納入した日という趣旨であるが、買主は不明である。また、二月一六日の欄に、「フォーク現場行」とあるのは、鈴木商店が組み立て自己使用しているフォークリフトを賃貸し、借主の処に運搬したということである(弁証二一一第五項5)。また、一一月一一日の欄に、「フォーク納車一台」とあるのは、鈴木商店が組み立てた鈴木式シャベルローダーを販売し納入したということである。フォークと記載されているが、これはシャベルローダーーである。買主名は記載されていないが、手帳(弁証一)と対比すると、高崎砂利店ではないかと思料される(弁証二一一第五項43)。

一一 次に、一一月二八日に、「×高崎二〇〇、〇〇〇」の記載があるが、「高崎」とは買主が高崎砂利店の略符号であって、売却した機械は鈴木式シャベルローダーである。鈴木商店は高崎砂利店には、翌三五年にも同じ機械を更に一台売却し、割賦代金を受領していたことは、金銭出納帳(甲二の一〇二)の記載によって明らかである(前同五二四丁)。したがって、これは一一月分から翌三五年にかけて少なくとも八ケ月間位は毎月二〇万円の割賦代金が入金になっていたものと推定され、二月分に記載がないのは、同女が失念したために記載漏れになったものと思料される。

6 更に、鈴木商店は、昭和三五年度において、法人成り前に、高崎砂利店、石森砂利店、多摩橋砂利店に夫々右シャベルローダーを一台宛販売している。このことは金銭出納帳(甲二の一〇二)の記載および鈴木きみ子証言(第一二回公判、四七五丁、四七六丁、第一三回公判、五二二丁ないし五二七丁)によって明らかである(なお前記別紙資料三参照)。以上5、6記載のように、証拠上明白なものだけでも、鈴木商店が売却したシャベルローダーは一三台あるが、証拠の欠けている期間中にも何台か販売していると思われる。

7 結局、鈴木商店が組み立てたフォークリフトは、一二台であるが、うち三台以上が自家用として使用し、一台を賃貸し、残り八台を販売している。被告人が組み立てたフォークリフト一台当りの時価は四〇万円ないし五〇万円であったから、一二台分の価額は、約五百万円ないし六百万円である(前記4(六)参照)。

また、被告人は、製作した鈴木式シャベルローダー一三台以上を販売している(前記5参照、なお前記別紙資料二ないし六参照)。鈴木商店は、当時右シャベルローダー一台を一三〇万円ないし一五〇万円位で販売しており(第一七回公判の被告人の供述、五七二丁)、このことは前記別紙資料二によっても明らかである。したがって、一三台の販売価額は約一、七〇〇万円ないし一、九五〇万円であった。

鈴木商店が組み立てて販売した一二台のフォークリフトおよび一三台のシャベルローダーの販売代金の総額は、二、二〇〇万円ないし二、五五〇万円(平均二、三七五万円)位である。

八、次に、被告人は、鈴木商店がトレーラーを払下げて解体し、タイヤ、その他の部品あるいはスクラップとして販売したが、トレーラーは一時に四〇〇台位を払下げたこともあり、一台解体すると八本のタイヤが販売できた旨供述している(第一七回公判の供述、五八〇丁ないし五八二丁、五八四丁)。以下鈴木商店が行なったトレーラーの販売の概要を検討することによって、被告人の右供述を裏付けることができる。

1 写真(弁証二の7、11、17、35)によると、当時鈴木商店は、トレーラーから解体したタイヤを販売するために、自宅の周辺に積んでいたことがわかる(第一八回公判の被告人の供述、五九九丁、六〇〇丁)。

また、写真(弁証二の54、55)によると、解体前のトレーラーのけん引車が存在していたことがわかる(被告人の前記供述、六〇六丁)。

2 金銭出納帳(弁証二九)の昭和三二年一月四日の欄に、「トレーラー三九、〇〇〇」円入金の記載があり、更に、同月八日の欄に、「トレーラー代金七七台分」として、「一、四八〇、〇〇〇(一、七〇〇、〇〇〇)」円支払った旨の記載がある。これは一四八万円が残代金であって、一七〇万円が代金の総額であると思われる。トレーラー七七台の入札代金が一七〇万円であるから、一台当り二二、〇〇〇円となり、四〇〇台の入札代金は八八〇万円である。模範家計簿(昭和三二年)(弁証二〇六)の一月九日の欄に、「トレーラー引取開始」とあるのは、金銭出納帳(弁証二九)の一月八日の欄に記載されている払下げを受けたトレーラー七七台の引取を開始した趣旨と思料される。

3 作業日誌(弁証三〇)の昭和三二年八月二七日の欄に、「萩原さん」とあるのを棒を引いて抹消して、「トレーラー引取」と記載しているのは、鈴木商店が萩原から同人名義で払下げたトレーラーを買取ったという趣旨である。このことは、金銭出納帳(弁証二九)の同日の欄に、「萩原さんより買入分英文小切手三八四、九〇〇」円を支払った記載によっても明白である(弁証三八第一二項)。また、右作業日誌の八月二七日から同月三〇日までの間、「トレーラー引取」が毎日記載されており、三〇日の欄には、「トレーラー引取終了」の記載がある。トレーラーの引取とは、払下げを受けたトレーラーを米軍の基地から運搬して引き取ってくることである。トレーラーの引取りに四日間もかかったのであるから、このときの払下げ台数は相当大量であったことが推認できる(弁証三八第一三項)。

4 右作業日誌の九月二七日の欄に、「所沢よりトレーラー一四台運ぶ(関さんに三台トラック借りる)」とあるのは、被告人が所沢の米軍基地で払下げを受けたトレーラー一四台を立川市内の保税倉庫まで運搬したという趣旨である。その際、運搬のために、被告人が関からトラック三台を借用している。右金銭出納帳には、トレーラーの払下げ代金を支払った旨の記載がないが、これは鈴木きみ子証言によると(第二六回公判、九五八丁、九五九丁)、記載漏れと思われる。

5 作業日誌(弁証三一)の一月一〇日の欄に、「午後よりトレーラー引取保税倉庫へ」とあるが、これは払下げを受けたトレーラーを米軍基地から保税倉庫に運搬した趣旨である。このとき引き取ったトレーラーの数量および払下げ代金は不明である(弁証三九第三項)。また、同じく一月二〇日の欄に、「トレーラー代金払込、午後より解体」とあるが、当時支払ったトレーラーの代金がいくらであるかは、金銭出納帳等の所在が不明なため、これまた不明である。また、翌二一日の欄に、「解体」および「保税トレーラー解体」とあるが、これはトレーラーの解体を保税倉庫と他の場所おそらく米軍基地の二ケ所でやったものと思われる(弁証三九第九項)。

6 作業日誌(弁証三一)の昭和三三年二月一二日の欄に、「午後トレーラー引く(萩原さんも共に)」、翌二月一三日の欄に、「午前トレーラー引く(玄はじめてゆく)」と記載があるが、これは鈴木商店が落札したトレーラーを米軍基地から保税倉庫まで運搬してきた趣旨である。また、二月一七日の欄にも、「トレーラー運搬(ベースより)」の記載があり、これも一二日および一三日と同じ作業をしたものと思われる。

7 更に、二月一八日および二月二〇日の欄にも、「保税倉庫作業」の記載があり、米軍基地から保税倉庫に運んだトレーラーを通関できるように解体作業をしている。また、二月二〇日の欄に、「関税おさめる」の記載があり、落札したトレーラーの関税を納付したことが判明する。そのため、翌二一日の欄に、「トレーラー引取り前後一回ずつ(玄、健)」とあるのは、トレーラーを保税倉庫から受け取ってきたものである。同日の欄および翌二一日の欄に、「税官(関の誤記)手続」とあるのは、通関手続を行なったという趣旨である。また、同日の欄に、「トレーラー切断(神山他二名)」および翌二二日の欄に、「トレーラー切断」とあるが、これはトレーラーの切断作業をやったという趣旨である。

このとき、鈴木商店が落札したトレーラーの台数や入札価額は不明であるが、二月一二日、一三日、一七日の三日間に亘って米軍基地から保税倉庫に運んでいることから推定すると、相当大量のトレーラーを落札していることが判明する(弁証三九第一八項)。

8 二月二一日の欄に、「朝来商会よりトレーラー一台買入」、翌二二日の欄に、「青木商店よりトレーラー三二台購入」の記載があり、両日で計三三台のトレーラーを購入したことが判明する。前記2記載のように、トレーラー一台の価額は二二、〇〇〇円であるから、三三台では七二六、〇〇〇円である。これを解体して販売すれば、一五〇万円位の収入を得ることができたのである。このように、鈴木商店は、直接落札してトレーラーを購入する以外に、他の業者が落札したトレーラーを買取ることもやっていたのである。このことによっても、当時鈴木商店は、相当大量のトレーラーを直接落札または他の業者から転買していたことがわかるのである(弁証三九第一九項)。

9 主婦日記(弁証三二)の四月一六日の欄に、「十時四〇分出発、フィンカム下見、QM入札(三時)北田行五時半帰宅」とあるが、これは午後三時からの入札のために、午前中にトレーラーのあるフィンカム基地に下見に行き、午後三時からのQMにおける入札に参加し、トレーラーを落札したので、帰途に転売の交渉のために北田商店に立ち寄ったという趣旨のものである。この日にトレーラーを落札したことは、四月二五日の欄に、「QM行、一六日入札分トレーラー残額支払、午後より引取をなす」旨の記載があることによって明らかである。ただし、このときの落札価額や落札したトレーラーの台数は不明である(弁証三九第三〇項)。

10 また、主婦日記(弁証三二)の四月一九日の欄に、「トレーラー倉庫に収める」とあり、翌二〇日の欄に、「トレーラー倉庫設置ほぼ完了」とあるが、これは同月一六日に落札したものではなく、それ以前に落札したトレーラーを米軍基地から保税倉庫に運搬して保管したことを指しているものである。なぜなら、四月二五日の欄に、前記のように記載されていることによって明らかである(弁証三九第三二項)。このときのトレーラーの台数および落札価額等は不明である。

11 また、主婦日記(弁証三二)の五月一日の欄に、「トレーラー切断」、翌二日の欄に、「税関手続」とあるが、これは保税倉庫に保管していたトレーラーを解体のうえ通関手続をやったものである。しかし、このトレーラーが四月一六日落札したものか、あるいは四月一九日および二〇日に保税倉庫に運搬して保管したものか、不明である。また、五月七日および翌八日の欄に、いずれも「保税倉庫作業」という記載があるが、これは落札したトレーラーの解体作業なのか、あるいはフォークリフトの解体作業なのか、不明である(弁証三九第三五項)また、同じく五月一六日の欄に、「トレーラー引取、モーターこわし」とあるが、これは保税倉庫からトレーラーを引き取る作業をやったことと、自宅でモーターの解体作業をやった趣旨である。このトレーラーは、五月一日の欄に記載されたトレーラーと同一物であるか不明である(弁証三九第三七項)。

12 主婦日記(弁証三二)の七月二八日の欄に、「所沢本契約成る」とあるのはトレーラー四五〇台を随意契約で払下げを受ける契約を結んだという趣旨である(弁証三九第四七項)。被告人が一時にトレーラー四〇〇台位を払下げたという供述は、これによって裏付けられるのである。前記2記載のように、トレーラーの払下げ価額は七七台分で一七〇万円であり、一台当り約二二、〇〇〇円である。したがって、四五〇台では約一、〇〇〇万円の価額になる。鈴木商店がこのトレーラーを解体して、タイヤ、その他の部品およびスクラップに分類して販売すれば、少なくとも倍の約二、〇〇〇万円以上で販売できたので、この取引だけで一、〇〇〇万円以上の利益を得たことになる。

13 また、八月一三日の欄に、「午後東和鉄鉱坂戸氏と所沢行、トレーラー目方計る、売買ほぼ約定」とあるのは、右12記載の七月二八日に払下げを受けたトレーーラー四五〇台を、一括で東和鉄鉱に転売するため、同社の担当者と所沢の米軍基地に行きトレーラーの重量を測定した結果、ほぼ転売の約定が成立したという趣旨である。また、翌一四日の欄に、「東和より電話待ち、連絡不十分」とあるのは、東和鉄鉱からトレーラーを一括して転買するという確答の返事の電話を待っていたが、連絡が不十分なために電話がなかったものである。また、八月一八日の欄に、「所沢作業開始」とあり、以後同月二二日の欄まで五日間いずれも「所沢」とあるのは、払下げを受けたトレーラーの解体作業を行なったという趣旨である(弁証三九第四七項)。この場合の解体作業は通関手続用のものである。

14 同じく八月一二日の欄に、「三時頃よりQM行、トレーラーブルーブすみ」とあるが、これは前記12記載の七月二八日に払下げを受けたトレーラーとブルドーザーの残代金を支払ったという趣旨である(弁証三九第四九項)。

また、八月二二日の欄に、「川鉄検視(収の誤記)係出張、カジノさんと共に、立川温泉にて」とあるのは、前記12記載の所沢基地から払下げを受けたトレーラーを東和鉄鉱に転売できなかったため、北田商店の梶野という番頭が川崎製鉄(株)の検収係の社員を連れて買取りの交渉のために鈴木商店にきたので、被告人がこの二人を立川温泉に案内して接待したということである。その結果、鈴木商店と北田商店との間に、トレーラーの転売契約が成立し、八月二九日の欄に、「貨車積」とあるのは、被告人の自宅に保管していたスクラップ(弁証二の24ないし32)も右トレーラーと一緒に売却し西立川駅から貨車積で出荷したことを指している(弁証三九第五〇項)。

15 また、九月一一日の欄に、「所沢検査」とあるのは、北田商店に転売した所沢基地内のトレーラーの税関検査を受けたことである。翌一二日の欄に、「六時出発VSD取り、引取開始約 トン運ぶ」とあるが、これはトレーラーの出荷証明書を受け取って、トレーラーの引き取りを開始したということである。また、一五日から一八日までの欄に、「所沢引取」、「所沢荷出」、「所沢荷出引取」、「所沢完了」とあるのは、この期間に所沢の米軍基地から解体したトレーラーを引き取って、所沢駅から貨車積で北田商店の指定した川崎製鉄(株)宛に出荷したという趣旨である。

また、九月一九日の欄に、「辻堂行、玄帰る」とあり、翌二〇日の欄に、「辻堂行」とあるのは、北田商店に転売したトレーラーの一部を(株)関東特殊製鋼所の辻堂工場宛に出荷した趣旨である。これらはいずれも鈴木商店が北田商店に転売した解体トレーラーを、北田商店の指図に基づいて出荷したものである(弁証三九第五一項)。

16 次に、仙名義夫振出の約束手形(振出日昭和三四年三月一六日)一通(弁証四五)は、被告人が同人に発電機一台を売却したときの売却代金二五万円の支払を受けるために受領したものである。右手形の振出日および支払期日共昭和三四年であり、かつ宛名も被告人個人であるから、被告人が鈴木商店時代に売却したものであることは明らかである。仙名義夫は、送電線の鉄塔工事業者である。この発電機は、被告人が米軍から払下げを受けたトレーラーに取り付けてあった移動用のものである。このように、トレーラーの発電機一台でもって、当時二五万円で売却できたのである(弁証一九〇第一三項)。

17 カワシマ・タカジから被告人宛の昭和三三年六月二二日付の葉書(弁証四八)は、同人から被告人に対し二〇トントレーラー一台を購入したいので探してくれという依頼をしてきたものである。

カワシマ・タカジは以前被告人と同じように米軍の通訳をやっていたが、その後、重車輌のブローカーをやっていた人である。このように、被告人は鈴木商店をやっていたときにも、方々からブルドーザー、フォークリフト、トレーラー、鈴木式シャベルローダー等を購入したいという注文や照会を受けていたのである(弁証一九〇第一五項)。

18 次に、八田工業(株)から(株)日本貿易商事小川好夫宛の昭和三四年一〇月一四日の葉書(弁証四九)、および小川好夫から被告人宛の手紙(弁証五〇)は、被告人が日本貿易商事に売却したトレーラー(一六トン)の通関証明書の催告を受けたときのものである。この手紙(弁証五〇)に同封して葉書(弁証四九)を入れてきたものである。その書類によって、被告人が昭和三四年頃に、一六トンのトレーラー一台を販売したことが証明できる。日記兼用家計簿(一九五九)(弁証二〇七)の昭和三四年九月七日の欄に、「16トントレーラー売却」とあるのは、鈴木商店が(株)日本貿易商事小川好夫(弁証二一〇の五九)に一六トンのトレーラーを販売したことを証明するものである(弁証二一一第五項32)。このトレーラーの販売代金は、約五、六〇万円であったと思料される(弁証一九〇第一六項)。

また、鈴木商店は、(有)渡辺商会(弁証二一〇の五八)に、タイヤの大きなトレーラー(ドウリー)一台を販売している。このことは名刺(同号証の五八)の裏面に記載されている引渡指図書によって明白である(弁証二一一第八項30)。

また、鈴木商店がトレーラーを販売した販売先は、恵豊工業(株)(弁証二一〇の六〇)、宇徳陸運(株)(同号証の六一)、八田工業(株)(同号証の六二)、金沢通商産業(株)(同号証の六三)等である(弁証二一一第八項31)。

19 以上によっても明らかなように、鈴木商店は、トレーラーの払下げを受けて、これをトレーラーのまま販売したり、あるいは、これを解体し、部品およびスクラップとして販売することにより、一回に数十万円ないし数百万円、一番大きな取引では約二、〇〇〇万円の収入を得ていたのである。以上述べたところから推測すると、被告人が昭和二九年鈴木商店として独立して以来、昭和三五年一〇月の法人成りまでの約七年間に、トレーラーの販売だけでも、少なくとも数千万円以上の取引をやっていた、ことは容易に理解できるところである。

九、 被告人は、鈴木商店時代に、自家用として運転する新車の乗用車(オースチン)一台を所有して使用していたが、営業用には大型および小型のトラック各一台、ジープ一台を所有していた外に、中古のトラック、バス、乗用車、オートバイ等を払下げにより、あるいは、他から買入れて、乗用車などはその儘他に転売し、あるいは、解体の上、タイヤ、エンジン、その他の自動車用部品として販売し、あるいは、鉄のスクラップとして販売していたものである。その具体的な内容は次のとおりである。

1 作業日誌(弁証三〇)の九月五日の欄に、「十時半(午後)東都日産オースチン来る」とあるのは、被告人が東都日産自動車販売(株)から新車である乗用車のオースチンを購入したのが届けられたという趣旨である。金銭出納帳(弁証二九)の後の方から記載されている個人支払関係の同日の欄に、「オースチン頭金二五〇、〇〇〇」円支払った旨記載されており、一致する(弁証三八第一七項)。右購入代金は、頭金が二五万円であるから、当時の価額で七〇万円以上したことは明らかである。被告人は、当時一年足らずで乗用車(オースチン)を買換えていた(弁証三二の六月九日、六月一七日の欄参照)。この事実によっても、当時、被告人は相当の経済的能力を有していた、ことが証明できるわけである。模範家計簿(昭和三二年)(弁証二〇六)の同日の欄に、「夜十時半オースチン新車来る」とあり、作業日誌(弁証三〇)および金銭出納帳(弁証二九)の同日の欄の記載と一致する。

2 次に、主婦日記(弁証三二)の六月九日の欄に、「オースチン新車契約す」とあり、更に、同月一七日の欄に、「午後五時オースチンデラックス来る」とあるのは、被告人が英国製の乗用車オースチンデラックスの購入契約を結んだ結果、その新車が納入されたという趣旨である。前述のように、被告人は前年(昭和三三年)の九月五日にもオースチンの新車を購入している(弁証二九および三〇、弁証三八第一七項)。このときから九ケ月経過しただけで、また新車を買換えている。旧車は六月一五日の欄(弁証三二)によると、「オースチン川勝、佐々木氏に貸す」とあり、他人に貸与している(弁証三九第四一項)。以上の事実によっても、当時被告人は相当の経済的能力をもっていた、ことが理解できるのである。

3 次に、被告人が鈴木商店の営業用に自家用として使用していた大型トラック一台、小型トラック一台、ジープ一台、および、転売用に買い入れて所有していた外国製乗用車などは、次の証拠から明らかである。すなわち、被告人が所有していた自動車は、大型トラック一台(弁証二の〈2〉、〈3〉)、(〈2〉および〈3〉のトラックは同一物と思われる。トラックの車体に、「一般機械廃材、鈴木商店」の表示がある)、乗用車(4ビュイック)一台、ジープ一台(5、6)(第一八回公判の被告人の供述、五九六丁ないし五九八丁)、その外、小型トラック一台(3、16、19ないし22、29、38、41)、乗用車一台(車種不明34)、乗用車二台(37、37の左側のフォードは38、40、41と同一物と思われるが、37の右裏の車は車種不明)、乗用車一台(39フォード)、その外、弁証一八の7、8、9の大型トラックは、前記弁証二の2、3と同一物と思われる。以上の写真から、当時被告人が所有していた自動車類は、大型トラック一台、小型トラック一台、ジープ一台、乗用車は常時二、三台あったものと思われる。

4 なお、被告人が米軍から自動車類を払い下げたり、他から自動車類を買い入れたり等して、これを自動車の儘他に転売したり、解体して自動車部品として販売したり、鉄その他のスクラップとして販売していたことは、次の証拠によって明らかである。

(一) 金銭出納帳(弁証二九)の昭和三二年一月三〇日の欄に、「ポンコツハイヤダッチ三四、〇〇〇」、翌三一日の欄に、「ポンコツシボレー三六、〇〇〇」、二月四日の欄に、「トラック代金支払QM五五五、九〇〇」、三月六日の欄に、「PXフォード四九年ポンコツ三四、〇〇〇」、三月二一日の欄に、「鈴木タイヤ支払四九一、三二四」円入金、四月八日の欄に、「ポンコツハイヤー三二、四〇〇」、同月一〇日の欄に、「シボレー売代一七〇、〇〇〇」、五月一五日の欄に、「鈴木タイヤ支払五二八、六九〇円」入金、五月二一日の欄に、「ジープ内金二三、〇〇〇」、同月二八日の欄に、「フォード五四年三三、〇〇〇」、六月一日の欄に、「マツダ三輪車三八、〇〇〇」、同月六日の欄に、「ジープ買入八五、〇〇〇」、同月八日の欄に、「フォードハイヤー三二、〇〇〇」、同月一一日の欄に、「GM三台保証金四八、〇〇〇」(GMは米軍のトラックで、入札保証金は落札価額の二割であるから、このときの落札代金は二四万円である)、六月二四日の欄に、「鈴木タイヤ精算五四〇、八九〇」入金、六月二六日の欄に、「ビュイックハイヤー三六、〇〇〇」、七月一日の欄に、「オート三輪マツダ売却三六、〇〇〇」、九月五日の欄に、「ビュイック及びカイザー(中谷)八〇、〇〇〇」、九月二六日の欄に、「ハイヤー五一年シボレー二〇、〇〇〇」、の各記載があることによって明らかである。

(二) 次に、昭和三二年八月二三日の作業日誌(弁証三〇)の欄に、「ビュイック帰り来る」(弁証三八第九項)、八月二七日の欄に、「鈴木タイヤより五二〇、〇〇〇入金、同じく八月二八日ないし三〇日の欄に、「自動車解体」、「自動車切断」(弁証三八第一三項)、八月三一日の欄に、「午前中カイザーポンコツ引取る」、金銭出納帳(弁証二九)の八月二九日の欄に、「カイザー二〇、〇〇〇」、同じく右作業日誌九月五日の欄に、「早朝中谷氏に古車売却」、右金銭出納帳の同日の欄に、「ビュイック及びカイザー(中谷)八〇、〇〇〇」(弁証三八第一五項)、右作業日誌の九月五日の欄に、「十時半(午後)東都日産オースチン来る」、(模範家計簿(昭和三二年)(弁証二〇六)の同日の欄に、「夜十時半オースチン新車来る」とあり、作業日誌(弁証三〇)および金銭出納帳(弁証二九)の同日の欄の記載と一致する。)「早朝中谷氏に古車売却」、右金銭出納帳の同日の欄に、「オースチン頭金二五〇、〇〇〇」(弁証三八第一七項)、右作業日誌の九月九日の欄に、「QMバス支払」、「ビック四六年買う」、右金銭出納帳の同日の欄に、「ビック四六年二〇、〇〇〇」、「QM、バス代四五三、九〇〇」(弁証三八第一九項、このときの支払は、ビュイック一台で代金二万円であるが、バスの代金四五三、九〇〇円は、一台ではなく何台分かの払い下げ代金であると思われるが、台数は不明である)右作業日誌の九月一七日の欄に、「憲兵隊よりビック一台、オートバイ四台引取」(弁証三八第二三項)、右作業日誌の一〇月一四日の欄に、「所沢よりのトラック代金QMに支払う」、右金銭出納帳の同日の欄に、「QM支払(萩原)二一九、〇〇〇」(弁証三八第三五項)、右作業日誌の一〇月二六日の欄に、「午後山下来り、ウエポン部品売却」、右金銭出納帳の同日の欄に「ウエポン部品六八、〇〇〇」(弁証三八第四一項)、等の各記載がある。

(三) また、昭和三三年度の作業日誌(弁証三一)の一月一一日の欄に、「中谷にエンジン売却」、「ベースよりハイヤー二台購入」、同月一三日の欄に「ハイヤー二台引く」(弁証三九第四項)、同月一九日の欄に、「ハイヤー四台の部品とり」(弁証三九第八項)、同月二四日の欄に、「鈴木タイヤに出荷」、同月二九日の欄に、「鈴木タイヤ、ハイヤー解体もってゆく」、同じく二月五日の欄に、「鈴木タイヤ五〇万円もってくる」(弁証三九第一〇項)、一月二八日の欄に、「平野に一部売却」(弁証三九第一一項)、二月二日の欄に、「平ノ氏に部品売却」(弁証三九第一三項)、二月一九日の欄に、「入札GMをとる」(弁証三九第二〇項)、等の記載がある。

次に主婦日記(弁証三二)の三月六日の欄に、「スクーター売る」(弁証三九第二二項)、四月二三日の欄に、「ホープの車買う事に決定支払いする」(弁証三九第三三項)、六月九日の欄に、「オースチン新車契約す」、六月一七日の欄に、「午後五時オースチンデラックス来る」、六月一五日の欄に、「オースチン川勝、佐々木氏に貸す」(弁証三九第四一項)、八月二二日の欄に、「ニッサン九台入札」等の各記載がある。

(四) 日記兼用家計簿(一九五九)(弁証二〇七)の六月二五日の欄に、「GMC鈴木タイヤに売る」とあるのは、鈴木商店が米軍から払下げを受けたトラックを(株)鈴木タイヤ商会(弁証二一〇の九九)に売却したという趣旨であり、金銭出納帳(弁証二九)の同日欄に、「鈴木タイヤ商会精算五四〇、八九〇」円入金の記載があり一致する(弁証二一第五項18)。同七月三〇日の欄に、「トラック4台等鈴木タイヤに売る」とあるのは、鈴木商店が米軍から払下げたトラック4台およびタイヤ等の自動車用部品を(株)鈴木タイヤ商会(弁証二一〇の九九)に販売したという趣旨であるが、その明細は現在不明である(弁証二一一第五項23)。同一〇月一日の欄に、「乗用車スクラップ売る(金山)」とあるのは、鈴木商店が自動車(乗用車)のスクラップを金山商店に販売したということであるが、その内容は現在不明である(弁証二一一第五項38)。また、翌一〇月二日の欄に、「スチュードベガースクラップ売る」とあるのは、鈴木商店がスチュードベガー(乗用車)を解体したスクラップを売却したということである。ただし、右売却の内容は不明である(弁証二一一第五項39)。

また、一九六〇日記家計簿(弁証二〇八)の八月九日の欄に、「H、村上氏とトラック契約について」とあるのは、鈴木商店が米軍から払下げを受けたトラックの売却につき村上某と交渉したということであるが、その内容は不明である(弁証二一一第六項17)。

(五) 鈴木商店が自動車用部品を販売したところは、佐久間商会(弁証二一〇の八五)、(株)山下商店(同号証の八六)、タイガー商会(同号証の八七)、浅野商会(同号証の八八)、(有)安藤商店(同号証の八九)、荒井商店(同号証の九〇)、(有)秋田商会(同号証の九一)、天野商店(同号証の九二)、平野正一(同号証の九三)、中田商店(同号証の九四)、田島商店(同号証の九五)、佐々木商事(株)(同号証の九六、九七)などである。また、鈴木商店が自動車類やトレーラー等のタイヤ類を販売したところは、相模原輿水タイヤ商会(同号証の九八)、(株)鈴木タイヤ商会(同号証の九九)、横山タイヤ(株)および芝園タイヤ(株)(同号証の一〇〇、一〇一)、徳山商会(同号証の一〇二)、金沢ゴム工業所(同号証の一〇三)、山中吉太朗(山中商店)(同号証の一〇四)、(株)新橋タイヤー商会(同号証の一〇五)、星光商会(同号証の一〇六)などである(弁証二一一第八項41、42)。

5 また、鈴木商店は、乗用車(フォード)二〇台を、一台当りの払下げ価額一五、〇〇〇円で払下げを受けたことがある。鈴木商店は、これを通関手続をして、一台当り九万円で転売し、一五〇万円の利益をあげている(第一七回公判の被告人の供述、五七八丁、五七九丁)。

6 以上の証拠によっても、被告人は相当多量の自動車を買入れて解体し、これをエンジン、タイヤ、その他の自動車用部品として販売し、あるいは、鉄、その他のスクラップとして販売しており、多額の利益を得ていたことは明らかである。鈴木タイヤ商会だけでも、タイヤの代金として三〇八万余円を被告人に支払っている。

一〇、 次に、被告人が鈴木商店時代に販売したブルドーザー、フォークリフト、鈴木式シャベルローダー、トラッククレーン、トレーラーおよびその部品、各種自動車類および自動車部品等の販売の外に、どのような物資を販売したかを明らかにする。その主たる物は、鉄、鋳物、銅等のスクラップである。

1 ところで、被告人は、払下物資の入札の際には、落札価額の二〇%に相当する保証金を現金で預託して入札に参加し、落札後、通関手続を経由した上で残代金八〇%をこれまた現金ないし英文の銀行小切手で支払っていた(弁証三八の第八項、第二六回公判の鈴木きみ子証言、九五四丁、第一七回公判の被告人の供述、五六二丁ないし五六六丁、五七七丁)。そのため、被告人は、右入札に備え、自宅に常時数百万円の現金を用意していたのである(第一七回公判の被告人の供述、五七七丁)。

また、これらの払下物資の転売代金は、ブルドーザー、フォークリフト、鈴木式シャベルローダー等の機械類を除けば、現金取引が大部分であり、転売代金は現金で被告人が受領していたのである。当時は現在と異なり、終戦後一〇年前後しか経過していない物資不足の時代であって、右払下げ物資は、払下げ価額の数倍ないし十数倍という現在では考えられないような値段で転売でき、被告人は莫大な収入と利益を得たのである。以上のことは、次の事実からも裏付けられる。

(一) 英文の領収書(金額五五、五〇〇円)(弁証七)は、鈴木商店が昭和二九年八月四日に米軍の払下げ物資を落札し、入札保証金として落札価額の二〇%に相当する現金を支払ったときのものである。したがって、このときの落札価額は二七七、五〇〇円である。また、もう一通の英文領収書(金額一、二一一、〇〇〇円)(弁証七)も、同じく入札保証金を同月九日に支払ったときのものである(第一七回公判の被告人の供述、五七七丁、五七八丁)。したがって、このときの落札価額は六、〇五五、〇〇〇円である。

(二) 金銭出納帳(弁証二九)の昭和三二年八月一五日の欄に、「落札保証金一六、〇〇〇」と記載されており、入札保証金が落札価額の二割であるから、この日の落札価額が八万円であったことが判明する(弁証三八号証の第一陳述書第三項)。

(三) 作業日誌(弁証三〇)の八月二〇日の欄に、「入札少々落札」とあり、金銭出納帳(弁証二九)の同日の欄に、「落札保証金五〇、〇〇〇」円と記載されているから、この日の落札価額は二五万円である。当時二五万円位の落札は、金額的に少ない方だったので、「入札少々落札」と記載したものであることは、右作業日誌や右金銭出納帳を記載した鈴木きみ子証言によって明らかである(第二六回公判、九五四丁、弁証三八の第九項)。

(四) また、右作業日誌の八月二一日の欄にも、「六時出発、入札、少々落札」とあるが、金銭出納帳(弁証二九)の同日の欄に、「保証金(落札保証金の意味)一一四、〇〇〇」円と記載されており、右落札価額が五七万円であったことがわかる。落札価額が五七万円でも、当時被告人が落札していた前記(一)の六〇〇万円位の落札代金額からすれば少ない方であったため、「少々落札」と記載したことは明らかである(第二六回公判の鈴木きみ子証言、九五四丁、九五五丁)。

当時、被告人の落札価額は、七、八〇万円、一〇〇万円以上を多い金額の部類に入れていたのであって、五七万円では少ない金額の部類に入っていたのである(前記九五五丁、弁証三八の第八項)。

(五) 右作業日誌の八月二三日の欄に、「萩原さん入札、プラスチック落札」とあるが、これは被告人が萩原名義で落札したものを同人から買取っていたものである。このことは、金銭出納帳(弁証二九)の同日の欄に、「萩原さん分保証金その他」一四五、五〇〇円を支払った旨の記載があり一致する。萩原が落札した保証金を被告人が支払っていたのである。したがって、このときの落札価額は、約七〇万円以上のものだったと思料される。右金銭出納帳(弁証二九)の同月二四日の欄に、「萩原さんに、一〇六、三〇〇」円、同月二七日の欄に、「萩原さんより買入分英文小切手、三八四、九〇〇」円と記載されており、被告人が萩原から買取った払下物資の代金を支払っていたことがわかる(弁証三八の第九項)。

(六) 右作業日誌の八月三〇日の欄に、「北田社長来り、鉄百トン分引取開始手伝う」とあるのは、当時三井物産(株)の代行店でスクラップ業者の総元締めをしていた(株)北田商店の北田社長が被告人宅に来訪し、被告人が同社に売却したスクラップの鉄百トンの引取りを開始したという趣旨である。百トンの鉄のスクラップは、四トン積のトラックで二五台分である(弁証三八の第一四項)。当時の鉄のスクラップの代金は、大体トン当り二万円位の相場であったので、百トンでは二〇〇万円の代金になる計算である。この代金は北田商店から小切手で受領しているが、金銭出納帳(弁証二九)の同日の欄に記載がないのは、小切手なので右金銭出納帳とは別の帳簿に記載していたものである(第二六回公判の鈴木きみ子証言、九五五丁、九五六丁、九六八丁、九六九丁)。なお、被告人が当時自宅周辺に大量の鉄のスクラップを所有していたことは、弁証二の写真(24ないし34)によって明らかである。

2 また、被告人が頻繁に鉄、鋳物、銅などのスクラップの販売をやり、相当の収益をあげていたことは、次の記載によって明らかである。

(一) 金銭出納帳(弁証二九)には、昭和三二年一月七日の欄に、「光り物、鉛、真鋳、銅九九、八三二」円入金、「北田より一二〇万」円入金、一月一六日の欄に、「電気部品、銅真ちゅう五八、七五〇」円入金、一月二四日の欄に、「スクラップ(長瀬)六五七、二二〇」円入金、翌二五日の欄に、「スクラップ(長瀬)六五一、六八七」円入金、翌二六日の欄に、「新星商事鋼屑買入一八万」円支払、翌二七日の欄に、「上物(岡田)七三九〇―三六七、五〇〇」円入金、一月二八日の欄に、「青木組精算、鉄、八九九、九五九」円支払(一月分だけでスクラップ収入三、〇三四、九八九円となる)

(二) 二月二日の欄に、「鋼屑(立川振興)一三、八〇〇」円入金、二月九日の欄に、「北田精算一六五、一一一」円入金、「銅、真鋳類五九、〇〇〇」円入金、「砲金五五、五〇〇」円入金、二月一一日の欄に、「青木組より砲金四六、四〇二」円支払、同月二一日の欄に、「スクラップ(森本)三〇四、九〇〇」円入金、二月二六日の欄に、「北田精算三三一、六六〇」円入金、「立川振興鋳物一四三、二〇〇」円入金(二月分のスクラップ収入一、〇七三、一七一円)

(三) 三月四日の欄に、「森本さんに鉄出荷一九八、五〇〇」円入金、三月二〇日の欄に、「鋳物九二〇×四二―三八、六四〇」円入金、三月二三日の欄に、「鋼屑五六一、三五〇」円入金(三月分のスクラップ収入七九八、四九〇円)

(四) 四月二日の欄に、「鋼屑内金(森え)三〇〇、〇〇〇」円入金、四月六日の欄に、「鈴木タイヤ鉄代五〇万」円支払、四月八日の欄に、「北田より三六二、三八五」円入金、「森えより三四七、九〇〇」円入金、四月一五日の欄に、「故銑、山本八五、九〇〇」円入金、「森え代鋼屑決算三七万」円入金、四月一九日の欄に、「鋳物(三二三〇)一三二、四三〇」円入金、四月二二日の欄に、「鋼屑(山崎)三一、五九〇」円入金、「鋳物一一一、一九二」円入金、四月二七日の欄に、「故銑(山本)二一〇、六〇〇」円入金、四月三〇日の欄に、「森本鋼屑二〇七、九〇〇」円入金(四月分のスクラップ収入は二、一五九、八九七円)

(五) 五月七日の欄に、「北田より決算三七四、〇四〇」円入金、五月一三日の欄に、「森本より一三〇、五〇〇」円入金、五月二二日の欄に、「立川振興より九〇、六六〇」円入金、五月三一日の欄に、「立川振興鋼材代四八、八八〇」円入金、「青木組支払二六八、四四〇」円支払(五月分のスクラップ収入は五四四、〇八〇円)

(六) 六月六日の欄に、「森本より二八五、一二五」円入金、六月一一日の欄に、「北田商店精算七三二、四〇七」円入金、「山本、故銑八二、六八〇」円入金、六月二二日の欄に、「北田商店精算二八九、七六〇」円入金、六月二四日の欄に、「立川振興払一八、七〇〇」円入金、六月三〇日の欄に、「萩原商会に金属屑一八三、七〇〇」円支払(六月分のスクラップ収入は一、四〇八、六六七円)

(七) 七月一日の欄に、「森本より小切手二〇万」円入金、七月六日の欄に、「砲金、ジュラソノ他六三、一四九」円入金、「萩原商会(砲金ソノ他)二一、六三五」円支払(六月分のスクラップ収入は二六三、一四九円)

(八) 八月一四日の欄に、「ジュラ(平山忠)七八、二四九」円入金、八月一四日の欄に、「ジュラ屑七五、六九二」円入金とあるだけで、前記1(六)記載の作業日誌(弁証三〇)の八月三〇日の欄にある、鉄のスクラップ百トンを代金二百万円以上で北田商店に売却して入金した旨の記載がないが、これは小切手による入金なので、金銭出納帳(弁証二九)には記載しなかったものと思われる(弁証三八第一四項、第二六回公判の鈴木きみ子の証言、九五五丁、九五六丁、九六八丁、九六九丁)。(八月分のスクラップ収入は二、一五三、九四一円)

(九) 九月一日の欄に、「故銑(山本)(三九三〇×二八五)一一二、〇〇五」円入金、九月二五日の欄に、「一山ものQM支払一九一、三〇〇」円、九月二六日の欄に、「松原商店より一五〇、〇〇〇」円入金(弁証三〇、弁証三八第二七項)、九月三〇日の欄に、「プラスチック代金QM払一一八、八二〇円(九月分のスクラップ収入は二六二、〇〇〇円)

一〇 一〇月八日の欄に、「北田一級鉄精算四六、九六〇円入金、一〇月一二日の欄に、「鋳物(小島)一七三、二四〇」円入金、一〇月二四日の欄に、「ジュラ二八七〇×一二・七)三六二、六二〇」円入金、一〇月二六日の欄に、「鉄千地(山崎)一〇、八〇〇」円入金(一〇月分の同収入は五九三、六二〇円)の各記載がある。

3 昭和三二年一月から一〇月まで一〇ケ月間のスクラップの販売収入は、計九、二五七、〇一五円となる。したがって、スクラップ販売による一ケ月平均の収入は、九二万円となるから、一ケ年間では一、一〇〇万円となる。ところが、右金銭出納帳(弁証二九)には、大きな取引の場合に小切手または約束手形によって代金が入金されたものの記載がないことは前述したとおりである。その証拠に、次の4、5記載のような鉄のスクラップ一、〇〇〇トンの取引(売却代金約二、〇〇〇万円以上)および、前記1(六)記載の鉄のスクラップ一〇〇トンの取引(売却代金二〇〇万円以上)など大口の取引があり、少なくとも、二、二〇〇万円以上の収入があったことは確実である。そうすると、昭和三二年度には、鈴木商店は鉄などのスクラップだけでも、販売代金が三、〇〇〇万円以上あったことは容易に推認できるのである。右収入のうち半分が取得原価、一般管理費等の経費とみても、年間一、五〇〇万円位のスクラップ販売による所得があったことは確実である(後記第一二項1(一)ないし(四)参照)。

4 次に、作業日誌(弁証三〇)の昭和三二年九月一三日の欄に、「一千トン売込開止」とあるのは、被告人が鉄のスクラップ一千トンを北田商店に売却した際の売込の交渉を開始したという趣旨である。「開止」の止は始の誤記である。模範家計簿(昭和三二年)(弁証二〇六)の九月一三日の欄に、「北田鉄一千トン売込」とあるのは、作業日誌(弁証三〇)の同日の欄に、「一千トン売込開止」とあるのと一致する。右両記載によって、鈴木商店が鉄のスクラップ一千トンを北田商店(弁証二一〇の八一、八二)に売却したことが明らかに証明できる(弁証二一一第四項3)。鉄のスクラップ一千トンの売却代金は、当時大体二、〇〇〇万円位であり、これを被告人は北田商店から小切手で受領している。そのため、現金の出し入れを記載していた金銭出納帳(弁証二九)には記載していなかったものである。このスクラップは米軍の所沢基地から貨車積で搬出している。この取引で被告人は、右代金の半分の一、〇〇〇万円位の利益を得ている(第二六回公判の鈴木きみ子証言、九五六丁ないし九五八丁、九六三丁ないし九六八丁、九七一丁)。

また、このような鉄のスクラップの大量取引は、昭和三二年度以外にも、何回もやっており、昭和三一年頃、八王子市内の機屋が連鎖倒産したときも、機械の鋳物をスクラップとして大量に被告人が買入れて他に売却している。これらの大量取引で得た利益は、次回入札の払下げ代金等の運転資金にしたり、その他は、現金の儘被告人の自宅に保管したり、被告人の実名の定期預金、もしくは、被告人の旧姓である高橋名義の定期預金にしている(鈴木きみ子の前記証言、九六四丁ないし九六八丁)。これらの定期預金が、法人成り当時、被告人が所有していたものであることが、右事実によっても裏付けられるものである。

5 また、右作業日誌の一〇月二一日の欄に、「貨車十トン車一台川鉄に出荷」とあるが、これは被告人が前記4記載の北田商店に売却した鉄のスクラップの一部を北田商店の指示で、川崎製鉄(株)宛に貨車積して出荷したという趣旨である。右金銭出納帳の同日の欄に、「貨車運賃四、四八〇」円を支払った記載がある。右日誌の一〇月二二日の欄に、「十七トン一台すみ」、同月二三日の欄に、「十五トン車」、同月二六日の欄に、「十トン車一台出荷、約十二トン」とあるのは、同じ趣旨である。同様に、右金銭出納帳の九月二二日の欄に、「貨車運賃七、六二〇」円、同月二三日の欄に、「貨車運賃七、六二〇」円、同月二三日の欄に、「運賃七、六二〇」円、同月二六日の欄に、「貨車運賃四、四八〇」円を夫々支払った旨の記載がある。この四日間で貨車四台に約五四トンの鉄のスクラップを出荷している。金銭出納帳には北田商店から代金の支払を受けた記載がない。これは北田商店から小切手で代金を受け取り、銀行に取り立てに廻したために、金銭出納帳に記載しなかったものと思われる。このことについては、前記4で述べたとおりである。

6 次に、昭和三三年度についても、鉄などのスクラップにつき、鈴木商店が大口の取引をやり、大きな収入を得ていたことは、次の事実によっても明らかである。そのほか、前記第八項12ないし15記載のように、同年七月から九月にかけて、鈴木商店は、払下げを受けたトレーラー四五〇台を北田商店に売却し、約二、〇〇〇万円の収入を得ている。したがって、昭和三三年度も、前年の同三二年度と同程度のスクラップ販売による収入を得ていたであろうことは、容易に推認できるのである。

(一) 作業日誌(弁証三一)の昭和三三年一月六日ないし八日の欄に、「フィンカム部品(故銑引取)」、「フィンカム故銑引取」、「故銑引取」とあるが、これは鈴木商店が鋳物の払下げを受けて引取りに行った趣旨である。この鋳物の数量および払下げ代金等は、金銭出納帳がないので不明である。また、一月九日の欄に、「長瀬商店へフィンカムより故銑出荷」とあるが、これは鈴木商店が払下げを受けた鋳物を長瀬商店に売却し、長瀬商店が一部をフィンカム(立川基地)から直接引取り、他は被告人の自宅にあるものも同時に引取ったものと思われる。なぜなら、一月一〇日の欄に、「午前家の庭の整理」とあるので、被告人の自宅の庭に積んでいた鋳物を長瀬商店に全部売渡して引渡したため、自宅の庭を整理したものと思われる(弁証三九第三項)。

(二) また、作業日誌(弁証三一)の昭和三三年一月一六日の欄に、「北田により社長三井の二人計三人でフィンカム下見、来宅す」の記載があり、これは入札後、被告人が北田商店に立ち寄り、北田社長および三井物産(株)の社員二名(弁証二一〇の八三、八四)と三人で立川基地に行き、落札した物品を北田商店に転売するため、値ぶみをさせたものである。

また、同二月三日の欄に、「電気部品(北田ゆずり)引取開始」の記載があり、この日から二月一二日の欄まで断続的に電気部品引取の記載があり、二月一二日の欄に、「電気部品引取午前で終了」の記載がある。これは一月一五日に鈴木商店が落札し、翌一六日に北田商店に転売した電気部品を、鈴木商店で解体せずに、そのまま北田商店に転売したもので、この引取りの期間および三井物産(株)の社員が立ち会っていた状況から考えて、相当大量の電気部品を北田商店に転売したことが判明する(弁証三九第六項、第一四項)。

(三) また、同二月一〇日の欄に、「羽田よりエンジン売買成立の電ワあり」の記載があるが、これは鈴木商店が羽田の東京国際空港内にある日本空港ビルディング(株)(弁証二一〇の六四ないし六七)にB29のエンジンを売却した旨の電話があったという趣旨である。このとき、被告人は、B29のエンジン一個を羽田の右会社に寄附している(第一七回公判および第一八回公判、被告人の供述、五八五丁、六〇七丁、第一一回公判、鈴木きみ子証言、三九〇丁、三九一丁)。

同二月一五日の欄に、「丸通フォークリフトでB29エンジン引き上げ羽田までもってゆく(玄、神山茂)」の記載があるが、これは鈴木商店が組み立て日本通運(株)に賃貸していたフォークリフトを使用して、B29のエンジンを自動車に積み込み、高橋玄治、神山茂の二名で羽田まで運搬したという趣旨である。また、二月一四日の欄に、「又、羽田の加藤氏外三名下準備に来る」の記載があるが、これはこの四名が(弁証二一〇の六四ないし六七)翌一五日に羽田まで運搬することになっていたB29のエンジンについて打合せに来たものである(弁証三九第一七項)。

(四) また、主婦日記(弁証三二)の四月九日の欄に、「立川振興へ鉄千地売却」とあるが、これは作業日誌(弁証三〇)の昭和三二年一〇月二六日の欄に記載されているような、鉄の薄物のスクラップ(千地)を、立川振興というスクラップ屋に売却したという趣旨であるが、数量や売却代金額は不明である(弁証三九第二八項)。

また、四月一八日の欄に、「山村商店(真鋳砲金売却))」とあるが、これは光り物を山村商店に売却したという趣旨である。また、翌一九日の欄に、「山村商店(ラヂエーターその他)」とあるのも、ラヂエーターその他の光り物を山村商店に売却したという趣旨である。しかし、その売却の内容は現在不明である(弁証三九第三二項)。また、四月二三日の欄に、「発電気(機の誤記)ソノ他、高山氏に、マグネ少々進藤氏に、売却」とあるが、これは発電機その他の部品を高山に、マグネットを立川の進藤に夫々売却したという趣旨である。しかし、その売却の内容は現在不明である(弁証三九第三三項)。また、五月二六日の欄に、「モーター出荷」、二八日の欄に、「ステンマグネ売却」、二九日の欄に、「シルコン出荷」とあるが、これはモーター、ステンレス、マグネシューム、ジルコン(貴金属)を売却したという趣旨であるが、売買の内容は現在不明である(弁証三九第三八項)。また、六月一四日の欄に、「光り物売買(柳氏)とあるが、これは非鉄金属商である柳商店に銅線、砲金、真鋳等を売却したものである。その売却の内容は不明である。

(五) 次に、六月三〇日の欄に、「本日よりドラム罐運び始める」とあるが、これは随意契約により立川基地から払下げを受けたドラムカンの引取りを始めたという趣旨である。鈴木商店は米軍基地から何回もドラムカンの払下げを受けている。一回の払下げ数量は五〇〇本位であった。払下げを受けたドラムカンを府中営業所に積んでいた情況を写したのが、弁証二の36、37、39、41の写真である。また、六月二七日の欄に、「関税支払」とあるのは、ドラムカンの関税を支払ったものと思われる。また、七月三日の欄に、「小かん引取ること契約」とあるが、これは小型のドラムカン(五ガロンカン)の払下げを受ける契約をしたという趣旨である(弁証三九第四四項)。また、七月二三日の欄に、「三和金属に五台でドラム出荷」とあり、二五日の欄に、「ドラム一台立川振興へ」とあるのは、前記六月三〇日に払下げを受けた分の一部を、トラックで五台分を三和金属に、また、トラック一台分を立川振興に売却し引渡したという趣旨である。しかし、右売却代金は不明である。また、九月一日の欄に、「前田氏とドラム契約」、三日の欄に、「ドラム罐売却島田商店」、五日の欄に、「ドラム罐出荷、完了」とあるが、これはは前田商店および島田商店にドラムカンを売却し、九月五日までに出荷を完了したという趣旨である。しかし、その売却の内容は現在不明である(弁証三九第五〇項)。

(六) 鈴木商店は、米極東空軍のドラムカンの払下げを一手に引受け、一年半から二年位の間に総計七、八千本のドラムカンの払下げを受けている。払下げ代金は一本当り一〇〇円である。鈴木商店はこれを最初のうちは一本当り二、〇〇〇円ないし二、五〇〇円で転売していたが、のちには全部一本当り一、〇〇〇円で転売し、米軍基地内で引渡した。したがって、被告人はこのドラムカンの販売だけで、六〇〇万円ないし七〇〇万円の利益を得ている(被告人の第一七回公判の供述)。

(七) 右のことは前記(五)の記載並びに日記兼用家計簿(一九五九)(弁証二〇七)の次の記載によっても容易に推認できる。すなわち、昭和三四年一月二五日の欄に、「太平容器ドラム罐残りとりに来る」とあるのは、鈴木商店が太平容器(株)(弁証二一〇の七五)に売却したドラム罐のうち、残品を引取りにきたものと思料されるが、売却の内容は不明である(弁証二一一第五項2)。同二月二日の欄に、「ドラム引取二回」とあるのは、鈴木商店が米軍から払下げを受けたドラム罐を二回に亘って引取ったという趣旨であるが、ドラム罐の数量等は不明である(弁証二一一第五項3)。同二月二二日の欄に、「ドラム罐新井商事へ」とあるのは、鈴木商店が新井商事にドラム罐を販売したという趣旨であるが、その取引の内容は不明である(弁証二一一第五項8)。同五月一九日の欄に、「府中トラック4台引取」とあり、五月二一日の欄に、「ドラム完了」とあるのは、鈴木商店が米軍の府中基地から払下げを受けたドラム罐を五月一九日(トラックで四台)から同月二一日の三日間に亘って引取ったという趣旨であるが、本数は不明である(弁証二一一第五項12)。しかし、次の六月八日の欄および後記同三五年一月一一日の欄の記載から推認すると、三日間で数百本ないし一、二〇〇本のドラム罐を引取っていることは明らかである。すなわち、同六月八日の欄に、「ドラム引取再開一四四本」とあり、翌九日の欄に、「府中行ドラム二回一四八本」とあるのは、鈴木商店が府中の米軍基地から払下げを受けたドラム罐の引取を再開し、六月八日に一四四本、翌九日に二回に亘って一四八本の計二九二本のドラム罐を二日間で引取ったという趣旨である(弁証二一一第五項13)。同六月二二日の欄に、「ドラム罐引取木村現地渡し」とあり、翌二三日の欄に、「ドラム罐引取」、六月二五日の欄に、「ドラム引取」とあるのは、鈴木商店が米軍の府中基地から払下げを受けたドラム罐を引取り、現地で木村辰男商店(弁証二一〇の七七)に転売し、現地で引渡したという趣旨である。ドラム罐の本数等は不明であるが、三日間に亘っているところから推認すると、数百本はあったと思料される(弁証二一一第五項16)。同八月二四日の欄に、「ドラム引取」とあるのは、鈴木商店が米軍から払下げを受けたドラム罐を引取ったという趣旨であるが、本数は不明である(弁証二一一第五項29)。同一〇月九日の欄に、「ドラム売却(ブー)三国興業」とあるのは、鈴木商店の従業員である土田武夫が三国興業にドラム罐を売却したという趣旨であるが、本数、代金額等は不明である(弁証二一一第五項41)。また、一九六〇日記家計簿(弁証二〇八)の昭和三五年一月一一日の欄に、「ドラム罐引取、外出九〇三本(トラック九台)」とあり、翌一二日の欄に、「ドラム引取百本」とあるのは、鈴木商店が米軍からドラム罐の払下げを受け、二日間に亘り計一、〇〇三本のドラム罐を引取ったという趣旨である(弁証二一一第六項2)。同一月一八日の欄に、「フィンカムドラム引取」とあるのは、鈴木商店がフィンカム基地の米軍からドラム罐の払下げを受け、引取ったという趣旨であるが、数量等は不明である(弁証二一一第六項3)。同三月一〇日の欄に、「ドラム罐引取」とあるのは、鈴木商店が米軍からドラム罐の払下げを受け、これを引取ったという趣旨であるが、その数量等は不明である(弁証二一一第六項10)。また、秋山義光(弁証二一〇の七二、七三)、長島正平(同号証の七四)、太平容器(株)(同号証の七五)、(株)三和容器(同号証の七六)、木村辰男商店(同号証の七七)、富士ドラム罐工業(株)(同号証の七八)は、いずれも鈴木商店のドラム罐の販売先である(弁証二一一第八項36)。

(八) また、一〇月一日の欄に、「QM行ガソリンタンク、四五万円払込み」とあるが、これはガソリンタンクの払下げを受け、落札残代金(代金の八〇%)をQMに支払ったという趣旨である。鈴木商店がガソリンタンクの払下げを受けていたことは、弁証二の38、39の写真によっても明らかである。残代金四五万円を支払っているので、払下げ代金は五六二、五〇〇円である。このとき払下げを受けたガソリンタンクは、一台や二台ではなく一〇台以上はあったと思われる(弁証三九第五三項)。

(九) また、鈴木商店は、米軍からタンクローリーを総計二、三〇台払下げを受けている。払下げ代金は、一台当り約一五万円であったが、鈴木商店はこれを一台当り四、五〇万円で転売した(第一七回公判の被告人の供述、五八二丁)。したがって、鈴木商店はタンクローリー二、三〇台の転売だけでも五〇〇万円ないし一、〇〇〇万円の利益を得ている。弁証二の23に写っているのがタンクローリーである。また、弁証二の36、37に写っているのがタンクローリーであり、右37には五台のタンクローリーが写っている(そのほか、弁証二の39、41)(第一八回公判の被告人の供述、六〇〇丁ないし六〇三丁)。

(十) 鈴木商店の光り物(銅、非鉄金属)の販売先は、大沢商店(弁証二一〇の一〇七)、河西商店(同号号証の一〇八)、飯島金属工業(株)(同号証の一〇九)、(有)鎌田商店(同号証の一一〇)、檜山金属商会(同号証の一一一)、平田商店(同号証の一一二)、(株)三和金属興業所(同号証の一一三ないし一一五)、湖山隆(同号証の一一六)、アルミニュウムの販売先は、平本金属商会(同号証の一一七)、平山忠五朗(同号証の一一八)、また、貴金属の販売先は、金川東浩(同号証の一一九)などであった(弁証二一一第八項43)。

また、鈴木商店の鉄類のスクラップの販売先は、(株)北田商店(弁証二一〇の八一、八二)のほかに、(株)鈴木徳五郎商店(同号証の一二〇)、神農商店(同号証の一二一)、河北商会(同号証の一二二)、(株)長瀬商店(同号証の一二三)、長沼商事(株)(同号証の一二四、一二五)、(株)大山金属(同号証の一二六)、岡田商事(株)(同号証の一二七)などであった(弁証二一一第八項44)。

また、鈴木商店のベアリングの販売先は、矢島商店(同号証の一二八)、野田正次(同号証の一二九)、ボルトの販売先は三宅商店(同号証の一三〇、一三一)、電気部品の販売先は片岡照夫(同号証の一三二)などであった(弁証二一一第八項45)。

また、鈴木商店のブルドーザーの部品の販売先は日本ブルドーザー部品(株)(同号証の一三三、一三四)、木材(廃材)の販売先は佐々木木材店(同号証の一三五)、井上商事(株)(同号証の一三六)などであった(弁証二一一第八項46、47)。

一一、以上に詳述したように、法人成り当時の被告人の個人資産が、前記質問てん末書(検乙九)記載のように、現金六〇〇万円、預貯金四〇〇万円、建設機械、部品、資材等時価二、〇〇〇万円の合計三、〇〇〇万円であることが全く根拠のないものであり、かつ、客観的な証拠によって認められる価額に反することが、明らかになったものと確信する。そのためか、原判決も、右当時の被告人の個人資産が三、〇〇〇万円であった旨の認定をしなかったものと思われる。右の事実は、仮名預金等の発生状況からも、右当時の預貯金が四〇〇万円位ではなく、少なくとも一、七〇〇万円ないし一、八〇〇万円以上あったことを裏付けることが可能である。しかるに、原判決は、右法人成り当時の被告人の預貯金の額についても、なんらの判断をも示していないのであって、これはきわめて不当である。そこで、法人成り当時の被告人の預貯金が一、七〇〇万円ないし一、八〇〇万円以上あったことを明らかにすることによって、法人成り当時の被告人の個人資産が一億円以上あったことを裏付けることにする。

1 まず、辯護人は、昭和五六年三月六日付冒頭陳述書(補充)によって、昭和四三年九月以前における仮名預金等の各年度末の在高および発生状況を明らかにした。これによって、法人成り当時の仮名預金等が前記質問てん末書記載のように多くとも四〇〇万円位ではなく、少なくとも一、五〇〇万円以上存在していたことが推定できる旨主張した。

これに対し検察官は、辯護人の右冒頭陳述書が誤りであり、このなかで主張されている法人成り当時から設定されたまま継続されているという被告人の預金は存在しないと主張し、昭和五七年一月二八日付「過年度預金に関する意見」書を提出してきた。また、検察官は、辯護人提出の弁証三三ないし三七および四〇ないし一八七の各証拠の信用性がない旨主張し、同年三月八日付「証拠の証明力に関する意見」書を提出した。

しかしながら、右各意見書記載の検察官の意見は、全く独断と偏見によるものであって、辯護人が前記第三項ないし第一〇項において詳述した客観的事実を全く無視するものであって、到底採用するに由ないものである。

2 そこで、辯護人は、検察官の右意見書が誤りであることを明らかにするために、昭和五七年四月一九日付意見書を提出し反論した。右反論の具体的な内容は、右意見書および弁論要旨第三、一、9、(二)、(1)ないし(4)において述べたとおりである。

これに対し検察官は、更に論告(書六丁裏一一行ないし七丁裏七行目)において、弁証一九三号証ないし一九七号証について反論してきたが、検察官の右反論は独断であって、なんら合理的根拠のあるものではない。その具体的な理由については、弁論要旨第三、一、9、(三)、(1)ないし(7)において述べたとおりである。

3 また、辯護人は、検察官の主張を一部認めたことによって、前記意見書添附のNo.1「新規に発見された定期預金利息計算書から推測できた過年度預金残高表」およびNo.4「証拠により推測出来る過年度預金の各年度末最低残高合計表」を修正し、弁論要旨に添付した。これらの修正されたNo.1右「残高表」およびNo.4右「残高合計表」によると、各年度末最低預金の残高合計は次のとおりである。

(一) 昭和四四年九月末 六九、七六七、三四二円

(二) 同 四三年九月末 六〇、九四二、八四四円

(三) 同 四二年九月末 五二、〇六九、四四四円

(四) 同 四一年九月末 四四、七一二、一〇七円

(五) 同 四〇年九月末 三四、九二三、七九三円

(六) 同 三九年九月末 三二、五六九、〇〇〇円

(七) 同 三八年九月末 三〇、二一五、六〇三円

これを利息相当分(所得税等の源泉分を控除した)の金額を差し引き、被告会社設立前である昭和三五年九月末まで遡及計算すると、次の(イ)、(ロ)、(ハ)のようになる。

(イ) 昭和三七年九月末 二八、七九〇、四七四円

(ロ) 同 三六年九月末 二七、四三二、五六二円

(ハ) 同 三五年九月末 二六、一三八、六九六円

勿論、単純に利息分を控除するだけで遡及計算しても、被告会社設立当時の預金残高を正確に算出することはできないが、一応の推計は可能であって、昭和三五年九月末の右算出金額二六、一三八、六九六円からは、辯護人の主張する当時の預金一、七〇〇万円ないし一、八〇〇万円以上であることが推認できるのであって、前記質問てん末書記載(検察官の主張する)の多くとも四〇〇万円位しかなかったことは事実に反することは明らかである。

一二、 被告会社設立当時の個人資産の評価

1 次に、法人成り当時の被告人の個人資産が前記質問てん末書記載の三、〇〇〇万円であったか、被告人の主張する一億円以上であったか、を具体的証拠に基づいて計算することにする。

(一) まず、被告人の妻鈴木きみ子が記載していた昭和三二年一月から同年一〇月までの金銭出納帳(弁証二九)に記載されている取引をその実額によって仕訳し、作成したのが弁論要旨添付の別紙資料一―一の〈1〉欄記載の損益計算書である。この損益計算書は現金主義のまま作成されており、発生主義に修正はされていない。右〈1〉欄の売上一五、九九一、〇六〇円の内訳は、右資料一―二の「自三二・一・一至三二・一〇・三一、鈴木光個人事業の売上表」記載のとおりである。また、右〈1〉欄の仕入一一、四七〇、五四九円の内訳は、右資料一―三の「自三二・一・一至三二・一〇・三一、鈴木光個人事業の仕入表」記載のとおりである。次に、右〈1〉欄の販売費および一般管理費一、四六七、八二五円の明細は、右資料一―四の「自三二・一・一至三二・一〇・三一、鈴木光個人事業の販売費及一般管理費明細表」記載のとおりである。結局、右一〇ケ月間の純利益は三、〇五二、六八六円となる。

(二) ところが、前記金銭出納帳(弁証二九)には、作業日誌(弁証三〇)の八月三〇日の欄に記載されている、鉄のスクラップ百トンを(株)北田商店に売却したのが、記載もれになっている(前記第一〇項1(六)参照)。当時鉄のスクラップ百トンの販売代金は二百万円であるので、これを売上二百万円と仕入原価百万円に仕訳し、前記〈1〉欄に加算して修正した損益計算書が、右資料一―一の〈2〉欄記載のものである。差引純利益が百万円増加して四、〇五二、六八六円となる。

(三) 右の純利益は、昭和三二年一月から一〇月までの一〇ケ月間のものであるので、これを単純月数按分法により年換算をすると、一年間の純利益は四、八六二、四九八円となり、年換算による損益計算書は右資料一―一の〈3〉欄記載のものである。

(四) ところが、前記金銭出納帳(弁証二九)には、作業日誌(弁証三〇)および模範家計簿(昭和三二年)(弁証二〇六)(弁証二一一第四項3)の九月一三日の欄に記載されている鉄のスクラップ一千トンを(株)北田商店に売却したのが記載もれになっている。当時鉄のスクラップ一トンの販売代金は二万円以上であったから、一千トンの販売代金は二、〇〇〇万円以上となる(前記第一〇項4、5参照)。これを売上二、〇〇〇万円と仕入原価一、〇〇〇万円に仕訳し、前記〈3〉欄に加算して修正し、年換算額を計算した損益計算書が右資料一―一の〈4〉欄のものである。結局、昭和三二年度一年間の純利益は、一四、八六二、四九八円となる。このような大口取引は、経常取引以外の特殊取引と思料される。

2(一) ところで、被告人は昭和二九年頃から同三五年一〇月一八日まで約七年間、鈴木商店を経営してきたことは前述したとおりであるが、昭和二九年から同三二年頃までの前半は、主として車輌類および航空機のエンジン等の払下げを受け、これを解体して部品毎に分類して販売し、部品とし販売できないものはスクラップに分類して販売していたものである。ところが、昭和三三年以降被告会社設立時までの後半は従来の車輌類および航空機等の払下げ、解体、販売等の外に、フォークリフト、鈴木式シャベルローダー、ブルドーザー等の機械類を組み立て販売、賃貸、あるいは、これら建設機械を使用して建設工事の請負業を兼営するようになり、被告人の収入は増大してきた(前記第五項参照)。

(二) そこで、まず、昭和二九年から同三五年一〇月の法人成りまでの約七年間の被告人の解体部品、スクラップ類の販売による利益を計算することにする。確度を高めるために、前記1(三)記載の昭和三二年分の年換算利益四、八六二、四九八円を基準利益とし(右別紙資料一―一の〈3〉欄参照)、年一〇%の利益上昇率で推計した。ただし、昭和三二年度分の純利益は、右資料一―一の〈4〉欄記載の修正年換算額の利益一四、八六二、四九八円を計上した(前記1(四)参照)。また、昭和三三年度の純利益は、昭和三二年度の基準利益四、八六二、四九八円の一〇%増しの五、三四八、七四七円に、トレーーラー四五〇台の販売代金一、九八〇万円(一台の単価四四、〇〇〇円)、仕入原価九九〇万円(一台の仕入単価二二、〇〇〇円)を加算し(前記第八項12ないし15参照)、一五、二四八、七四八円を計上した。右によって計算した部品およびスクラップ等の販売による昭和二九年から同三五年一〇月までの純利益は、別紙資料八(訂正分)の〈1〉欄記載のとおりである。その計算方法は次のとおりである。

〈1〉 昭和三二年度は実額年換算額一四、八六二、四九八円(別紙資料一―一の〈4〉欄-前記1(四)参照)

〈2〉 昭和三一年度は四、八六二、四九八円÷一一〇%=四、四二〇、四五二円

〈3〉 昭和三〇年度は四、四二〇、四五二円÷一一〇%=四、〇一八、五九九円

〈4〉 昭和二九年度は四、〇一八、五九九円÷一一〇%=三、六五三、二六七円

〈5〉 昭和三三年度は四、八六二、四九八円×一一〇%+(一九、八〇〇、〇〇〇-九、九〇〇、〇〇〇円)=一五、二四八、七四八円

〈6〉 昭和三四年度は五、三四八、七四八円×一一〇%=五、八八三、六二三円

〈7〉 昭和三五年(一〇月まで)度は五、八八三、六二三円×10-12=五、三九三、三三二円

(三) 次に、右期間中に被告人が販売したフォークリフト、鈴木式シャベルローダー、ブルドーザー、トラックソン等の機械類の販売台数および販売価額は、弁論要旨添付の別紙資料六および七記載のとおりである(前記第六項および第七項参照)。被告人が払下げを受けたフォークリフトの払下げ原価は、一台五、六万円位であったが、これをフォークリフトに組み立て販売すると、販売価額は一台当り四〇万円ないし五〇万円、また、鈴木式シャベルローダーに組み立て販売すると、販売価額は一台当り一三〇万円ないし一五〇万円であった(前記第五項5参照)。したがって、右組み立てに要した一般管理費等を考慮しても、これらの機械類の販売によって被告人は、払下げ原価の一〇倍以上の利益を得ていたことは明らかである。また、被告人が払下げを受けたブルドーザーの払下げ原価は、一台当り四、五〇万円であった(前記第六項7、9参照)が、これをブルドーザーに組み立て販売すると、販売価額は一台当り大型のD8ないしD7で四、五〇〇万円ないし六、七〇〇万円であり、小型のD4で二五〇万円ないし三〇〇万円であった(前記第六項9参照)。したがって、ブルドーザーの場合にも、フォークリフトや鈴木式シャベルローダー以上に販売価額が大きかったので、被告人の利益は大きく、右組み立てに要した一般管理費等の経費を考慮しても、これらブルドーザーの販売によって、被告人は払下げ原価の七、八倍ないし一〇倍位の利益を得ていたことは明らかである。

(四) しかしながら、残念なことではあるが、これらの経費額や利益額ないし利益率を証明する客観的資料が存在しないので、販売価額に最低の利益率を計上して利益を算出することにした。すなわち、ブルドーザー、フォークリフト、鈴木式シャベルローダー、その他の機械類の販売代金額の総額は、前記別紙資料七記載のとおりである。これに最低の利益率七五%を乗ずると、これら機械類の各年度毎の利益が次のように算出できる。この利益は右別紙資料八(訂正分)の〈2〉欄記載のとおりである。

〈1〉 昭和三三年度は六、二〇〇、〇〇〇×七五%=四、六五〇、〇〇〇円

〈2〉 昭和三四年度は五二、四八八、四七〇円×七五%=三九、三六六、三五三円

〈3〉 昭和三五年度は四六、七一三、一五〇円×七五%=三五、〇三四、八六三円

(五) また、部品およびスクラップ等の販売による利益と、ブルドーザー等機械類の販売による利益、との各年度毎の合計額は、前記別紙資料八(訂正分)の〈3〉欄記載のとおりである。右記載によると、昭和二九年から法人成りした昭和三五年一〇月までに、被告人が得た利益の合計額は、一三二、五三一、七三五円となる。

(六) ところで、右期間中における被告人の生活費等がいくらであったかは問題であるが、一応の目安となるのは、当時被告人が所得税の確定申告書に記載していた所得金額である。当時は、この所得金額によって生活することは、十分可能であったと思料される。右確定申告書(検甲二―一〇〇)によると、原判決も認定している(一二丁表)ように、昭和三一年度二七九、〇〇〇円、同三二年度二九五、〇〇〇円、同三三年度三五〇、〇〇〇円、同三四年度四一七、〇〇〇円、同三五年度六九四、五二五円(ただし、このうち営業所得は四三〇、〇〇〇円)である。

しかし、当時の被告人の実質所得が右申告所得金額に比較し、莫大な金額になっていたことは明らかであるので、生活費の支出も一般家庭における生活費に比較し、多かったものと推認される。そこで、被告人の生活費は前記申告所得金額の倍額程度を消費したものと推計した。ところで、鈴木きみ子が昭和三二年度の生活費を記載した模範家計簿(弁証二〇六)および同三四年度の生活費を記載した日記兼用家計簿(弁証二〇七)によると、被告人の家族の一ケ月当りの生活費は約五万円ないし六万円であり、約六万円前後(一年間約七〇万円であって、前記申告所得金額の倍額程度であり、生活費の前記推計額と大体において一致する(弁証二一一第四項1、第五項1)。

而して、右別紙資料八(訂正分)の〈3〉欄の利益合計額から同〈4〉欄の生活費等の合計額を控除したものが、同〈5〉欄記載の資産蓄積可能金額である。その合計額は一億円以上である一二六、三三一、七三五円である。したがって、法人成り当時、被告人の個人資産が一億円以上存在したことは右別紙資料八(訂正分)によっても十分に証明できるのである。

(七) ところで、前記家計簿(弁証二〇六)にはさんであった鈴木きみ子作成の入金伝票によると、昭和三二年六月分の収支の合計が記載されている。これによると、同月分は、営業収入二、一九三、九四九円、営業支出七九九、七〇一円、人件費支出一二〇、〇〇〇円、臨時支出一〇七、五七九円、家計支出五五、三七五円、支出合計九七五、一五五円、差引利益一、二一八、七九三円となる。右の営業収入二、一九三、九四八円および営業支出七九九、七〇一円は、いずれも金銭出納帳(弁証二九)の同月分の合計と一致する。また、右の家計支出五五、三七五円は右家計簿(弁証二〇六)のはじめの方(一一頁)に記載されている「毎月の予算と決算」欄の六月の決算欄の金額と一致し、同月分のものであることが明らかである(弁証二一一第四項4)。右差引利益を一二倍すると一年間の利益が算出されるが、一、二一八、七九三円×一二ケ月=一四、六二五、五一六円となり、前記別紙資料八記載の昭和三二年度の資産蓄積可能額一三、九六二、四九六円を上廻る金額となり、右別紙資料八記載の金額が合理的であることが裏付けられる。

(八) また、特に注意を要するのは、右別紙資料八(訂正分)の〈5〉欄の資産蓄積可能金額が、昭和三二年度一三、九六二、四九八円、同三三年度一八、八九八、七四八円、同三四年度二八、五四九、九七六円、同三五年度三一、四五三、一九五円と順次増加していることである。これは昭和三三年以降にブルドーザー等の機械類の販売による利益が増加したためである。鈴木商店時代の後半の期間に比較し、前半である昭二九年から同三一年までの三年間の資産蓄積可能金額が少なすぎると思われるが、確実な証拠が存在しないため、最低の推計金額によって計算したものである。

3 以上詳述したように、原審に提出された客観的な証拠資料を精査し、審理を尽していれば、法人成り当時の被告人の個人資産が一億円以上存在したことを明らかにすることができたのに拘らず、原判決は、「かなりの年月が経過しこれを証するに足りる客観的な資料も存在しない」ことを理由に、法人成り当時の被告人の個人資産の評価をさけたのは、審理不尽の違法があり、右は訴訟手続の法令違反にあたり、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄されるべきである。

第五点 原判決は、被告人第一重機工業株式会社を罰金一、五〇〇万円に、被告人鈴木光を懲役一年、執行猶予三年の刑に処しているが、これは重きに過ぎ量刑が不当であるから破棄されるべきである。

一、原判決は、本件公訴事実の全部に対し脱税の犯罪事実を認め、被告人らに対し右のような刑に処している。しかし、原判決の右認定が誤りであることは前記第一点ないし第四点において詳述したとおりである。その結果、被告人らが被告会社の業務に関し、自昭和五〇年九月期至同五二年九月期の三期の事業年度における法人税のほ脱は、北立土木の水増工事代金およびこれを定期預金および貸付信託にしたものの受取利息等が主なものであって、ほ脱税額は原判決の認定する金額の五分の一以下である。

国税局側が本件査察事件につき、捜査の手抜きをやらずに、客観的な資料に基づき慎重に裏付捜査をやっておれば、被告人らは告発されず、したがって起訴されることもなく、修正申告による税金の納付だけで済んだ事案である。

二、被告人は、被告会社の資本金を一億円にして被告会社の経営規模を拡大する基礎を固めるために、増資に備えて資金を蓄積しようとしたものであり、被告会社の経済的基盤を確立することを狙ったものである。したがって、被告人の個人的な用途に費消するためとか、個人的な資産を蓄積しようとしたものではないから、本件犯行の動機については特に斟酌すべき事情が存在する。

三、被告人は北立土木の水増工事代金については、本件査察事件の最初から終始一貫してこれを認めてきたものであり、十分に反省しているから二度とこのようなほ脱犯を犯すおそれは全く存在しないことが明らかである。また、本件査察事件を教訓として、従業員に対する給料手当および賞与の支給についても改善がはかられただけでなく、交際費の支出についても改善がはかられており、他から誤解されたり、非難されることのないように正常化されている。

四、以上述べた被告人らに有利な情状を勘案すれば、原判決の前記量刑は重きに過ぎ不当であると思料されるので、原判決を破棄し、被告人らに対し然るべく減刑されんことを求めるものである。

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